ばったり!シチュー……。
『塔』に帰った俺は、魔石のオドが切れるようにベッドに倒れ込む。
アルの入った筒をベッドの脇にあるテーブルに置いて、謝っておく。
「ごめん……ちょっと限界だ……。
アルファ、最優先でアルのことを守ってくれ……」
前半はアルに、後半はアルファに向けてそう言って、俺は瞼を持ち上げられなくなった。
「かしこまりました、ご主人様。
おやすみなさいませ……」
アルファのそんな言葉を耳に入れつつ、俺の意識は遠のいた。
「……うあぁ……っふ。
今、どれくらいだ……?」
「おはようございます。
そろそろ陽が落ちますね……」
俺は大あくびをしながら、ベッドからもそもそと起き上がる。
独り言を呟いたつもりだが、アルファが答えてくる。
基本的にアンデッドに休息は必要ない。
アルファは俺が意識を飛ばす瞬間に命じた「アルを守れ」という命令をずっと続けていたらしい。
朝方に寝たので、昼間は丸々寝てしまったらしい。
ぐぅ〜……と、腹の虫が鳴る。
「まず、飯を食って、それからだな……」
俺はアルの入った筒を懐に仕舞うと台所へと向かう。
俺の部屋は『塔』の三階にある。
じいちゃんや母さんの部屋も同じく三階だ。
アルの部屋、というか客間は二階になる。
一階は台所、食糧庫、食堂、母さんの工房、応接室、教室と結構な部屋数がある。
四階より上は弟子の部屋なんかがある。
地下三階、地上七階の至るところは基本的に本で埋まっている。
部屋を出て、手持ちの灯り用魔導具に魔石をセットして、それで照らしながら階段を降りていく。
本の日焼けを避ける為、『塔』の窓はとても少ない。
二階から一階へと降りる階段の辺りで、何やらいい匂いがしてくる。
え?なんでだ?
台所に近付くと理由が分かる。
台所の扉から光と匂いが漏れている。
ついでに、くつくつと何かを煮込む音が聞こえてくる。
え?え?
母さんがこんなに早く戻って来る訳はないし、アルの母親であるリートさんや、アルのお姉さんのモニカさんは勝手に入ってくることはない。そもそも鍵は掛けた……よな?
あれ?疲れがピークだったから、掛けたとはっきり断言できない。
母さんかじいちゃんの弟子の誰かか?
鍵が掛かっていても、母さんの弟子はともかく、じいちゃんの弟子は入って来られる。
じいちゃんの運命共同体みたいなもんだから、全員出稼ぎに出ているはずだけど……。
と、考えていると台所の扉がガチャリと開いた。
「おお、ベルちゃんや!今、起こしに行こうとしとったとこじゃ!」
頭のてっぺんがツルリとしていて、そのくせ脇の白髪は長髪、繋がってしまった長い髭。眉毛が伸びて目の半分が隠れている。
絵本に出てきそうな魔導士然とした格好は、子供たちの夢を壊さぬために必要じゃろ、という理由でわざわざ脱色しているという俺のじいちゃん。
え?じいちゃん帰ってたのか……。
「お、おか……えり……じいちゃん……」
「おお、ただいま……。
元気にしとったか?」
「あ、うん……いつ?」
「昼頃に帰ったんじゃが、返事がないから寝てるんじゃと思うて、そのままにしといたんじゃ。
また、遅くまで本を読んどったんじゃろ?」
「え、あ……うん。そんなとこ……。
それよりもじいちゃん、帰るのってまだひと月くらい後って言ってなかった?」
「ああ、ポワレン坊ちゃんの説得にもう少し掛かるかと思っとったんじゃが、さすがベルちゃんの『芋ん章魔術』じゃな。
ちょいと騎士鎧に穴を空けて見せたら、新しい魔術体系としては認められんかったが、その有用性は充分と認められてな。
ポワレン坊ちゃんの親衛隊の制式装備にするちゅうて、王室御用達の看板と一千万ジンの報奨金を下賜くださることになったんじゃ!」
「い、一千万……」
じいちゃんの言う『ポワレン坊ちゃん』というのは今のコウス王国の王様のことだ。
じいちゃんは昔、若かりし日の王様の家庭教師をしていたとかで、未だに坊ちゃん呼びを許されている特殊な立場だ。
まあ、じいちゃんの発見した紋章魔術や、短縮化に成功した詠唱魔術で国にはかなり貢献しているから、王様としてもじいちゃんを信頼して、それだけの金額を出すことにしたのだろう。
俺が絶句していると、じいちゃんは台所の中へと俺を誘う。
台所の中には簡易なテーブルと椅子も用意してあるので、弟子や寺子屋の生徒がいない時は、わざわざ食堂に行かず、台所で飯を食うというのもままあることだ。
じいちゃんが用意したのはたっぷり野菜のシチューで、王都で買ってきた熟成大地牛の肉入りという豪勢なものだった。
「レイルはまだ帰らんのか?」
俺はじいちゃんのシチューを掻き込むように食べながら言う。
「ひと月前くらいに一回帰って、またすぐ向こうに戻ったよ。
あ、じいちゃんに見て欲しいって魔法陣、預かってるから後で見せるよ」
「おお、そうか!」
「空を飛ぶ魔術らしいよ。実際に少し浮くだけにしかならなくて、何が問題なのかが分からないって……」
「うむ、後で見てみよう……時にベルちゃんや……じいちゃんに何か言うことがあるんじゃないかな?」
じいちゃんは行儀良くシチューを口に運びつつ言う。
「ああ、美味しいよ、じいちゃん!
熟成肉って味がしっかりしてるんだね!」
「おお、そうか、そうか……買ってきた甲斐があったわい。
……それでな、ベルちゃんや。他にもあるじゃろ?」
じいちゃんがウィンクひとつ。
ああ!と俺は頷く。
「うん、実はオクトに協力してもらって、今、テイサイートの冒険者互助会で『芋ん章魔術』を異なる門から召喚する魔術『異門召魔術』として貸出す仕事をしてるんだ。
草の根的に拡がれば、新しい魔術体系として認可されやすくなるかと思ったんだけど、ちょっと遅かったね。
でも、有用性は王様も認めたんなら、バッチリだね!」
「おお、オクトくんか。なるほどな……」
そこから俺はオクトと出し合ったアイデアのことや、『火』以外の『光』『煙』『皿』『氷結』なんかを作ったこと、インクの作成、シャチハタハタの鰓を使った判子作りの話なんかを自慢げに語る。
じいちゃんもそれを聞きながら嬉しそうに肯いていた。
だが、ひと通り話し終えてから、じいちゃんはまた言った。
「うむ、それ以外にもまだあるじゃろ?」
「それ以外……うん。冒険者になった」
「ふむ。アルちゃんの影響かな?」
「うん……でも、アルの奴、死んだんだ……」
「な、なんじゃと!?」
俺は奥歯に物が挟まったように、つっかえつっかえアルが死んだ時の顛末を語る。
でも、アルは行方不明ってことにした。
母さんにも細かい話はしてないし、『ゼリ』のダンジョンで行方不明ってことにしとけば、ある日ひょっこりアルが帰ってきても、不自然でも一応、辻褄合わせはできるだろうから。
まあ、普通はダンジョンで行方不明なんて、死んだと思うのが当たり前だけど。
じいちゃんは俺を慰めてくれる。
「ダンジョンに生き死にはつきものじゃしな……。
じゃが、ダンジョンに数年間暮らした者の話なんかもある。
『ゼリ』のダンジョンがどうだかは知らんが、行方不明が必ずしも死んだとは限らんぞ?
もし、ベルちゃんが、アルちゃんの意志を継いでなどと考えているのなら、悪いことは言わん。
冒険者は決して楽な仕事ではないぞ」
「……楽な仕事だなんて……でも、実践することでしか理解できない知識があるって思ったんだ……頭の中だけで理論を詰めても、やってみると違うこととかあるし……」
「ふむ……それは確かにそうじゃな……ベルちゃんは昔から知識に貪欲じゃったからのぅ……」
懐かしむような遠い目をじいちゃんはしていた。
そして、そのまま、遠い目をしながら、サラリとじいちゃんは言った。
「じゃから、じいちゃんの本を勝手に持っていったのかの……?」
「え?あ、『世界紋章魔術大全、別冊、捨てられた紋章魔術、二』のこと?あれは……」
「違うぞい」
じいちゃんは俺を見ていた。白い眉毛の奥の瞳は、悲しげな重みのある瞳だ。
俺は俯く。
どうしよう……『サルガタナス』のことがバレてるっぽい……。
黙っていると、じいちゃんが重々しく口を開いた。
「地下三階の禁書じゃよ。ベルちゃんじゃろ……」
「う……」
やはりバレていた。