10 長期休暇は霧散する
「おっはよーアルフ! いい夕方だね!」
「……」
西陽の眩しさに顔をしかめながら、アルフは目を覚ました。その直後にそう声を掛けられ、寝ぼけ眼で見れば、すぐそばにロッティの顔があった。
自分と同じようにベッドに横になっているようだ。
「何してるんだ?」
「アルフの寝顔を眺めてた!」
それは見ての通りだ。そうではなく──
「何でお前が隣に寝てるのさ?」
「えー、いいじゃん。細かい事気にしなーい!」
擬音が付きそうな程にニッコリと笑うロッティ。アルフは手をロッティの方に持ち上げていく。
「……ふむ」
「やんアルフってば大胆……って痛ぁあぁああああぁあああ!!」
抱き締められるとでも思ったのか、そんな間抜け面のロッティの顔面にアイアンクローをかましながら、アルフは自身の記憶を辿っていく。
アルフが眠りに落ちたのは、日も昇り、どころか街が活気付いた頃だった。
あの後リィルとロッティを部屋に連れていき、リィルの手を治療した後、今度は浴場前に戻って状況の報告。グレイは余計に面倒事が起こりそうなので部屋へ返した。
結果、何から何までアルフが行うことになり、ようやっと自室に戻った時にはもうすぐ正午になろうか、というタイミングだった。既に24時間を越えて稼動し続け、かつ直前まで10日間遠征していたアルフの体力は底をついており、戻るなりベッドに飛び込んでそのまま眠りに落ちた。
オレンジに染まった室内、そしてロッティの発言から、随分とよく眠っていたらしいと、アルフはロッティの顔を掴んだまま、上体を起こして小さく伸びをする。凝り固まった身体が解され、気持ちがいい。
「痛いよアルフってばぁあ! ごめん! 本当は団長に呼ばれたから起こしに来たんだよーっ!」
「うん、素直でよろしい」
ようやく解放されたロッティは身体を起こして、両手でこめかみの辺りを揉んでいる。
「うう…痛い…」
「余計な事をするからだろ」
今度は唸りながらもう一度大きく伸びをし、ようやくアルフは完全に覚醒した意識でロッティの言葉を理解する。明け方の襲撃の件だろう。報告は済んでいるのだが、まあ、大方は予想出来る。
また面倒になりそうだな、とアルフは嘆息する。
「おはようロッティ。二度寝していい?」
「やだよあたしが怒られちゃうじゃん!」
「たまにはいいじゃん。いつもオレが巻き込まれているんだし」
「えー、でもでも、もうグレイもリィルちゃんも団長室に向かってるんだよー?」
「そういうことなら起きないわけにはいかないか。用意するよ」
「あい、着替えそこに置いといたよー」
「さんきゅ」
洗面所で顔を洗い、ロッティの用意してくれていた服に着替えるアルフ。今更着替えを見られる事など、大して気にならない、アルフとロッティは、幼少期からの仲だ。そんなことで恥ずかしがるような関係ではなかった。
寝癖を直して歯を磨いて、おおよそ起床から10分程で身支度を終えたアルフは、待っていたロッティと一緒に部屋を出て、団長室に向けて歩き出した。
「そう言えば、リィルの手はもう大丈夫そう?」
「問題無いみたいだよー。あたしが寝ちゃってる間に大変だったみたいだね」
「まあね。おおよそそれ関連の話だよきっと。もう何か聞いてるのか?」
「んーん、まだ。でも逃がしちゃって良かったの? リィルちゃんも気にしてたけど」
首を傾げながらリィルと同じ事を問うロッティ。
逃げられた、ではなく、逃がした、と言うロッティ。被害や状況を掻い摘まんでリィルから聞いたロッティは、内容からアルフ達がわざと逃がしたのであろう事を悟っていた。というよりも、アルフの事を疑っていない、と言った方が良いのか。
アルフは笑って返答する。
「いいんだよこれで。その辺も、叔父さんの所に行けばわかると思うよ」
「ん、そっか。あいあいさー!」
ロッティは深く聞こうとせず、アルフと並んで廊下を歩く。
それは、全幅の信頼だ。最早ただの仲間内を凌駕するだけの、揺るぎ無い信頼。けれど、それがアルフとロッティにとっては当たり前だった。
それからは他愛もない話をしているうちに、いつの間にか団長室の前に辿り着いていた。ノックをし、それから戸を開けて入室するアルフ。
いつものように室内奥の椅子に座って、何やら忙しそうに机の上の書類と睨めっこをするラーノルド。そして、その机の前に備え付けられたソファに腰掛け、お茶請けを楽しんでいるグレイ。グレイと向かい合う位置にやや所在無さげに座り、控えめな感じに紅茶を啜るリィル。
そして、柔らかな微笑みを浮かべて、壁際の本棚の前に立っているレーレ。
「ごめん、遅くなった」
室内にいた4人に向けてそう言ったアルフは、グレイの横に腰掛ける。ロッティはリィルの横に座った。
「よお、よく休めたか?」
「まあね。もっと早く起こしてくれても良かったのに」
「流石にお前も疲れていたろう、アルフ。ゆっくり休ませてやろうと思ってな。それに、こちらは別に急ぎというわけでもないからな」
ラーノルドがそう言って、机に向けていた視線をアルフに移す。その顔からは昨日の痛烈な悲壮感の色が無くなっている。流石にレーヴェティアの団長ともなれば、いつまでも沈痛な面持ちでいるわけにはいかない。
過ぎてしまったことはどうしようもないし、求められるのは後悔ではなく、対応だ。ラーノルドは既に粗方の問題の対応を完了しており、今は昨日のリィルによる隊舎破壊の件の対応資料を纏めているところだった。
「やっぱりか、叔父さんも思い切った事をするよね」
「まあな。それと、叔父さんではなく団長な」
いつもの軽口を交わすアルフとラーノルド。そのアルフの目の前に、レーレが注いだばかりの紅茶の入ったカップを置く。お礼を言って一口。口内を潤して、それからアルフは本題を切り出した。
「呼ばれたのは、明け方の件について、ですよね?」
叔父との会話ではなく、騎士とその団長としての会話に移行したアルフは、真剣な顔を作ってそう言った。対しラーノルドも、その表情から笑みを消す。
「ああ、その通りだ。本日未明、レーヴェティア所属の騎士、ガイル・ノルタム、ウルド・グラスタの2名が、重要文書保管室に侵入。両名は、室内に保管されていた文書を持ち出し逃走した」
「ええー、それ大事件じゃん! やっぱり逃がしちゃ不味かったんじゃないのアルフ?」
そう言ってそわそわとアルフとラーノルドの顔に視線を行ったり来たりさせるロッティ。見ればリィルも不安そうな表情だ。
「落ち着けって、大丈夫だよ。わざと保管室に侵入させたんですよね、団長?」
「……うん?」
疑問符を浮かべるロッティを見て、ラーノルドはため息をついた。
「この街に来たばかりの彼女はわかるが、なんだ、お前は気付かんのか…」
「おいおいロッティよー、ガイルとウルドのこたぁお前も知ってんだろ?」
「んー、あー…えっと、あ、思い出した。確か自尊心ばっか強いくせにいざという時にまるで頼りにならない、文句ばっかり言ってる、万年Eランクのド底辺の人達だっけ?」
「……容赦ないな…」
グレイの言葉に対して、あまりに率直過ぎる意見を言うロッティに、アルフは苦笑する。……まあ、アルフとしてもそれについてフォローするつもりはないのだが。
件の2人は、何かとアルフ達『勝利の御旗』にいちゃもんを付けてくる輩なのだが、それにしてはあまりに関心が無さすぎるロッティであった。
「たはは、オレもそれにゃ同意件だな。んで、そんな奴等が、そう簡単に重要な文書を管理してるような部屋に入れると思うか? 普通返り討ちに遭うだろうし、つかオレ等んとこ来る以前に捕まるだろ」
「あー、確かに」
「あの木箱を見たときにピンと来てね。あの箱には封印指定の印が刷ってあったし。わざと盗ませて、裏にいる奴を引きずり出そうってことだろうな、と。ですよね?」
「ああ。どうにも少し前から怪しい動きの予兆があったからな。レーレに命じて、あの部屋の文書はそっくり偽物にすげ替えさせた。その上で、わざわざシフトを調節して、警備も若干手薄にしてな」
「じゃあ、あの人達は偽物を掴まされたってことね…」
「そ。だから逃がしたんだ」
リィルが納得したように頷き、横でロッティも「ほー」と感心したような声をあげている。
そんなロッティを半眼で見て、
「てかよ、腐っても普段あそこを護ってるのはヴェルタジオの人間だぜ? 普通なら、あの程度の眠り薬が通用するかっての…」
と、グレイが嘆息する。
ヴェルタジオの名を語るグレイは、どこか吐き捨てる感じだった。ヴェルタジオ家は、レーヴェティアでも名のある法術の名家だ。にも拘わらず、グレイには法術のセンスが恐ろしく欠如している。
名家に生まれついた落ちこぼれとして、グレイは一族から勘当され、以来確執が残っている。
とはいえ、いくら勘当されたと言っても、自分の出身の一族がどんなものか、グレイはよく理解している。
法術に強いヴェルタジオ家は、勿論の事、自身の肉体を強化する法術にも造詣が深い。あの程度の眠り薬なら、何ら問題無いだろう。
「うん? あれ、でも、じゃあ何でアルフは眠り薬が効いてなかったの? アルフもその、ヴェルタジオ家の関係者なの?」
はて、とリィルが小首を傾げながらアルフに問い掛ける。確かに、それは当然の疑問だ。
ヴェルタジオ家のグレイはわかる。じゃあ、アルフはどうなのか。
そもそも普通の人間なら、眠り薬を無害化するなんてことは出来ない。確かに敵の魔法を、魔力を纏って防御するような法術は存在するが、呼気として取り入れてしまう類いの毒や薬を防ぐ等、通常出来はしない。
そして、そんなことが出来るなら、リィルはわざわざ自分の指をへし折る必要はなかったのだから。
問われたアルフは、あー、と唸って、それからチラリとラーノルド、レーレ、グレイと順に視線を移していく。
ラーノルドは呆れた表情、レーレは苦笑、そしてグレイが肩を透かして「構わない」とジェスチャーをする。
それを受けて、アルフは疑問に解答する。
「前にグレイが、『ヴェルタジオ家の秘術なんか糞食らえだ! お前も知っときゃいつか役に立つぜ!』とか言ってさ、半ば無理矢理教え込まれたんだよ」
「……ハア…。聞かなかった事にしよう」
「あらあら、うふふ」
およそ予想通りの反応をする両名は、それでも視線で「何をしているんだ」とグレイに訴えかけるが、当の本人はあっけらかんとしていた。
「いいじゃねぇかよ減るもんじゃなし。ってか、今回はそのお陰でリィルは小指の骨折で済んだんだぜ? 寧ろよくやったって褒められるとこだろ!?」
一理あるから困ったものだった。
「つーかよ、それを言うなら、レーレさんだってそうだろ? レーレさんも一枚噛んでたんなら、何で出くわすだろう時間にあんな場所掃除させたんだっての」
「うふふ、グレイは言わずもがな、アルフがグレイに教わっていたのは知っていましたからね。その辺り悟い2人なら、むしろ適任かと思ったのです。あまりにすんなり行きすぎるのも怪しまれるでしょうから。それに、ロッティはもう少し早くごねて魔法を使うと思っていたのですが……存外に、リィルさんの存在が大きかったようですね。私も詰めがまだまだ甘いようですね」
──ロッティがごねて魔法を使い出すことまで計算尽くであった。もしレーレの想定通りに、もっと早くロッティが魔法を使いだしていれば、それこそ出くわすタイミングにはもう夢の中だっただろう。
本当に、いつまで立ってもレーレを出し抜くこと等出来そうもない、とアルフは思った。
それはともかく──。
「さて、話を戻すが、現在、『朝霧の牙』に追跡をさせている。街から抜けて、そのまま西へ向かっているとの報告があった」
『朝霧の牙』と呼ばれるチームは、30代男性4人組のベテラン騎士のチームだ。Bランクが1名、Cランクが1名、Dランクが2名で構成されるこのチームは、戦闘能力自体は高くなく、寧ろ低いくらいで、真っ当に戦闘力で評価するならば、メンバー全員共にEランク相当の実力だ。アルフ達の方が余程強い。
だが、このチーム、こと感知と情報収集にかけて異常に突出しており、レーヴェティアではその分野において随一のチームでもある。その能力を評価されてのランクだ。
故に、このチームが活躍するのは、専ら対人依頼である。
「ホント忍者みてぇな人等だな。にんにん」
「ニンジャ?」
「何でもねぇ、こっちの話」
聞き慣れぬ言葉に疑問を呈したアルフをはぐらかして、グレイは続ける。
「何にしても、あの人達なら適任じゃねぇの? あの人達からはオレも逃げられる気がしねぇし」
「何で逃げる前提なんだお前は…。ごほん、追跡中の者は、件の2名に加えて、逃走を手引きしたと思われる人物の計3名。魔導式情報端末は街中に放置されていてな…。魔導レーダーによる追跡は出来ん。『朝霧の牙』からの情報待ち、と言った具合だ」
「流石に魔導式情報端末を持ったまま逃げるほど馬鹿じゃないか…。人の魔力も魔導レーダーで捉えられればもっと楽なのにね。何とかならないもんかなぁ」
「今後の課題だな。述べた通り今は情報待ちの状況だが、そう遠くない内に目的地も割れるだろう。そこで、だ。お前達をここへ呼んだ理由に繋がる。特別依頼だ。目標を捕縛してほしい」
「やっぱりかー…」
「ふっ、これはお前達が適任だろう?」
「まあね」
小さく笑みを浮かべたラーノルドに、アルフは嘆息する。あれ、街に戻ったら長めの休みをくれるって言ってなかったっけ、と。
その内心を見透かしたように、ラーノルドは悪戯っぽく口の端を吊り上げる。
「本当は休ませてやりたいところなんだが、昨日の件、まさか忘れた訳ではあるまいな?」
「う……それを突かれると頭が痛いな」
グレイのセクハラによってリィルが破壊したドア、廊下、壁。その弁償費は、チームとして請け負うことになっている。
「この仕事、実入りは保証するぞ」
「……了解」
もう何とでもなれ、と言わんばかりに、心の瞳で大泣きするアルフは、振り切れたような笑みを浮かべる。
「それで、どこまでやっていいんですか?」
「徹底的に、だ。2度とうちにちょっかいを出す気が無くなる程度にやってくれて構わん」
よし、そういうことなら、この貯まりに貯まった鬱憤を存分に晴らしてやろう。アルフはそう心の中でほくそ笑む。
「おー! そういうのあたし大好き!」
「おっしゃ! 壊しまくるぜー!」
ロッティとグレイも、実に乗り気のようだった。
ようし、やってやろう。この依頼で存分にストレスを解消するんだ。
「ただし! 近隣の街や村に被害を出すなよ。絶対に、だ! もう勘弁してくれ…」
「「「「……」」」」
流石に正面切ってラーノルドの悲痛な表情を見ると、何も言えなくなる『苛烈なる問題児』だった。