五
そこは、光に満ちた世界だった。
爛然とした輝きがこの世界を支配し、上も下も左も右も乳白色に包まれて、自分が宙に浮いているような錯覚を覚えた。
きらめきを放つ銀の粒子が、時折、頭上にも舞い落ちてくるが、体に触れる前にそれは溶けて消えてしまう。
幻想的で美しい世界。
けれど、リーフェルの双眸はそれを映すことなく、貝のように固く閉じられたまま動かなかった。
また……。
また、悪夢が始まる───。
絶望が胸の内に広がった。
「道は開かれました」
頭上から声が降り注いだ。
天高くから聞こえる声は、さほど大きくもないのに空間全体に響き渡り、すっと下に広がった。
「私は…行かない……」
力なく呟く声はどこか覇気がない。
神が作り出したこの世界で、リーフェルの声など届かないのだ。
「探しなさい。導く者よ。己の運命に逆らおうとはせずに」
心に直接響いてくる声音は、どこまでも澄んでいて、楽が奏でる音色のように流麗としている。
「私からすべて取り上げて、なのに……っ」
底からわき上がる想い。
何も通じないのが悔しくて。
痛みをわかってくれない相手が憎くて。
姿も見せず、ただ一方的に命じてくる神をどれほど恨んだだろう。
言いたいことはたくさんあって、思う存分罵ってやりたいのに、いざとなると言葉にならない。
言葉が詰まって、代わりに涙が滲む。
泣きたくなんかないのに。
弱みなど見せたくないのに。
憤りが涙となって現れる。
「探すのです。光王を」
そう命じる声に感情などなかった。本に書かれた文字を読むかのように淡々としていた。
「どう…て……、そっとしておいてくれないの。もう祈ることすら止めたのに……っ!」
信仰など何年も前に捨てた。
祈っても、願っても、神には届かないのだと知ったとき、神に頼ることをやめたのだ。
この世に神などいない。
助けてくれる者などいないのだと、そう胸に刻んで生きてきたのに。
なのに、どうして。
自分の所なんかに……っ。
「探すのです。光王を」
非情に繰り返される言葉。
あまりにも寒々しく胸に響き、目の内に溢れた涙が頬を伝った。ぽろぽろと頬を伝う涙が、白い世界に吸い込まれていく。
「どうして、私…、なの……? どうして……」
信仰に篤い者はほかにたくさんいるだろう。
何もわざわざ神を嫌う自分など選ばなくてもいいはず。
悲痛な叫びは、神の心に届くことなく光の中に吸い込まれていった。
額を覆う冷たい感触に、夢の中を漂っていた意識が浮上した。
「すげぇや、ばっちゃん。また当たった」
小さな男の子の嬉しそうな声。
「静かにおし。そろそろ目を……ああ、もう目が覚めたみたいだね」
きびきびとした老婆の声。
ゆっくりと瞼をあげたリーフェルは、しばらくの間天井をぼんやりと眺めた。
布で覆われた天井。
ここは、どこ?
「どれ……、もう熱はないみたいだね」
「ばっちゃんの薬は天下一品だかんな」
「褒めてもなにもでやしないよ。ロアンを呼んできてくれるかい?」
「任せて」
パタパタと去っていく音。
私は……。どうしたんだっけ……。
そう、気を失って……。
なぜ気を失った……?
ぼんやりしていた思考が晴れ、底に沈んでいた忌まわしい記憶が蘇る。
炎と血の映像が一瞬にして脳裏を駆け回る。
「……っ」
そうだ。あまりにも惨い光景を見せられ、必死に保っていた精神の糸がぷっつりと切れて意識を失ったのだ。
一つ一つの事柄を思い出していくと、知らず透明な液が目の縁に盛り上がる。それを皮切りに堰を切ったように涙が溢れ、こぼれ落ちた。たまらず顔を覆い、声を押し殺した。
「──泣きたいなら声を上げて泣けばいい。あんたはそれだけの体験をしたんだから」
胸に響く老婆の声が、ルッドのものに聞こえて、食いしばった唇から嗚咽が漏れる。
「ぅ……く……っ」
枯れることのない雫は、掌を伝い、薄い毛布をしっとりと濡らした。
泣きじゃくるリーフェルの肩に、温かい手が触れる。そっと頭を引き寄せられ、胸元にしがみついた。
「今はお泣き。涙が枯れるまでね……」
温かい手がゆっくりと髪をすべっていく。
リーフェルの心を落ち着けるかのように。
優しく。
そっと。
その動きが心地よい韻を刻み、とくん、とくんという心臓の音と重なっていく。
「あんたは運命の子。神に選ばれし者」
リーフェルの泣き声が小さくなるのを見計らったかのように、ふいに重々しい言葉が老婆から発せられる。
ぴくりとリーフェルの肩が揺れる。
「……んで、」
老婆の服を掴んでいたリーフェルは、涙の跡が残る顔をきっとあげた。
が、老婆の顔を見た瞬間、文句を言おうとした口が、勢いを逃したのかのように小さく開けられる。
「あたしの両目が運命のまま潰れたように、あんたの道も変えられない」
気配に気づいたのか、ふっと老婆が微笑する。
見えない双眸を布で隠しているのは、よほど傷が醜いからなのだろうか。それとも……。
目をえぐられた囚人の話を思い出し、ぞくっと背筋が粟立った。
「神のご加護がついてるあんたにはわかるはずだよ。逃れられないのだということを」
「……知らないくせにっ。何も知らないのに勝手なこと言わないで! 何が神よ! 私の人生なのよ!?私の……っ」
「あんた一人が辛い運命を背負ってるって思っちゃいけないよ。もっと悲惨な体験をしている人だっていれば、生きていること自体が苦痛でしかないのに、それでも死ねない人だっているんだからね。神は試練に試練を重ねて人をお試しになるけど、それを乗り越えない限り、幸せなんて掴めやしない。──あんたなら、その幸せを掴み取ることができる」
老婆はまるで未来が見えるかのように断言した。
神秘的というよりは、どこか得体が知れなくて不気味だった。目を見れないせいか、老婆が何を考えているのかちっともわからない。