母!?教え!
「ただいま!ベルちゃーん!」
突然、『塔』の中に大音声が響き渡る。
最近、あれやこれやと忙しかったので、俺は部屋で 『 世界紋章魔術大全、別冊、捨てられた紋章魔術、二』を読んでいた。
「げ!母さん、帰って来たのか!」
俺はいつものようにひとり言を呟いて、慌てて玄関に向かおうとする。
と、その前に頭の中で色々と考える。
アル。アルはオーブになった。今は『騒がしの森』入口に隠すように作った俺の研究室の拡張工事中だ。
オーブはポルターガイストという、手を触れずに物を動かす魔法が使える。
生前のアルと同じくらいの力で、より器用なことができる。
今のアルは三つの光の球だ。
トーブ。鳥のオーブである。力はアルの三分の一くらいだが、こちらも拡張工事をやってもらっている。
サスケ。サルのスケルトン。アルとトーブの手伝いで土運びなんかをさせている。
リスケ。リスのスケルトン。リスケは……あ、読み終わった本を戻しに行ってるぞ。
や、やばい……。
母さんに見つかったら、下手したら殴られる。
いや、殴られるだけで済むのか?
俺は慌てて時間を稼ぐべく、階下へと降りていく。
「お、おかえり母さん!」
母さんは玄関口で荷降ろしの真っ最中だった。
三十代後半のくせに、筋肉質な日焼けした肌、顔も引き締まっていて、見た目だけなら二十代でも通る。
母さんが朱色の髪をかきあげると、黒い鋭い瞳と目が合う。
「何?やけに元気ね?」
「そ、そんなことはないよ……」
「そう?まあいいわ。
はい、これお土産」
母さんが差し出したのは一冊の本だ。
表紙には『カラメリゼダンジョンにようこそ』とある。
どうやらソウルヘイの街近くにある『カラメリゼ』ダンジョンのモンスターや宝箱の傾向、またダンジョン内で起きた物語などが書かれているようだった。
「ありがとう!」
「それから、こっちがアルちゃんにお土産ね!」
「あっ……」
母さんが差し出したのは小瓶に入った緑色に光る液体。
怪我を瞬時に癒すと言われるポーションだ。
「何?また喧嘩でもしたの?」
「……。」
「大丈夫よ。ほら、これ渡して仲直りしなさい……」
「……死んだんだ」
言葉にしてしまうと、急に心臓を鷲掴みにされたような疼きがある。
アルはアンデッドになった。今では姿形すら人間のソレではない。
そして、今のアルには喜びも悲しみもない。
ただの俺の操り人形で、俺が俺のためだけに生き返りを望んでいる。
俺を引っ張って外に連れ出すこともなく、喧嘩もしない。
深く考えないようにしているそのことが、俺を冷たく包んでいる。
冷静に伝えるんだ。そう自分に言い聞かせる。
「え?」
「アル、新しいダンジョン行こうって……それで、罠から俺を庇おうとして、それで……」
あれ?上手く言葉がまとまらない。
目頭が熱くなってくる。冷静に、ちゃんと俺が悪かったってことを伝えないと。
母さんは労るような微笑みを浮かべ、俺の頭に手を置いた。
「大変だったね……辛かっただろうに……」
くしゃくしゃと髪を撫でてから、力強く俺は母さんに抱き締められた。
俺は必至になって声を押し殺した。目から零れる熱いモノは止められなかったけど、声を上げたら、許された気分になりそうで、それが自分で自分を許せなくなりそうで嫌だった。
暫く母さんはそうしてくれて、俺はようやく自分を抑えることができた。
「……今日はお母さんがごはん作ってやるよ。
ずっと自炊で飽きただろ……?」
俺はぷるぷると首を横に振った。
「いい、母さんのごはん、まずいから……」
そこだけは譲れない一線だった。
期せずして、母さんの足止めに成功した俺は、そのまま食事を作りに台所へと入る。
母さんは荷解きもせず、食堂の椅子を引っ張ってきて俺が食事を作るのを見守りながら、お茶を飲んでいる。
「お母さん、またすぐ出掛けないと行けないのよ……」
俺は野菜を切りながら、「うん」と返事をする。
「ごめんね……。
セプテンが見つけた魔法陣の解読に失敗して、貴族の恨みを買ったもんだから、師匠である私が尻拭いをしてやらないと……」
「どんな魔法陣?」
「これなんだけど……」
母さんが懐から紙を出して拡げる。
俺は鍋の火加減を調節してから、その紙を覗き込む。
「空を飛ぶ紋章魔術って触れ込みだったんだけどね……少し身体が浮く程度にしかならなかった……根本の魔道書の解読に問題があると思うんだけど、おじいちゃんみたいには行かないのよ……」
魔道書に書かれる魔法陣というのは、七割以下の正答率でしか書かれていない。残りは形のイメージなどを文章で教えているのが普通である。
でなければ、魔法陣に触れた段階で体内オドを吸われて、魔術が発動、魔道書に触れたまま木乃伊みたいになって死ぬ場合もある。
だから、母さんが拡げた紙も歯抜けの魔法陣で、大抵は当て嵌める図形に傾向があるのが普通だ。
「風系?あ、でもこっちに変形の紋章が……そうなると強化系……重力系……あれ?ありそうなのは全部揃ってる……」
「そうなのよね……それでセプテンが解読したのがこれなんだけど……」
歯抜け部分に入れるであろう魔法陣の一部が書かれた紙を母さんが拡げる。
あれ?何か見たことあるような……。
これは、『サルガタナス』にあった数字を表す魔法陣?
いや、まずい!俺は『サルガタナス』を見たことなどない、ということになっているので、下手なことは言えない。
「……あまり、見ない形だ、ね」
「うーん、ベルちゃんでも無理なのね。
あ、明日はリートさんの所に行って、そのままセプテンのところに行くわね。
また、暫く空けることになりそうだから、ベルちゃんには悪いけど……」
「うん、大丈夫。じいちゃんが帰ってきたら見せておくよ」
「ええ、お願いね。一応、また二ヶ月分の食費と雑費を置いていくわね!」
「ううん。いらない。
俺、最近、仕事始めたんだ……」
「え?」
「冒険者と、オクトに手伝ってもらって『芋ん章魔術』の貸出しやってる……」
「ちょ、ちょっと待ちなさい……冒険者?あなたが?」
「うん。まだ『色なし』だけど、せっかくのバッヂだし、このまま取り上げになるよりはいいかなって。
何人か知り合いもできたし」
「それは、アルちゃんの……ううん……いいわ。
冒険者がどういうものかは知ってるのよね……」
「うん。最初から無理する気はないしね」
母さんはアルの想いを俺が継ぐためだけに冒険者になるのではないか?ということが言いたかったのだろう。
でも、それを言うのはやめたのだと分かる。
ごめんね、頑固で。
「それと、オクトに手伝ってもらって『芋ん章魔術』を貸し出すっていうのは?
『芋ん章魔術』はおじいちゃんが王都で、新しい魔術として認めてもらうことになってたでしょう?」
「うん、だから先に実績を作ろうかと思って……。
じいちゃんはかなり意気込んでたけど、実際に新しい魔術大系として認められるかは分からない。
だから、草の根的に先に広めてしまえば、新しい大系として認められなくても、有用性だけは知ってもらえるかと思ったんだ。
実際、テイサイートの冒険者互助会で貸出しをしたら、今、凄い人気になってるんだ!」
「そうなのね。オクトなら間違いはないと思うけど……いいわ、明日、リートにお悔やみを言ってから、オクトに会いに行って、それからソウルヘイに発つわね」
「うん」
俺としては「うん」しか言えない。
母さんが色々と言いたいことを飲み込んで、俺の独り立ちを見守ろうとしているのが分かる。
出来上がった料理を食堂に運んで、母さんと二人、夕食を味わう。
「うん、この味よね!家庭の味って感じがするわ!」
「母さんが言うんだ……」
「あら、やっぱりお母さんが作ってあげた方が良かった?」
「ううん。それはない」
「でしょ!あ、後で『芋ん章魔術』見せなさい。
錬金技士として、成長具合を見てあげるわ!」
芋判を削るのはあくまで錬金技士の初歩で、実際に必要なのは彫金技術なのだが、母さんに言わせると、立体化のイメージが重要だと言うことで、初歩こそ全てくらいのことを言う。
食事終わりに、俺は母さんと工房に入る。
俺が削ったシャチハタハタの判子を見せる。
途端に母さんの顔が職人になる。言葉遣いも合わせたように粗野になるから、分かり易い。
「見てな。」
母さんは彫刻刀を手にすると、俺が完成させた判子に手直しを入れていく。
その指先は魔法のように動く。
図面の紙を確認して、それを刃先で正確に表現していく。
丸いものは丸く、鋭角なものは鋭角に。
削りが終わると、俺に確認させるようにそれを見せて、甘い部分を指摘していく。
「いいかい。これで九割八分の出来だよ。
ここと、ここと、ここは削り過ぎているからこれが限界だ。
最低でも九割八分には仕上げな。
腕は上達してる。でも、あんたの仕上げは九割三分ってとこだ。
最低でも九割五分を越えないと、免状は渡してやれないよ!」
「はい!」
工房では「うん」なんて答えた日には、拳骨が飛ぶ。
ここに来たら師匠と弟子だ。
それから母さんは、もう一枚の俺が仕上げた判子を出して、俺に彫刻刀を持たせる。
俺も意識を集中させて、図面をもう一度睨む。
ここか!と理解したところに刃先を当てると、俺の手を母さんが包む。
「もう少し寝かせて……リズムを意識しな……」
言われた通りに刃先を寝かせて、薄く手直しする。
今、出来上がっている分の手直しを全て終えると、ようやく解放される。
「もう少し精進しないとダメだね!」
「はい、ありがとうございます!」
俺は頭を下げる。うーむ……九割三分か。
もっと精進せねば。
かなり時間が遅くなってしまったので、今日は休むことになった。
自分の部屋に戻ると、リスケが机の上で待機していた。
俺はリスケに隠れているように言うと、『サルガタナス』を手に取る。
確認したいのはセプテンが解読したという歯抜け部分の紋章が数字を著しているのかどうかだ。
『サルガタナス』を開く。
「似てるな……順番通りだと三……かな?」
まだ数字を表す紋章はアタリをつけているだけの状態だ。
これは要研究かもしれない。
「三十か三百かもしれない。原本が見られれば、もう少し分かるかもな……」
なんとなくだが、飛べる時間とかを表わしている気がする。
それなら、少し浮いて終わってしまったというのも分からなくはない。
だとすれば、『三』に『十』か『百』を表す紋章が足されていなければならない。
明日、母さんに原本の記述を写して送ってもらえないか聞いてみよう。
そうして、知識欲を満足させると、俺は『サルガタナス』を隠すようにしまって、眠りにつくのだった。