1.脱出
真っ暗な夜の闇にただ一つ、月が青白い光を放っている。
月光の下、僕は森を歩いていた。
「よいしょっと。……ここら辺はもう外なのかな」
目の前にあった倒木を魔法でどかしながら僕はそう呟く。
魔法を使っているのでたいして疲れはしないのだが、どうしてか巨大なものを動かすときには掛け声を入れてしまう。
これも悪い癖だな、と思いながら僕は森の中を足を動かし続けた。
森といっても今まで過ごしてきたような魔窟ではない。
普通の背丈の木やどこにでもあるような雑草が生えているような、普通の森だ。
先の見えないような高さの木や自立移動する肉食植物なんてものはない。
「はあ、懐かしいなこの感じ。これが本当の森ってやつだな。今までにいたのは地獄みたいなところだったからなあ……」
約一年。
それが森から出るまでにかかった時間だった。
ただの森から出るのには多すぎる時間だったが、その森が魔窟となると話が違ってくる。
早いどころの話ではない。
そもそも魔窟に迷い込んで脱出できたというのが驚くべきことなのだ。
人間の世界では見ることもできないような巨大な魔物に追われ、世界最大とも考えられている迷宮に迷い込み、奈落の底にまでつながっているのではないかと思うほど深い洞窟に落ちた。
飢えで死にそうになったこともある。
落下死しそうになったこともある。
溺死しそうになったことも、焼死しそうになったことも、感電死しそうになったこともあった。
魔獣に襲われて死にそうになったことなら数えきれないほどにあった。
朝も、昼も、夜も、どんな時でも危険と隣り合わせだった。
気を抜いたら死ぬ、そんな場所だった。
「今まで大変だった……、ただもうあそこじゃない。僕は抜け出してきたんだ」
周りに広がる森からは、もう危険は感じられなかった。
野良の獣や少しの魔獣はいるだろうが、そんなものは敵ではない。
魔窟を出たことがはっきりとわかり、安心感を覚える。
「もう森の中を結構歩いてきたな。そろそろ寝るところを決めるか」
いい感じの場所があるといいなと思いながら、僕は自分にかかる重力を操作して浮かび上がる。
近くにあたりを一望できそうな高所がないので、空から周りを見ようという考えだ。
魔窟にいたときではうかつに飛ぶこともできなかったが、少し離れたここなら大丈夫だろう。
浮かび上がった僕が目にしたのは、感動さえ覚える風景だった。
どこまでも続くように感じられる緑の木々。
遠くに見える山脈や、魔窟。
そして満天の星が輝く夜空。
魔窟にいたときも何度か飛んで見たことがあったが、背の高い木がいくつもあったためにここまでの景色は見たことがない。
「おぉ……」
僕は寝床を探す、という目的も忘れてその景色に見入ってしまった。
「ん?あれは……」
ふと、森の中に明るい場所があるのに気づく。
点にしか見えないような小さな明かりだが何かがあるのかもしれない。
そう思い、僕は明かりのほうへと飛んで行く。
そこにあったのは村だった。
家が数えるほどしかない、小さな村だ。
どの家も粗末なつくりをしていて、その中の少し大きめのサイズの家だけに明かりがともっていた。
どうやらあまり栄えていない、貧しい村らしい。
「うーん、ここにお邪魔するのもなあ……」
こんな出自も分からない不審者を村に入れてくれるかもわからない。
たとえ村の人が親切で村にいさせてくれるとしても、人が一人増えただけでも村の負担になるだろう。
それにそもそも僕は一人で生きていける。
食べるものは狩りでもして調達できるし、調理も錬金術で生成したものを使えば簡単にできる。
寝床なんかも同じことだ。
正直あの村にいるよりもいい暮らしができるような気がする。
「よし!村には迷惑をかけないことにして、寝床は……」
きょろきょろとあたりを見回すと村から少し離れたあたりに洞窟があるのを見つけた。
あそこでいいかな。
ちょっと広すぎるような気もするけど、まあいいか。
中を区切って部屋でも作ればいいことだし。
そう考えると僕は村の上空を離れ、洞窟へと向かった。
洞窟は気温が低く、少し肌寒さを感じるほどだった。
壁のところどころに刺さっている鉱石が淡い光を放っていたので洞窟の中はそれほど暗くなく、魔法による明かりは必要がなかった。
住むには最適の場所だな、と思いつながら僕は奥へと進んでいく。
行き止まりに着いたらそこで寝ようかな。
そんなことを考えながら先に進んでいたその時だった。
気配を感じた。
魔獣の気配を。
「……この奥に何かいるな。それも少し強力なのが」
そう呟いて僕は進むスピードを上げる。
逃げるためではない。
その気配のもとを排除するためだ。
少し行くと、洞窟の行き止まりに到着した。
急に天井も高くなり左右の幅も大きくなっていたそこに、気配のもとはいた。
翼を背中に着けた真っ黒な巨躯。
鋼鉄のように硬そうな鱗。
鋭い爪と牙を持つその魔獣は、寝ていたのか体を丸めるようにして座っていた。
「龍の…亜種か」
そのつぶやきに反応したのか黒龍の首が動き、その目がこちらをとらえた。
威嚇するように翼を大きく広げ、口を開ける。
ーー咆哮
龍の鳴き声があたりに響き渡る。
空気の振動が洞窟の壁を揺らす。
並の人間ならすくみ上るであろうそれを、僕は涼しい顔で受け止めていた。
「その程度なのか?龍というのは」
あそこの魔獣と戦ってきた僕からしてみればこんなものはこけおどしでしかない。
あそこにはもっと大きい魔獣がいた。
あそこにはもっと恐ろしい魔獣がいた。
今更こんなトカゲに負けるわけもないな。
僕はそう思うと、目の前の邪魔者を排除するために魔法を開放した。




