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 そこは、光に満ちた世界だった。


 (らん)(ぜん)とした輝きがこの世界を支配し、上も下も左も右も乳白色に包まれて、自分が宙に浮いているような錯覚を覚えた。

 きらめきを放つ銀の粒子が、時折、頭上にも舞い落ちてくるが、体に触れる前にそれは溶けて消えてしまう。

 幻想的で美しい世界。

 けれど、リーフェルの双眸はそれを映すことなく、貝のように固く閉じられたまま動かなかった。

また……。


 また、悪夢が始まる───。


 絶望が胸の内に広がった。


「道は開かれました」


 頭上から声が降り注いだ。

 天高くから聞こえる声は、さほど大きくもないのに空間全体に響き渡り、すっと下に広がった。


「私は…行かない……」


 力なく呟く声はどこか覇気がない。

 神が作り出したこの世界で、リーフェルの声など届かないのだ。


「探しなさい。導く者よ。己の運命に逆らおうとはせずに」


 心に直接響いてくる声音は、どこまでも澄んでいて、(がく)が奏でる音色のように流麗(りゅうれい)としている。


「私からすべて取り上げて、なのに……っ」


 底からわき上がる想い。

 何も通じないのが悔しくて。

 痛みをわかってくれない相手が憎くて。

 姿も見せず、ただ一方的に命じてくる神をどれほど恨んだだろう。

 言いたいことはたくさんあって、思う存分罵ってやりたいのに、いざとなると言葉にならない。


 言葉が詰まって、代わりに涙が滲む。


 泣きたくなんかないのに。

 弱みなど見せたくないのに。

 憤りが涙となって現れる。


「探すのです。光王を」


 そう命じる声に感情などなかった。本に書かれた文字を読むかのように淡々としていた。


「どう…て……、そっとしておいてくれないの。もう祈ることすら止めたのに……っ!」


信仰など何年も前に捨てた。

 祈っても、願っても、神には届かないのだと知ったとき、神に頼ることをやめたのだ。

 この世に神などいない。

 助けてくれる者などいないのだと、そう胸に刻んで生きてきたのに。

 なのに、どうして。

 自分の所なんかに……っ。


「探すのです。光王を」


 非情に繰り返される言葉。

 あまりにも寒々しく胸に響き、目の内に溢れた涙が頬を伝った。ぽろぽろと頬を伝う涙が、白い世界に吸い込まれていく。


「どうして、私…、なの……? どうして……」


 信仰に篤い者はほかにたくさんいるだろう。

 何もわざわざ神を嫌う自分など選ばなくてもいいはず。

 悲痛な叫びは、神の心に届くことなく光の中に吸い込まれていった。   






 額を覆う冷たい感触に、夢の中を漂っていた意識が浮上した。


「すげぇや、ばっちゃん。また当たった」


 小さな男の子の嬉しそうな声。


「静かにおし。そろそろ目を……ああ、もう目が覚めたみたいだね」


 きびきびとした老婆の声。

 ゆっくりと瞼をあげたリーフェルは、しばらくの間天井をぼんやりと眺めた。

 布で覆われた天井。


 ここは、どこ?


「どれ……、もう熱はないみたいだね」

「ばっちゃんの薬は天下一品だかんな」

「褒めてもなにもでやしないよ。ロアンを呼んできてくれるかい?」

「任せて」


 パタパタと去っていく音。


 私は……。どうしたんだっけ……。


 そう、気を失って……。

 なぜ気を失った……?


 ぼんやりしていた思考が晴れ、底に沈んでいた忌まわしい記憶が蘇る。

 炎と血の映像が一瞬にして脳裏を駆け回る。


「……っ」


 そうだ。あまりにも惨い光景を見せられ、必死に保っていた精神の糸がぷっつりと切れて意識を失ったのだ。

 一つ一つの事柄を思い出していくと、知らず透明な液が目の縁に盛り上がる。それを皮切りに堰を切ったように涙が溢れ、こぼれ落ちた。たまらず顔を覆い、声を押し殺した。


「──泣きたいなら声を上げて泣けばいい。あんたはそれだけの体験をしたんだから」


 胸に響く老婆の声が、ルッドのものに聞こえて、食いしばった唇から嗚咽が漏れる。


「ぅ……く……っ」


 枯れることのない雫は、掌を伝い、薄い毛布をしっとりと濡らした。

 泣きじゃくるリーフェルの肩に、温かい手が触れる。そっと頭を引き寄せられ、胸元にしがみついた。


「今はお泣き。涙が枯れるまでね……」


 温かい手がゆっくりと髪をすべっていく。

 リーフェルの心を落ち着けるかのように。

 優しく。

 そっと。

 その動きが心地よい(いん)を刻み、とくん、とくんという心臓の音と重なっていく。


「あんたは運命の子。神に選ばれし者」


 リーフェルの泣き声が小さくなるのを見計らったかのように、ふいに重々しい言葉が老婆から発せられる。

 ぴくりとリーフェルの肩が揺れる。


「……んで、」


 老婆の服を掴んでいたリーフェルは、涙の跡が残る顔をきっとあげた。

 が、老婆の顔を見た瞬間、文句を言おうとした口が、勢いを逃したのかのように小さく開けられる。


「あたしの両目が運命のまま潰れたように、あんたの道も変えられない」


 気配に気づいたのか、ふっと老婆が微笑する。

 見えない双眸を布で隠しているのは、よほど傷が醜いからなのだろうか。それとも……。

 目をえぐられた囚人の話を思い出し、ぞくっと背筋が粟立った。


「神のご加護がついてるあんたにはわかるはずだよ。逃れられないのだということを」

「……知らないくせにっ。何も知らないのに勝手なこと言わないで! 何が神よ! 私の人生なのよ!?私の……っ」

「あんた一人が辛い運命を背負ってるって思っちゃいけないよ。もっと悲惨な体験をしている人だっていれば、生きていること自体が苦痛でしかないのに、それでも死ねない人だっているんだからね。神は試練に試練を重ねて人をお試しになるけど、それを乗り越えない限り、幸せなんて掴めやしない。──あんたなら、その幸せを掴み取ることができる」


 老婆はまるで未来が見えるかのように断言した。

 神秘的というよりは、どこか得体が知れなくて不気味だった。目を見れないせいか、老婆が何を考えているのかちっともわからない。


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