火蜥蜴
―――落ち着け。敵はまだ、こちらが気付いたことに気付いていない。
夜の草原。その草むら。
野伏は深呼吸すると、手の中の石ころを握りなおした。
周囲を探り、小鬼どもの配置を確認。
気付かぬうちにやつらの内懐へと入り込んでしまっていたが、それは言い換えれば好機でもある。
要は、奴らに自分の事が気取られぬよう、家の姉妹たちへと敵襲を知らせることができればよいのだ。己は仮にも盗賊である。他者の目をごまかしながら仲間と連絡を取り合うのは得意技のひとつだ。
大きく息を吸い込む。
続いて上がったのは、咆哮。
―――GGGGUUUUUUUUOOOOOOOOOOOOO!!
小鬼が上げる雄たけびの物真似であった。
周囲が急にざわめき始めた。
◇
家に接近した小鬼どもの頭―――小鬼頭は、手を振り上げて配下どもを制止。手筈通り、包囲するよう指図した。
主人より与えられている役目は家の者どもの生け捕りである。獣もいるらしいために風下から接近したが、今のところ気付かれた様子はない。
いかな魔法使いと言えども寝込みを襲われれば死するしかなかろう。先ほど用を足しに子供が出てきたときだけはひやりとしたが、それも家へ戻った。
もう少しで配置が完了する。そうすれば、奇襲を受けた敵はひとたまりもあるまい。
その時だった。
―――GGGGUUUUUUUUOOOOOOOOOOOOO!!
背後から響き渡ったのは咆哮。小鬼が突撃の際に上げる雄たけびだった。
―――誰だ、先走ったのは!?まだ早い!!
統制が取れない。手下どもが動き出している。敵に気付かれたであろう。もう後戻りはできぬ。
やむを得ぬ。己自身も雄たけびを上げる。
―――OOOOOOOOOOOOOOO!!
それに呼応し、各所で上がる雄たけび。
―――よし、少数だが表側にも回り込んだようだ。
小鬼頭は、自身も突撃に参加した。
◇
「……何よ、もう」
裏手からの叫び声で目を覚ました魔法使い姉妹の妹は、窓へと顔を近づけた。深夜にどうしたのだろう?
疑問に思った彼女の頬を掠めたのは、矢であった。
「―――え?」
後半歩ずれていたら、自分の命はなかっただろう。
それを悟った彼女は戦慄した。状況をようやく把握したのだ。裏手から、武装した軍勢が攻め寄せてくるではないか!
さらに、各所で上がる雄たけび。取り囲まれた!
「敵襲よ!」
防御を固めなければ。
◇
裏口から突入した小鬼たち。
その一匹は、周囲をざっと見まわす。どうやらニンゲンどもが食事を作る場所のようだ。後で漁るとしよう。
それよりもまずは魔法使いを捕らえなければ。
裏口から見て右側にある奥への入り口へは、仲間たちが既に押し入ろうとしていた。
自らもそれに参加しようとしたとき。
不意に、入り口から光が噴き出した。赤い光。
それを浴びた仲間たちは、たちまちのうちに燃え上がり、炭と化して崩れ落ちる。
火炎だった。
奥から出てきたのは、口からチロチロと炎を伸ばした奇怪ないきもの。
2メートルもの全長を持つそいつは、炎で出来た蜥蜴の姿をしていた。
なんだ。なんなのだこいつは!?
不幸な小鬼が振り下ろした棍棒は、たちまちのうちに燃え尽きた。あまりの高熱に焼き消されたのだ。
蜥蜴は、口を開くと舌を伸ばした。炎でできた強力な舌を。
小鬼は燃え上がった。
◇
「……うまくいった」
魔法使い姉妹の姉は安堵した。とはいえまだまだ敵勢は多い。奴らを一掃するまで安心はできない。
小鬼どもを焼いたのは暖炉の火蜥蜴。火そのものである彼は、薪をくべることでその熱量と体積を増大させる。テーブルをくべて持てる霊力を強化し、敵の迎撃に向かわせたのである。
火蜥蜴には水を除くおおよそありとあらゆる攻撃が通用しない。彼を前面に押し出して盾としつつ、敵勢を迎え撃たなければ。
「姉さん」
「貴方は玄関の守りを固めて頂戴。外は私が何とかする」
「分かった」
素早く妹と意志を通じ合わせる姉。
それにしても、野伏は一体どこに。無事でいてくれればいいのだが。
不安を打ち消しながらも、姉は剣を抜き放った。
◇
夜の森。
髑髏の兜に全身鎧を身に着け、腰に剣を帯びた怪人は、遠見の水晶で配下たちの様子を観察していた。
部下たちはしくじったようである。敵の魔法使いに迎撃の隙を与えてしまった。火蜥蜴を繰り出してくるとは厄介な。
やむを得ぬ。救援に向かわねばならぬか。
怪人は、印を切り呪句を唱えた。部下たちを援護し、目的を達成するために。
彼の姿が掻き消えた。
◇
二階建ての家。
裏口から出てきた姉は、飛来した矢を造作もなく切り払った。
手にしているのは奇怪な刃。以前倒した闇妖精の骨を継ぎ接ぎして作り上げた魔剣である。生前の動作が染み付いたそれは、持ち主に凄まじい技量を与えるのだ。剣に振り回されないだけの実力は必要だが。
その後には獣たちが続いてくる。体格の大きい猪や熊に敵への突進を命じた一方、狼や豹らにその援護を任せた。
周囲では、火蜥蜴が小鬼どもを焼き払っている。こちらは敵を圧倒していると言ってよい。小鬼相手ならば彼はほぼ無敵だ。
問題なのは敵の首魁。幽界へと軍勢を送り込んできた以上、力ある魔法使いのはず。
そこまで思考した時だった。
「水を使え。その蜥蜴は火そのものだ。水で消える」
響いたのは深く、しわがれた声。
それに、姉は酷い不安をかき立てられた。
―――大丈夫。水など川にいかねばない。そのはずだ。
周囲を確認。小鬼どもの一匹が抱えてくるのは、瓶。厠に置いていた水瓶ではないか!
獣たちへ阻止を命じるが、小鬼の一隊に阻止される。火蜥蜴と違い、獣は物理的な攻撃も受け付けるが故であった。
火蜥蜴は、自らの身を守るべく炎の舌を伸ばした。水瓶を抱えた敵を焼こうとしたのである。その試みはある意味では成功したが、ある意味では失敗した。
敵は焼け死んだ。瞬時に炭化したのだ。されど、そいつが抱えていた瓶は宙を舞った。中身がぶちまけられる。瓶の中になみなみと注がれていた、水が。
火蜥蜴は攻撃を回避できなかった。水をモロに被ったのだ。
まさしく水をかぶせられたたき火の如く、火蜥蜴は消滅した。
視線を巡らせる。
塔の裏側から現れたのは、奇怪な人影だった。骸骨をかたどった兜で顔を覆い隠し、甲冑と剣で武装した怪人。
抜刀したそいつの凄まじい威圧感に、姉は気圧された。




