三
明日開かれる即位の儀式の支度に追われ、軍事、楽師、舞踊家、衣装、料理、装飾、侍従、女官など各分野の最高指導者たちに指示を出していたオリヴィスは、いちいち命じないと準備が進まないのかと怒鳴りつけたくなる衝動を抑えながら、その場を後にした。
新光王誕生の喜びで浮かれている気持ちはわかるが、少々騒ぎすぎではないか。
儀式の後に始まる三日間の祭りのことを考えると、しっかり各島の主要人をおもてなしできるか不安になる。
地に足がついていない状態では、仕事もおろそかになるだろう。
そうしないためには、宰相であるオリヴィスが城を見回り、しっかりと己の仕事をこなしているか確認しなければならない。他にやるべきことがあるオリヴィスにとって、新たに増えたこの仕事は頭痛の種だったが、だからといって省くこともできないので、城の隅々まで見て回るはめとなる。
オリヴィスは、臣下たちが顔を輝かせている様子を見て、これで憂いも取り払われたと安堵するが、彼自身は新光王が選ばれたことに対してさほど喜んではいなかった。それは、新光王に対して、先の光王に感じていたような畏敬の念がまったく沸いてこないからかも知れない。加えて、公主たちに感じる違和感。どうしたというのだろう。まさか、疲れがたまっているというわけでもあるまい。
──聖帝行方不明の今、何が起こっているのだろうかと胸がざわめく。
聖帝が姿をくらましたという事実は、ごく一部の者にしか知らされていない。公主の平静を見るとまだ耳にしていないに違いない。オルヴィスとて、聖帝に承認をもらうため天昇山に登った時、護衛官長と世話係の長がその話をしているのを偶然耳にしたから知ったのだ。このことはなんとしてでも隠し通さなければならない。新光王が誕生するまで公主には言わない方がいいだろう。最も晴れやかな日を不安と絶望に満ちさせないためにも。
点検を終えたオリヴィスは、執務室に戻り、溜まった書類を一束手にした。じっくりと内容を吟味し、裁可・不可と光王の印を押していく。まだ正式な儀式をすませていない以上、イーズルに印をもらうわけにはいかない。それに、彼が光王として職務を果たすのは、まだまだ先のことだ。まずは半年間学を身につけ、指導者としての立場を理解させていかなければならない。
侍女が入れてくれた温かい紅茶を飲み、次の束を取ろうと手を伸ばしたオリヴィスは、続き扉が開くのを見て、束を元のところに戻した。
「アラスト殿か。ハルン殿の傷の具合はいかがか」
許可なく入ってきた人物に対して、怒りもせず問いかければ、アースは唇の端を上げた。
「腕のいい薬師のおかげで、痛みはないようだ」
どこか誇らしげに語ったアースは、どかっと真っ白な長椅子に座り、足を組んだ。
オリヴィスは、室内に控えていた侍女たちに出ていくよう目で合図すると、
「ラスリールのことか」
複雑そうに言葉をはいた。
「そうだ」
「優れた薬師という一言で片づけるには、あまりに非凡な才能ですな」
隣室ならば、警備兵に見つかることはないだろうと部屋を貸し与えたオリヴィスは、ハルンの傷口を見たときの衝撃を思い出し、感嘆と溜め息をつく。イーズルが、同じ候補生だったハルンに対してあれほど惨いことをするとは思わなかったが、それに気づかなかった自分にも罪はある。
ハルンは鞭打ちのせいで背中を酷く傷つけられたとアースは言っていたが、それが事実ならあそこまで元気だろうか。
もちろん、アースの言葉が嘘じゃない証拠に、ハルンが着ていた服は血だらけだった。まだ湿っていたそれは、つい先ほどまで血が流れていた証。血の量からして動けないはずと思ったのだが、彼はまるで怪我などしていないように優雅に歩く。いくら手当をしてもらったからといっても、短時間であそこまで回復するだろうか。
ハルンの自己治癒力がすごいのか、それともリーフェルの薬師としての力がすごいのか今ひとつ判断できなかった。
「あれは特別だ。それより、俺に何の用だ?」
「……定めの儀を御覧になってどう思われたかお訊きしたい」
アースに話を聞くために、罪人を匿ったのだ。重罪とわかっていても、やはりリーフェルが牢に入れられるほど咎があるとは思えなかった。なりより、なぜあのような場で彼女がああ言ったのか訊きたかった。本人に直接尋ねてみたいと思うのだが、それはアースに断られてしまった。
「どうもこうもない。あんな茶番で光王を決めるだと? 笑わせる。なぜやり方を変えた。候補生の能力を最大限に引き出してから見極めに入るはずだろ。公主によって選ばれるとはいえ、選定の間が短すぎる。しかも明日には即位の儀式だと? 何を考えているんだ」
オリヴィスはわからないというように首を振った。
「そこで、お伺いしたいのは、ラスリールの言葉が真実であるかということ。神託を受けたという話をどうお考えになるか」
「俺の意見を聞いてどうする? すでにお前の中では固まっているんだろ」
「半々といったところか。あの少女の言葉に嘘があるとは思えぬが、なぜ今回に限り神が関わりを望んだのかという点が気にかかる。加えて、各島の公主がそろってその少女を捕らえようと躍起になっている。──一体、あの少女は何者なのだ?」
「あれは、月の女神の衣をまとい、神々の寵愛を受ける者」
「月の女神……? まさか…、それならば、あの少女は……。しかし、当代はまだ生きておられる。あまりにも早い……」
当惑気味に言いよどめば、アースが馬鹿かと言いたげに冷笑を浮かべた。
「生きているから厄介なんだ。奴は、すでにリーフェルの存在に気づいている」
含みを持たせた言い方に、オルヴィスは、その真意を理解し、眉間をじっとりと寄せた。
「あのお方は、そのような悪事に手を染めるようなことは……」
だが、途中で言葉を切ったオルヴィスは、何かを思い出したかのように顔を強ばらせた。
だから……?
だから姿を消したというのだろうか。
行方不明という事実が、ふいにオルヴィスの肩に重くのしかかった。
「鬼の島でリーフェルは、二度も命の危機にさらされた。普通、妖は手近な人間を襲い、肉を喰らうだけで、決して追い回したりはしないが、リーフェルを襲った妖は、リーフェルを執拗につけ狙った。──人の言葉を聞かない妖を操れるのはだれだ? 神の声を聞き、寵愛を受けながら、あいつは闇を求めた。…死を恐れたがゆえに。もはや、神ですら生死を操ることができないほど、あいつの力は肥大している」
「なんということ……。聖帝が…、あのお方がそのような非道なことをなさるとは…。
いくら、運命とはいえ、まだあんな幼い子供に、それはあまりにも酷なこと。世の理も知らぬ非力な少女に何ができます」
「生ぬるいことを。それでも、民に多くの血を流させ、圧政を強いた冷酷な宰相か? 君臨する者に、そんな甘いことは許されない」
「では、やはり、真の光王は……。だが、我々の言葉に公主が快く頷くだろうか。光王を決めるのは公主の役目。いくら、次代を担う者でも、今はまだその証も以上、彼女の言葉を信じる者がいようか」
「奴の邪魔さえなければ、無の島の公主が後ろ盾となり、定めの儀は順調に進んだはず」
「沙主が……? あの少女と顔見知り、と…? 神々がお決めになることに、微塵の狂いもないということか」
「即位の儀式までには、すべてを明るみにする。俺が戻ってくるまでの間、二人のことを頼んだぞ」
「承知した。万全の警護をもって、お守り致します」
「リーフェルに何か遭ったら、その首、ないと思え」
鋭い声音に、オルヴィスは恭しく頭を垂れた。
「御意。……もう少し大人であればどんなによかったか。背負うものの大きさに潰されぬといいが」
溜め息をつくオリヴィスにアースは容赦ない言葉を浴びせる。
「それで使えなくなるなら、それまでの運命だったということだ。これから立ち向かう先は、子供だからといって許されるほど甘くない。自分自身の力で成長してもらうしかないのさ」
お待たせしました。




