死を招く歌声
ずしん。ずしん。
そんな振動を感じて、草小人の老夫婦は目を覚ました。
床に敷いた毛皮の上で、両者は目を合わせる。なんだろう?
起き上がろうとしたふたりの眼前。すなわち、丸太組の天井が、突如動いた。
比喩でも何でもなく、文字通りの意味で移動したのである。引きはがされ、持ち上げられて。
視界に広がったのは満天の星空。大変美しい。余計なおまけがついてさえいなければ。
そう。小さな角に凶悪な牙。三白眼。小ぶりな頭部を備えた、巨鬼の顔がこちらを覗いているというおまけが。
夫婦は絶叫。
そこに手が伸ばされた。引きはがした天井を投げ捨てた巨鬼の両の手が、夫婦を掴んだのである。
巨鬼はまず、夫を標的にした。
パクリと手を食いちぎったのだ。
「ぎゃああああああああああ!?」
響き渡る苦鳴に歓喜の表情を浮かべる巨鬼。この邪悪な怪物にとって、苦痛の悲鳴は至高の音楽にも等しかった。
怪物は考える。次はどこを食い千切ろう。こいつは一体どんな悲鳴を聞かせてくれるのだろう。苦しめて殺そう。素晴らしい。
邪悪なる宴はまだ、始まったばかりである。
◇
夜の道を行軍するのは死者の軍勢。
それを率いているのは、薄片鎧をまとい、小剣を帯びた小柄な女。疾走する乗騎の背に腰掛ける彼女の胴体には、首がない。小脇に抱えられていた。
女楽士だった。
彼女が乗っているのは3メートルもある巨大な猪。その骨格に、猪自身の魂を括り付けた不死の怪物である。疾走するこやつの背は恐ろしく振動するが、女楽士は片手で骨を掴んでいるだけなのにしっかりと体を固定できた。
満天の星空の下。
小脇に抱えられた生首は、しかし暗い表情。
もう己は死んでしまった。魔法でズルをして、旅立ちの時間を先延ばしにしているだけだ。
事が済めば、陵墓で眠りに就こう。不死の生命から己を解放するのだ。いや、その前にしなければならぬことがあった。弟子を取り、魔法を伝えねばならぬ。さもなくば流派が途絶えてしまう。先人への申し訳が立たぬ。妖精郷にでも移り住もうか。
そうこうしているうちに、先行して飛ばしていた使い魔のフクロウが目的地へと到達。仲間が逗留している草小人の集落へと。
この体ではもう人里に入れぬから、今後は使い魔に伝令として働いてもらう事となるであろう。
集落の様子を確認し―――あれは!?
女楽士は仰天した。目的地が、たいまつを持ち槍で武装した多勢によって襲撃を受けていたから。
邪悪なる闇の種族。小鬼を主力とする部族によって。
―――救いに行かねば!
麗しき死者と、彼女に従う骨の手勢は速度を上げた。
◇
眠りの中。突如として挙がった絶叫で、野伏は叩き起こされた。
「―――え?」
顔は阿呆のようにぽかん、としていたが、体は素早く動き、武装を手に取った。防具代わりの毛皮を羽織り、フードを被りながら窓の外を伺う。
その窓枠に、矢が突き立った。石の矢じりをつけた粗末な矢。
事態を把握した野伏は、息をいっぱいに吸い込んだ。
「―――敵襲ぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
窓から道へと飛び出すと、闇の向こうから突っ込んで来るのは何十という小鬼。それだけではない。なんだあの巨体は!!巨鬼までいるとは!?
大変まずい。小鬼はまだしも巨鬼は無理だ。この村の戦力では倒しようがない。
だがせめて、村人たちが逃れる時間は稼がなければ!
家々から、武装を手にした村人たちが飛び出してくる。草小人の男女が。
彼らと共に、野伏は走った。敵勢を迎え撃つために。
◇
小鬼は残虐非道である。それは、自分たちよりも弱いものをいたぶる時に最大限発揮される性質だった。
巨狼に跨った騎兵が村の通りを駆け抜けていく。逃げ惑う女子供を跳ね飛ばしながら。
轢き殺せなかった者は念入りに槍で突いていく。草小人の女は子供っぽくて小鬼どもの好みではなかった。肉は柔らかくて美味いから食材としてはよい。
そうやって四、五人ほど殺したところで。
突如、側頭部に衝撃。
乗騎から振り落とされた彼は、確かに己の頭蓋が砕けた音を聞いた。
宙を舞う小鬼の騎手は、草に覆われた家屋の上。石を拾い上げながら次の標的を物色する、草小人の女―――野伏の姿を目にし、絶命。地面へと叩きつけられた。
◇
石礫は草小人の必須技能である。強い弓は使えぬ。体格で他種族に劣る彼らが生き延びるのには投擲しかなかった。投石紐や短剣投げなどと共に、彼らは自らの子供に必ずそれらの技を教える。盗賊や野伏の技とともに。彼らは狩猟でも石礫の技を最大限に発揮する。小鳥に礫を当てることができるのだ。
だから、家の屋根に石がたくさん転がっているのは偶然ではない。いざという時、高所より敵を迎撃するためだ。意図的にでこぼこにされてはた目には地形と区別がつかぬ屋根は、村の防御陣地なのである。
村の者たちは、大きな鍋を兜代わりに被り、あるいは屋根に伏せて身を守りながら敵勢を迎撃していた。
とはいえ優勢とは言い難い。石礫ではどうしても弓に射程で劣る。射程外より射かけられる援護射撃に守られ、槍を持った小鬼の一隊が屋根に押し寄せていた。一匹殺す間に三匹が槍を突き込んで来るのだ。たちまちのうちに殺されていく、草小人の戦士たち。
野伏も陣取っていた屋根から追い払われ、這う這うの体で逃げ出していた。
「くそっ!」
前方の十字路より現れたのは、槍を構えた数匹の小鬼ども。左右は家屋。迂回路はない。彼女は追われていたから戻る事もできぬ。
覚悟を決めると、野伏は手斧を構えた。接近戦では不利。人間などの大きな者たち相手ならばすばしっこさと体格差で幻惑できるが、奴らは草小人より少々体が大きい程度。間合いでは負けている。勝っているのは敏捷性だけ。
だから彼女は、手にした手斧を投じた。一撃を受け、胸を割られた小鬼がどう、と倒れる。
されどまだ何匹も敵は残っていた。槍が野伏に迫る。次の武装を構える余裕はない。身を守る武器はない。
故に彼女は、跳躍した。勢いに任せて一番端の敵へと飛び蹴りを敢行したのである。
激突する槍の穂先と、草小人の足裏。戦いは、足裏の勝利に終わった。
刃を受け流した足裏が小鬼の頭部に命中し、勢いのままに大地へと叩きつける。踏み砕かれた頭蓋。
そこで終わらぬ。草小人は隣で面食らっている小鬼の膝を踏み抜き、二度と歩けぬ体とすると脇をすり抜ける。足の甲を踏み潰し、あるいは足払いで転がしてから首をへし折って、速やかにすべてを無力化したのである。
とはいえぐずぐずしている暇はない。後方より敵が押し寄せてくる。
素早く逃げ出そうとしたその瞬間。
彼女の背を、矢が貫いた。石の矢じりがついた粗末な矢が。
―――不覚。
数歩進み、野伏は倒れた。もはや歩けぬ。
後方より迫ってくるのは無傷の小鬼ども。逃げられない。
野伏は、死を覚悟した。
◇
逃げる草小人の野伏を追撃してきたのは大小鬼率いる一隊。
槍と弓で武装した手下どもを率いる彼が手にしているのは、さび付いた剣であった。これで切られた傷口は惨い有様となる。犠牲者を切り刻むのが彼の喜びだった。手下の小鬼どもにとってもそうだろう。
矢で貫かれた野伏は倒れ伏していた。もはや動くこともできまい。
さあ。あいつを立たせろ!
手下どもが命令に従い、野伏に駆け寄ると引きずり起こす。
その時だった。
聞こえてきたのは、魂を揺るがす歌。略奪者の戦意を委縮させ、怖気づかせる魔法の歌声であった。
戸惑う小鬼ども。その五体は縮こまって小さくなり、殺戮の狂騒はすっかり打ち消されていた。どころか歌声の出所について恐怖すら抱き始めている。あと、ほんのひと押しがあれば、雪崩のように散り散りとなって逃げだすだろう。
最後のひと押しは、十字路を挟む家の上から現れた。
月を背にして現れたのは、とてつもなく美しい女だった。
ふわりとした銀髪は長い。目つきは鋭く、青白い肌とほんのりと桜色の唇が、絶妙なコントラストを描いていた。黒塗りの薄片鎧で全身を守った肢体は細く小柄だったが、顔立ちにふさわしい気品を備えている。
その口は開いていた。歌声の出所はそこであろう。
彼女は両手にそれぞれ荷物を携えていた。右手には黄金色の小剣。
そして左手には、口を開いた自らの生首を。
女は、頭部が胴体と生き別れていた。首が切断されていたのである。
―――どうして、あの女は首が斬り落とされているのに生きているんだろう。
大小鬼の疑問に答える者などいない。答える必要はなくなった。
何故ならば、呆然としている彼の喉笛を、骨で出来た狼が食いちぎったから。
倒れる彼の視線の先。野伏を立たせていた小鬼たちも同様に、骨の獣たちに食い殺され、屍をさらしていった。視界の外は分からぬが、たちまちのうちに手下たちは全滅するだろう。
―――なんだ。一体何が起きた。
わけもわからぬまま、大小鬼は絶命した。




