アステル!ナイトメア!
「結局のところ、アレは好きにやれってことなのか?
……というか、もう宣伝としか思えないんだが……」
誰に聞かせるでもなく、一人、思ったことをぶつぶつと呟きながら馬車へと向かう俺。
アルもアルファも静かなもんだ。
まあ、掛ける言葉ご見つからないとか、放っておくのが一番だと思っているのか、分からないが、何か言われたところで俺も答えようがないから、これが最善なのかもしれない。
『黒のロマンサーへの私信』ははっきり言って、情報が足りないから棚上げしとくしかないというのが、正直な感想だ。
まあ、おそらく『俺』宛ての私信というのは『ゲームキング』の名前が出たことで、信ぴょう性が出てきたけどな。
「おや、ヴェイルさん、おはようございます……」
「あ、カモっさん。おはようございます……」
馬車に向かう途中、カモっさんに出会う。
確か、カモっさんは昨日、ダインたちと飲みに行ったはず。
「冒険者の集まる酒場はどうでした?」
「ええ、なかなかに刺激的でしたよ……」
そんな会話をしつつ、ジェアルの馬車に乗り込む。
口々におはようございますと声を掛け合う。
と、馬車の中には見慣れぬ女性が一人、座っていた。
年の頃は十七、八だろうか。大きなメガネを掛けて、挨拶に交じることなく本を読んでいる。
紺色のローブを纏い、栗色のおかっぱ頭が膝上に載せた本に向けられているので、表情は窺い知れない。
ただ、やけに胸のでっぱりが大きくて、本が読み難そうだなと思う。
昨日までの俺なら、どんな本を読んでいるのか気になって、挙動不審になっていたかもしれないが、意味が薄いとはいえ新しい本を一冊読みきった俺に動揺はない。
しかも、まだ二冊もあるしな!
気にならないったら、気にならない!
彼女は三列目に座っているので、俺とカモっさんは半ば定位置と化した二列目に並んで座る。
馬車は街道をガラガラと進み始める。
彼女が持っていた本はそれほどしっかりした装丁ではなかったが、紙質は上等な物で、結構、いい物という印象を受ける。
チラと見えた文字は硬質で几帳面な感じだったから、もしかしたら魔導書かも知れない。
パラリ……ページをめくる音が俺の耳に入る。
ああ、昔の魔導士が書いた本だったりしたら、貴重なものかもしれないな……。
何系の本だろう……。
まあ、気にならないけどな!
まさか、『ゲームキング』の二巻なんてことは……。
いや、ないな。副神が書いた本ならもっと装丁がしっかりしているはずだ。
紙の普及が一般的になって、それなりに経つが、まだまだ本は高いのだ。
十七、八の女の子が簡単に買えるものではない。
冒険者には見えないから、どこかのお嬢様とかだろうか?
「どうかされましたか?先程から何やら落ち着かないようですが?」
カモっさんが聞いてくる。
「え、いや、別に……」
気にしてない。俺の後ろであの女の子が何を読んでいるのかなんて全然、気にならないね!
何しろ、俺にはまだ二冊も本がある。
カモっさんは声を潜めて、俺に言ってくる。
「もしかして、後ろの女性が気になりますか……?」
「へ?あ……ち、違……」
カモっさんはウインクひとつ。
後ろを向くと、声を掛ける。
「どちらまで行かれるんですか?」
「…………。」
「ああ、これは失礼しました。私はカーモッツという商人でして……女性の一人旅というのも珍しいと、つい声を掛けさせていただいたのです……」
「…………。」
女の子は何も答えることなく、パラリ、本をめくる音が響く。
「ああ、よろしければコレはウチで出してる携帯食糧なんですが、おひとついかがですかな?」
「…………。」
答えはなく。また、パラリ、ページをめくる。
カモっさんは、姿勢をいきなり元に戻すと、また声を潜める。
「なかなかに厳しいですな……」
「何が厳しいの……?」
トニーがナイショ話のトーンで聞いてくる。
男三人でコソコソとナイショ話って……なんとも間抜けな感じだ……。
「いえ、ヴェイルさんが後ろのお嬢さんを気にされてるようなので、亀の甲より、年の功、ひと肌脱ごうかと思ったんですが、フラれてしまいました……たはは……」
「いや、カモっさん、そういうのじゃなくて……」
「なるほど!仲良し大作戦だね……!」
「うん、違うぞ、トニー……」
「任せて……!」
トニーは俺の言葉を最後まで聞かずに席を立つ。
おい、話聞けよ……。
トニーは、いきなり女の子の隣の席に座った。
「ねえ、お姉さん。ぼく、トニー!なんのご本読んでるの?」
おお、それ俺が聞きたかったやつ!
思わぬところでクリティカルヒットだ!
俺はつい、耳をそばだてる。
「……自分の席にお戻りなさい」
「トニーだよ!お姉さんのお名前は?」
「……今、私が何をしているか分かりますか?」
「ご本を読んでるんでしょ?」
「そうです。今の私はここに座りながらにして、貴方とは違う世界に立っているのです。すなわち、私はここにいません……」
「ええ?お姉さんはここにいるじゃん!どういうこと?」
「…………。」
うん。分かる。物語に没入するってそういうことだよな。
自分が聖騎士になったり、お姫様になったり、時には魔導士、時には商人……それは脳内に拡がるもうひとつの世界だ。
そういう時に、現実ってやつが押し寄せてくると世界と世界がケンカしたりするもんな……。
「ねえ、お姉さん……」
「トニー。ちょっとそっとしとこう……こっち来な……」
「でも、ベル兄ちゃん……」
「いいんだよ。お話するのは、お姉さんがここにいる時にしよう」
俺はトニーを呼び寄せて、自分の席に座らせる。
「ここにいるけど、いないってどういうこと?」
「うーん、例えばトニーは友達と聖騎士ごっこしたりするか?」
「うん、やるよ!悪いモンスターをやっつけて、困っているお姫様を助けるんだ!」
トニーは剣を持つフリをして、腕を動かす。ちょっと楽しそうだ。
「じゃあ、その悪いモンスターと戦っている時に、トニーは突然、聖騎士じゃなくなっちゃうんだ」
「えー、そんなのダメだよ!聖騎士はじゅんばんこにやりなさいってお母さん言ってたもん!」
「うん、そうだよな。聖騎士はお姫様を助けるとこまでやらないと、聖騎士じゃないもんな」
「うん!」
「今はお姉さんが聖騎士をやっているとこなんだ。途中で、聖騎士ごっこは終わりって言われたら、嫌だろ?」
「ご本を読むのが、聖騎士ごっこ?」
「そうだな……聖騎士ごっこかもしれないし、おままごとかもしれない。もしかしたら、違うお話かもしれないけど、今、お姉さんは聖騎士なんだ。邪魔しちゃ悪いだろ?」
「うん、それは騎士どーに反するね!」
騎士道な。今、トニーはすっかり聖騎士になっているらしい。
昔は俺もやらされたなぁ。主に『お姫様役』だが……。
『聖騎士役』はもちろんアルだ。
まあ、『お姫様役』はたまに「お助けください聖騎士様!」って言っておけば、後は本を読んでていい役だから、自分から立候補してたってのもある。
「今の私は、暗黒卿です……」
唐突に、すごく唐突に背後からボソリと呟かれた。
「ああ、『ダークナイト・外典』か……」
暗黒卿という言葉で、俺は理解する。
何しろ俺もハマったクチだからな。
『ダークナイト・外典』、暗黒卿ロストワルドが知性ある剣アールガートを手に、龍も神も魔も関係なく、全てを殺して世界の謎に立ち向かうダークファンタジーだ。
なるほど、あの装丁だと、原本じゃなさそうだが、一応、原本はダンジョン産の本だ。複製だとしても、それなりに人気があるので、結構お高い。
もちろん、家には原本がある。
ふむふむ、ようやく彼女が読んでいる本が分かった。
これで落ち着いた。と、思った矢先、聞き捨てならない言葉が飛んできた。
「ふふ……『ダークナイト・悪夢』です……」
勝ち誇ったような声。
ナイトメア?し、知らないぞ……。
思わず振り返る。
彼女は、目に怪しい光を湛えて、はっきりとこちらを見ていた。
「『ダークナイト・外典』その正統なる続編、それが『ダークナイト・悪夢』……」
「馬鹿な!どうせ、二次創作か、その類い……」
俺はつい『ダークナイト・外典』に出てくる雑魚キャラっぽい口調で話してしまう。
「ああ、どう思われるかに興味はない……。事実はただここにある……」
彼女もまた、暗黒卿っぽい口調で応じる。というか、まんまパクリの台詞だ。なりきりか!
指をしおり代わりに挟みこんで、俺の眼前にアールガートを突き出す暗黒卿……じゃなくて、本の表紙を見せる彼女。
そこには確かに『ダークナイト・悪夢』の文字が書かれている。
「し、信じるものか……その剣に我が鱗を突き通す力など、ある訳がない!」
これは『ダークナイト・外典』で龍の王が言う台詞だ。
つい、彼女のノリにあわせて、俺は口走る。
これに続くのは、知性ある剣、アールガートの台詞……。
「語るな龍の王よ……我はすでに鞘から抜き放たれた。
その意味を知れ!」
彼女はその『決め台詞』を合わせてきた。
ちくせう!完璧じゃねーか!
彼女は完全にアールガートの台詞を暗誦して見せた。
そこまでのダークナイトマニアが、正統なる続編だと言うからには、真偽は別にしてそれだけの面白さがあるということだろう。
「発見、されたのか……」
「ええ、一年ほど前に……まだ市場に出回るには少し掛かりますが、確かに本物ですよ……」
「ぐおおおお……読みてー!」
「あれ、さっきのもう終わり?」
トニーが俺たちを見ていた。
「先程はごめんなさいね……区切りのいいところまでは、読んでしまいたかったものだから……」
彼女は先程とは打って変わって、現実に戻ったのか、普通にトニーと会話していた。
「ううん。それよりも、今のもっとやってよ!」
「興味ありますか?」
「うん、なんか、かっこよかった!」
「じゃあ、掻い摘んで話してあげます。こちらへどうぞ……」
彼女はトニーを自分のとなりに呼んだ。
「うん!」
トニーは仔犬のように、となりの座席に座る。
俺はジーっと彼女を見る。
「貸しませんよ。まだ、私だって途中なんですから!」
「ちぇっ!」
「ああ、自己紹介がまだでしたね。アステル・ハロと申します」
「ヴェイルだ。ハロって、あのハロ家?」
「ええ、まあ……」
「ルフロ・ハロ製紙魔導院のハロ家ですか!?」
カモっさんが食いつく。
まあ、それもそうだろう。門外不出、製紙魔術を伝えるルフロ・ハロ製紙魔導院と言えば、ダンジョン産以外のほぼ全ての紙を作っている場所だ。貴族ではないが名字を名乗ることが許された特別な家だ。
まあ、家も貴族じゃないので、似たようなものだが、正直、格が違う。あと貯め込んでいる金額。
ということは、マジでお嬢様か。
「そうですね。大した家ではありませんが……」
いや、大した家だろ。
「そのハロ家のお嬢様がお一人で?」
「ええ、これでも腕には自信がありますから」
「冒険者には見えないが……?」
俺は素直に感想を言う。
「ええ、違いますよ。ですが、護身術は嗜んでおりますから……」
お嬢様らしい、華やかな笑顔だ。
「あー、ごほんっ!失礼かもしれないが、お館で学ばれる護身術と実戦では、大分違いがあると思うぞ……」
話に割り込んできたのは『赤いつつ』冒険者で、貴族の子息であるダインだ。
「俺も家で散々、剣術はやらされたが、冒険者になった時にその辺りは思い知らされたからな……。
ダイン・ソー。冒険者だ」
「まあ、ソー家と言えば、スペシャリエの貴族家の?」
「ああ、出来の悪い三男坊だがな……」
「いえ、『赤いつつ』冒険者と言えば中級冒険者。ご立派だと思いますよ。
ご心配はごもっともだと思いますが、私の護身術も実戦の中で磨いてきたものですから、決して口だけではありませんわ」
「出過ぎた発言であれば、済まなかった。
ただ、良家のお嬢様が護衛もなしに、というのは少し心配になったもんでな……」
「お心遣い、痛み入ります……」
「ねえ、さっきのつづきはー?」
トニーは固い話に飽きてしまったのか、暗黒卿の冒険をおねだりする。
「あら、ごめんなさいね……。それでは、暗黒卿のお話をしましょうか……」
「わーい!」
それから、アステルの暗黒卿話が夜になるまで続くのだった。
もちろん、俺も参加した。