07 問題児その2 騒々しき兄貴分
「ねぇアルフ、さっき言ってた子ってあの子?」
「あ…ああ……」
「ほえー、可愛い子だね!」
同じく廊下を見たロッティが、そう口にする。いや、それ以前に気になることがあるだろう、と心の中でツッコミを入れつつ、アルフは未だ現実に帰ってきていない。
それはそうだろう、爆撃の跡地のような部屋を目の当たりにすしただけでも「馬鹿じゃねぇの?」と言わんばかりだというのに、挙げ句およそ日常生活で、それも屋内では聞かないだろう破砕音を耳にして、それで呆けるなという方が土台無理な話である。
「……」
思わずしばらく見つめてしまい、視線に気づいたリィルが、こちらを振り返る。
リィルはやや羞恥に上気した頬をしながら、申し訳なさそうに言葉を口にした。
「あ、アルフごめんなさい。部屋から出るなって言われてたのに」
「あー…、それはもういいよ。大丈夫だったから。それより、まさかとは思うけど、長身で茶色の短髪の奴が部屋に来たりした?」
「え、ええ……いきなり部屋に入ってきて…」
視線をアルフから外し、廊下の方へと向けるリィル。
アルフは立ち上がると、部屋を抜け、そして絶句した。
廊下に深く刻まれた、何か硬い物でも通過したような、抉られたような跡。それは一直線に廊下を割り進み、しばらくいったところで途切れている。その、跡の終点に、奴はいた。
どうやら廊下を割って進んだのは、その者の頭のようだ。首から下は板張りの廊下の中に沈んでいて、そこから植物のように胴体が直立していた。
「…その、ちょうど身体を拭こうと思って、服を…。その時に急に飛び掛かられて、思わず……」
リィルの手に握られているのは、濡らしたタオルだった。服が乱れているのは、部屋を出るときに慌てて着たからだろう。
と、それよりも──。
「……おおう…」
アルフの部屋の左隣の部屋、これまで空き部屋で、先程リィルを押し入れた部屋だ。半壊状態になったそれは、最早取り付け直したところで意味を為さないだろう。
ああ、戻って早々、何故こうもトラブルに見舞われるのだろうか。まともだと思っていたが、存外にリィルも問題児側の人間なのかもしれない。
だってそうだろう。こう言っては難だが、セクハラに対する報復で平然とここまでするものか。
殴るのはわかる。蹴るのもわかる。ぶっ飛ばすのも頷ける。だが、ドアを破壊し、あまつさえ廊下を半壊させる程の馬鹿力をもってそれを為すというのか、この娘は。思わず、で、こうも悲惨な状況が出来上がると言うのか。
「ロッティ……」
「ん? どったのアルフ?」
「オレ、間違ってるのかなぁ。いくらなんでもこれはやりすぎなんじゃ…」
「んー。判定、グレイだけがギルティー! あたしなら燃やしてるね!」
「……そうか」
女性からすれば、この状況は普通らしい。いや、ロッティの思考回路を真っ当な女性として扱って良い場合の話だが。
「うーん、いい御御足でした」
茫然自失とするアルフ、困惑するリィル、え、何か変なこと言った、と首を傾げるロッティを他所に、廊下に逆さ向きに直立していたその人物は、ヒュンと足を振って起き上がった。
短い茶色の髪、勝ち気な笑み。180センチを越える長身の男の名は、グレイ・ヴェルタジオ。アルフの2歳上の兄貴分だ。
そして、レーヴェティア最大の問題児その人である。
「グレイ…お前も懲りないね……」
呆れて物が言えないアルフ。反面、グレイはたはは、と笑いながらこちらに向き直る。怪我は特に無いらしい。
「すげぇキレだったぜ。声をあげるでもなく、問答無用で殴られて、ドア越しに壁にバウンドした瞬間回し蹴りだもんなぁ。いやぁ、あっぱれあっぱれ!」
羞恥にさらに顔を赤らめるリィルにお構い無く、グレイはそう言って身体に付着した木片を払い落とすと、
「改めまして、グレイ・ヴェルタジオだ。よろしくぅ!」
とサムズアップ。
「…死ね」
キッとグレイを睨み付けながらそう言うロッティは、その右手に紅蓮の魔力を渦巻かせている。
「やめい! 火事になるわ! さっき部屋を爆破したんだから少しは懲りろ!」
「ぁ痛っ!」
ロッティの頭に拳骨を落とし、うぅー、と唸るロッティを尻目にアルフは嘆息する。
「本当にお前もいい加減にしてくれよ、グレイ。とばっちりを食らうオレや叔父さんの身にもなってほしいよ…」
「まあいいじゃねぇかよ細かいことは」
「細かくないよ! まったく、何だってお前はそこまで欲望に正直なんだ…」
「愚問だな! それはオレが男だからさ!」
わかってないなぁ、とばかりに指を振りながら、グレイはニヤリと笑う。
「男である以上、そうせざるを得ないんだよ。そう! 男だから! 男であるからこそ、オレは可愛い女の子や綺麗なお姉さんがいたら飛び込まずにはいられねぇ。ましてそれがスタイル抜群の子なら、むしろそうしないことはその子に対して失礼に値する! 男が夢中になるってこたぁ、その女にそれだけの魅力があるってことだ! なら! それを証明するためにも、オレは飛び込まずにはいられねぇのさ! それを曲げたら、オレがオレでなくなっちまうんだ! むしろオレには、お前や団長さんがそうしないのが何故なのか不思議でならないね!」
「「「……」」」
声高らかにそう語るグレイに、押し黙る3人。長々と御高説痛み入るが、言っていることは最悪だった。もしグレイの言うとおり、男ならばそうせざるを得ないと言うのならば、この世は猿の楽園にでも成り下がることだろう。
とは言え、確かに夢中になるほど魅力的であることの証明という意味ではこれ以上ないのも言い得て妙なような気もしてくる。
破天荒で迷惑極まりなく、うざったいことこの上ないが、しかしながら微妙に説得力があるだけに手に負えない。
「……何でこれで罪に問われないのかねぇ。この街の倫理観を疑いたくなるよ…」
「へっ、よせよ照れるじゃねぇか」
「いや褒めてないから」
「まあ、真っ当なところを突くと、嫌よ嫌よも好きの内、ってとこじゃね? 飛び掛かられる程夢中になられたら、どこか女として悪い気はしない、とかさ」
「アルフどうしよう、凄く殴りたいのに妙に納得してるよあたし!」
「……オレも自分が呆れてんのか感心してんのかわからなくなってきたよ…」
くいくいと服の裾を掴んでうーんと唸るロッティの頭に手を置いて、何度目になるともわからなくなった溜め息を吐き出すアルフ。
ああ、もうやだこのパーティ…。右を向いても左を向いてもトラブルばかりだ。叔父さんの嘆く顔が目に浮かぶ…。
天を見上げて、心の瞳で涙を滝のように流しながら、アルフは魔導式情報端末を取り出した。
兎にも角にも、とりあえずは報告をせねばなるまい。
ラーノルドのコール番号を呼び出して、端末に耳を当てるアルフ。数秒の後、ラーノルドに繋がった。
「……またか」
「……うん、また、だよ…」
最早、言葉はいらなかった。アルフ自身そうなると思っていたし、アルフがラーノルドの立場でも同じように反応しただろう。ああ、口が重い…。
状況を説明するなり、端末から深い深い溜め息が聞こえてきた。…その気持ち、凄く良くわかるよ、とアルフも渇いた笑いを溢す。
「…とりあえず、そこに他の者を向かわせるから、今日はもう何としても問題は起こさないでくれ。明日だ…明日……、話を聞こう」
「……はい」
アルフが何かをしたわけではない。帰ってきた時には既にトラブルは起きた後だったし、トラブルメーカーとの遭遇を避けるためにリィルを部屋に押し込みもした。あまりにギャン泣きするロッティを哀れに思って、助け船も出した。
客観的に見て、アルフに非があると言うのは酷だろう。
惜しむらくは、リィルに鍵を掛けさせるべきだったとか、真っ先にグレイをふん縛るべきだったとか、そもそも最初から引っ張ってでも一緒に依頼に出掛けるべきだったとか──。
「ああ、そう考えると、ないでもないか…」
監督不行き届き──。
詰まる所は、そういう話であった。いや、20歳になって、あるいはそれに近づいてまでお守りが必要というのは、それはそれでどうかとも言えるし、そこまで手を焼くのもお人好しが過ぎると言えるのだが。
しかしながらそんな風に考えてしまうからこそ、アルフがこの愛すべき阿呆共から解放されない所以でもあった。
ラーノルドとの通話を切り、既に痛みすら忘却し始めた頭で状況を鑑みる。
半壊して倒れたドア。
このドアは、魔導科学によって作り出されたものだ。素材自体は木材だが、魔力によって錠を落とすことが出来る仕組みが導入され、またその強度も魔力によって底上げされている。
則ち、木材であって、木材ならざる強度を持っているのだ。
このドアの施錠機能は、基本的に部屋の使用者として登録された者の魔導式情報端末によってロック、アンロックが行える。
何故これ程までに特殊なドアにされているかと言えば、言い方は悪いがカチコミ対策である。騎士により統治されているこの街は、依頼の受諾から街の防衛まで、数多の事柄が騎士によって賄われている。
その業務の一端には、犯罪者の取り締まりも含まれており、いくら他の街に比べて技術水準が高く、安全で住みやすいと言っても、犯罪は起こり得る。
さて、ともすれば感謝されることもあって、もちろん憎まれることもある。はて実力で敵わないがどうしても復讐したいとなった場合どうすれば良いかと言えば、短絡的に結論を出せば、寝込みを襲うことである。
騎士団隊舎は、しかしながら依頼を抱える住人の窓口だ。なら窓口と宿舎を別にすればよいではないかとも言えるが、そうもいかなかった。
魔物の素材解体や会議場、修練場等の施設が集まっていた方が何かと便利だし、そうなるとそこに近い方が騎士としても良い。加えて、いくら魔導式情報端末により離れていても連絡が取れるとは言え、いざ有事の際に目と鼻の先に人手があるのと無いのでは、比べるまでもない。
散漫しているより集約されている方が、管理も、指示の伝達も、その他諸々都合が良かった。おまけに家庭が無く比較的身軽な独身騎士ともなれば、都合が良い。ロッティやグレイと言った問題児のこともある。
要は、利便性を優先した結果だった。
このため、万全の守りを築きたいけれども一般に開放する必要もあり、導き出された結論は個々の部屋の強化であった。
レーヴェティアの技術力を惜し気も無く投入して開発されたそのドアは、生半可な衝撃ではびくともしない。……少なくとも、その筈だった。
これを破壊するだけの衝撃があれば流石に寝込みを襲われても起きるだろうし。
そんなわけで、このドアは非常に高度な技術と手間暇を掛けて製造されている。いや、ドアだけでなく、壁も床も同様だが。
となれば、だ。
「なあロッティ、これ、いくらすると思う?」
「……あたしの剣が1本で大金貨4枚だったから…20本は軽く買えるんじゃないかな…」
「だよなぁ…」
必要になる修繕費──。
ロッティの得物は細剣だが、かなり特殊な代物のため、それなりに高価だ。
現在地上で流通している貨幣は、銅貨、銀貨、大銀貨、金貨、大金貨、宝貨の6種でやりくりされている。
銅貨10枚で銀貨1枚、銀貨10枚で大銀貨1枚、大銀貨10枚で金貨1枚。銅貨から宝貨に1つ移るにつれ10倍の価値になるわけだが、一般的な職業の月給が大金貨2枚程度のため、ロッティの剣1本で2ヶ月は普通に暮らせることになる。
戦いで消耗していく武器としてはそれなりに高価な値段だ。
その20倍となれば、3年とちょっとは暮らしていけるだけの金額に相当する。
毎月何とか遣り繰りして金貨1枚ずつ返済したとて、80ヶ月──およそ7年近くが必要だ。
「大丈夫だって! なんたってアルフがいるんだからな!」
「あ、そう言えばそうだね! アルフがいればあっという間だよ!」
まるでその程度の修繕費など目じゃないと言わんばかりに笑い合うグレイとロッティ。先程まで睨んでいた相手とすぐに笑い合うとは、相変わらずコロコロと態度の変わる少女だ、とアルフは思った。
しかしながら、事実アルフがいることで、これだけ問題を頻発して起こすロッティとグレイだが、然程の借金は存在しない。アルフのその限界があるのか定かではない程の大容量の収納でもって、採取や魔物討伐に出れば、並み居る騎士が絶望する程の素材を回収し、商人の護衛を受ければ、荷馬車は必要ないし、本来想定していたよりもずっと多くの商品を運搬出来る。
そのため、一度依頼を受ければかなりのお金が入ってくるのだった。ロッティもグレイも、収納魔法の適性は皆無だ。
この2人が通常よりも多く稼げているのも、アルフがいてこそだった。
逆に言えば、この2人がいなければ、アルフはもっとずっと効率よくお金を荒稼ぎ出来るし、詰まる所その稼ぎを相殺してマイナスにするくらいにこの2人は色々とやらかすわけだった。
「借金なんて怖くない! はい!」
「借金なんて怖くない!」
いつの間にか肩を組んで踊り始めたロッティとグレイを前に、はて自分は呪われているのだろうか、と考え始めるアルフ。
返済、弁償したと思った矢先に新たな修繕費、賠償金が発生し、返しては発生しての繰り返し。自分がやらかしたわけではないのに、毎度毎度肩代わりさせられている。
躍り狂う2人。放心するアルフ。もう何がなんだかわからずにフリーズするリィル。騒ぎのあまり
「うるせぇっ!」
と部屋から顔を覗かせた幾人かの騎士達はジロッとアルフを見つめる。その目をもって、「早く止めろ」と促してくる。
──と、アルフが泣きたい気持ちで居たたまれなくなったその時だった。
「……あっ」
リィルが何かに気づいたように、そう声を漏らした。その視線は、廊下の反対の端を見つめていて、アルフがそこに視線を向けると…。
「うっ」
振り向いたアルフの視線を辿った騎士達も、呻き声をあげて慌ててドアを閉めていく。バタン、バタンとドアの閉じる音を耳にして、ようやっと背後を振り返ったロッティとグレイが、
「はぅっ」
「げっ…」
と声をあげた。
それは、こちらに向かって歩いてくる1つの人影だった。うふふ、ととても楽しげに、大量のおたまじゃくしが浮かんでいそうな程に軽快に、まるでスキップでもしているかのように軽やかに、その人物は近づいてくる。
ブロンドの髪の女性──レーレ・キャンベリアその人であった。
騎士達は望んでいた。この騒ぎが収まり、平穏が取り戻されることを。アルフは願った。誰かこの馬鹿共を止めてくれ、と。
果たしてその願いを叶えられる人物は、まさしく望まれたその時に、願いを聞き入れたかのように現れた。
だが、騎士達はこうも思っていた。「御愁傷様」、と。
(叔父さん…なんて人を寄越してくれやがったんだ…!)
あがりそうになる悲鳴を殺してアルフが絶望に暮れる中、動き出した影があった。
「あいやしばらくっ!」
「うぎゃぁあぁああ! もうやだぁあぁあああ!」
まさしく脱兎の如く、全速全開で逃げ出そうとするロッティとグレイ。瞬間、アルフも自分でも驚く程に機敏に動いていた。ふざけるな。当事者を逃がしてなるものか。
「待てぃ!」
「おぇっ…!」
「きゃぅっ!」
後ろ襟首を思いっきり掴まれ、苦しげに喘ぐ2人。些か勢いよく引きすぎ、2人共にそのまま背中から倒れることになったがそんなことはどうでもいい。
グレイの顔面を踏みつけ、立ち上がろうとするロッティの頭を押さえつけて封殺。
「何でさ! あたし悪くないよ!? ねぇアルフってば! あたしこれは関係ない! 悪くないよぉおお!」
「知るか! こうなりゃ道ずれだ! 大体それを言ったらオレこそいつも何もしてないのに巻き込まれてるじゃん!」
「そんなぁ! アルフの馬鹿! 意地悪! おたんこなすぅうう!」
「何とでも言え。けど絶対に逃がさない!」
負荷分散──。同じお仕置きを受けるにしても、対象が多ければ園分1人頭の負荷は減るかもしれない。何より、自分だけじゃないという安心感は、総数が多ければ多い程有効だ。
「やだぁ! やだよぉおお! もう正座したくない! もう疲れたよぉおお! グレイが1人で受ければいいじゃん! そうだよ、グレイだけ残して逃げよ? グレイが悪いんだし!」
「おいおいつれねぇこと言うなよ。オレ達、仲間だろ? 一蓮托生だろ」
「黙れ変態。お前も逃げようとしてたくせに何言ってんだ」
「うごぅっ…」
今しがた大慌てで逃げようとしていたのに、どの口が言うのか。
「やだぁ! あたし辞める! これの仲間辞めるぅううぅうつう!」
「オレが辞めたいわ!」
つい少し前までレーレにお仕置きを食らっていたロッティの拒絶反応は非常に大きい。ちょっと可哀想な気もしてこないでもないが、アルフだって逃げ出したいのだ。こうなれば、旅は道連れ世は情け、である。
「諦めろ…。オレも一緒に受けるから」
「やだやだやだぁっ!」
「つか、もう遅いから」
その言葉にハッとしてロッティが振り返った時には、地獄の鬼すら裸足で逃げ出す程ににっこりと、まるでとても面白い玩具を得たかのようにねっとりと笑うレーレが、そこに立っていた。
「そんなに楽しみにしていてくれたなんて、これは私も張り切らないといけませんね」
ロッティに向かってそう言ったレーレは、しゃがみ込んでロッティの頭を優しく撫でる。その様は、まさしく悪魔のそれだった。