11.森の中
「よし、村に戻るか」
手にした力の大きさにしばらく固まってしまったが、僕ははっと気を取り直した。
この力があれば森を抜けることもできるかもしれない。
まだ使い方に慣れてない部分もあるが、基本的な魔法とかであれば念じれば簡単に使えるので、問題はないだろう。
僕は、湖の周りを歩いて回る。
しばらく歩くと、湖にそそぐ川にたどり着く。
さっとあたりを見渡してもほかにこの湖にそそぐ川はないため、僕はこの川に流されてここへ着いたのだろう。
だとすればこの川の流れに逆らうように進めば、僕が落ちたあのつり橋のところまではいけるはずだ。
「早く戻らないと」
日が上っているということは少なくとも一晩は経っている。
これ以上時間をかけるわけにはいかないなと思いつつ僕は歩みを進めた。
森の中は村でも見たことなないような奇妙な植物で埋め尽くされていた。
岩や地面のところどころにある蛍光色の苔、木の根に生えている毒々しい色をしたキノコ、意志を持つかのようにうねうねと動いている植物、そして何十メートルもの高さがある巨木。
そのサイズはどれも大きく、巨木の根を超えるだけでも苦労する。
その様子はとても幻想的で、まるで巨人の国へ迷い込んでしまったかのようだった。
さらに悪いことに、光が木の葉に遮られるために、土がぬかるんで歩きづらい。
僕は隣に流れる川を見失わないように注意しながらゆっくり歩く。
村までどれだけ離れているのかなあ、もしかしたら一日じゃつかない距離かも…と若干不安になり、川のほうから目を離す。
その時だった。
――獣の唸るような声が聞こえた。
「魔獣か?」
そう考えるのは早計かもしれない。
ただの野獣である可能性もごくわずかにある。
ただ最悪の想定、村を襲ったような強力な魔獣であることを考えておかないと危険だ。
僕は周りを警戒しつつ音のした方向を向く。
そこには僕らの村を襲った魔獣よりも一回り小さい、けれど同じような形をした四足の魔獣が、いた。
その狼を思わせるような鋭い眼光は、こちらを向いて離れない。
グルル、と
魔獣がうなり、じりじりとこちらへ近寄ってくる。
僕は魔法を発動させることも忘れて魔獣とにらみ合う。
嫌な汗が頬を伝い、心臓の鼓動が急激に上がっていく。
いくら見合っていたのか。
永遠に続くように感じられたにらみ合いは、魔獣の側から唐突に破られた。
魔獣の口が開かれ、鋭く細かい牙があらわになる。
そしてその開かれた口に魔力が、集まっていくのを感じる。
「――ッ、まずい!」
僕は嫌な予感を覚え、魔獣の向きから逃れるように横へ逃げる。
するとその後ろを、炎が、通り過ぎた。
あたりの温度が、一気に上がるのを感じる。
後ろを向くと、ブレスが直撃したであろう木々が炎を上げて燃え上がるのが見えた。
避けきれず、かすってしまったのか背中が焼けるように熱い。
やけどをしているのかもしれない。
「水場に……川に行って……」
……舐めていた。
正直ここまでの威力があるとは思ってもいなかった。
想像していたよりもずっと大きな、魔獣という脅威に恐ろしさを感じながら僕は水場を求めて走る。
炎と煙で方向なんかわからないけれど、とにかく走る。
魔獣に背を向けて、走る。
後ろから獣の走るような音が聞こえる。
魔獣が追いかけてきているのか。
再び後ろの方で魔力の集まる気配を感じた。
「ひっ、また…」
僕はさっきのブレスを思い出し、恐怖が襲ってきた。
あれを受けたら僕なんてひとたまりもなく消し炭になるだろう。
怖い。
怖い怖い怖い。
ちょっと前には死を覚悟したはずなのに、死のうとしていたはずなのに、痛みを感じただけで逃げたくなる。
これ以上痛みを感じたくないと、死にたくないという思いが湧き上がって止まらない。
僕はがむしゃらに、魔法を開放した。
「くそ!吹き飛べ!」
そう叫び、後ろへ向けてとにかく大きな力を放つイメージを向ける。
コントロールもなくただ単に威力重視の力を。
すると驚いたことに、轟音があたりに響いた。
「……へ?」
思わず間抜けな声が出る。
振り向くと魔獣の姿はなくなっていた。
魔獣だけではない。
草も、木も、岩も、一帯にあったすべてのものが吹き飛び、ばらばらになっている。
土はえぐれて、隕石が落ちた後のようにクレーターができていた。
「こんなに威力が出るなんて…」
背中に走る痛みも忘れて目の前の風景をぽかんと見つめる。
威力を気にせず魔法を使ったとはいえ、ちょっとこれは……。
「ふぅ……助かった」
この惨状で魔獣が生きているとは考えにくい。
少しびっくりしたが命拾いしたことには変わりない。
死の危機から助かったことにほっと胸をなでおろす。
安心したからか背中の痛みが戻ってくる。
「さて、川に戻って傷を冷やすか……ん?」
戻ろうとしたところで、ふと、気づいた。
ここどこだ?
川の音も聞こえないし、道中にあった景色もすっかり変わってしまっている。
心なしか周りに生えている植物も陰鬱なおどろおどろしいものが多くなっているような気がする。
さっきまで幻想的な雰囲気が漂っていた森が、今では不気味に感じられる。
「確かこっちから魔獣が襲ってきたような……、あれ、こっちだったかな?」
おぼろげな記憶を頼りに帰り道を探すが、方向すら定まらない。
うーん、たぶんこっち。
まあ違っても戻ればいいだけだし、何とかなるだろ。
強大な力を手に入れたことを改めて分かったからか、僕は適当にそんなことを考えて森のほうへと足を進めた。
深い深い森の中へと、簡単に。
ここがどんなところかも知らずに。
◇◆◇◆
この世界には「外界」と呼ばれる大陸が存在する。
外界といえば次元の違う異世界のような場所を想像するかもしれないが、そんな仰々しいものではない。
人類が未だ開拓できていない、あるいは調査できていない大陸のことである。
その土地には人間はおろか、亜人や魔族すら住んでいないとされている。
調査もままならない大陸に先住民がいないとわかる理由。
それは外界の、この世界とは比べ物にならないくらいの環境にある。
人間の住んでいるこの世界の、最高の脅威であるS級の魔獣。
そしてそれを超える亜神や神獣といった冒険者組合の出すランクに収まらない化け物。
外界とは、そんなものがうようよと生息している大陸なのだ。
そんなところに脆弱な人間種が住んでいるはずも、住めるはずもないと考えられているのだ。
外界は隔絶されている。
簡単に行けないという点ではある意味、異世界と言ってもいいのかもしれない。
外界が化け物の巣窟だと知られてからは全くなくなったが、それ以前は数々の調査団が送られていた。
S級の冒険者を筆頭として名だたる冒険者が集まった調査団、自国の兵士の4分の1もが動員されて作られた調査団、召喚された勇者による調査団。
しかしその内のほとんどの調査団は、外界にすらたどり着けてはいなかった。
外界とこの世界を隔てる海。
そこは想像もできないような過酷な場所だったのだ。
陸から出発してすぐ、大陸棚を超えて少し行ったあたりまでは比較的穏やかな海だ。
そこまでは人類生存可能地域として、資源の採取や漁などが行われている海でもある。
しかしその先、人類生存可能地域を超えた後。
そこは調査団にとっての地獄となった。
考えられないほど巨大な嵐。
手も出ないような海の魔獣。
船は壊され、人は海へと放り出された。
その自然の暴威に、調査団はなすすべもなく海の藻屑となり消えていった。
海は、壁だ。
外界と人の住む世界を分ける。
その間に海があるからこそ人は外界に行けないし、逆に外界の魔獣も人の大陸にやっては来ない。
しかしこの世界には一か所だけ、外界と陸続きになっている場所がある。
壁がないわけではない。
そこにあるのは、海の代わりに壁となっているのは、森だ。
人の世界からも外界からもの侵入を許さないその森は、いつしか魔窟といわれ恐怖の対象となっていた。
そしてそれが、エルの迷い込んだ森の名前だ。
簡単に出れると思っていたそこは侵入不可能で、脱出不可能の場所だったのだ。
エルはまだ知らない。
この森がどれだけ危険なのかを。
あそこで会った魔獣は、森の勢力争いに参加すらできずに逃げてきた魔獣だということを。
エルはまだ知らない。
出ることが、どれほど困難なものかを。
自分がこの森に、どれほどとらわれたままになることを。




