蟻の一刺し
巨人。
それは神々に近き者どもである。力だけではない。その始祖、天地開闢、神々と同時に生まれたと伝えられる彼らは、限りなく神々に近い様態を持っていた。いや、区別などついていなかったであろう。原初には神々との混血すら存在したという。
だが、彼らの子孫。この世の理が定まった後、代を重ねるごとに、母なる混沌より離れて行った彼らは、その力を衰えさせていった。巨大なだけのただの怪物へと堕していったのである。それらの中でも闇の怪物どもとまぐわい、血を残したおぞましき一族がいる。
それこそが、今、女神官一行の前に立ちふさがる大いなる怪物であった。
◇
丘を駆け抜け、森に入った女戦士は馬首を巡らせた。後方を振り返り、そこに立ちあがった山脈を。否、ありえない程に巨大な化け物の背中を見上げる。
主人はよくぞあれほどの怪物を手懐けたものだ。通常の丘巨人の何倍、いや十数倍の巨体ではないか。神話の時代の血を色濃く受け継ぐ先祖返りと言ったところか。追手の3人は以前手合わせした者たち。その実力は把握しているが、それでもあの巨体に勝つことなどできようはずもない。強力な魔法が減衰する昼間ではなおのことだ。
さあ。どう戦う?どう退ける?
そこまで思いを馳せ、女戦士は再び馬首を巡らせた。使命を果たすために。
◇
不味い。これはまずい。
女神官は、敵を見上げながら必死に考えていた。対処法を。眼前の怪物を屠る手段を。
残念ながら星霊の力、13の力は頼れない。彼女は星界、夜の世界に属する神霊である。太陽神が夜には眠りに就いているように、昼間には星霊の力は著しく制限されるのだった。起こすことなどできないだろう。
そして友人。丘巨人の掌にとらえられた女剣士の生命も風前の灯火であった。これほどの巨体、神話の時代の神霊の力を著しく残しているであろう。でなければ肉体を維持できようはずもない。高位の巨人とはそれ自体が限りなく魔法に近い。この世の理に従って存在していながらも、肉体それ自体が半ば霊でもあるのだ。すなわち彼らは死者を殺せるのである。
この怪物を倒す手段はただ一つ。
女神官は、かつて書庫で盗み詠んだ魔導書を思い返した。あの禁呪なら。巡礼の旅に出る以前は使えなかったが、13として、あの戦場で骸竜を屠った経験がある今ならば、あるいは。
女神官は仲間たちに命じた。
「時間を稼げ!術を行う!!」
◇
「時間を稼げ!術を行う!!」
遥かな高み。本来高山にでも登らねば見えぬであろう光景が眼前には広がっている。地平線まで続く森林。青い空とのコントラストが美しい、絶景である。
巨人の掌の上でその叫びを聞いた女剣士は苦笑した。戦う気なのだ、あの友人は。それは勝ち目があるということである。ならば自らも死力を尽くさねばなるまい。
などと考えている間に、彼女の足場は動き始めていた。
またがったままの馬。それをのせた掌が閉じ始めたのである。五指が迫る。まるで神殿の柱のような巨大なそれに握りつぶされればどうなるか。想像もしたくない。
女剣士は即座に馬の背へ立ち上がると、周囲を見回した。逃げ場はない。―――いや、あった。
女剣士は、間一髪、巨人の手首へと逃れた。背後で、血も凍るような音。取り残された馬が握りつぶされたのである。
彼女は、走った。丘巨人の腕を。
◇
「術を行う!時間を稼げ!!」
黒衣の少年は、命令を即座に実行した。考えるまでもない。敵は自分たちを阻止するためにいる。すなわちもっとも嫌がることをすれば、その注意を引けるということだ。
彼は即座に馬を走らせた。敵巨人の足元、奴から見て左側を迂回し、神殿の書庫を暴いた曲者を追うために。
怪物は注意を惹かれたようだった。その、図体の割にはやや小ぶりな禿頭をこちらへと向けてくる。見下ろしてくるのだ。伸びる影は大きい。太陽は南天に差し掛かろうとしているというのに。恐るべき巨体であった。奴が足を上げる。降ろす。攻撃ですらない。それだけで、大地が陥没。ひび割れに足を取られ、馬が転倒。投げ出された少年は器用に受け身を取り、勢いを殺さぬまま走った。丘巨人が旋回。こちらを向いた。いいぞ。ついてこい。
だが歩幅が違う。少年が走った30歩を、奴は半歩で超える。
少年が踏み潰されずに済んだのは、怪物が別の者に気を取られたおかげだった。すなわち、巨人の右腕を駆けあがりつつある女剣士に。
◇
女神官は、馬上のまま呪句を詠唱し、印を切った。万物に宿る諸霊への懇願。行おうとしている術、その本体はあまりにも大きすぎる。段階を踏む必要があった。
太陽がさんさんと照り付ける中、大地が揺れ、土砂が飛び散る。怪物はこちらを後回しにして旋回した。こちらから見て右、奴の左側を抜けようとした少年に追いすがったのだ。同時に、巨人の右腕を駆けあがるのは女剣士。なんと、剣を突き立てながら走っている。体格が違いすぎて効いてはおらぬようであるが。
それらの様子すべてを眺めながら、女神官は一つ目の術を完成させた。
それは召喚。あるいは創造。
大地が盛り上がる。いや、地表を突き破って伸びあがるのは、巨大な石柱。自然石そのままで伸びあがった構造体は、全部で十二本。女神官を囲むように、円形に。
地形の召喚。女神官の想像》
《・・》した環状列石の姿へ、現実が歪んだのである。星々を観測するための祭壇の形態へと!
己の魂の内より引きずり出した環状列石の呪力を借り、女神官は次なる秘術の詠唱に取り掛かった。本命、丘巨人を屠る大魔術。星神の神殿の最深部に封じられていた禁呪。鋼の戦神に関する魔導書と共に封じられていた召喚魔法の。あの事件で用いられ、そして先日女神官たちが経験した合戦においても、13が苦も無く発動させたあの大魔法の。
自らの体を駆けあがる女剣士と、そして足元の少年への対処で忙殺されていた丘巨人が気付いたが、もう遅い。
女神官は、秘術を。力ある言葉を完成させた。




