開眼
素晴らしい!!
女神官でもある者は、内心で喝采を上げていた。
何百年かかるか分からぬ探索の旅のはずが、手がかりが目の前に現れたというのだ。これを喜ばずにいられるか!驚きのあまり目が覚めた。
さあ。早く勤めを果たそう。仕事を終え、懐かしき星界へと帰ろう。この狭く窮屈な肉の体を脱ぎ捨てて。
しかしそうか。前の時は器が未成熟すぎて目覚める事すら不可能だったわけだ。これは一生の不覚。寝ている間に鍵を勝手に借用された記憶だけはあるのだが。そういえば、星神を祀る神殿の書庫には鋼の戦神に関する魔導書が並んでおったな。あれも現物が由来か。納得である。
む?少年よ。どうした。魔法は魔法であるぞ。今まで寝ぼけていただけである。心配するな。おかしくなったわけではない。むしろ今までがおかしかったのだ。
急がねば。また眠気に襲われてはたまらぬ。
さあ。そこをどくのだ。
◇
あの時と同じだ。
聖堂の中。黙って死霊術師の話を聞いていた黒衣の少年は、主たる女神官の行く手を阻むべく立ちふさがった。
彼女は聞き捨てならないことを言った。帰還すると。肉体を脱ぎ捨てて行くと。
それが彼女の意志であるなら止められない。だが。
「お待ちください。肉体を脱ぎ捨てる、とはつまり、亡くなられるということですか?」
「うむ。その通りである。世話になった。いや、ちと気が早いか。だが神器の欠片を手にすれば、遠からずそうなる」
口調が違う。態度が違う。こちらを見る目つきが明らかに違う。なのに、それは間違いなく女神官。彼女の異なる側面が、今顔を出しているのだと、少年にはわけもなく理解できた。
「何故―――」
「魔法は星神に仕えし者。このように受肉こそしているが、本来そなたたちとは言葉を交わすこともなかった者である。
それに、鋼の戦神の神器は星神がこの世界へ招き入れたもの。その所有権は星神にある。持ち主の手に戻すのだ。もちろん元の持ち主たる鋼の戦神当人が、こちらの世界へやってきて返せと言ってくれば話は別だが」
そこに、死霊術師が割って入って来た。
「待て。それなら話が変わってくる。うちの弟子は、神器に宿った鋼の戦神の魂の欠片本人から、管理を任された。お前さんの理屈なら持っていけないはずじゃないのか」
「―――ふむ。それは困った。任を果たせぬ。ならば、直接交渉するとしよう」
そして、彼女は消えた。忽然と。
「な―――!?」
瞬間移動の魔法そのものは、少年も見たことがあった。女神官自身が使っていたから。だが、詠唱も印もなしに発動させるとは。
彼は、その場に残された他の人間たちへ問うた。女神官の行き先を。
「こっちだ!」
駆けだした死霊術師。少年もあとに続いた。
◇
「失礼する」
その女が現れたのは、女騎士が体を拭き、着衣を身に着け、武装し、首を抱えて寝室から出て来た後の事。今まさに彼女が会いに行こうとしていた人物が、背から翼を伸ばし、そこに立っていた。
唐突に。何の脈絡もなく、そこへ出現していたのである。
女神官が。いや、女神官でもある半神が。
「……ぁ………」
「久しぶりであるな。あなたが、鋼の戦神の神器の欠片の管理人だったか。少々失礼させてもらおう。欠片と直接交渉させていただく」
言い終え、横を抜けようとする半神。反射的にそれを引き留めようとした女騎士の手が、弾かれた。どころか、彼女の全身が弾き飛ばされたのである。
見えざる聖威の力であった。
魂魄に大きな打撃を受け、大地へと投げ出される女騎士。
それを無視し、前方の寝室へ入ろうとした半神の前に立ちふさがった者がいた。
首のない、裸身を晒した女。
女剣士だった。
◇
なんだ。どうしてまたああなっている!?
女剣士は、眼前に立ちはだかる翼持つ女に気圧されていた。
あの時と同じ。闇の軍勢をまるで虫けらのように鏖殺した日と同じ目をした、十三枚の翼持つ半神に。
「ふむ。すまんがどいてくれぬか。その奥にいる神と話があるのだ」
分からない。何を言っているのかわからないが、何故そのひとを―――女騎士を傷つけた!?
「ああ。すまぬな。軽くぶつかっただけなのであるが。傷つける気など毛頭ない。まぁ些細な事故である。許してくれ」
事故?些細―――!?
頭に、血が上る。
知らず、下げていた剣の柄へ、手が伸びた。ただの鋼で出来た、大剣への。
「ふむ。それで気が済むのであれば幾らでも斬ってくれて構わん。だが手短に頼む」
女は―――女神官の顔をした何かは、心底どうでもいいように告げた。女剣士の手にした得物を、まったく脅威と見なしていない。どころか女剣士自身を敵と見ていない証左であった。
女剣士は思い出す。
かつて女神官が言っていたことを。自らの正体かもしれぬと言っていた神霊の事を。いかなる整数でも割り切れぬ素数という数を司る、半神の事を。
素数を割り切ることができるのは、1と、そして素数自身だけである、ということを。
女剣士は、神に祈った。
卓越した武とは、それ自体が魔法である。眼前の神へと捧げられた剣は、神自身の力を得た神聖なる武具として襲い掛かった。
鞘走り、神速の域に達して振り上げられた大剣は、女神官の翼。十三枚あるうちの、右から伸びる七枚を断ち切った。
納刀の音が、響く。
「―――美事である。亡者の身でありながら、よくぞそこまで練り上げた。
非礼を詫びよう。確かに魔法は急ぎ過ぎていたようである。これでは道理が通らぬ」
言い終えた半神。切り落とされた彼女の翼は、次の瞬間にはもとに戻っていた。同時に威圧感も失われていく。
「いつかそなたが真に死するときがくれば、星界へ参るがよい。神格を得られるよう推挙しよう」
言い終えると、女神官でもある半神は、崩れ落ちた。意識を失い倒れ込んだのである。
そして、精根尽き果てた女剣士も、また。
駆けつけて来た死霊術師と、そして黒衣の少年を視界の隅に入れつつ、彼女は意識を失った。




