カニモン!オド欠乏!
『海底遺跡』はひんやりとした静寂に包まれている。
だが、清浄で静寂というイメージは、すぐにそれが間違いだと気付かされる。
うぞうぞと岩場から出てくるのはカニ型のデカいモンスターだ。
かなり広い空間だから、岩場になっている場所があちこちにある。
カニ型モンスターは、何故か大バサミが触手のようになっていて、ムチのように大バサミを振るってくる。
動き自体は遅いが、蒼白い甲殻は相当硬い上にムチのように振るわれる大バサミは早い。
黒い拳大の目玉は全方位を映すらしく、クーシャの、大荷物のくびきから解き放たれた超高速移動攻撃にも対応しようとする。いや、出来てはいないが、認識はしているらしい。
俺は岩陰に潜んで、見守っている。
さすがに、上級ダンジョンとなると、クーシャの戦闘中は俺の休憩時間、という訳にもいかず。
潜んでいるのがバレたら逃げるくらいはしないといけない。
「意外と数が隠れてたね。少し長丁場になるよ!」
俺から見えるだけで十数匹はいるだろうか。
あれだけ大バサミをぶんぶん振り回していて、お互いに絡まったりしないのが不思議だ。
巨大カニ型モンスターは、俺を認識すると一度、大バサミを引っ込める。それから、改めて俺を狙ってくるのだが、そこはクーシャから説明を受けている。
おっと、また、カニ型モンスター、略してカニモンに見つかった。
まだ、正式名称が付いていないらしい。
一匹が大バサミを引っ込めて、微妙に斜め移動を駆使して近づいてくる。
俺はコソコソとカニモンの正面を取りながら距離を離す。
カニモンの正面に対する動きは遅いので、触手大バサミの射程さえ理解していれば、逃げ回ること自体は容易だ。
「大丈夫!?」
「ああ、一匹、二匹から逃げ回るだけなら、まったく問題ない!
こいつら、俺より遅いからな!」
クーシャは俺を狙うカニモンを引き付けようと、そいつに飛ぶ斬撃、オーラソードを放つ。
オーラソードは体内オドを剣に乗せることで使える。
臍下、指三本くらいの位置を意識して、そこに回転のイメージを持つ。
その回転イメージを球にして、身体の中心線をなぞるように上げていき、頭頂部まで来たら、今度は下げるように腕まで通す。
さらにイメージを手のひらから放出する感じにすると、斬撃を飛ばせるという話だ。
この話を聞いた時、俺は驚いた。
簡単に言えば、オド不足で魔術を使用しようとした時、自身の生命力がこの経路を通る。
たくさんの失敗から学んだ俺の感覚と酷似している。
それならばと、道すがら試してみるべく、アルの剣を手にイメージを作る。
……感覚は分かっているんだ。後は集中力の問題だな。
と、結論に至った。歩きながらって難しい……。
そんなオーラソードをクーシャは走って、飛んで、時には転がりながら放つ。
飛ぶ斬撃、オーラソードはカニモンの硬い甲殻すら断ち切る。
しかし、オーラソードは体内オドを素としている。
つまり、使い過ぎれば生命に危険が及ぶ技だということだ。
「ぐふっ……」
いきなりクーシャが血反吐を吹く。
真っ白な装備に点々と赤が描かれていく。
「クーシャ!」
残りのカニモンは三匹というところで、クーシャの限界が来た。
「だ、だいじょ……ぶっ……」
いや、ダメだろ!血が溢れかえってるじゃん!
人間の場合、体内オドは血に宿ると言われている。
体内オドを失った血は、気枯れとなり、身体を蝕む。
少量なら怠さや気分の悪さ、吐き気などで済むが、これの量が増えるとクーシャのようになる。
たぶん、今は立っているのも辛いはずだ。
「一度、撤退しよう!」
俺は『光』の芋ん章魔術を抜いて、破る。
即席フラッシュ攻撃だ。
上級ダンジョンでどこまで効果があるかは、正直、微妙なところだ。
クーシャが剣を杖代わりに立とうと下を向いている隙を使って放ったから、クーシャに影響はないはずだ。
カニモンが黒い目玉を身体に埋め込む。同時に口から泡を吹き始める。大バサミも地面に落ちてる。
苦しんでる……のか?
とにかく、今の内だ。
クーシャに肩を貸して、逃げようとクーシャのところに走る。
ところが、クーシャは俺が走り寄る間際に、飛んだ。
カニモンが引っ込めた目玉の辺りに降り立つと、そのままカニモンの口の中に剣を突き立てる。
それを都合三回。
最後の一匹から剣を引き抜くと、カニモンと同時にクーシャも倒れた。
「クーシャ!」
俺は慌てて、クーシャを抱き起こす。
「ベルくん、ありがとう……もっと早くから頼っておけば良かったね……」
「いや、俺の魔術がどこまで効果があるか、分からなかったしな。
『ディープパープル』が凄すぎて、俺もちょっと出し惜しみした。……すまん」
俺は話しながらも、懐から魔宝石を出す。
「これ、舐めとけ!」
オド欠乏に陥った時、高純度のオドの塊を口に含ませることで、多少症状が緩和することが分かっている。
これも偉大なるじいちゃんの弟子たち、もちろん、じいちゃんは無茶振りする人であって、偉大なのは弟子たちだが……その偉大なるじいちゃんの弟子たちが発見した対処療法を施す。
血を吐いているので、身体は横向きにクーシャを寝かせておく。
「ごめん……僕の剣を拭いておいてもらえるかな……」
弱々しく笑いながらクーシャが言う。
どうやらカニモンの泡には金属を腐食させる性質があるらしい。
俺は言われた通りにクーシャの剣の汚れを拭う。
その間、クーシャはぐったりと寝ている。
クーシャの剣は薄らと赤金色の輝きを放っている。
たぶん、魔法金属なのだろう。
オリハルコンやヒヒイロカネとも呼ばれる神鉱石だろう。
高価な上に、あまりに稀少なので、一般には手に入らないものだ。
これだけでひと財産になる。
こういうのを見ると、超級冒険者というのを実感させられるな。
だが、俺が気になるのは、その重さだった。
軽い。
俺が持つアルの数打品の剣の三分の一程度の重さだろうか。
「これくらい軽かったら楽だよな……」
「う……なに……?」
クーシャはまだ酷い倦怠感に苛まれているだろうに、律儀に返事をしようとする。
「もう少し、休んでろよ……オド欠乏はかなり辛いはずだろ……」
「ごめん……」
「ポーションがあれば良かったんだけどな……」
「ポーション?」
「ああ、ポーションは生命力を賦活する力がある。
オド欠乏にも効果があるんだ」
「……ある」
「あるのかよ!」
クーシャの荷物を漁れば、確かに緑色に光るポーションがあった。
体内の血が吹き出す元になった傷も癒えるし、オド欠乏もかなり改善するので、きっちりとクーシャに飲ませる。
「……あ、確かに楽になるね」
「いや、超級冒険者……」
俺はかなり呆れた顔をしていると思う。
「傷に効く薬で、ダンジョン内では貴重な甘味って認識だったけど、オド欠乏にも効くんだね……」
貴重な甘味って……何回聞いても、俺の耳が慣れることはないだろうな。
そう考えていると、クーシャが続ける。
「まあ、そもそもオーラソードに限界があるって知らなかったけど……」
「いや、今までは連発したことなかったのかよ!」
「うん。一人の時はオーラソードなんて、滅多に使わないから……」
あれ?そうなのか。
オーラソード、使えたら便利だと思うんだが……。
「敵と距離がある時は?」
「近づいて斬る?」
ああ、そりゃそうか。
「じゃあ、今回みたいに数が多い時は?」
「逃げる?」
「いや、逃げてないじゃん!」
「ああ、今回は二層に続く道がここしかなかったから……。
普段はおびき寄せて、少しずつ倒したり、やっぱり逃げたりかな……?」
「今回の目的って『モンスタールーム』の殲滅じゃなかったか?」
「うん。拠点に使ってた比較的安全な場所のはずだったんだけど、この前『海底遺跡』に構造変化が起きて、急に『モンスタールーム』になっちゃったから、生活用具とか予備武器とか、全部置きっぱなしで……」
「いや、拠点にするなら『安全地帯』使えよ!」
「えっ!?五層まで生活用具運ぶのはまだ無理だよ……」
そうか、『海底遺跡』だと五層まで行かないと『安全地帯』はないのか。
クーシャの話では六層まで行けるらしいが、まだ完全に把握したとは言えない状況ということだろう。
それにしても、一層のカニモンであれだけ苦労したのだ。
二層の『モンスタールーム』はなんとかなるのかよ?
俺が頭を悩ませていると、クーシャが笑いながら教えてくれる。
「『モンスタールーム』のこと考えてる?」
「ああ……」
「あのカニみたいなやつは、『海底遺跡』内でもレアモンスターだから、『モンスタールーム』はもっと楽だよ」
「ああ、そうなのか!」
「さて、おかげでかなり楽になったよ。そろそろ行こう!」
クーシャに大丈夫かと聞くのは愚問だろう。
荷物持ちはついていくだけだ。
クーシャは、もう何事もなかったように前を歩く。
少し距離が開いたところで、アルが俺の袖を引く。
「……ねぇ、あのカニみたいなやつ、一回逃げて、少しずつおびき寄せて倒せば良かったんじゃないの?」
ああ、アルには分からなかったか。
俺は小声で答える。
「俺のせいで、それはできなかったんだよ……」
「え?」
「この広い空間だから、俺は逃げられた。
あのカニモン共は横移動は早いからな。下手に狭い通路に入ったら、正面が取れなくて俺は終わりだよ……。
クーシャはそれが分かってたから、無理してあそこで戦ってたんだよ……」
「じゃあ、ベルのために……」
「そ、関係ない横道に入って、他のモンスターと挟撃されてもまずいしな……」
「ちゃんとお礼言わなきゃダメじゃん!」
「だから、貴重な魔宝石くれてやったろ。
それに、クーシャはそんなこと言わなかっただろ?
俺にそういう負担を掛けたくないから、何も言わずにクーシャは戦ったんだよ。
俺がクーシャにお礼なんか言ったら、クーシャの気遣いがだいなしだよ……」
「はあ?男の子ってたまにあるよね、そういう訳分かんないとこ……」
「ま、アルには分かんねえだろうな。男同士だから分かる友情ってやつだよ……」
俺はニヒルに笑う。
その後ろでアルとアルファが「分かる?」「分からないです?」とか言っているが、無視しておく。
「おーい、ベルくん、行くよー!」
クーシャの呼びかけに、俺は「おう!」と答えるのだった。