流血
―――痛い。息ができない。溺れる。何が!?
喉を貫かれた野伏。彼女は即死してはいなかった。塗られていた毒が即効性ではなかったこともあるし、貫いた人間が戦いの訓練を受けていなかったからでもある。
とはいえ彼女の生命が失われるのは時間の問題であった。自らの血で溺れ死ぬのが先か、血が脳に回らなくなって死ぬのが先か。出血多量で死ぬか。あるいは毒が回るか。
刃を抜く。焼けるような違和感。傷口を押える。血が止まらない。倒れる。
ああ。駄目だ。どんどん生命が流れ出していく。死んでしまう。仲間の仇を討つ前に。
かすむ視界に、走り去る中年の男が映った。そのそばにいる小さな生き物にも。
―――やられた。
仲間たちが起きてこない。音がしない。魔法か。気付いていないのだ。
野伏を襲うのは恐怖。
草小人は恐怖と疎遠である。されどそれは、無縁であることを意味しない。
―――嫌だ。死にたくない!
自分を救えるのは女楽士だけ。彼女を何とかして起こさねば。だが音は伝わらぬ。どうやって?
そこで、気づいた。大量の流血が、土に浸み込んでいくのを。
女楽士の寝床まで這う。五歩の距離が遠い。力が抜けていく。
気を失わずに、目的地へとたどり着いたのは奇跡と言っていいだろう。
血が止まらぬ。土の下へと流れ込んでいく。大丈夫。きっと女楽士に届くはず。
野伏は、意識を失った。
◇
―――ああ。殺してしまった!
森の中、中年の男は逃亡していた。悪戯妖精に先導されて。
後方では、喉を刃で貫かれた野伏が倒れ、もがいている。今まさしく死につつあるのだ。助かる余地はない。
男は戦いの心得こそないが医術に長けていたから、野伏の生存が絶望的だということは確信できたのである。
間違いない。死ぬ。あの草小人は死んでしまう。己が殺したのだ。
だが、男には悲嘆に暮れている時間すらなかった。あの魔法使いが目覚めれば、間違いなく追跡してくるであろう。彼女に捕まれば今度は逃げる余地がない。いや、不可抗力とはいえ仲間を殺したのが男だと知れば、復讐しに来ることすら考えられた。
むしろその方が望ましくはある。
されど、そうなることが予想できる以上、使命の呪いは可能な限り速やかに逃走することを要求していた。
男は、走った。
瀕死の草小人を後に残して。
◇
―――なんだろう。血の臭い?
慣れ親しんだ臭いに、女楽士は目を覚ました。
尋常な量ではない。土に浸み込んできたそれが彼女の嗅覚を叩いたのである。
不審に思った彼女はすぐさま身を起こした。土をはねのけ、起き上がったのだ。
首を持たぬ女体のちょうど真上に倒れ伏していたのは野伏。
―――いったい何が!?
野伏を仰向けに寝かせて、女楽士は仰天した。
仲間の喉に開いているのは刺し傷。毒にやられたのか、黒く変色している。だがそんなものがなくても十分に死に至るだろう。
時間の問題だった。
癒しの歌では間に合わぬ。
女楽士は、呪句を唱え印を切ると、腰の小剣を引き抜く。
いや、唱えようとして失敗した。声が出ぬのだ。そう。魂の声さえも。
そこでようやく彼女は、魔法によって場の音が封じられていることに気が付いた。
術が使えぬ!
恐らく効果が残留する類の魔法であろう。どこまでが効果の及ぶ範囲か分からない。
いずれ魔法は消え失せるであろうが、それまで野伏の命が持つかははなはだ疑問だった。
―――何か、音に依存せず使えるものは。
そこで、思い出した。先日原野で作った魔法の品々。あの中に使えるものがあるはず。
すぐさま、木の根元に置かれた荷物へ駆け寄る。中身をひっくり返し、出てきたのは骨の短剣。
取って返した女楽士は、短剣を野伏へと振り下ろした。
◇
野伏が目を覚ました時、太陽はまだ高かった。
夜になっていないというのに女楽士が起き出している。眼前に座っている彼女の顔は泣きそうだ。どうしてだろうか。いや、よく見れば彼女は五体満足ではないか。首をくっつける手段でも見つけ出したんだろうか。
よっこいしょ、と身を起こした野伏は、自分を取り囲んでいる獣たちの姿に驚いた。
骨ではないのだ。肉があり、毛皮を纏っている。まるで生きているよう。しかし気配は今までと同じ。一体何が。
混乱する野伏は、周囲を見回すと。
喉に致命傷を負った草小人の死体を発見した。
そう。骨の短剣で胸を貫かれた、自分の死体を。
彼女はようやく何が起きたかを思い出すと、女楽士へ訊ねた。
「私は、死んだの?」




