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眠れ! 穴だ。


 長い呪文を唱える。

 魔法陣は既に光を放ち、アルの内部で様々なことが書き換わっているはずだ。


《ふむ……なかなかに感慨深いものよ…… 

 ベル、我の深淵に最も近づいた者よ…… 

 我からの賛辞を送ろう…… 》


 『サルガタナス』の表紙に飾られた髑髏どくろの眼窩に怪しく光が揺らめいているが、俺は集中していてそれどころではない。


 オドとは違う、精神力を削られているようだ。

 呪文の長さ以上に集中力の維持が難しい。


 この呪文には『サルガタナス』が必須で、それを手に呪文を唱える必要がある。

 上級上位モンスター『吸血鬼ヴァンパイア』の真祖にアルは変じる。

 外見的には人とほぼ変わらない。

 興奮すると牙と爪が伸びて、眼が赤くなるようだが、普段は人と見分けがつかない。


 衝動は激しい。

 これは『神の挑戦者ロマンサー』として人生を追体験したムウスの中にあったものだ。

 その衝動の激しさを知るからこそ、アルと契約して眠ってもらった。

 その後の『人化』にも必要な措置だ。


 デコピンじゃ許されないんだよなぁ……。


 そのことに少し嬉しくなる自分がいる。

 同時に、これで終わりなのだと思うと、悲しく、アルを悲しませることになる罪悪感に俺の精神力は更に削られることとなる。


 長い呪文が終わる。

 削られまくった精神力と俺の身体を通して流れる数多の魔宝石のオドが最後のひと絞りとばかりにアルへと注がれる。


 膝の力が抜けて、俺は石床に座り込んでしまう。


 ピクリ、とアルの指先が動く。

 進化したことによって契約が解除されてしまうのだ。

 だが、契約の残滓が俺とアルを繋げている。

 俺は体力を振り絞るように告げる。


「眠れ! 」


 俺は『サルガタナス』を落としたまま、這いずるようにアルへと近づく。

 少々乱暴にアルの髪を一本、引き抜く。

 それを口中に入れて、自分の指の傷を拡げるようにして、その血でアルに名前を書き込む。


 新たに契約を結ぶ。


 その間、俺は何度も「眠れ! 」とアルに命令しなければならなかった。


 何も分からなくていい。

 アルが眠っている間に、全てを終わらせる必要がある。


 眠っているアルを抱き上げ、どうにか儀式台へと移動させる。

 後はムウスの記憶にある通り、『人化』の儀式をするだけだ。


 『人化』の儀式はそれほど複雑ではない。

 三つの魔法陣、左右二つには儀式台を置いて、儀式台には香油、聖遺物〈ダンジョン産のアイテム〉、実のなる木の種と草花の種を置いて、吸血鬼と人間が儀式台に横たわる。

 後は魔法陣を発動させるだけだ。


 強いて言うなら、魔法陣は未知のもので、おそらく邪神関連のえらく複雑なものというくらいだろうか。


 俺は儀式台に横たわってから、儀式台に結んでおいた紐を解く。

 ムウスが考案した滑車式の魔石落下装置だ。

 これが魔法陣に触れることで、魔術が発動する。


 魔法陣から光が溢れ、俺とアル、何もない魔法陣の三つを特殊なフィールドで包む。

 フィールド内では香油が泡立ち始め、むせ返るような香気が充満する。

 俺の意識が遠のき始め、アルの側では草花の種が芽吹き、俺の側では実のなる木が芽吹く。

 聖遺物から訳の分からない反響音が響いたかと思うと、俺の意識は暗闇に落ちていった。




 暗闇の中、音と光と香りが渾然一体となって、俺を叩く。

 一瞬で五体がバラバラになるような衝撃があったかと思うと、絶頂感がそれに変わり、身体に痺れを感じて、落下感と浮遊感が同時に俺を襲う。

 痛み、温もり、胸を締めつけるような哀切と全てから解放されるような喜び。

 様々な感情が通り抜け、五感がそれらを混沌へと落とし込む。


 次第に何も感じなくなっていく。

 闇が広がっていた。

 いや、光の中に包まれていた。

 どちらなのか、よく分からない。

 ただその中に異質な物を感じ取る。


 俺じゃない何か。


 全の中の個。白の中の黒。黒の中の白。


 ちっぽけな何かが俺の中に入って、交わる。


 アル。


 それがアルだと意識した瞬間、俺が俺だと認識が生まれる。

 アルが俺の中で溶けていく。

 だが、それは決して嫌な感情ではない。

 溶けていくが、同じではない。

 マーブル模様のようにふたつでひとつの絵画を観るような感覚だった。


 ドロドロでトロトロでグチャグチャでグルグルで、ふわふわでぽわぽわで冷たくて温かい。


 俺とアルは手を取り合って回っていた。

 おぞましいケダモノのように上下を取り合っていた。

 そうして、ひとつになって、また離れてを繰り返し、お互いを理解していく。


「キエチャウノ? 」


「ハナレルダケダ」


「イッショニイタイ」


「デモ、アイシテル」


「アイシテル」


「アイシテル」


「アイシテル」


「「アイシテル」」


 三つの魔法陣の真ん中で二人のナニカが語り合う。

 玉のようになりながら、しかし、決して混ざることなく。

 混ざらなかったソレは、お互いの立場を入れ替えるようにふたつに分かたれたのだと分かった。


《エロスとタナトス。

 合一しながらも同一ではない。

 それは廻転する車輪であり、シンシンシンを運ぶ珠でもある。

 深淵に手を掛けた唯人が道をたがえるは愛惜の念を禁じ得ぬことなれど、謳われる道を追随せしは深淵へと至るやもしれぬ。

 おお……我を創りし、創り手よ。

 今ここに御業為ることを我、見届けるものなり…… 》


 声が響いていた。哀しく笑うような声だ。

 『サルガタナス』のようだが、違うようにも感じる。


 俺は目覚めた。

 それと同時に、強い飢餓感が俺を襲う。


 今までに感じたことがないような感覚だった。

 腹が痛いくらいに空っぽだと思う。

 身体に力が入らず、脂汗が吹き出る。

 儀式台では俺の側に芽吹いていた実のなる木の苗が枯れ、代わりに草花の種から花が咲いていた。


 なんでもいいから、なにかを口にしなければと、花に震える手を伸ばす。

 触れた瞬間に花からオドが流れ込むのが分かった。

 胃じゃない。

 全身にオドが流れ始めたと思うと、花は枯れ、もうそれ以上のオドは吸えなかった。

 頭の中が痺れたような感覚があって、でも、食欲という意識だけが冴えているように感じる。


 俺はこれを知っている。

 ムウスの記憶の中で、ムウスが吸血鬼になってから常に感じていた、がらんどうの中で鐘が響いているような頭痛。

 確か、ムウスはこれを罰として受け入れていた。


 そうか、これは愛する者との決別を選んだ俺への罰か。


 心の穴。それに被さるように感じる身体の穴。

  永遠に埋められることのない、穴。


 ああ、これをこれから、ずっと……ずっと……感じていくしかないのか。

 アルと会えない。本当に欲しいものは手に入らない。

 でも、本当にやりたかったことだけはできた。


 最後にアルの顔を見たかったが、俺はそちらに目を向けない。

 ああ、アルもこんな穴を感じていたのかもな。

 今、アルが欲しい。

 俺の中の全てが、愛する人を愛して抱きしめて貪りたいと思っている。


 穴だ。


 この穴を埋めるにはそうするしかないのだろう。

 だから、アルを見ない。

 見たら、きっと俺はアルを食べてしまう。

 目線が滑る。それを手で制するように頭を抱える。

 この部屋を出たら、もう二度とアルは見られない、触れられない、食えない。


 ほんの少しだけ……いや、ダメだ……最後だから……いや、ダメだ…… 


 こんなバカな葛藤が全身を駆け巡る。

 頭を抱えた指に力を入れる。

 首を少し捻れば、アルが目に入る。

 アルと過ごした年月が走馬灯のように頭を過ぎる。

 アルの寝顔なんて腐るほど見てきた。

 でも、生のアルを見られるのはこれが最後なんだ。

 でも……。


 俺は自分の耳をちぎっていた。

 そのまま、ちぎった耳で目元をなぞる。

 アンデッド化したばかりの俺の血は、まだ最後の温かさを残していた。

 これで盲目。

 吸血鬼ヴァンパイアの再生力なら、この状態も長くは保たない。

 感覚的に何がどこにあるのか分かる。

 匂いを感じるとでも言えばいいだろうか? 

 アンデッドの感覚というのは不思議だ。

 だが、今はそれどころではない。


 俺は儀式台から降りると、急いで移動を開始する。


《おい、我を置いていくな》


「ああ、そうだな…… 

 死霊術士ネクロマンサーとしては失格だろうけど、付き合ってくれるか? 」


 石床に落としたままの『サルガタナス』に声をかける。


《よかろう。ボッチは可哀想ゆえ、な…… 》


「お前だろ、それ」


 俺は少しだけ自分を取り戻した気になって、駄本を拾い上げると、いつもの背負い袋に入れる。

 部屋の扉に手をかけ、最後の未練を振り払う。


「さて、金色の魔王を退治しなきゃな」


《居場所が分かるような口振りだの…… 》


「ヒントはあった。歪皇帝鬼の体色、とかな」


《それで、さまよえる子羊となったから、勝てると? 》


「いいや。……でも、そうだな、準備は必要だけどな」


 俺は、俺の研究所から脱出した。



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