ケイク!モンスタールーム!
「ここ、『ケイク』のダンジョンの地下一階で主に出るモンスターは鞭耳兎、痺水鼠、瘴気犬……」
「……毒山猫、ゴーストオーダー。
気をつけなければならないのは、アクアラット、ポイズンワイルドキャットの毒系攻撃、どちらも微弱ながら、くらえば身体の動きが鈍る。
ブラックドッグの瘴気は浴びても大したことはないと言われるが体内オドが減り、浴び続ければ死に至る。早急に対処するぺし。
モンスターと出会った場合は戦闘領域内にゴーストオーダーが生えているかを確認すべし。
ゴーストオーダーは他のモンスターを追い込めば有利に働くが、一歩の間違いが死地へと変わる。ゆめゆめ忘れるべからず。
モンスターの視力は退化しているため、灯りはなるべく強力なものが推奨される。しかし、音と匂いには細心の注意を払うべし」
「凄いね……『ケイク』のダンジョンは初めてなんだよね?」
デニーが『ケイク』のダンジョン地下一階の説明をしようとしたので、その後を継いでやったら、驚かれた。
「『ケイク』その全て。って本に書いてあった。
他に気をつけることはある?」
「そうだね……しいて言うなら、地下一階に安全地帯はない。
『バッフェ』なんかにはあるんだけど、『ケイク』は初心者向けだからなのか、安全地帯があるのは地下二階からになる。
三匹以上のモンスターに出会ったら、基本的には逃げるという方針がいいと思う」
「え?なんで逃げるんですか?」
ミアンは理解出来ていないのか、デニーにそんな質問をする。
デニーは答えにくそうにしているので、代わりに俺が答える。
「俺が戦えないからだよ」
「は?」
本気で分かっていないのか、キョトンとしている。
「俺は武器すら持ってないんだよ。モンスターと正面からなんて戦える訳ないだろ?
もし、ミアンがモンスターを食い止めきれなくて、一匹でも後ろに逸らしたら、俺は死ぬ。
デニーとミアンが確実に一匹ずつ引きつけてくれれば、俺は死なない。分かる?」
本来、デニーなら地下一階のモンスター程度、何十匹と一人で相手できるだろう。
でも、ミアンの実力は未知数だ。デニーはミアンのフォローのために気を配りながらの戦闘になる。
さらには俺の動向と、モンスターの増援なんかにも対処しなくてはならない。
つまり、一度に相手をするのは二匹までというのは、ミアンの実力を確認するためなのだが、それがミアンには分かっていなかった。
「じゃあ、ウォーくんは何のためにいるの?」
「その時が来たら分かるよ……」
「はあ?やっぱりオークんだね……」
「おい、今、さらっとオークって言っただろ!」
「え?何が?言ってないけど?自分が役立たずだって思っているから、僻みでそう聞こえたんじゃない?」
「この……」
「しっ……来たよ……」
俺がミアンに言い返そうとすると、デニーが鋭い声で制した。
言われて耳をすませば、爪のある四足歩行の小さな足音が聞こえて来る。
音からすると、一匹だろうか?
デニーは手で俺の待機を伝えて、ミアンについてくるように手を動かした。
俺たちの光の中に痺水鼠が見える。
暗いダンジョンに適応しているためか、目はあるのだがしきりに匂いを嗅いでいる。
大きさは人間の赤ん坊くらいで大きな耳とモグラのような鼻をしている。
歯が伸びていて、爪は彫刻刀のように鋭い。
ネズミとモグラの中間みたいな見た目だ。
ジャリ、とミアンが体勢を整えるためか足を開く。
途端に痺水鼠の耳が反応したかと思うと、こちらに顔を向ける。
痺水鼠の顔の前、空中に魔法陣が浮かぶ。
「避けろ!」
デニーが鋭く言う。
「え?あっ……」
痺水鼠の顔の前に水球が生まれると、それが放たれる。
麻痺毒を含む水だ。
デニーがミアンを突き飛ばし、痺水鼠に向けて走る。
一瞬で距離を詰めると、剣を鞘走らせて痺水鼠を両断した。
麻痺毒の水球は、ミアンが居たところを抜けて壁にバシャリと当たって弾けた。
「大丈夫か?」
俺がミアンに近づいて声を掛ける。
デニーが辺りに気を配ってから、こちらに来る。
「大丈夫?」
「あ……うん、はい……」
ミアンは申し訳なさそうにしていた。
「モンスターが初めてって訳でもないだろ?」
俺が言うと、ミアンはキッとなって俺を睨む。
「ち、ちょっといきなりで反応が遅れただけよ!」
「何睨んでんの?」
「ミアン、もうここはダンジョンだ。気を抜かないようにね」
「はい……ごめんなさい……」
デニーに言われて、ミアンは素直に謝っていた。
俺としては、態度の違いに多少イラッとしたが、後ろで見ていただけなのでそれ以上は言わないでおいた。
それから、俺たちはデニーが持っているダンジョン地図を頼りに先へと進んでいく。
地図はあくまでも指針でしかない。
そう頻繁にある訳ではないらしいが、たまにダンジョンの構造が変化する時がある。
【神の試練】であるダンジョンなので、今まで通れていた通路がいつの間にか通れなくなっていて……なんてことがあるらしい。逆もまた然りだ。
ただ、普通は構造変化と言ってもそれほど大がかりなものは滅多にないらしい。
なので、一度地図を買ったら、構造変化に合わせて地図にチェックすれば、しばらくは使えるらしい。
『ケイク』ではあまり構造変化が起きないらしいので、デニーの持つ地図は一年前の物だった。
すでに何度かチェックが入っている地図は構造変化の変遷と歴史といった風情で、じいちゃんなら高く買いそうだ。
ミアンは一度目の失敗から、かなり良くなっていた。
いくつかの部屋を抜け、何度も行きつ戻りつしながら、次第に奥へと進んでいく。
ミアンが役割を果たせるようになると、デニーが三匹までのモンスターなら相手をしようと言って、進みやすさを重視し始める。
俺の仕事は狩った獲物の素材持ちみたいになっている。
基本的に地下一階で出るモンスターは食用に適さないので、魔石集めが中心になる。
魔石は小石程度の重さと大きさなので、十や二十集まっても、それほど負担ではない。
ただ地下一階の半ばでは、という注釈がつく。
迂回する回数を減らしたことで、そこからは進みが早くなった。
だが、そうすることで、すぐにその時はやってきた。
デニーが小さく呟く。
「止まって……」
それから、しきりに地図を確認する。
「何かあったの……?」
ミアンがこちらも小声で言う。
「大きな変化がなければ、この部屋の先に地下二階への階段がある……」
デニーの言うように、通路の先が部屋というか広間になっているのだろう。
光の先に入口らしきものが見えている。
ミアンが小さくガッツポーズをして、喜びを表す。
「……ようやく地下二階ね!早く行きま……」
行きましょう。という言葉を言う前にデニーが首を横に振る。
「よく聞いてごらん……いくつもの足音、息遣い、しかも種類が違う……」
デニーが言うのに、ミアンが静かに意識を集中していた。
俺も同じように音を聞く。
確かに種類の違う息遣いや、足音がいくつもいくつも聞こえて来る。
「こんなのって、あるの?」
「【神の試練】だからね。前はボスモンスターが一体だけだったけど、構造変化ではなく、違う変化が起きたんだろう。
こういう変化はよくあることでもあるよ」
ミアンの質問にデニーが答える。
「そんな……」
所謂、モンスタールームとか、モンスターの巣とか言われる場所だ。
ここまでは運良くモンスタールームに出会すことはなかったが、まさかのボス部屋がそんなことになっているというのは、俺も予想外だった。
大量のモンスターが集まり、哀れな被害者を待ち受ける場所であるモンスタールームだが、それがボス部屋となると嫌な予感しかしない。
デニーが俺に視線を向ける。
「やれる?」
「え?ウォーくんに……」
無理でしょ、というニュアンスでミアンが言う。
俺はここまでに集めた五十個以上の魔石を掲げて言う。
「これだけあればいけるかな?」
魔導士がダンジョンで重宝される理由はこういう時だ。
ただし、こういう場面に出会さなければ魔導士の存在理由はほぼ無いと言ってもいい。その場合は他の冒険者から報酬泥棒みたいな目で見られる。
「頼む……」
デニーに頼まれたので、俺はデニーと一緒に音を立てないように部屋の入口まで移動する。
懐に入れてある、デニーから渡された『光』の魔術符。
部屋の入口まで来ると、部屋の中が見える。
かなり広いのか、全景は見えない。
だが、見える範囲だけでも二十匹近いモンスターが見える。
地図によれば五十メートル四方はある広間らしいので、百匹以上はいるかもしれない。
デニーが頷いて、剣を構える。
俺も頷いて詠唱魔術を開始する。
「アガウ、イカシブイ、ヌネチセ、ウロオク……」
俺の声が響くと、モンスターたちが一斉に反応した。
「ば、ばか!」
離れたところで見守っていたミアンが、俺に向けて駆けてくる。
「……ひっ!?」
だが、部屋の状況が見えたのだろう。ミアンの足が止まり、後退る。
モンスターが押し寄せて来るのが、見えたのだろう。
デニーが俺の前に出て、先頭のモンスターを蹴り飛ばし、二、三匹まとめて斬って、突出したモンスターを掴んで、他のモンスターにぶつけて下がらせる。
俺はミアンに手のひらを見せて、来るなと教える。
「……イマ、ネグ、ウツイス、ウレルフ、ウレタモ、イキエル……」
デニーはモンスターを殺すことよりも、俺を守るこたに重点を置いた動き方をしている。
「……ウオイフ、オムカ、ウサ、イルビス!デニー、下がれ!」
詠唱完了と同時に、デニーに合図を出す。
左手に抱える魔石の袋が反応する。右手の指先を部屋の中へと向ける。
デニーは剣を一振り、モンスターを薄く斬って足止めすると、飛び退くように下がる。
俺の指先からは氷でできた蜘蛛の巣状の糸が拡がっていく。
この糸は触れたモノの動きを止め、氷漬けにする。
指先の前方、広範囲に伸びていく糸がモンスターに触れると、モンスターを凍らせ、さらにその先へと伸びていく。
デニーが俺の前で蹴散らしたモンスターが十数匹、殺したのは六匹。
俺の糸に氷漬けになったモンスターは全部で百二十二匹だった。
左手に抱えた魔石袋の中で残ったのは七個で、他は全てオドを消費して、ただの石になってしまった。
「お、終わった……の?」
ミアンが恐る恐る尋ねて来た。
「終わったよ」
「うん、今まで何人かの魔導士と組んだ経験があるけど、ヴェイルの詠唱魔術は、詠唱速度、有用性、威力、どれも凄まじいね!
いいものを見させて貰ったよ!」
瞳をキラキラさせて、デニーが言ってくる。
俺はオドの消費が終わったのを感覚で理解してから、振り向く。
「そう?まあ、じいちゃんの受け売りだから、それなりに使えてるとは思うけど、あんまり他の魔導士の魔術を見たことないから、分かんないや……」
「いや、まさかこの数を殲滅できるとは思わなかったよ!」
「まあ、糸に触れてないやつは生きてると思うから、気をつけてね」
一応、俺は言っておく。
それから、一番前にいたモンスターの死骸を軽く叩く。
振動で、それまで絶妙なバランスで張り巡らせていた蜘蛛の巣が一斉に落ちた。
同時に飛びかかろうと空中にいたモンスターたちが、落ちて割れていく。
「ねえ、これ、解体どうするの?」
「さあ?」
俺が答えると、デニーがようやくそのことに思い当たったのか、苦笑しながら言う。
「帰りにしようか……」
依頼を達成して戻る時までに、溶けているといいなあと思いながら、俺たちはボス部屋を後にするのだった。