白き衣の戦乙女
竜殺し。
それは偉業の別名だった。
竜とは、それ自体が強大無比な魔獣である。戦いを挑み、勝利することは英雄譚の題材ともなった。
だが。
肉持つ脆弱なる者が、神そのものである竜王に挑むなど、前例がない。
もしもこの戦いで、竜殺しを成し遂げたのであれば。
その功績は、比類なきものとなるに違いなかった。
◇
漆黒の竜王は、寝覚めの頭で察していた。その神域に達した原初の本能とでもいうべき霊感によって、思考によらず結論を導きだしていたのである。
周囲を飛翔するちっぽけな者どもが、今の己にとって最大の脅威であるという事実を。
彼女は敵を迎撃すべく、身構えた。
◇
少女を降ろした女勇者と少年騎士は、漆黒の竜王の周囲を飛翔していた。敵の様子を観察し、どの角度から攻めればよいか分析していたのである。
「急降下攻撃は無理か」
急降下は最も速度が出せるが、狙いは敵の喉元である。地中から前方へと伸びている上半身。その頭部に邪魔をされてしまう。位置が悪い。
かといって側面から突っ込めば、あの鋭いかぎ爪にやられてしまうであろう。
だから、女勇者が攻めると決心したのは正面だった。
「―――策があるんですね?」
女勇者は一声鳴くと、翼を振るい速度を上げた。
◇
女勇者は、敵を見上げていた。
低空飛行中。背後より最小半径で旋回し、正面へと回り込む。竜王の喉元を狙うのだ。地面効果で揚力を稼ぎ、最大速度で飛翔しつつ、タイミングを見計らう。
恐らく行けるはず。奴の最初の攻撃を凌ぐことが。
確証はない。成竜に化身しているとしても己は偽物。真の意味で竜の力を得ているわけではない。うまく行く保証などない。
それでも。
過去の経験。二度の実験。
己が今まで歩んできた苦難の道程が、全てこの瞬間のためにあったのだとしたら。
―――ああ。神よ。太陽神よ。今は。今だけは、どうかご加護を。
女勇者は、神に祈った。
ただ、純粋に。
そして、運命の一撃が訪れた。
◇
竜王の胸郭が膨らんだ。
次いで、顔が前方の人間たちへと向けられた。口がひらき、喉の奥より白い焔が燃え上がる。
それは、間髪を開けずに解放された。
衝撃波を伴いながら吐き出された莫大なエネルギーは、全てを溶かし尽くしながら直線に突き進む。
正面から竜王へ接近していた少年騎士とその乗騎も、白い奔流に呑み込まれた。
それで終わらない。
遥か彼方まで伸びたそれは、地平線の向こう、およそ十キロにまで届いたのである。
続いて広がったのは、爆風。
溶かし尽くされた射線上の存在が高熱のあまり水蒸気爆発を起こし、全てを吹き飛ばしながら拡大していったのだ。
悪夢のような光景だった。ただの一撃で、遥か彼方まで消し飛んでしまったのだから。
ただひとつ。黒き竜の乙女と、彼女に跨った少年騎士を除いて。
竜の炎の洗礼を受けし戦乙女は、竜の吐息に焼かれることがない。
竜王の一撃は、彼ら主従を避けたのである。
◇
―――抜けた!!
少年騎士は、眼前で炎が裂けたことに驚愕していた。あれほどの暴威すらも退けるとは!
乗騎の実力に改めて驚嘆しつつ、彼は抜刀した。真に力ある魔法の品物である、青銅の大剣。すなわち竜殺しの力が備わった刃を。
この剣の魔力ですら、眼前の敵。山のようにしか見えぬ竜王に対しては蟷螂の斧とも思える。当然であろう。敵は神。矮小なる地上の存在が生み出した刃がいかほどに通じるだろうか。
だが、それでもこの剣しかないのだ。
後は、敵の喉元に一撃を加えるだけ。あの巨体では、迎撃は間に合わぬはず。
そのはずだった。
竜王の首。その下へと潜り込もうとした刹那。
真横から、一撃が襲い掛かって来た。
爪の一撃。
回避の余地はなかった。
成竜の頭部が、それでも牙を突き立て、攻撃をそらそうとし―――砕けた。
急所が。女勇者の。すなわち不死の怪物たる首なし騎士最大の弱点が、粉々に砕け散ったのである。
首を失った胴体は吹き飛ばされ、きりもみしながら落下していった。




