闇妖精vs女騎士
ああ。暖かい。
鉈を振るうたびに飛び散る生気。それが流れ込み、冷え切った肉体に温もりを与えてくれる。
鉈で殺した敵。小鬼。大小鬼。奴らの内には、これほどまでに生命が満ちていたのか。
女騎士はそんなことを思う。
それは、黄泉還ったばかりの肉体が貪欲なまでに生命を求めていたが故だった。彼女自身が死を受け容れられていない、ということである。この身になじんでくれば、やがては何も感じなくなるはずだ。
首と胴体は分かたれている。にもかかわらず、彼女は胴体を何不自由なく操ることができた。自分の肉体である。当然と言えた。首なし死体のどこに耳目があるのかさっぱりだったが、周囲を探るのにも支障はない。
彼女は武人だった。
まだ動ける。命は失ったが、戦える。復讐できる。ならばやるべきことはひとつ。
女騎士は石造りの階段を駆け上がり、塔の出入り口から飛び出した。
月光の照らし出す戦場へと。
その頭上へ―――首の断面へ、強烈な一撃が振り下ろされた。
◇
巨鬼の体躯は3メートルを超え、その体重は1tに迫る。分厚い筋肉の束を鎧う皮膚はある種の金属繊維を内包し、破城鎚の一撃でもなければダメージを与える事すら容易ではない。何より恐ろしいのがそのパワー。
そこらの巨木を引っこ抜いて枝を払っただけの棍棒。そんなものをいともたやすく振り回すこの怪物の前にはどんな防御も意味をなさない。金属鎧で全身を守った騎士ですら、ただの一撃で肉片と化す。
だから、彼は恐怖を知らなかった。頭領の使う術こそ厄介だと思ってはいたものの、それとて本気を出せば己の方が上だろうと考えていた。だが今のところ、頭領は彼に十分な血と殺戮と食事を供給していたから従っているまでだ。
彼は、塔から飛び出してくる敵を待ち受けるよう命じられた時も、たやすい仕事だと思っていた。実際、ここに逃げ込んだ男どもは彼から泡を喰って逃げ出したではないか。
敵が現れる。そこへ、棍棒を振り下ろす。楽なものだ。
得物は敵を叩きつけ、どころか地面を陥没さえさせた。
終わった。
―――本当に?
まるで岩の塊を殴ったかのような異様な手ごたえはなんだ。棍棒を押し上げるこの力はなんだ。
哀れな犠牲者。そのはずの敵が、棍棒を徐々に持ち上げつつある。両の脚を踏みしめ、大地に亀裂を生みながらも、その両腕で棍棒を押し上げようとしている!!
信じがたい剛力が、200キロを超える棍棒を跳ね上げた。
たたらを踏んだ巨躯。そこへ、敵は―――女騎士の首なし死体は踏み込む。
そのまま組み付いた先は巨鬼の右足である。抱きしめられたそれは、彼女が渾身の力を籠めると、肉が断裂。どころか、内側から血を迸らせながらへし折れた。
生まれて初めての苦痛が、巨鬼を襲う。だがそれで終わりではない。
後ろに倒れ、苦痛にうめく彼の首に巻き付いたのは細腕。女騎士のそれに力がこもり、そして―――
何かが砕け散る音。
巨鬼の首の骨が破壊されたのだった。
◇
闇妖精はその光景を見ていた。ただ漫然と眺めていたわけではない。敵の実力と、用いられた魔法の種類に目星をつけていたのである。
まだ周辺に残存している小鬼ども。奴らに命じる。
「奴の足を止めろ!術を行う!!」
震え上がった小鬼どもの士気がわずかに奮い立つ。彼らも頭領の実力は知っていた。それに、逃げれば後ろから撃たれるだろう。それよりは眼前の敵に挑む方が助かるかもしれない。いざとなれば隣の同族を盾にすればいい。
もちろん、背後にいる頭領にとって、自分たち自体が盾なのだ、などと考えるほどの知恵は小鬼たちにはない。
彼らは手に手に武器を取り、動く死体へ向けて殺到した。
◇
本当に死なない。
巨鬼の一撃を受けた時は流石に駄目かと思ったが、しかし体にはかすり傷一つついていなかった。本当に不死なのだ。男の言葉に偽りなし。恐るべき魔力である。
だから、響き渡る邪悪な呪句を聞き咎めた女騎士は、警戒心を最大限に膨れ上がらせた。男は言った。魔法なら自分を殺せるのだと。
敵は城の広場。その中央に立ち、両腕を広げ天を仰いでいるローブ姿の闇妖精。邪なる言葉をより遠くへ響き渡らせるための姿勢であろう。呪句の意味は理解できなかったが、それが悪しきものであることは察せられた。
術が完成する前に奴を屠るべきだったが、そうもいかない事情がある。
槍を突き出して殺到してくる数十の小鬼。
もはや奴らが女騎士の敵たりえないことは明白であったが、しかし数が多い。薙ぎ払っているうちに闇妖精が術を完成させるだろう。
だから、彼女は先頭の小鬼から槍を奪い取ると、敵首魁に向けて一挙に投じた。
大気を切り裂き、闇妖精の喉元に迫る槍。
それがまさしく肉を貫く刹那、空中で静止する。
「!?」
宙に浮かび上がるのは、表面に奇怪な文言が描かれた皮の札。図形と言葉で魔力を封じ込めた器―――呪符であった。
"魔法の盾"と呼ばれる、守りの秘術である。
強烈な一撃を防いだことで燃え上がる札。されど、それが稼いだのは千金にも勝る貴重な時間であった。
闇妖精の詠唱が完成する。
ざわり
大気の質が変わった。いや、この場に異様なエネルギーが満ち始めたのだ。
絶叫が響き渡った。
干からびている。
小鬼どもが。草が。虫が。城壁に生い茂る蔦が。
何かが―――生命の根幹たるエネルギーの奔流が、闇妖精の周囲へ渦巻き、集まっているのが、死者である女騎士には理解できた。
それだけではない。城内に散らばっている無数の死体。肉片と化したかつての女騎士の同僚たち。彼らの屍が蠢き、血が、内臓が踊り、集まっていく。そのうちから漏れ出たのは彼らの成仏できぬ魂だったのだろうか。
あまりに冒涜的な光景だったが、女騎士には閉じるべき瞼がなかった。
やがて完成したのは、巨大な物体。
いかなる存在にも似ていない。しいて言うのであればそれは太い紐状の形態であろう。節くれだった臓物が蠢きながら絡み合い、ひとつの形を成したもの。全身から瘴気をまき散らしながら鎌首をもたげたそいつの大きさは、古城の尖塔にも匹敵する。
その頭上に平然と立つ闇妖精は、哄笑を上げながら叫んだ。
「さあ、始めようではないか。殺戮の宴を。我が女神に断末魔までも捧げるがよい!」