2.村の日常
気づいたら異世界にいた。
いや、自分の者ではない誰かの魂が入り込んできた、と言った方が正しいのだろうか。
とにかく僕は僕でなくなり、僕となった。それが、6歳の僕に起こったことだった。
◇◆◇◆
僕は、この世界の辺境の村の、農家の家に生まれた。
ここでの暮らしは、前世の暮らしと比べたら、正直お粗末だ。
電気もない、ガスもない、水道もない。
都市では違うのかもしれないが、ここではインフラも全く整備されてはいない。
ただ、文明レベルが低いのにもかかわらず、ごくまれにとっても便利な道具があったりする。
例えば、野菜などを冷やしておける貯蔵庫とか、夜でも輝きを失わない電灯などだ。
これらはすべて、魔法を閉じ込めることのできる魔石というものを使った道具で、魔道具と呼ばれている。
人々の生活に強く根付いており、この世界の文明になくてはならないものといっても過言ではない。
まったく、魔法というのは便利なものだ。
魔石と魔法を使える者さえいれば、安全に何年も働き続ける道具を製造できる。
苦労して、機械を作らなくてもいいんだから。
通りでこの世界の科学が発達しないわけだ。
「エル!暇ならおつかいに行ってくれない?」
母さん、ノエルの声が聞こえた。
エルというのは僕の名前だ。
おつかいか。
寝起きには動きたくないんだけど。
低血圧ぎみで、朝は弱いんだよな。
まあそれは前世のことだから、単なる思い込みかもしれないけれど。
「起きてるんでしょー。早くしないとまた草刈り手伝わせるわよー」
なんだって!
「起きてる!起きてるよ。着替えるからちょっと待って!」
草刈りはまずい。
大したことないと思うかもしれないけど、あの広大な土地を見たらそんなこと言えなくなるから。
前にやったときは、全身の筋肉という筋肉が悲鳴を上げていたし。
人生でつらかったことランキングのトップ3には入るんじゃないだろうか。
あれは6歳児にやらせる仕事量じゃない。
急いで着替え、部屋を出ると、ノエルがお金を渡してきた。
「氷の魔石が切れそうだから、道具屋に行って買ってきてちょうだい。早めに帰るのよ」
道具屋か。
めんどくさいなあ。
「わかったよ。行ってきまーす」
そう思ったが顔には出さず、僕は日差しの照りつける外へと走り出た。
僕の住んでいるこの村は、辺境だ。
大陸の端の端、外界に最も近い場所にあり、北の広大な森と西の険しい山脈に挟まれている。
その辺境ぶりと言ったら、この村が属している帝国の役人が来ることがない、というとわかるだろうか。
強大な力を誇るウェルスト帝国も、こんな辺境まで管理する余裕がない、ということだ。
その為、村の決め事は村長や教会の司祭などが集まって決めることになっており、完全に独立した村といえるだろう。
まあそんな田舎なので、道は当然整備なんかされていない。
石や岩が転がり放題、水たまりがそこら中にあったりする。
当然アスファルトで舗装された道よりは歩きにくく、体力も取られやすい。
かなりの時間をかけて道具屋までたどり着いた時には、すっかりくたくたになっていた。
近くにあった木陰で少し休み、呼吸を整えてから店の中に入る。
店の中は、暗く、陰鬱とした雰囲気が漂っていた。
何やら不気味な、骸骨だったり、怪しげな色をした液体が入った瓶なんかが所狭しと置いてある。
だから嫌なんだよ、道具屋に来るの。
どうせこんなところで売れもしないのに、こんなの並べて。
「あ、エル!エルも来てたんだー」
頭の中でぶつぶつと文句を言いながら魔石を探していると、後ろから元気そうな声がかけられる。
振り向くと、見慣れた金髪が目に入った。
「アリシャか。こんなところで会うなんて珍しいね」
アリシャ。
彼女は近所に住んでいる少女で、いわゆる幼馴染というやつだ。
この村では唯一僕と同い年だからか、なにかと一緒にいることが多い。
僕が返事を返すと、アリシャは喜んだようにうなずいた。
「うん!今日はね、お母さんに頼まれてけーさんき?っていうのを買いに来たの」
「へえー。計算機か」
それはかなり思い切ったな。
計算機みたいな複雑そうな魔道具は、少し高価なのだ。
前世の電卓みたいなものだけど。
アリシャの家のような販売店にとってはすごい便利なのだろう。
「でもどこにあるのか見つからなくて…」
少し困ったように、ちら、ちらとこちらを見ながらアリシャが言う。
一緒に探そうって言いたいのかもしれない。
仕方ない。
「じゃあ一緒に探してあげようか?」
「ありがとう!」
まあそんなに大きな店じゃないし、すぐに見つかるだろう。
さっさと済ませて早く帰ろう。
「なかなか見つからなかったねー」
帰り道、隣を歩くアリシャが何気なくそう言った。
うぐ。
アリシャの言葉通り、僕は計算機を見つけるのにかなり手間取ってしまった。
あそこの店、商品の置き方が雑すぎる。
床に直置きしてたり、天井にぶら下がってたり。
え、こんなとこにおくの?って思うところに並べてあったりもする。
結局わからなくて、店の人に探してもらった。
侮るべし、道具屋。
「それよりさ、計算機なんてなかなか買えるもんじゃないよね。何かあったの?」
「うーんとね、なんかね、最近お客さんがたくさん来るの。魔獣の皮とかがたくさん手に入るらしくて」
なるほど、そういうわけだったのか。
この村は、北に広大な森がある。
その森から出てくる魔獣は決して少なくなく、ほかの都市と比べると、魔獣の素材が多く集まったりする。
ただ、最近はいつもに増して魔獣が現れているみたいだ。
「森からくる魔獣の量がさらに増えてるってことかな。危なくなってきたなあ」
「大丈夫!魔獣がいっぱい来ても、冒険者さんたちがみんなやっつけちゃうもん!」
「そうだといいけど…」
現れる魔獣の数もあってか、この村には冒険者、それも比較的高いランクの者が多い。
だからこの村は、平時であれば安全な村といえるのかもしれない。
ただ冒険者の数は、小さな村にしては多いというだけのこと。
魔獣が群れで襲ってくる、などの想定外の事態には対処しきれないだろう。
「もー。エルったら怖がりさんなんだから」
「僕は用心深いだけなの」
「どうかなー」
まあちょっと魔獣が怖いのは認めるけど。
けど、アリシャのからかう顔を見ると、ちょっとやり返したくなってくるな。
「けどアリシャだって、この前の夜、ちっちゃな犬にビビってたじゃないか」
「ビビッてないもん!」
「嘘つけ。めっちゃ大声出してたじゃないか」
「出してないってば!わたしぜんぜん怖くなかったし!」
「じゃあ今度、夜に散歩でも行くか?」
「い、いけるもん。もう私おねえさんだから!」
は!
いけない、6歳児と張り合ってしまった。
まあ、夜散歩するのは怖いっていうのはわかるけど。
この世界の夜はまだまだ危険だ。
街灯の代わりとなるものが存在するからといったって、こんな田舎道に整備されているわけもない。
なので、このあたりの夜は、前世に通ってた道はおろか、田舎道なんかよりも比べ物にならないぐらい暗い。
それにここら辺は、魔獣とはいかなくても野犬なんかの獣も多い。
そんなただの獣でも、僕たちぐらいの子供にとっては十分に危険だ。
「嘘だよ。夜は危ないから外に出ちゃだめだって言われてるだろ?」
意地張って、怪我なんかしても責任取れないからな。
もう何回も見たことのある、しかし前世では決して見ることのできなかった大自然を横目に、アリシャと会話をしながら歩く。
少し行くと、分かれ道にさしかかった。
僕とアリシャがいつも別れる場所だ。
「じゃあわたしこっちだから。また後でね、エル」
言うや否や、アリシャは家の方角へ走っていく。
元気だなあ。
なんで子供ってこんなにエネルギーが有り余ってんのかね。
僕も体は子供だけど、あんな元気は出せな。
少しうらやましく感じつつ、僕は時々こっちを見て手を振るアリシャに手を振り返した。
朝起きて、家の手伝いをして、暇になったら遊んで。
この村での生活は、そんな平和で、のんびりとした感じだ。
漫画やゲームがないから、すぐに退屈すると思っていたけれど、僕はなんだかんだでここの暮らしを楽しんでいる。
願わくばこの日常がいつまでも続くといいな、と。
そう思った。