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終焉の始まり

 大きく西に傾いた太陽が、空に朱を広げ、見渡す限りが紅蓮に染まっている。もう幾ばくもなく、太陽は西の地平線へと没するだろう。

 あまりに鮮やかすぎる夕陽の光は、美しさよりも不気味さを先行させていた。


 恐らく元は神殿か何かであっただろうその場所は、一言で表すならば、廃墟だった。天井は既に存在せず、瓦解した壁は本来の役目を失い、今はただの瓦礫と化している。

 だが、その場所には何百という人が集まっていた。


 恐怖や怒り、憤り、焦燥といった色を濃く映す表情の彼等は、まるで何かを囲むように広がっている。


 その中心には、1つの人影があった。

 やや赤みがかった黒髪の、年の頃は16歳程だろう、中性的な顔立ちの少年だ。


 磔にされ、身体中から夥しい量の鮮血を撒き散らし、ひび割れた石畳を紅く染めるその少年は、悲鳴さえあげずにその状況を甘んじていた。



 怒号と共に、1つ、また1つと、それらは放たれる。その度に、少年の身体は焼け、貫かれ、凍りついていく。

 少年によってもたらされた力が、少年を傷つけていく。


 何度も、幾度も、幾重にも。


 端から見れば、どうあってもその少年は致命傷だったし、どころか生きていることさえ信じられない程だ。皮膚は裂け、肉が削がれ、骨を剥き出しにされ、臓物すらも溢れ出さんとしている。しかし、それでもなお、けれどもなお、少年は生きていた。


 傷つく側から傷が塞がり、また開く。最早、その繰り返しが数時間と続いている。



「ば…化物……」


 だからこそ、人々は恐怖した。不死とも思える少年を。



「何で死なねぇんだよッ…!」


 だからこそ、人々は憤怒した。数多の致命の攻撃を受けてなお耐え続けるその少年に。



「何なんだよ、お前は……!」


 だからこそ、人々は戦慄した。同じ姿を持ちながら、自分達とは決定的に異なる少年を。



「もう…やめてくれ……」


 だからこそ、人々は嫌悪した。罪のない少年に危害を加えている、自分自身に。



 そう、その少年に罪はない。少年は、人々の都合によって召喚され、それでも多くの恩恵をもたらした。彼がいたからこそ、魔法は広く一般的なものとなった。

 その、彼によってもたらされた魔法が、今、彼を傷つけていた。


 異質だから。異端だから。異常だから。

 人の業によって喚び寄せられ、人の業によって殺される。



 少年に罪はない。だが、少年の存在は罪だった。彼が来た(・・)ことで多くのものが手に入ったが、同時に彼がいる(・・)ことによって、歪みが生じている。


 それは、極々小さな穴を開けた風船から僅かずつ空気が漏れていくように、燃焼が続き溶けていく蝋燭(ろうそく)のように、少しずつ、だが確実に、顕著に進行していく。


 始めはそれに気付かなかった。恩恵があまりに大きすぎて、その対価の支払いがあまりにも緩やかすぎて。

 だから、気付いたときには遅かった。その歪みは、世界を蝕んでいた。



 解消する手立てがあるとすれば、それは1つ。ある男が言ったのだ。

 この状況を招いた元凶を取り除く以外にない、と。

 則ち、少年を殺すしかないと。


 故に少年は、身勝手な願望によって利用され、責任を擦り付けられ、殺されようとしている。



 それにも拘わらず、少年は嘆かなかった。怒らなかった。まるで非のない罪によって裁かれようとしているのに、その命が潰えようとしているのに、少年は抵抗しなかった。

 彼がその気になれば、こんな磔はまるで意味を為さないというのに。



 いつの間にか、紅蓮だったはずの空には闇色が混じり始め、陽光は地平線へとその姿を隠そうとしていた、その頃だった。人々の攻撃が功を奏したのは。


 何時間にも及ぶ攻撃により、治癒より僅かに大きいダメージが蓄積していき、そしてとうとうその時が訪れた。



 無数の魔法が炸裂し、少年の生は幕を降ろした。

 肉片と化した少年を前に、誰しもが言葉を失った。



 歪みの元凶を取り除くことが出来た歓喜に。

 罪もない少年の命を奪った罪悪感に。

 唐突な幕切れへの空虚感に。



 だが、それも束の間だった。

 少年だった肉塊が、唐突に黒い光をあげ、そして霧散した。

 既に言葉が無かった人々は、その事態に時間すら忘れたかのように、誰しもが唖然と目を向けた。


 少年がいたはずの、少年だったものが転がっていたはずの、その生々しさだけが残る紅い石畳を。

 誰もが答えを求め、堰を切ったように疑問を口にするが、誰しもにそれを説明する言葉は浮かばない。


 たっぷり10分程口々に問答を続けていた人々の中で、誰かが小さく声を漏らした。目線を追っていくと、そこは先程まで少年がいたはずの場所だった。

 そこに、黒い光の球体が現れていた。


 濃密な闇を孕む、この世の全ての暗闇を濃縮したような、暗黒色の球体。呆然と見つめる人々を嘲笑うように、瞬間、それは弾けた。


 視認すらできず、感知すら叶わない程あっという間に広がったその闇に、人々は呑まれていく。廃墟を越え、衰退した野を越え、山を、川を、あらゆるものを越えて、闇は広がった。


 闇は、大陸全土を呑み込んで、さらに周りの海すらも取り込んで、ようやっと勢いを失った。

 闇の光が消えたその大地は、まるで時間が停止したかのように、全てが止まっていた。



 遅かったのだ。彼を喚び寄せてしまった時点で、既に世界は取り返しのつかない歪みを内包してしまっていた。

 その結果、人類の歴史から、1つの大陸が失われたことを、人類は後々に知ることになる。


 そして、その日地上全土を満たした黒い雨が、何を招くのかを、人類はより取り返しのつかないレベルになってから、知ることとなる。



 この世界に召喚された少年──『赤月 玲』が処刑されて数百年後、世界は滅びの危機に瀕していた。

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