闇の者どもの長
少女は、部屋の奥で震えていた。
闇妖精は裏切り者を決して許さぬ。特に、闇の神々に背いた者は。むろん彼らが少女に対してどのような振る舞いをしていたかなど関係ない。彼らにとって少女は奴隷であり慰み者であった。幾らでも虐待できる道具なのだ。
だから少女は、現在進行形の襲撃が自らを殺すためのものだと信じて疑わなかった。まさか自分を生け捕りにするためだなどとは思いもしない。
少女はただ、神に祈った。
◇
―――とんでもないな。
窓から見える光景に対する、少年騎士の感想である。
そこに横たわっているのは、濡れるようなつややかな鱗が美しい、黒の竜。女勇者のふわりと波打った髪を思わせる色合いだった。
外は彼女一人に任せて大丈夫であろう。裏側については。それより内部への侵入と、そして村の表側からの攻撃に備えねばならぬ。
表の状況を見る。
多数の敵が、矢をものともせずに接近してくる。十分に近寄ってくれば窓から火球を投げ込んでくるであろう。だから、ギリギリまで引き寄せたら一斉に家から飛び出し、接近戦に持ち込む必要がある。
矢避けの魔法の類ならば手で持った武器であれば通じるはずである。
そこまで判断し、彼は伝令役の村人へ指示を伝えた。
「手に持った刃なら通じる!十分に敵を引き寄せたら飛び出して切りかかるんだ!」
家々へと伝令が駆け巡った。
◇
村長は、村人たちに背の矢を抜かせると、神に加護を請願した。治癒の加護は無事に発動し、彼の傷を癒したのである。
だが、体が痺れ、動かぬ。
「―――毒か」
残念ながら加護は打ち止めであった。死ぬかどうかはまさしく神のみぞ知るといったところ。
村長は、全てを神に委ねた。
◇
女勇者は、家々を守るべく盾とした巨体を起き上がらせると敵へ向き直った。
闇妖精が十数名。昔は奴らの魔法で酷い目にあったものだが、こうして耐えることができるようになると中々に楽しい。竜の鱗と巨体は生半可な魔法など通じぬのだ。おまけに不死の体である。仮に鱗を貫かれ、肉をえぐられたところで痛くもかゆくもない。急所がないのである。元の姿に戻った時、体に小さな穴が開いているに過ぎないだろう。
とはいえ奴らに時間を与えると何をしでかすか分からぬ。
だから彼女は、大きく息を吸い込むと、竜の吐息を吐き出した。
たちまちのうちに数名の敵勢が蒸発する。
続いて踏み込む。数歩で敵との距離を無にすると、頭部の角で敵勢を薙ぎ払ったのだ。もちろん奴らの長剣で防ぐことなどできようはずもない。2,3人が宙を舞った。続いて尾の一振り。背後に回ろうとした者が全身の骨を粉砕されて転がる。
さあ。速やかに皆殺しとしてくれよう。
◇
長老は、敵魔法使いの実力に驚いていた。裏手から突入させた者たちは絶望的であろう。彼らが囮になっている間に事を成さねば。
目当ての家屋の屋根に取りつくと、長老は術を解いた。形状変化の魔法によってフクロウとなっていた己の姿を本来のものに戻したのである。
跪いていたのは、すらりと均整の取れた美しい裸身に、長い銀の髪を備えた肌の黒い美青年。
闇妖精は永遠の命を持つ。故に長老と言えども若々しい姿なのだった。
速やかに呪句を唱え、万物に宿る諸霊に助力を求める。
完成した秘術の名は粉砕。魔法の一撃は、彼が触れていた屋根を音もなく粉々とした。
ふわり、と室内に着地した彼は腕をひとふり。部屋の中で防備にあたっていた村の男が首の骨をへし折られ、即死した。
部屋を見回す。
そこにいたのは、黒い肌を持ち、ガタガタと震えている己の娘。
「探したぞ」
「こ―――来ないで!!」
対する少女は、神に祈った。掌を突き出し、敵を退ける力を願ったのである。
発動したのは衝撃波の加護。見えざる聖威が長老の肉体を打ち据える。
されど。
気を十分に練っていた長老には通用しなかった。加護を抵抗したのだ。わずかにのけぞったのみ。
二度、三度と繰り返されるも同じだった。
とはいえ何度も打ち据えられるのは気持ちのよいものではない。
だから、長老は神に祈った。
偉大なる暗黒神は彼の願いに応えた。その加護は、少女の肉体に絡みつき、動きを束縛する、という形で顕現したのである。
人型生物麻痺の加護。
長老は、硬直し、指一本動かせなくなった娘を担ぎ上げた。
いや、そうしようとして、背後の扉が開いた。
刃を構えて突入してきたのは、少年騎士。
◇
村の表側。
村人たちは待っていた。敵が接近してくるのを。
敵の魔法も家々を破壊するのは困難である。ならば飛び道具が通用せぬのを生かし、至近距離から魔法を窓に投げ込んで来るという戦術は十分説得力のあるものだった。
村人たちの動きを封じようと飛来する魔法の爆発。
窓から様子を伺っていた何名かの村人が犠牲となり、あるいは負傷したが、それでも機を見計らった彼らは反撃に出た。
「かかれ!!」
一斉に飛び出した村人たちと、白刃を構えた闇妖精どもが激突する。
個々の技量は闇妖精の方が上回っていた。永遠の命を持つこの闇の種族の積み重ねて来た研鑽は凄まじい。
されど、村人たちには数の優位と地の利があった。それに、大半の者の武装は長物である。間合いでも勝っていたのだ。
各所で、互角の戦いが繰り広げられた。
◇
裏手側。
闇妖精の頭は、大急ぎで詠唱に取り掛かっていた。それも最大限、内なる魔力を高めて。あの敵に対しては生半可な魔法ではだめだ!魔力を使い切る気で放たなければ!!
部下を圧倒していた巨体がこちらを向く。成竜の口から見えるのは竜の吐息であろう。こうなれば逃げられぬ。どちらが早いかだ!
成竜が火炎を吐きだすのよりほんの少しだけ早く、闇妖精の秘術が完成した。
巨大な魔力が成竜を呑み込み、はじけ、そしてすべての魔法を道連れにしながら崩壊していく。
たちまちのうちに敵の巨体は縮み、鱗は消え去り、白い柔肌が露わとなる。
残ったのは麗しき裸身の乙女。肉体を竜の姿としていた魔法が消え去ったのだ。
魔法解除の威力だった。
「―――今だ!斬れ、魔法をかけ直す前に!」
生き残った手勢が、敵魔法使いへ殺到する。
幾つもの刃が、女勇者の肉体へと振るわれた。




