15 レーヴェティア騎士団の在り方
「うっぷ…」
「……死ぬかと思った」
ものの1時間後には、アルフ達は目的の場所へと到達した。
何事もなさそうに船を収納にしまうアルフ、伸びをしたり腰を回したりして身体を解すロッティとグレイ。そんな3人を他所に、余裕の無さそうな者が3人。
ガイルとウルドに至っては、もう顔色からしてよろしくなかった。まあ、それも当然と言えば当然だ。空を飛ぶ乗り物など、この世界には存在しない──大陸を乗り物と呼んでよいのならば、浮遊大陸があるが──し、そもそもこのエアリアル・レイドを用いた移動方法、一歩間違えば自分の身が肉片に変わる恐怖がある。
そんな代物をおいそれと使用するなど、全く以て常識の埒外だ。そりゃあ、顔色も蒼白になるというものだ。
一度経験しているリィルでさえも、前回よりもスピードのあった今回はやや堪えたらしく、眉を寄せている。
「おいおいリィル、そんなしかめっ面してっと、せっかくの綺麗な顔が台無しだぜー?」
ケタケタと笑いながらグレイがそう言って、リィルの肩を叩く。
「そんなこと言ったって…。もう、せめて心の準備くらいさせてほしいわ…」
「いや、心の準備とかそんなもんでどうこうならねぇだろうよ…」
「……同感だ」
ガイルとウルドの言葉に、リィルは苦笑する。事実、普通に考えればその通りだ。多少時間があったところで、心構えが出来たところで、肉片と化した自身を想像する時間が余計に出来てしまうだけで、何の意味もない。
(あれ…じゃあ私も普通じゃない…?)
思うまでもなくその通りではあるのだが、言葉にしなかったリィルの疑問には返答はない。
ともあれ、目的の場所に到着した。太陽は未だ真上に昇りきらず、東の空から光を放っている。
そこは、拓けた平原だった。土と草の描く土色と緑色のコントラストがよく映える、見渡す限り何もない場所。木も殆ど見受けられず、従って身を隠せるようなものはほぼ存在しない。
そんな平原に、人影が幾つか存在した。中央に2人、その周囲に展開する6人。周りの6人が結界魔法を発動するための人員であり、そして中の2人が──
「ありゃ、レーレさんもいるねー」
「みたいだね」
遠目にレーレのブロンド髪を見て、ロッティがそう言った。勿論、レーレの隣にいるのは、アルフ達をここへ呼んだラーノルドその人である。
「叔父さん、戻ったよ」
「ご苦労だったな。あと、叔父さんではなく団長な」
いつもの軽口を交わしながら、アルフはラーノルドの元へ歩いていく。続いて、ロッティ、リィル、そしてガイルとウルドを前にしてグレイが続く。
「やあレーレさん、ご無沙汰」
「ええ、アルフ。皆さんお疲れ様です。そちらの御両名も、御愁傷様です。うふふ。因みにですけれど、箱は開きまして?」
「……その前に燃えちまったよ」
「あらそうですか。残念」
「「……」」
やはりあの木箱は色々と大変なギミックが搭載されていたか、とアルフは苦笑した。
「さて、ガイル・ノルタム、ウルド・グラスタ。抵抗せず戻ってくれたようで何よりだ」
頃合いを見計らったラーノルドの発言で、その場の緊張感が一挙に引き上がる。それに比例して、ガイルとウルドの表情も強張っていった。
「自分達が何をしたのか、よく理解は出来ているか?」
レーヴェティアは、特に魔導科学の分野では他の追随を許さない程の発展を遂げている。必然、それだけに重要な情報、決して明るみに出してはならない危険な情報も存在する。重要文書保管室は、そのような機密情報や危険な魔法についての情報等を載せた文書を保管する部屋だ。
それだけに、本来ならばレーヴェティアでも特に厳重な守備体制が敷かれているので、無論ガイルやウルド程度の実力では突破など出来ない。ここでの問題は、盗み出したことではなく、そもそもその意志を持ったことそれ自体を指す。
「……オレ達は、とんでもねぇ事をしちまった」
「レーヴェティアを裏切るような真似をしました。どのような処罰でも、甘んじて受けます…」
「ほう……」
頭を垂れる2人に、ラーノルドは目を細めながらそう洩らした。
ガイルとウルドは、普段から素行の荒い人物として認識されている。仕事の出来にもそれは現れていて、あまり評判が良くないのも確かだった。
そんな人物達であるから、ラーノルドはこの期に及んでも泣き寝入りしてくると踏んでいたのだが、その認識は裏切られた。
2人の目には、確かな覚悟の色があり、喚き散らす様子も見られない。
「ならば、その命を以て償う事になっても──対イクリプシア戦線の最前線における『特攻者』送りになっても、拒まないと思っていいんだな?」
「そんなっ…!」
ラーノルドの言葉に、息を呑んだのはリィルだった。確かに彼等のしたことは重罪だが、何も命まで取ることはない筈だ。償う機会があっていい筈だ。
対イクリプシア戦線の最前線とは、ヴァスタードのすぐ近くに張られた、人類とイクリプシアの交戦が最も苛烈な地点である。今この瞬間にも、多くの負傷者、殉職者を出しながらも、多くの騎士の尽力によって何とかイクリプシアの進行を食い止めている。
『特攻者』──聞こえこそ良いが、その実態は、更正の余地すらない犯罪者を処刑するための仕組み、またはそれに組み込まれた人間を指す。要は不利益しか生まない者を厄介払いしつつ、せめて最期くらい役に立てと、文字通りイクリプシアの大群に向けて特攻させるものだ。『特攻者』となったものは、死ぬまでそのように扱われ続け、逃げ出すことも許されない。事実上の死刑宣告だ。
それに異を唱えようとしたリィルは、しかし服の裾を引っ張られたのを感じて振り返った。すると、ロッティが小さく首を横に振っているのが目に入った。その目は真剣で、静観していろ、と言っているようだった。
見れば、アルフも、あのグレイでさえも、口を閉ざして静かに頭を垂れる2人を見ていた。
どうして──。
だってアルフ達は──レーヴェティアは、自分のような出自のわからない人物さえ受け入れてくれる、優しい街ではないか。それが何故このようなことになる。
「ハンターや、特に騎士である以上、悪事を働いた者にはそれ相応の報いを与える必要がある。それは信用を守るためでもあるし、何より街を守るために必要な事だ」
「それは……でも…命まで取ることはないじゃないですか!」
「リィル、偽物とは言え、彼等が盗み出した『召喚魔法の書』──延いては召喚魔法というものがどういうものか、知っているか?」
「……詳しくはわかりませんけど…こことは異なる世界の存在を召喚するものだったかと…」
「それによって、滅んだ街があることは? その成功例は?」
「……はい、知っています……。成功例も…ありません」
この世界には、イクリプシア達の住まう浮遊大陸を除くと、4つの大陸が存在する。
レーヴェティアやヴァスタードのあるこのギリア大陸は、その中でも最大級の面積を誇り、南北にかけて大きく広がっている。そして、海を挟んでギリア大陸から西に3つ。北のガルダシア大陸、南のリノアール大陸、そして、その2つの中央に位置するダルタネス大陸。
そのダルタネス大陸に、魔導科学の発展の目覚ましい街がかつて存在していた。
今なお残っていたのならば、もしかしたらレーヴェティア以上の魔導科学を有するに至ったかもしれない。その街が滅んだのは、件の召喚魔法の開発の結果だ。
どのような理論で、どういった方法で、そして何を喚び出そうとしていたのか。その全ては闇に葬られたが、しかしその結末だけは知れ渡っている。
見たこともない魔物が出現し、街を火の海へと変えた──。
そして、魔物は数日の間猛威を振るい続け、そして忽然と消滅。
残ったものは、数多の傷痕だけだった。
しかし、見方を変えれば、それは確かに召喚魔法がある意味では成功していたということになる。街こそ滅び、大陸に甚大なダメージを与えたが、確かに異形の怪物は現れたのだから。
けれど、かといって喚び出した存在に滅ぼされてしまったのでは本末転倒だ。召喚魔法は、新たなる戦力を求めてのものなのだから。
そう、言ってしまえば、召喚魔法は結果論として、喚び出すことのみを見るのであれば、確かに可能ではあるのだ。問題は、それをまるで制御できないということ、喚び出した存在が定着せずに持って数日で消えてしまうこと、そして、肝心の喚び出す方法自体がほとんど失われてしまっているということにある。
故に、この召喚魔法を巡って、これまでに様々な悲劇が生まれている。喚び出すことに失敗し、しかしその余波で凄まじい被害を受けた街、正しい情報かも、どころか本当にあったのかさえ不確かな、召喚魔法の実施方法という情報に踊らされて争いあった街。幾多の人が、街が、召喚魔法によってその歴史に幕を降ろすことになった。
しかしそれでも、人は召喚魔法を求めて止まない。だが、それも仕方のないことかもしれない。
魔物、そしてイクリプシアの脅威に晒されている人類が頼れるもの等、そう多くはない。一縷の望みに賭けたというのも、追い詰められた故の、藁にもすがる気持ちがそうさせたのだろう。
それほどに、人類は追い詰められているのだ。
「召喚魔法は、本当に危険な代物だ。試すことすら烏滸がましい程にな。『召喚魔法の書』も、あのヴァスタードでさえも手を焼いてうちに寄越したものだ。その内容は、言うまでもなく広めて良いものではない。それを盗み出そうと企てることそのものが、もう既に大きな問題だ。それこそ、命を秤に掛ける程のな」
「で、でも……それでも…」
なおも反対の声をあげようとしたリィルに、
「ありがとうな、嬢ちゃん。オレらみてぇなゴロツキのために…」
と、ガイルがそう言って、小さく笑みを溢した。
その声は、確かに震えていた。だが、それでも、そこには強い決意が感じ取れて、リィルは今度こそ言葉を失った。
「覚悟は出来ています…」
「そうか。お前達の覚悟はしかと受け取った。判決を言い渡す──」
ぎゅっと目を閉じるリィル。それ以外に出来ることが、してあげられることが浮かばなかった。
「──ガイル・ノルタム、ウルド・グラスタ両名には、半年の間の減給、並びに、同期間こちらの手配する騎士と行動を共にし、普段の素行から騎士としての在り方に至るまでの更正、そして街への貢献を命じる」
「……えっ?」
思わず、目を開けて放心するリィル。今度こそ驚愕に顔を歪めたのは、リィルだけでなくガイルとウルドもであった。
「なんだ、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして。不服か?」
「い、いえ…そのようなことは…。しかし、オレ達は──」
「──確かにお前達は、偽物とは言え『召喚魔法の書』を盗み出した。が、もとはと言えば、お前達が盗み出せるように仕組んだのはこちらだ。本来であれば、そんな動きを見せた時点で捕らえていただろう。反省の色がまるで無いようなら、本当に命で償って貰ったやもしれんが、お前達も十分に懲りた筈だ。今までのお前達なら、命乞いをするか、逃げ出そうとするか、そんなところだっただろう。これからは、心身入れ換えて、レーヴェティアに尽くして欲しい」
そう言って、ラーノルドは笑みを浮かべた。
「は…はい! 本当に……本当にすみませんでしたッ…!」
「ありがとうございます…ありがとうございます……団長!」
涙ぐみながら何度も謝罪の言葉を繰り返すガイルとウルドに、ラーノルドは頷いて、そしてリィルの方を振り返って、今度はリィルに向けて言葉を投げる。
「さて、良い機会だ。リィル、レーヴェティア騎士団について、1つ聞いておいて欲しいことがある」
「何でしょうか…」
「確かに悪事には報いを与える必要がある。それはハンターや騎士が正しくあるために必要な事だ。力を持つ者が、その力を悪を以て行使すれば、力無き者は虐げられる。だからこそ、正しく在らねばならない。厳しく罰さなければならない。その罰が死であるというのも、それだけの事をしたのであれば仕方がない。それが大局的には、人を──街を守る事に繋がるのだから」
「……」
「だが、レーヴェティア騎士団は、それ以前に、何より仲間を大切にする騎士団だ。窮地に陥れば手を差し伸べ、道を誤れば連れ戻す。罪を犯したのならば、それを雪ぐ機会を与える。ヴァスタードやらに言わせれば、甘いだの偽善だのと言われるだろうが、な。それでも、私はレーヴェティアの騎士達には、そう在って欲しいと考えている」
「……ラーノルドさん」
「リィル、君の考えは正しい。その優しさを、その在り方を、これからも失わずにいてほしい」
「……はい!」
リィルの返答を満足げに聞いたラーノルドは、しかし思い出したように手を打った。
「ああ、そういえば、君からはまだ返事を貰っていなかったな」
「あ……」
そうだった、とリィルも思い出す。有耶無耶になっていたが、リィルはレーヴェティア騎士団に勧誘されて、結局まだ返事を返していなかったのだ。ここにいるのだって成り行きでそうなっただけだ。
「改めて問おう。リィル・フリックリア。レーヴェティア騎士団に入る気はあるか? ここは君にとっても、それなりに居心地の良いところだと思うぞ?」
「リィル、オレ達は君を歓迎するよ。……まあ、こんな問題児だらけのパーティでよければ、だけどね」
「「う……」」
笑いながらそう言ったアルフの言葉に、当の問題児2名が顔をしかめる。次いで発された言葉に、今度はリィルも顔をしかめることとなった。
「それに、まあリィルにも借金あるしね」
「うぅ……そう…ね」
とほほ、と嘆息して、しかしリィルは、まだどこか迷ったような表情を見せた。
「私は……。でも…」
「リィルちゃんが何を悩んでるのか、あたしにはわからないけど、でも、あたしはリィルちゃんが一緒にいてくれたら、嬉しいよ? もしリィルちゃんが困ってるなら、あたしはきっと、リィルちゃんの力になるよ」
「おお、珍しくロッティが良いこと言ってら」
「はいはい、茶化さないの」
グレイの頭を小突くアルフは、それからリィルに向かって視線を戻し、真っ直ぐに、清んだ蒼色の瞳を見る。
「リィル、君はここに居ていいんだ。レーヴェティアに──レーヴェティア騎士団に、居ていいんだよ。と言うか、オレ達はもう、リィルは仲間だと思ってるしね。君が何かに困ったなら、オレ達は君を全力で助けるよ」
「そうだな。自分で言うのも何だけどよ、オレ等はけっこー力になると思うぜ?」
「これで問題を起こさなければ文句無しなんだがな…」
「うへぇ団長、そこは言わないお約束だぜー。ほら、手の掛かる子程何とやらって言うじゃねぇか」
「あなた達の場合は、その言葉を当て嵌めるにはちょっと問題が有りすぎますけれどね」
「……何も言えねぇ…」
「んもう! グレイのせいで逸れちゃったじゃんかぁ!」
ポカポカとグレイを叩くロッティ。そこからはみんなが口々に褒めたり、貶したり、冗談を言い合ったり。
とても温かな関係だと、リィルは感じた。何もない彼女にとって、それは眩しいくらいの陽だまりのようで、そこに行きたい、そこに居たいと、そう思わせる。
そう、彼女は渇望していた。そんな温かな居場所を。自分を認めてくれて、赦してくれて、受け止めてくれる、そんな居場所を。
だから──
「ラーノルドさん、私は…ここに居たいです…」
──彼女はそう、口にした。
「……リィル」
彼女の言葉に、それまで喋っていたアルフ達は口を閉ざし、そしてラーノルドだけが言葉を発する。
「──ラーノルドさんじゃなく、団長な」
いつもの決まり文句。それは、リィルがここに居ることを──レーヴェティア騎士団に入ることを、認めた証だ。
こうして、リィル・フリックリアは、正式にレーヴェティア騎士団に、延いては『勝利の御旗』へと加わったのだった。
──斯くして、運命の歯車は動き出す。それは、破滅へと至る世界で繰り広げられる物語。
──ある者は、残酷なる運命を課せられ。
──ある者は、世界の真の在り方に惑い。
──ある者は、共に在るために戦い続け。
──ある者は、全てを賭して運命に抗い。
──ある者は、全てを終わらせるために。
──ある者は、元居た場所へ還るために。