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お前は幸福か? ないす、メイ……。


 白い空間。

 ロマンサー御用達の止まっているんだか、いないんだか分からない、一瞬の永遠を経て、俺は崖を登っていた。


 吸血鬼の追体験か。


 目指すは中腹にある白い花。

 村ではアレを白鳥花と呼んでいる。

 白鳥花を贈られた花嫁は生涯の幸福を得ると言われている。


 ソスの花が綻ぶような笑顔が好きだ。

 怒った時の困ったような顔が好きだ。

 泣き顔すら愛おしいと思ってしまう。

 そう考えると、結局のところ俺はソスが好きなのだ。


 白鳥花を握り締めたまま、崖から落ちた俺は、そんなことを考えていた。




「ム、ムウスッ! 」


 村の狩人の親子に運良く見つけてもらった俺は、担架に載せられ村へと帰った。

 俺は笑っていた。

 左手が折れて、あちこち擦り傷やら打ち身が酷いが、俺の右手はしっかりと白鳥花を握っていた。

 そのことが誇らしく、痛みを感じる間がなかった。

 ソスの笑顔を思えば、それだけで痛みなどどこかへ溶けていく。


「バカ! なんで……なんで…… 」


「ソス、コレをお前に。結婚してくれ」


 俺は白鳥花をソスに渡す。

 ああ、ソスの泣いたり喜んだり、怒ったりの十面相も好きだな。

 こうして、俺とソスは結婚の約束をした。


 目が覚める。

 ズキズキと全身が疼く。

 ぬああ、さっきまで痛みなんてなかったのに! 


 ふと、窓から風が吹いた気がした。

 満月の光が優しく降り注いでいる。

 布団の右側が重い。

 どうにか重さの元へと目をやる。


「うう〜ん……ム、ウス…… 」


 ソスだった。どうやら看病してくれていたらしい。そのまま寝てしまったのか。


 ああ、痛みが溶けていく。

 寝言で俺の名を呼んだ。それも嬉しそうに! 

 これだけであの崖を十往復はできそうだ。


 ソスを抱き締めたい衝動に駆られ、どうにか動こうとして、全身の痛みに顔を顰めた。


 クソっ! あの両肩に腕を回して、抱き締めてやれたら……。


 ぬっ、と暗がりから手が伸びる。

 俺の妄想かと思ったが、そうではなかった。

 俺の手はあんな骨ばった土気色で尖った爪はしていないし、汚れているが高級なビロードの服なぞ持っていない。


 一瞬、頭が混乱する。


 腕がソスの両肩に回される。


「ん……ムウス……? 」


 ソスが寝ぼけ眼で振り向いた。

 あっ、とソスの小さな声がして、それからソスは喜びの笑顔を俺ではない誰かに向けた。

 ソスの両腕が誰かを迎え入れる。


 わけがわからなかった。


 月の光が、ソイツを照らす。

 髑髏の上に皮を張り付けただけのような顔。

 薄汚れた、元は高級品だっただろうビロードの服。

 眼窩は紅く光っていた。


 ソスとソイツは抱き合う。

 ふとソイツはこちらを見たような気がした。

 笑った。

 牙が見えた。

 口を開いた。


 つぷり、と音がして、ソスが嬌声に喘ぐ。

 ソスの首筋から赤いものが垂れて、背中と俺のベッドを汚した。


 俺は見ていた。

 身体に力が入らない。

 混乱していた。


 俺の上に、優しくソスが置かれた。

 ソイツの顔は、ソスの身体に顔を埋める前とは違って、貴族のような意志のある顔をしていた。

 俺を見て、ウインクして、それから身体が崩れて小さな蝙蝠が百羽にもなって、窓から飛んでいった。


 俺はまるで呪縛から解放されたかのように、上半身を起こして、ソスを見た。

 ソスは眠るように、身体から熱を失っていった。


「ああ、ソス……ああ、あああ、ああああああああああぁぁぁ…… 」


 ソスと結婚する   はずだった

 生涯の幸福を約束する   はずだった


 いや、俺の想いは変わらない。

 ソスと結婚して、生涯の幸福を約束する。

 

 変わらない。変わらない。変わらない。変わらない。変わらない。変わらない。変わらない。変わらない。


 俺は誓った。

 その【証】が腕に嵌っていた。


 【証】は俺に力をくれた。

 俺はソスを連れて、その日の内に村を出た。

 その瞬間は分からなかったが、何かに導かれたのかもしれない。




 ソスが目を覚ました。

 山の中ほどにある、朽ち果て忘れ去られた神殿だった。

 子供の頃、ソスと隠れ家代わりに遊んだ思い出の地だ。

 ソスは泣いた。泣いて謝っていた。

 俺はソスを慰め、落ち着かせることに終始し、それから俺の想いが変わらないことを伝えた。

 そこからの一ヶ月ほどは、ある意味俺にとっての幸せだった。

 少し痩せてしまったソスと俺は、結婚生活をおくった。

 場所は変わったし、生活必需品はないが、なんとか生きるだけの糧を得て、ソスに笑顔が戻ってきた。


 ソスが吸血鬼になってしまったのだという事実は、お互いに見ぬフリをしていた。


 ソスの食欲がなくなり、物を食わなくなった。

 ある晩、物音に目覚めると、野犬の喉元にソスが噛み付いていた。


 ソスは「怖い」と言った。

 俺はおもいきって「吸血鬼の妻がいてもいいじゃないか」と言った。

 ソスは泣いた。


 俺は狩りをするようになった。

 【証】があれば、それはそう難しいことではなかった。


 満月の晩、ソスは俺たちの隠れ家に帰らなかった。

 そうして、翌日、別れを切り出された。


 ソスは呼び出されたのだと言った。

 ソスを吸血鬼にした、アイツ。

 アイツに血を差し出してきたのだと言った。


「ソス、お前は幸福か? 」


 俺が聞くと、ソスは静かに首を横に振った。


「アイツがいる限りは…… 」




《運命線の変更を望みますか? 》




 俺は【証】を使った。

 ソスを置いて、俺は旅に出た。

 まずアイツを倒すために、力が必要だった。

 【証】は力をくれるが、そのためには代償が必要だった。

 俺は無知だった。

 村と畑と山、それから村の老爺ろうやから聞く昔話が全てで、何も知らないのと変わらない。

 ダンジョンなる場所にモンスターが出ると聞けば、そこに行って代償を集めた。

 【証】は俺に様々なものを齎した。

 力と技と才能。


 俺は力を得た。

 俺たちの隠れ家に帰った。

 ソスはやっぱりそこに居て、俺はアイツを滅ぼした。

 ようやくソスをアイツから解放できたと思い、俺はソスに聞いた。


「ソス、お前は幸福か? 」


「もう戻れない……本能に目覚めてしまったから…… 」


 俺はもう一度、旅に出た。

 旅の中、噂話を聞いた。

 吸血鬼を人にするという本の話だ。


 ソスは吸血鬼になって、幸福を喪った。

 人に戻れるなら、ソスを幸福にできると思った。


 【証】には代償が残っていなかった。

 アイツを滅ぼした段階で、力は必要なくなった。

 それでも俺は代償を求めて戦い続けた。

 次は知識が必要だった。

 【証】は俺に知識を与えた。

 俺は無知だった。

 知識の使い方は知らなかった。

 それでも、本は読める。


 俺は求め続ける旅の末、吸血鬼を人にする本を手に入れた。

 それは、人と吸血鬼の血を入れ換えるというものだった。


 俺は知識を得た。

 俺たちの隠れ家に帰った。

 ソスは相変わらずそこに居た。

 俺はソスを眠らせて、俺とソスの血を入れ換えた。


 ソスは人に戻った。

 俺はソスに聞いた。


「ソス、お前は幸福か? 」


「私はずうっと幸福でした。

 貴方に想ってもらい、貴方を想い。

 貴方とひと時とは言え、暮らした。

 あの方に転化された時は悲しかったけど、人の血を吸う享楽は、何にも替えられない幸福でした。

 そして、貴方は私を人に戻した。

 私が何をしても、貴方は私を許し、私を想い続けてくれた。

 私は幸福でした」


「良かった…… 」


 俺は安堵した。

 久しぶりに見たソスの十面相は、色んな感情が交じりあって、俺はそんなソスの顔も好きだと思えた。


 それから、ソスは言った。


「ムウス……もうひとつだけ、幸福をくれる? 」


「ああ、いくつでも! 」


 俺は答えた。

 ソスは花が綻ぶような笑顔を見せてくれた。


 その夜、ソスは自らの命を絶った。

 手紙には、もう人としては生きられない、それでも、最期は人として死ねる。

 生涯、幸福でしたとあった。


 俺は神を呪い、慟哭の声を上げた。


 俺がソスに与えた幸福とは、何だったのか。


 俺は、人として死んだソスを埋葬するべく、村へと戻った。

 村は死臭はびこる廃墟と化していた。

 男も女も、老人も子供も、血を吸い尽くされ、乾いたナニカになって、放置されていた。


 それを横目に、ソスを埋葬した。


 それ以上、何もする気がなくなり、俺は二人で暮らした隠れ家に居た。

 俺も渇いて、いつかはアイツみたいになるのだろうか? 

 そうして数年。もしかすると数週間か数日だったのかもしれないが、気がつくと俺は白い空間に居た。


 声が響いた。


《GPの増減が確認できません》


《GPの増減が確認できません》


《GPの増減が確認できません》


《これ以上の放置行動は運命線への干渉資格の放棄とみなします》


《GPの増減が確認できません》


《運命線への干渉資格を放棄しますか? 》


《はい/いいえ◼》


《システムエラー。エラーコード:404》





◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼


《おい、聞こえるか? ん? なるほど…… 》


《……はん。言ってくれるな。》


《まあ、慈悲をくれてやるか。お前はこれから、階層主だ。上手くいけば次のロマンサーか冒険者が消してくれるだろうよ。

 もしくは、俺を喜ばせたら次の慈悲があるかもな。

 こういうのが化ける可能性もあるだろうし、経過観察行きだな》


 俺は気づけば勝手に体を動かしていた。

 階層主になるらしい。

 任期は三百年。

 それならそれでいい。このまま朽ちるのを待つよりは、早く滅びが訪れるかもしれない。


 頭の中では、面倒くさそうな若者の声が響いていたかと思うと、いつのまにか聞いた記憶のある声に変わっていた。


 俺の記憶にある声。

 誰だっただろうか? 

 ああ、そうか、ソスの……。


 ソスの声が響く。


《階層主の基本事項を設定してください》


《前任者の基本設定は残しますか? 》


「ああ、ソスはどう思う」


《前任者の基本設定を推奨します。

 基本事項の変更は次の状態の間のみ可能です…… 》


 頭の中のソスと会話を続けながら、俺は古びた洋館の椅子に座り続けた。


《環境設定の変更はしますか? 》


「なあ、ソス、お前は幸福か? 

 そっちは辛くないか?

 まだ暫くは離れ離れだな。

 早めに逝くから、待っててくれよ…… 」


《前任者の環境設定は残しますか? 》


 今はこの頭の中でしかソスと話す機会はない。

 俺はその日を待つ。


《新規ギフトが解放されました。

 取得することでGPを消費します……》


 そして、任期から言えば早く、俺からすれば待って、待って、待ちわびたその時がようやく訪れたのだった。


《階層主用、新規補助アナウンス、ソスより──────偵察用ブラッドファミリア・スカウトバットの消滅を確認。

 次のスカウトバット生成を上申…… 》


「ああ……スカウトバットが消滅したか! 」


 言われるままに生成、運用してきた俺の分身たち。

 それが消滅させられたことに少しの期待と諦念が交じりあう。


 ここに来られたのが三人となると、ちゃんと俺を滅ぼしてくれるやつがいるんだろうか? 

 ソスは俺の分身を使って、好き勝手やるからなぁ。

 それがソスの幸福だと言うなら、俺のために血を集めようが、GPを貯めたり使ったりしようが構わないが、俺としては早くそっちに逝きたい。


 あの花が綻ぶような笑顔が見たい。

 こうして話しているだけじゃ、ちゃんとお前を幸福にしてやれているか、実感できないからなぁ。




◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼◼


「ぐっ……ああっ! 」


 俺は触れていた手を引き剥がすように尻餅を着いた。

 ヤバい、ヤバい、ヤバい……。

 頭の中で情報が氾濫して、ぐらぐらする。


 コイツ……こいつは『ムウス』だ。

 しかも、ロマンサーでありながら、失敗した存在だ。

 『ムウス』の人生を追体験しながら、もう一人の俺が警鐘を鳴らしまくっていた。

 まるで、自分の失敗した未来を見ているようだった。

 そして、知るべき情報と知りたくなかった情報、精査すべき情報に溢れていて、吐きそうになる。


 なんだこれは? なんだこれは? 


 俺と『ムウス』が交じりあい、引き摺られそうになる。


 違う! 俺は俺だ! 俺は上手くやっている! 壊れる訳にはいかない! 逝きたい! 早く! ソスの元へ! 違う! 俺はムウスじゃない! 壊れていない! でも…… だけど…… だって…… 違う! ヴェイルだ! アルを生き返らせるんだ! 幸福? 誰が望むか! 呪い…… 断絶…… アルの今後…… 幸福? 違う! 今、考えるべきはそれじゃない! 笑顔…… 好きだ…… それは…… 


「クーシャ! 俺を殴ってくれ! 」


 俺は地べたを這いずるように懇願する。


「えっ!? えっ!? え……? 」


 クーシャは突然の俺の変化に困惑していた。


「とーうっ! 」


 俺の側頭部に鋭い痛みが走る。


「へぶらっ! 」


 俺は吹き飛ばされて、地面を四回、五回と転がった。

 痛みと更なる混乱が俺を掻き乱し、一周回って、冷静さが帰って来る。


「どう? 」


「ないす、メイ…… 」


 俺は親指を立てて、それから地面に崩れ落ちた。


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