呪われた不死
仲間の半数が倒れた成竜は翼を広げた。戦乙女を強敵と見た彼は、敵首領たる暗黒魔導師を空中から狙い撃ちとするつもりなのだ。
彼は牝山羊を振り払うと飛翔。
隣では蛇竜に変じた青年が、もう一体の牝山羊と死闘を繰り広げている。彼は、成竜に振り払われて自由になった牝山羊の動きを封じた。首へと尻尾を巻きつけたのである。
戦乙女を飛び越えた成竜は、敵を見下ろした。漆黒のフードで顔を深く隠した暗黒魔導師を。
今から呪文を唱えても、こちらの方が早い。急降下。食い殺してくれる!!
対する敵の動作は、右足を一歩、前へと踏み出したのみ。
星明りで伸びた、成竜の影をその爪先で踏み付けたのである。
それだけで、成竜は静止した。影を固定されたことによりその持ち主たる彼までもが呪縛されたのだ。
異様な光景であった。
漆黒のローブを纏った怪人の眼前。空中から襲い掛かろうという巨大な竜が、ピタリと静止してしまっているのだから。
「竜の吐息ならば危ないところであった」
目を封じられた成竜は、されど鋭敏なる感覚にて見た。フードを下した暗黒魔導師の顔を。
朽ち果てた包帯で幾重にも覆われた顔。その目元や口元からわずかに覗ける素肌は、乾燥しきっていた。
枯骸。
死後の永遠を得るために、内臓を取り除き、肉体を乾燥させた力ある魔法使い。その成れの果てであった。
輿の中に一筋の光が差さぬのも道理である。陽光を嫌う彼は、暗黒の秘術まで用いて輿の内部への光の侵入を妨げていたのだから。
乾燥したその肉体は燃えやすい。竜の吐息であればよく焼けるであろう。そう。吐息を放てるのであれば。
呪縛された成竜にそれは不可能だった。そして、後方で二匹の牝山羊ともみ合っている蛇竜と暗黒魔導師との間にいるのは戦乙女。
成竜の眼前で、暗黒魔導師は命じた。戦乙女へと。
「さあ。こやつを殺せ。それが済めば、もう一匹もだ」
もはや打つ手は、ない。
◇
―――見えない。暗い。寒い。さびしい。
私はどうなったのだろうか。
何もわからない。体が動かない。いや。体がない。動かすべき肉体が感じられなかった。
そして、寒い。
生命の灯火。自らで灯した偽物であろうとも、それはやはり灯火だった。寒さから逃れ、周囲を照らす光明が見当たらぬ。
となれば、己は死んでしまったのか。敵を討つことなく。
悔しい。それは、数年ぶりに―――眠っていた期間を数えれば数十年ぶりに、己を歓待してくれたひとびとを守れなかったという事だ。
生命への渇望。
ああ、あれほど死にたいと願っていたのに。やはり自分は、死にたくなかったのだな。
その事実を自覚し、苦笑する。
まだまだやりたいことがある。闇の種族を狩るだけではない。竜と友になり、そして竜になりたい。あの強壮で誇り高き生命に転生し、再び生命を謳歌したい。
そのためには、立ち上がらねばならぬ。
―――かすかな揺らめき。
己の内にある、小さな、本当に小さな灯。それを感じた。
ああ。まだ燃え尽きていなかったのか。
自らのしぶとさにもう一度苦笑。
ならば大丈夫。己にはまだまだこれほどの未練があるのだ。その想いを薪とし、そして再び生命の炎を燃え上がらせようではないか。
偽りの生命を。
◇
完全魔法消去。
あらゆる魔法を破壊するこの魔法の効力はしかし術者の力量を越えるものに及ばぬ。
女勇者にかけられた不死の魔法。その術者は女勇者自身。
魔法の心得がなく、儀式も呪物すらも用いられずにかけられたこの呪いの根源は、生への渇望。
死の瞬間だけではない。五十年を超える歳月。その間に蓄積された彼女の、生命への憧憬すべてを上回る威力でなければ、女勇者にかけられた不死の魔法を破壊することはできぬ。
もちろんそんなことは、神ならぬ身には不可能だった。たとえ永い歳月を生き、魔法を極めた死にぞこないの大魔法使いであっても。
暗黒魔導師は術の選択を誤ったのだ。




