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Avalon Rain ~終焉の雨と彼女の願い~  作者: 音無 一九三
第一章【凶変の召喚魔法】
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01 降ってきた少女

「ふげッ…!」


 やや腑抜けた悲鳴、次いで誰かが転げたような音があがった。

 討伐対象のイラストの描かれた紙に目を落としていた結果、木の根の出っ張りに躓いて盛大にすっ転んだのだった。



 まるで太陽の光を意地でも遮ろうとばかりに鬱蒼とした木々のせいで、森の中は日中でも薄暗い。おまけに、一昨日降った雨の影響が太陽の恩恵を十分に受けられないがために抜けておらず、足場の悪い箇所が多かった。


 特に森の中心は酷く、何とか泥濘(ぬかるみ)地帯を抜けて一安心していたのだが、その気の緩みも相まって、足下が疎かになっていたのだ。



「くっそー…相変わらずじめじめしてて嫌なとこだなぁ…。討伐対象は見つからないし…」


 立ち上がりつつ愚痴を溢す少年。

 灰色の髪には、落ち葉やら泥やらが盛大に付着しており、頭から豪快に転んだことが窺える。


 髪や服に付いた汚れを払いつつ、少年はもう一度辺りの気配を探るが、特に魔物の気配は感じられなかった。

 いよいよもって、本当にこの森に討伐対象がいるのか、疑問に思えてくる。


 この森にやってきて早2日。その間歩き回っているわけだが、討伐対象じゃないゴブリンやらオークやら、どうでもいい魔物は出てくるくせに、肝心な討伐対象が一向に姿を見せてくれなかった。



 少年が幾つかの討伐依頼をかっ拐って街を出たのは、数日前のことだった。事も無げに順調に依頼を片付けて進んできたのだが、最後の最後は、本当に嫌になるものだった。いるだけで陰鬱になってくる環境に、現れない討伐対象。

 連日の野宿生活にも嫌気が差してきており、それに付随して、さっさと片付けたいという思いを裏切るように影すら見えない、というこの状況。ストレスがどんどんと高まっていく。



 確かにこの森は広く、全うにしらみ潰しに探そうとしたら4日あっても足りないだろう。

 そのため、その魔物が潜んでいそうだと思われる箇所を中心に探す形をとっているのだが、本当に影すらも見当たらない。いよいよもって、この依頼書に書かれている情報が正しいのか、疑わしくなってくる。



「…とは言っても、片付けられないのはなんかスッキリしないしなぁ…」


 そう言って頭を掻きながら、少年はもう一度、討伐依頼書のイラストに目を落とす。


 対象の魔物はサソリ蜘蛛と呼ばれるもので、その名の通り、蜘蛛のような外見にサソリのような尻尾を持つ、蟲型の魔物だ。

 全長は2メートルを越え、吐き出す糸に絡めとり、尻尾で突き刺すという、これまたそのままな攻撃を得意とする。


 ただ、サソリのような尻尾を持つくせに、その尻尾には毒がないのだそうだ。何とも言えなくなる特徴もある。

 普段は腐敗した草などを食しているらしいが、それは単に獲物がないからであって、この森に伐採や採取にやってきた人を見ると、突然襲い掛かってくるとのことだった。


 このサソリ蜘蛛は、半月程前に唐突に出現報告が上がった魔物だ。この森は、比較的低級な魔物しか出現ないからと、ろくな護衛も連れずにやって来た素材の採集者が、何人か被害にあったらしい。

 複数いる、という情報もないようなので、何処其処から移ってきたのかもしれない。

 だからこそきちんと討伐したいのだが、デカイくせに依然見つからないのだった。



 結局は、見つかるまで、根気よくこのじめじめした森を練り歩くしかないのだった。



 それからさらに数時間森の中を捜索し、いよいよフラストレーションが爆発しそうになったときのことだった。


「……うん?」


 少し離れたところのようだが、爆発が起こったような音が何度が響いてきていた。


「…誰か、戦ってるのか?」


 もしかしたら、討伐対象のサソリ蜘蛛と誰かが戦っているのではないか。もしそうなら、ようやっとこの森からおさらば出来る。

 戦闘に協力出来ないと依頼達成とは言いがたいところだが、何にしても魔物の脅威がなくなるのであれば、それは歓迎するところだ。


 楽観視と言えばそうだが、そんなことはどうでもいいのだ。

 だって早く──。


「ちゃんと風呂に入りたい!」


 そう、ゆっくり湯船に浸かって、ぬくぬくしたいのだ。



 泥が跳ねてズボンが汚れようがそんなことはどうでもいい。少年は足場の悪い森の中を、最早全力疾走で、しかし軽快な足取りで駆けていった。音源に近づくに連れ、魔力を感じるようになってくる。やはり、誰かが戦っているのは間違いないようだ。


 そして、いよいよ音源の元にたどり着いた時、再度少年は声を漏らすことになった。


「おお!」


 ──いた。いやがった。


 蜘蛛のような外見に、サソリのような尻尾。間違いない、イラスト通りの、討伐対象であるサソリ蜘蛛だった。

 思わず吊り上がる口角。端から見れば、それは腰に携えた刀に手を添えながら、魔物を前にしてニヤニヤしている怪しい奴に他ならなかった。が、そんなことは今の少年には些末なことだ。


 連日の野宿と疲労、そしてこんな森の中を2日も練り歩かされたフラストレーションにより、徹夜明けのハイテンションに近しい状態の少年にとっては、取るに足らないことだった。



 いざ刀を鞘走らせ、魔物に向けて駆け出そうとしたその時だった。


「……あれ?」


 ふと、あることに思い至ったのである。


 誰かが戦闘をしていたような音が聞こえていたのに、肝心のその誰かがいなかった。

 気持ちが先行してしまい、魔力を探る方に気が行かなくなった少年は、だから気がつかなかった。それは、思いがけないくらいに近くにいたのに。

 少年の視界に影が落ちる。吊られて視線を上に持ち上げれば、それは既に眼前に迫っていた。


「おぶっ…!!」


 再び情けない悲鳴があげ、少年は地面へと吸い付けられた。

 運悪くも、ちょうどそこは盛り上がった木の根があった。それに叩きつけられた背骨が、そのえげつない痛みを訴える。

 そして、降ってきた何らかがぶつかった肋骨も、悲鳴をあげている。


 情けない声を出しながらも、流石に魔物との戦いを生業としているだけのことはあった。咄嗟に魔力で身体能力を向上させたことで、幸いにも骨が折れたり、というようなことはないようだった。……痛いことに変わりはないが。 



「ってぇ……。何なんだ?」


 自分に重なるように倒れている誰かの下から何とか這いずり出た少年は、サソリ蜘蛛に意識を向けつつも、立ち上がりつつ振り返る。


 そこにいたのは、1人の少女だった。肩口で切り揃えられた黒髪に、雪のように白い肌。だが、その白雪のような肌は、多数の傷と出血によって痛々しく彩られていた。特に腹部の傷が酷く、意識を失っているようだが、その表情は苦痛に歪んでいた。


 もし、自分が受け止めていなかったら、この少女は木の根に無防備でぶつかっていただろう。受け止める、というには些か不恰好ではあったが。



 ──閑話休題。



 それまでの異常なテンションが嘘のように、少年は落ち着きを取り戻し、状況を鑑みる。


 この少女の状態は、見るまでもなく危険だ。放置していては、命に関わる。だが、既にサソリ蜘蛛はこちらに気づいており、ジリジリと距離を縮めてきていた。

 単純な話、目の前にもう一体、獲物が現れたのだ。魔物からすれば美味しい状況だ。逃す手は無い。


 この少女の手当てをするにも、まずは速やかにこの魔物を倒さなければならない。今度こそ少年は、刀を鞘から抜き放った。



 少女から距離を取るために大きく迂回しながら魔物に接近。魔物の尻尾による刺突を身体を捻って回避しつつ、その身体に向かって刀を振り下ろす。

 しかし、返ってきたのは石でも叩いたのではないかという硬質な音と感触で、肉を断った手応えは無かった。


「硬いな…!」


 跳びすさりつつ、刀を左手に持ち替えて痺れる右手を振る。

 細かな体毛に覆われた身体の表面は、かなりの硬度を持っているようだった。とてもではないが、ただの斬撃が通るとは思えない。


 余裕のつもりか、嘲笑うような唸り声をあげる魔物は、しかし時折少女の方へ意識を割いているようだった。目の前の敵意を向けてくる者より、最初に目をつけた獲物を狙うその執着心。

 もしかしたら、男より女の方が美味いと思っているのかもしれないが。何にしてもその執着ぶりはかなりイってしまっているストーカーのようだ。



 改めて近づこうとする少年に、サソリ蜘蛛は口をモゴモゴと動かし始める。やがて、その口から砲弾のような勢いで、何かが吐き出された。

 まさしく蜘蛛の巣のように展開された状態の糸を吐き出したのだ。

 大きく跳躍して回避した少年が振り返ると、それまで少年が立っていた辺りに、周りの木を巻き込んで糸が絡んでいた。

 かなりの粘性を持つようで、あれに捕まったら身動きが取れなくなるだろう。


 頑強な表皮に、粘性の高く広い範囲を巻き込める糸、そして鋭い刺突を放つ尻尾。毒がないにしてもそれなりに手強い相手だ。

 ゴブリンやオークとは比べるべくもない。やはりきちんとここで倒さなければ。



 (大技で一気に仕留めちゃいたいけど、下手な攻撃であの子を巻き込んじゃうのはまずいな…。木も多いこの場所だと、倒木の危険も高いし…。小技で何とかするしかないね…)


 跳躍の頂点に達した少年は、そのままサソリ蜘蛛に向けて、刀を振り下ろしつつ落下する。両手に握られた刀の、その刀身が朧気な青白い光を放つ。魔力を込めたのだ。


 刀身を魔力で包み込んで、切れ味を上げようというものだった。

 果たして、その斬撃は尻尾により弾かれる。しかし、落下の勢いをそのまま乗せた振り攻撃を往なすには、幾分力が足りていなかった。

 結果、やや勢いを殺されながらも少年の斬撃は、再びサソリ蜘蛛の身体へと打ち込まれた。


 ガキン、というやはり硬質な手応え。魔力を込めても斬り裂けい。込める魔力が弱すぎたな、と感じた少年だったが、しかしその手応えが突如として柔らかな、そして肉を断った感触に変わった。緑の鮮血が舞い、少年の頬に付着する。


 転がるようにして再び距離を置いた少年。見れば、サソリ蜘蛛の身体は確かに裂けていた。頭上の少年に対応しようと身体が上向きになったことで、それまで地面に向けていた内側が顔を出したためだ。

 表は硬いが、裏はそうでもない。



 となれば、狙うは一点。身体の内側だ。



 弱点がわかれば、そう難しい相手でもなかった。

 何せ攻撃は単純。尻尾による刺突か凪ぎ払い、あるいは糸を吐く。それだけしか脳がないようだった。巨体故に動きも単純で、戦いを生業とする者からすれば比較的容易な相手だった。


 単純な話、新種の魔物であるがために情報が無かったということ、そして、表皮が異様に硬い、というだけのことで、言ってしまえば雑魚だった。



 上手いこと潜り込んだ少年によって、身体の内側を大きく斬り裂かれ、断末魔の声をあげてサソリ蜘蛛は動かなくなった。討伐完了だ。

 これの表皮はかなり硬質だし、きっと何かしら使える素材になるだろう。丸々持って帰ろう。


「…っと、それよりも、あの子の傷を先にどうにかしないとヤバイか。とりあえず応急処置をして、それから安全な場所に運んで、その後本格的に回復魔法を掛けて…。まだしばらくこの森を出られそうにないな……」


 ため息をつきつつも、少年は大急ぎで応急処置を始めたのだった。

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