六
「よぉ、小せぇのが目ぇ覚ましたって?」
そこはかとなく緊張感が漂っていた室内が、どかどかと不遠慮に踏み込んできた足音と呑気な声に消され、ふっと穏やかなものとなる。
短く頭を刈った男の顔には、いっぱい傷がついていた。屈強そうな体つきといい、まるで荒くれ者みたいだった。
「ロアン、もう少し静かに入ってこられないもんかね。うるさくてかなわないよ」
「ははっ。言うな、ばーさん。おらぁ、みみっちぃこたぁ性分に合わねぇんだ。んで、小せぇ嬢ちゃんの様子はどーなんだ。ずいぶんな怪我だったじゃないか。……おっ、腫れは引いたみてぇだな。首に痕もねぇし」
強面の顔を近づけられ、驚いたリーフェルが少しばかり上半身を反らすと、男はおやっといいたげに瞬いてから、にやっと笑った。
「あたしの腕を過小評価するんじゃないよ。セイがあたしの目となって手伝ってくれたから、治療は完璧さ」
ふんと軽く鼻を鳴らす老婆は、自信にあふれていた。
「あなた、薬師なの……?」
今更ながらに、千を超えるほどの薬草が室内に置かれていることに気づいた。
継ぎはぎだらけの大きな布で出来た四角い家は、四本の太い丸太によって支えられていた。強風が吹いたら布など飛んで、丸太が倒れるんじゃないかと危惧するほど柔な作り。裏路の村だってもう少しましな家だ。
けれども、見た感じに反して、家の造りはしっかりしているようだ。簡単に崩れるようなら、命と同じくらい大切な薬草をそこら中に並べたり、吊り下げたりしないだろう。
「違うよ」
小さな男の子が、扉代わりの布をはねのけて、駆け込んできた。
「ばっちゃんはせ、…せん……、なんとかってやつなんだ」
やんちゃそうな男の子は、言葉を詰まらせながら、誇らしげに断言すると、にかぁと笑った。
嬉しそうな満面の笑みに、彼が老婆のことをどれほど好きなのかよくわかる。
私も小さい頃おばあちゃんのことが自慢だったっけ……。
何の変哲もない葉っぱで、難病だって治してしまう祖母のことを、神様だと本気で信じていたあの頃──。
だれよりも大好きで、自分を守ってくれたおばあちゃん。彼女と血の繋がりがあるということがどれほど嬉しかっただろうか……。
「占術師だろ。そんなこともいえねぇのか」
せんじゅつし……?
リーフェルは聞き慣れぬ言葉に眉を潜めた。
薬師とはまた違うのだろうか。
「うわーん、ロアンがいじめるぅ」
揶揄する男に鼻の先で笑われ、小さな男の子は、ぐすんと涙ぐんだ。
「お頭と呼べ。おめぇも六歳になったんだ。集落で生きるなら、力の差ってやつを覚えさせねぇとな」
がっはっはっと大笑いする男の身丈は、村人のだれよりも高く、鋼のように頑丈そうな体躯をしていた。
「セイをからかうんじゃないよ。まったく、あんたって子は、いつまで経っても成長しないね。でかくなったのは背丈だけかい」
泣きつく男の子をぽんほんとあやしながら、老婆が大男を叱りつけた。
「まぁまぁ。人生を教えてやってんだろ……ほら、小せぇ嬢ちゃんが目ぇ白黒させてやがる。おめぇも、ひでぇ目に遭ったな。見つけた時は、血だらけでぴくりとも動かねぇから、てっきり死んでんだと思ったぜ。あん時ばかりゃあ、ついにばーさんももうろくして見誤ったかと冷や冷やしたぜ。けどまぁ、どーにか生きててよかったよかった」
身を屈めた大男は、目線をリーフェルに合わせた。
「あなたが助けてくれたの?」
「ばーさんの指示でな。お宝を持っていかれたのはちいっとばっか惜しい気もしたが、俺の役目はおめぇさんをここに連れてくることだったかんなぁ。役人は、俺らにびびって逃げちまいやがったし。根性ねぇなぁ」
豪快に笑う大男の声は、びっくりするほど大きい。
裏路の村の人たちも笑うけれど、こんな地面が揺れそうなほど大笑いはしない。
ここは、裏路の村ではないのだ。
────もうなくなってしまったのだ。
改めて、そのことを痛感させられ、泣き尽くした涙がまた盛り上がってくる。
「ロアンが泣かした。おねぇー泣かした」
「な……! 黙れ、セイ。おいおい、嬢ちゃん、泣くな泣くな。全く、女の涙ほど苦手なもんはないぜ。ばーさん、後ぁ、よろしく頼む。落ち着いたらもう一度呼んでくれ」
大男の足音が遠離っていく。
「やれやれ。あの子はどうしようもないね。この集落を任せといて大丈夫なのか時々不安になるよ」
「けどね、ロアンは強いの。とっても強いの。エイヤーって倒しちゃうの。ぼくもね、もっとおっきくなったらロアンみたいになるの。そんでね、みんなを守ってあげるんだよ」
「そうかい。それはいい夢だね。お前の将来が楽しみだよ。さて、じゃあもう一つお願いしようかね。女たちのとこへ行って、栄養のある粥を作ってもらって、それをここまで持ってきてくれるかい」
「うん、いいよ」
男の子が元気よく言うと、パタパタと駆けていった。
「さて、と。…あんたにゃまだ言ってないことがあったね。最初に説明しときゃよかったんだけど、ついつい気が焦っちまってね。すまないねぇ。あたしは、占術師のナッサ。ここは、ならず者が作った集落さ。
豊かなる山の奥深くに、人が住んでるなんてだれが想像するだろうね。なんたってこの山は、一度入ったら出てこられない迷いの山だからね。役人どもは骸骨になるのを恐れて、舗装された道しかとおりゃしないよ。
だからあんたも安心してお休み。船が出るまで日にちがまだあるからね。高熱で二日間もうなされてたんだ。体力はまだ戻ってないだろ。…なに、そんなに怯えることはないよ。あたしたちはあんたを傷つけない」
「どうして……、どうして助けたの! 私はあのまま……」
あのまま──?
にっくき役人に連れられて、領の奴隷として一生こき使われる人生がよかったというのだろうか。
そんなのごめんだ。
あんな奴らの元で働くくらいなら、舌をかみ切って死んだ方が数百倍もましだ。
「──あたしもね、神が大っ嫌いだった。毎日のように神を呪ってね……」
唐突に老婆が話し始めた。黙り込んだリーフェルに何かを感じたのか、静かに身の上を語り始める。
「ちゃんとした身分じゃなかったけど、あたしには力があった。未来が視える力がね。有力者たちはこぞってあたしの元を訪れては、予言を求めたさ。あの頃のあたしに叶わないとはなかった。おごってて…、鼻持ちならないやつだったよ。同じ仲間を見下して、貴族たちにちやほやされて……。両目をなくすことは予言で知ってたのさ。
けど、運命なんて変えられるって思ってた。──けど、いくら抗っても、しょせんは神の手の上で踊らされているだけで、道なんて変えられやしなかったよ。
……思えば、あたしがこうしてこの集落にやってきたのも、今日という日のためだったんじゃないかと思えてくるよ。あんたを役人ども手から救うために、あたしに能力が与えられたのかもしれない……」
「それで、いいの…? 神様は私たちをいいように操って、好き勝手してるのに……。なんで? なんで、怒らないの……っ!? 私は嫌! 神様が私を愛してるなら、私からおばあちゃんを奪わないはずよ」
目尻を吊り上げ、烈火のごとく怒れば、老婆は、なぜか複雑な表情で、目をそらした。
彼女は、柔らかな毛織りの敷布で覆われた地面を見つめながら、言いよどむかのように口を開いては、閉じた。
口をつぐんでしまった老婆を睨みつけていたリーフェルは、体から力を抜くと俯いた。
私はどうすればいい……?
祖母の笑顔が閉じられた目の中に浮かんでは消えていく。
もう、戻るところもないのだ。とどまるところも……。すべてを、本当にすべてを失ってしまった。残っているのは、身につけていた服と腰に下げていた巾着だけ。
こみ上げてくる思いを堪えながらリーフェルはそっと掌を握りしめた。
神の思い通りになんかさせたくない。
けれど……。
祖母の言葉を思い出し、下唇を痛くなるほど噛んだ。
祖母は神が示す道を進むことを望んでいた。
私は一人。
たった一人……。
裏路の村以外で、たった一人で行動などしたことがなかった。いつも側にはだれかいた。
それでもこれからは、助けを借りず、相談する相手もいない中で生きていかなければならないのだ。
二度も祖母に救われたこの命、大切にしなければ、自分の代わりに死んでしまったルッドが哀れだ。
十二歳になったばかりのリーフェルにとって、突きつけられた現実はあまりにも過酷だった。




