空中線の祭壇
昏き闇の奥。
角持つ娘は、侍女たち―――闇妖精の乙女たちに傅かれながらも不満だった。
母上に会いたい。
私にはふたりの母がいる。狼の母と、首のない母上。
どちらも大切なひとだ。けれど、狼の母は死んでしまった。首のない母は、寿命だと教えてくれた。その霊は今でも、私を守ってくれるけれど。
首のない母は自慢の人だ。手はとても冷えていて撫でられると気持ち良い。霊はとても美人。優しくて、料理が上手。衣を縫ってくれたし、獣の皮から靴を作ってくれる。詩や神話を教えてくれもする。ただ、時折血のにおいをさせていろんなものを持ち帰ってくるけれど、それを隠そうとするのだけは不思議でならない。狼たちだって獲物を狩るではないか。
ここはつまらない。たくさんの者たちが大切に扱ってくれるが、ここには母上がいない。山野を走り回る事もできぬ。兄弟姉妹たる狼たちとも引き離された。精霊たちや死者の霊たち。万物に宿る諸霊たち。神々。そういったものたちと語らって無聊を慰めるしかないのに、勝手なことをすると怒られる。先日などは、諸霊に頼んでこっそりと地上まで運んでもらったのだが、侍女に怒られてしまった。ちゃんと帰って来たというのに。大地に頼んで地上への抜け道を造ろうとしたときも。
母上は、魔法を使うとすごい、と褒めてくれた。どうやるのか教えてと言われたこともある。一生懸命に練習する母を自分も応援した。けれど、ここでは誰もが自分を畏れる。
そして、一番嫌なのがあいつ。
自分の中に入ってきて、体を動かすあいつ。動かされている間の事はぼんやりとしか覚えていないけれど、でもあいつが母上をいじめているのだけは覚えている。母上は大丈夫だと言っているけれど、そんなわけはない。だって悲しそうだもの。
母上を助けてあげたい。
死者の霊たちにも色々相談した。彼らは、ここの近くに住まう女神をとても畏れて悪しざまに言う事は避けていたけれど、でも快く思っていない者が大勢いた。生贄にされた、というのが自分にはまだよくわからないのだけれど、きっとつらいのだろう。彼らもここから出たい、日の当たる世界に行きたい、と言っていた。どうしてあげればいいのだろうか。
ここから逃げたい。けれど、あいつと私は繋がっている。逃げてもすぐに連れ戻されてしまうだろう。どうすればいいの。
娘は、まだ知らなかった。救いの手が、すぐそばまで迫っているということに。
◇
鋼の戦神の神器。それを召喚する祭壇は、大掛かりな造りではあるものの、その構造自体は驚くほど単純であった。闇の神霊にはその絡繰りが完全に理解できている。
木で作らせた枠に細い銅からなる線を縦横無尽に張り巡らせ、そして中枢にある種の鉱石を設置した祭壇が設けられているのは、女神の神殿。その中心である。
驚くほど広大なそこは、地下数キロ。直径数百メートルもの竪穴の中にある。穴の壁面は長年の間に階段や客席、精緻な彫刻が刻み込まれ、ある種の闘技場とも思える造りとなっていた。
その底。磨き上げられた岩肌の上に、祭壇は作られていたのである。この空間へと神器を召喚するために。
とはいえその儀式には、驚くほど精緻な魔法の技術が必要とされた。祭壇自体は道具に過ぎぬ。神器へと語り掛けるべき言葉をわずかでも誤れば、召喚はならぬのである。人の身でこの祭壇を使いこなそうと思えば、神器の欠片が必要であろう。
だが、闇の神霊にとってはそうではない。
依り代に宿った彼女は、虚空より雷を掴みだした。かと思えばそれに、生命を与えたのである。かりそめの命。鋼の戦神の言葉を正確に語るためだけに生み出されし命を。
祭壇へと宿らされたそいつは、与えられた命令を忠実に実行し始めた。
◇
「……なんて、広大な」
「……ぅ…」
「途方もない歳月をかけて作り上げられた流血神の神殿、だそうだ」
洞窟を抜けて来た女神官一行がたどり着いたのは、途方もなく巨大な、円筒形の空間の中腹。その内壁、驚くほど精緻な構造物はある種の観客席を思わせる形状であり、全体が螺旋階段となるよう緩やかに傾斜しているように見えた。
皆が端に駆け寄ると、その上。途方もなく遠い天蓋が、徐々に開いていくように見えた。
その向う側に見えるのは、星空。
翻って下方。そこにあったのは―――
「祭壇?」
鋼線らしきものを張り巡らせた複雑怪奇にして巨大な構造体。それに対する少年の疑問。みゃ、と女剣士も頷き、そして女神官が叫んだ。
「あれは―――空中線か!?」
「あ、空中線、ですか?」
「不可視の霊力をやり取りするための祭壇だ!鋼の戦神たちとの交信に使う。書庫で読んだ覚えがある」
彼女はその存在を知っていた。かつて封じられた書庫へ忍び込んで読んだ魔導書。そこに記載されていた、異界における遠話の魔術のための道具が、あれだった。と言っても、会話を行う者、双方がこの道具を持っていなければならなかったが。現在の世界において、そんなもので交信すべき存在など、ひとつ、いやふたつしかない。
下に見えているのはその中では最も下等な構造のものだ。だが言葉を星界まで届けるだけなら十分な力があるだろう。単純な言葉。例えば―――助けを求める言葉を鋼の戦神の神器へと届けるだけならば。
そこまで推測した女神官は戦慄した。自分たちは今まで何を倒してきた!?
鋼の戦神は戦いを好む性と、平和を愛する性が矛盾なく同居している種族である。同胞や小さき生命を慈しみ、守るために刃を手に取るのだ。少なくとも彼女の知りうる限りにおいてはそのはずである。それが、適正な手段によって届けられた言葉。敵襲を受け、救いを求める小さき者の声を聞けばどう動くだろうか。
実際にそうである必要はない。そう誤認させればよいのだ。それだけで、神々すらも屠る力を備えた神器の切っ先を、敵に向けることができるのだ!
時間はなかった。女神官は、仲間たち全員へ告げた。
「奴らは神器をここへ召喚するつもりだ!
急ぐぞ、あの儀式が完成すれば我々に勝ち目はない」




