水上での死闘
「馬鹿な……何故精霊が人を襲う?」
水精霊。この世とは異なる階層に住まう彼らは、一言で言い表せば水そのものである。しかし本来、彼らは物質界に現れるような存在ではないはず。一体なぜ?
この場にいる者の中でももっとも魔導に通じる死霊術師の疑問。それに答えられるものなどいようはずもない。
想定外。水の上で水そのもの戦うハメになるとは。相手が悪すぎる!
「どうするね?」
必死に船を操りながらの船乗りの問いかけ。
「ありゃあ言ってしまえば水が、自分の意思で襲い掛かって来てるようなもんだ。ただ事じゃないぞ」
「そいつは参ったな」
鎌首をもたげたそいつは、船の真上から《《頭部》》を振り下ろす。
咄嗟に死霊術師が投じたのは頭つきの魚の骨。
魔よけの力を持つそれを嫌ったか、水精霊は己の体を二つに裂く。船体の両側に落下する膨大な水。
手がかりが必要だった。死霊術師は叫ぶ。
「何でもいい!水に関するこの辺の言い伝えとかないか!?」
「言い伝え……」
「あっ。お社」
投げ出されないよう必死で赤子を抱く女の子の言葉に、船乗りがはっとした。
「この辺には昔、水を祀った小さな社があったんだけど、闇の種族が使った魔法で水底に沈んだんだ」
「そいつだ!
―――ちょっと見てくる!」
「え?」
死霊術師の肉体から抜け出た霊は空中で反転。速やかに水中へと潜った。
◇
突如として力を失った魔法使いの肉体。言葉通りに解釈すれば、水底の社を見るためにトランス状態になったのだろうけれど。
船乗りは考える。
二度の攻撃をしのげたのは彼のおかげだ。けれど、次は自分たちで対処しなければならない。いや、彼が戻ってくるまで持ちこたえなければ。
船員の青年に指示する。
「次にあいつが来たら、船首を向ける」
「は、はい」
横波は転覆に繋がる。それと比較すれば前方から来る波の方が持ちこたえやすい。
波を読む。風を読み、帆を操る。舵を動かす。小さな船でなければできない細やかな動き。相手が水だというのであれば、読める。
だから、真正面から船が持ち上げられた時。予想通りになって、助かったと思った。
あいつに持ち上げられた船体が、頭から落ちていく。衝撃。皆が船べりにつかまった。いや、トランス状態の彼だけは、船と自分を繋ぎとめる手段が存在しない。
魔法使いは、水に投げ出された。
◇
―――川に流されたと思ったら、今度は素潜りか。
死霊術師は苦笑した。
沈んでいく。凄まじい速度で光が途絶えていく。
やがてたどり着いた水底。周囲を見回した死霊術師の霊魂は、すぐさま目当てのものを探し出した。
石を組んで作った素朴な社の幽体。水を祀るためのそれは、精霊と交信するために祈祷師が用いたものだろう。精霊の住まう領域と繋がる門でもあるそれは、閉じていた。あの水精霊は、元の世界に戻れなくなって狂ったのであろう。
手を差しこみ、こじ開ける。
あちらとこちらが繋がった。
あいつがこっちをみた。開いた門に歓喜の声を上げ、飛び込んで来る。その全体が潜り抜けたのを確認し、門を閉じる。
―――もうこっちにくるんじゃないぞ。
死霊術師は、肉体へと戻った。
◇
突如として平穏が戻った水上。
水精霊の攻撃をしのぎ切った船乗りたちは、目を皿のようにして水に落ちた魔法使いを探していた。
恐らく彼はやってくれたのだろう。
「生きててくれ……」
思わず漏れ出た船乗りの呟きに答えたのかどうか。
水が勢いよく盛り上がった。
ギョッとする一同。だがよく見てみるとそれは、骨怪魚だった。背には魔法使いを乗せている。
構えを解いた皆の前で、彼は手を振った。
「けほっ。
とりあえずカタは付いた。あいつはもう出てこない」
「よかった。ほら」
船乗りは手を伸ばすと、魔法使いを引っ張りあげる。これで一件落着か。
そう皆が思った時だった。
「あー!」
女の子の叫びに視線が集中。
「……おしっこしてる」
彼女が抱いた赤ん坊の粗相であった。
皆が顔を見合わせ、そして笑いあう。
船は、無事港町へ到着した。
◇
「いやあ、助かった」
「困ったときはお互い様だ」
港町の桟橋で、死霊術師と船乗りは握手を交わした。
死霊術師の左腕には赤ん坊。
船乗りたちは、しばらく港町で交易をするらしい。
「じゃあ、さようならだ」
「ああ。そっちも達者でな」
両者は、和やかに別れた。
◇
「……そうか」
空に星が瞬き始めたころ。
何重にも人を挟んだやり取りで、大賢者―――暗黒神を信奉する魔法使いの手元に文が届いていた。
執務机に向かう大賢者は、大きな葉で包まれた文を開封。樹皮に刃で刻まれた文章を読み終えると小刀を取り出し、文章を丁寧に削る。何度も確認し、削りカスともども屑籠へと捨てた。
まさか首なし騎士が街に直接乗り込んで来るとは。もちろん他人の空似という可能性は十分にあるとしても、用心はしてし過ぎることはない。まずは宿の特定をせねばなるまいが、奴は死にぞこない。どれほど上手く偽装しようとも、どこかでほころびが出るはず。
奴が死霊術師と合流すれば厄介だ。手を考えねば。
大賢者は振り返り、夜空を見上げた。
瞬く星々の世界。すなわち星界。その謎を解明すべく、天文学を修めた。並ぶもののない大賢者と言われるようになってなお、人の身の矮小さを感じる。調べれば調べるほど新たな謎が出てくるからだ。きっと星界の王である星神は嘲笑っていることだろう。
だが。
探索の末、あれを発見した。異界の戦神たちが使っていた神器の欠片。神話の時代、神獣がこの世界に現れた際、その身は既に酷く傷ついていたという。傷つけた者がいるのだ。彼らの武具、神獣の体を貫いていた鋼の神々たちの刃のひとかけ。
神獣への足がかり。
己は暗殺者だ。暗黒神の代行者。太陽神へ毒刃を突き立てるその日まで、ただただ勤めを果たせばよい。そう。神獣という毒刃を。
「神よ。ご加護を」
大賢者は、祈った。




