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 鬼の島の本城の回廊を数人の女官を連れた鬼の島の公主が淑やかに歩いていた。

 間近に迫った聖なる儀式を行うために、大広間へ向かっていた彼女は、等間隔に並んだ柱の間に下がっている垂れ幕を見て、ふと速度を緩めた。

 風に乗ってひらひらと舞うそこに描かれているのは、聖リブルの地図だった。

 陽光を浴びて、七色に輝くそれは、次に各島の紋章へと姿を変え、最後に聖なる島の紋章が布一面に浮かび上がった。


 術をかけたのか、と口元が思わず綻ぶ。


 手間隙をかけこの日のために作り上げられた垂れ幕は、厳かな城を華やかに染め上げる。

 その外に広がる庭園は、庭師たちによって手入れが行き届き、今日という日を祝うかのように花が咲き乱れていた。

 他の島の候補選定でも、自分たちの公主を選ぶときと変わらず労を惜しまず、儀式を雰囲気から盛り上げようという者たちの心遣いが、彼女には嬉しかった。


「まあ、魔主が笑っておられるわ」

「ご機嫌うるわしく」

「あの方がいらっしゃるからじゃなくて?」

「ようやく魔主にも春が? 喜ばしいこと」

「魔主の艶やかな姿をご覧になれば、アラスト様もきっと心穏やかではいられませんわ」


 くすくすと戯言を言い合いながら、女官たちは主の後ろを優雅に歩いていく。

 顔を扇で覆っていた魔主は、ちらりとお喋りな彼女たちに視線を向けると、やれやれというように形よい眉をそっと寄せた。聖なる儀式のために正装したのであって、アラストのためではないというのは、彼女たちがよく知っているはずなのに、と。


 魔主の全体的にゆったりとした服の上衣は、丈の短い前開き型のもの。下衣は裾の部分にひだがついている程度で、女官の物と変わりなかった。

 いつもはかんざし一つ挿すだけで、垂らしてある漆黒の豊かな髪もまとめ上げ、細やかな刺繍が美しい被り物の中へと隠してしまう。あらわになった両耳には大きな翡翠の耳飾りが。歩くたびに揺れるそれは、初代魔主が使用していた品だ。何百年という月日が流れても、宝石は輝きを失わず、いく人もの魔主の耳を飾ってきた。


 行き交う者たちが、みな足を止め、頭を下げていく中を歩いていた魔主は、急ぎ足で回廊を駆けていた官補(かんほ)に目をとめ、興を惹かれたかのように、後ろに控えていた女官に耳打ちをした。

 彼女はにこやかに頷くと、しなやかな足取りで役人に近づいた。

 公主が道を通っていることに気づいていなかったのか、女官に呼び止められて、初めて魔主に目が向けられる。


「魔主がお通りとは存じ上げず、し、失礼をいたしました」


 慌てた様子で伏した彼は、額を床になすりつけるような勢いで謝罪の言葉を口にした。

「そう畏まらなくともよい。それよりも何事か」


 魔主は、大きく開いた扇子を閉じると、ゆったりとした足取りで官補に近寄った。

 官補には五つの位があり、上から定補(ていほ)桂補(けいほ)廉補(れんほ)右補(うほ)左補(さほ)と呼ばれる。目の前に平伏する服留めの色は、水色。水色の服留めは、定補のみが許されたもの。

 さきほど駆けていく彼の服をちらりと見た魔主は、彼の位に気づき、思わず好奇心がうずいた。


 定補ともなれば、一番下の位……つまりは、左補や従官・官士といった下っ端に使いをさせるのが普通であり、彼自身が駆け回るということはあまりない。ということは、彼よりも上のくらい……たとえば、十二官あたりの高官がこの晴れやかな日に何事かを命じたに違いない。


「は、それが…町に、妖が現れ、襲われていた少女を保護したところです」

「いつものこと。なにゆえ慌てる必要がある?」


 定補が駆け回るほどの事件ではない。


「それが…住民の証言によると妖三匹は、逃げる少女一人に狙いをつけ、襲っていたと。妖に狙われるなど前代未聞のこと。親衛隊が少女を保護し、妖の力が及ばない城に連れてきましたが、遙か上空には去ったはずの妖が、まるで少女が城から出るのを待っているかのように旋回しているとのことで…、どう対処してよいかわからず、護衛官とも会議をしている最中でして……」


 定補はほとほと困り果てた口調で説明する。魔主は、ぴくりと片眉を跳ね上げた。


「──なぜ(わらわ)に伝えぬ。そのような異常事態を伏せるとはいかな理由か申してみよ」

「は…っ、も、申し訳ございません。御心を煩わせてとならないと(しら)(あい)次官が……」

「白藍か…全くよけいなことを。して、その少女の身元は?」


 定補を走らせていた元凶は白藍次官であったか。

 魔主の補佐官であれば定補ごときの身分の者を言葉一つで走らせるのはわけないだろう。


 それが……と定補が言いよどむ。


「なんぞ問題でも?」

「は、あの…それが、誕生石を持っていないようで、正確なことはわかりませんが、本人が申すには無の島の出身で、名はラスリール・リルフェンと」

「無の島……? そうか…。──その少女、動けるか?」

「はい。薬師の中でも際だって有能な治癒の使い手が、傷口を癒しましたので」

「ならば、大広間のほうへよこすがいい」

「け、けれど、一般市民、しかも誕生石を持たぬ者を大切な式に呼ぶのは正気の沙汰ではございません。今一度お考えを改めて……」

「妾には妾の考えがある。口出しは無用」

「官吏のみならず、長老院の方々もよい顔は致しません」

「夢のお告げじゃ。長老院も逆らえまい」


 鬼の島はほかの島々と違い聖職者が権力を握るということがない。

 代わりに、貴族たちで構成された長老院が力を持ち、魔主にたいしても公然と意見をする扱いにくい者たちが、彼らのおかげで貴族と官吏の対立というより衝突が軽減されたのだから強くでることもできず、ほとほと困り果てていたのだった。

 今では、六大臣と十二官に昂然と対峙し、議会に出席しては、政治においてもあれやこれやと口を出す、口うるさい輩となってしまった。


 唯一彼らを抑えることができるのは、二つの機関の最高指導者的立場である白藍次官だけで、(ろう)()けた彼にかかれば、口さがない者たちをその場で黙らすことは簡単であったが。


 魔主としては、指導力を白藍に奪われたようでなんとなく面白くなかったが、駒というのは使うためにあり、己の臣下として忠実な白藍という駒を自分だけが命令一つで動かせるのかと思うと、それはそれでいいかと思うのであった。


「夢、ですか……?」

「此度の新光王選びは楽しいことになる。最後を見届けられぬのはまことに残念なこと」


 そう言って彼女は忍び笑いを漏らした。


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