外伝、フーマ忍法帖
ワゼンの使者マグロさん視点ではどうだったのかというお話です。
まずい。
死ぬかもしれない。
俺は今、グリフォンに追われている。
大鷲とライオンを合体させて尻尾を蛇にしたようなモンスターが有翼獅子だ。
グリフォンは空を飛ぶ。力が強い。風系魔法を操る。あと、腹が減っている個体はかなり凶暴だ。
風魔法に乗せて、強靭な硬さを持つ羽根が飛んでくる。
俺は森の木々を利用して、隠れるように逃げる。
棒手裏剣の忍具で、羽根の一枚、二枚なら打ち落とせるが、それ以上は無理だ。
逃げながら、岸壁の切れ目を見つけて慌てて飛び込む。
グリフォンの持つ前脚、鳥の蹴爪は獲物を獲るために鋭く早い。
岸壁の切れ目は狭い。
そこに半ば無理やりな形で身体を潜ませ、奥へ奥へと逃げる。
グリフォンの蹴爪が突き込まれる。
ザリッと音がして、肩が熱くなる。
「くっ……」
鎖帷子が切り裂かれた。
もっと、もっと奥へ。
グリフォンがその大鷲の顔を切れ目に突っ込む。
お、奥へ。奥へ……。
ギリギリで届かなかった。
そうして堪えること、一時間ほどだったろうか、ようやくグリフォンは諦めてくれたようだ。
腹が減っている個体でなくて、助かった。
そうして、どうにか下山する。
おや、山裾に人の気配がある。
この辺りにも人がいるのか。
「おーい! 」
俺はその一所懸命に土を運ぶ子供に声を掛けた。
子供が振り向く。
「なっ!? ゴブリン! 」
何故ゴブリンが? 何故土運び? 何故服を着ている?
様々な疑問が浮かぶがそれどころではない。
慌てて忍具を用意しようとしたところで、声が掛かる。
「そこにいるのは何者か! ここは魔王様直轄の公共事業地だぞ! 危な、くはないが立ち入り禁止になっている。
ほら、顔を見せなさい! 」
魔王の直轄地? 公共事業? 危なくない?
いや、ゴブリンがいるんだぞ?
しかし、目指していた魔王領に着いたのなら好都合か。
だが、魔王はゴブリンを支配下に置いているということだろうか。
俺は両手を上げて、素直に出ていく。
いきなり敵対的な行動を取る訳にもいかない。
まずは情報の真偽を確かめなければ。
その為には、ここが魔王の直轄地だと言うのは好都合かもしれない。
俺に声を掛けて来たのは、鎧に身を包んだ人間の兵士だ。
特別に怒っている風でもない。
ただ訝しんでいるのは分かる。
兵士はゴブリンに仕事に戻るように言いつけて、ゴブリンは素直に従っている。
それから、こちらに向き直る。
「何者か? 見慣れぬ服装だな」
「私は使者だ。新たにここに魔王国が起ったと聞き、魔王陛下にお目通りしたく参った」
まだ所属は名乗らない。わざと情報は伏せておく。
さすがに兵士も、情報を伏せているのは理解しているだろう。
これで、相手の警戒度を計る。
「ふむ、使者か。どこの使者かな? 」
警戒というよりは、ただの質問。
口調も穏やかなものだ。
魔王の直轄地と言われた割には、やけにのんびりしているな。
俺は同じ文言を繰り返す。
「うん。使者なのは分かったが、どこの誰の使者か分からなければ、はいそうですか、とは言えん。
どこの使者殿だ? 」
やはり、ユルい。この兵士が特別ユルいのか?
兵士は困った顔をしている。
すると、この兵士より少し身なりの立派な兵士がやって来た。
兵士と立派な身なりの兵士は少し話をして、それから俺に聞いてくる。
「お前はどこの使者だ? 魔王陛下は忙しい方だ。簡単に合わせる訳にはいかない。
もしや、コウスの商人か? それなら、適切なお方に話を通してやってもいいが? 」
やはり警戒度は低い。逆に大丈夫なのだろうかと心配になる。
縄を打たれる訳でもなく、槍や剣を向けられる訳でもない。
最低限、鞘に手を掛けてはいるが、それだけだ。
俺は馬鹿みたいに同じ文言を繰り返す。
これだけでどこまで行けるのか、少し楽しくなってきた。
「参ったな……。とりあえず、俺は報告してくるから、テントでお茶でも出しておいてくれ」
「はっ」
少し身なりの立派な兵士は駆け足でどこかへ消えた。
上役と相談するらしい。
俺は兵士に連れられてテントへ。
だが、その途中でかなり驚かされた。
モンスターだ。ゴブリンやオークやオーガ、四足系のモンスターもいる。
それらが山に穴を掘っている。
鉱山だろうか。
スコップ、シャベル、ツルハシ、木材を抱えているモンスターもいる。
そして、驚いたのは人型モンスターが全員、服を着ている。
どういう光景だ?
「驚いたか? まあ、襲われることはないから安心していい。
あ、服や馬具をつけていないモンスターは、ただのモンスターだからな。気をつけろよ」
兵士が笑いかけてくる。
俺は言葉も出せずに見入っていた。
「ほら、あの辺のとか、すげー傷のあるモンスターなんかがいるだろ。
まあ、お前さんみたいに、たまに村人が迷い込んだりするんだ。
そういう人らに安全性を伝えるためにも、服やら装備やらが必須ってことなんだな」
ドヤ顔で兵士が話をしている。
傷のあるモンスター? 言われてみれば、顔に引っ掻き傷があったり、腕の一部が抉れているモンスターもいる。
もしや、凄惨な調教でモンスターにいうことをきかせているのか?
だとすれば、とても安全などとは言えないだろう。
いつ、モンスター共が暴発するか分からない状況なんじゃないのか?
俺の緊張が兵士に伝わったからだろうか、兵士が更に言葉をつなぐ。
「ああ、緊張しなくてもいい。
こいつらはアンデッドモンスターで、魔王様の御力によって人に危害を加えないようにされている。
しかも、簡単な命令も聞ける。
つまり、死霊術というやつだな」
「ネクロマンシー……」
「そうそう。まあ、最初は俺も抵抗があったんだけどな。
そういう道具だと思えば、大して気にならんよ。
しかも、こいつら、臭くないんだ。凄いだろ? 」
魔王が死者を操る力があるというのは聞いていたが、そうか、死霊術か。
魔王の権能などの特殊な力という訳でもないのか。
道具……確かに、道具としてみれば汎用性が高いし、指示だけ出せばいいのだから、便利な道具かもしれない。
しかも、臭くない。
命が腐る匂いというのは、本能的な忌避感を起こすものだが、その匂いがないとなると、途端に忌避感が下がる。
これは不思議だな。
俺はテントに案内され、お茶を出された。
少しだけ舌に乗せて、毒の有無を確かめる。
毒には無味無臭のものもあるが、俺は長年の訓練で微かな違和感からそれらを感じ取ることができる。
特別、問題なく呑めてしまう。
そうして待っていると、現場監督を名乗る人物が現れた。
若い。そして、丸い。
ローブを着ているが、泥だらけだ。威厳は、無い。
愛嬌のある顔をしていると言えばいいだろうか。
その現場監督は俺を上から下までジロジロと眺めてから、いきなり話し始めた。
「フーマ! トビカトー! モモーチ! ハットリー! ナガート! サットビー! ゴエーモン!……」
最初、俺は戸惑った。
もしや、この現場監督はどこか遠い異国の出身なのかと思った。
しかし、モモーチの辺りで妙に耳慣れた言葉に懐かしさを覚える。
俺たちワゼンの忍者は、生まれた頃から寝物語にコレを聞かされて育つ。
そう、ダンジョン産の本である『戦え! 忍びマスター』だ。
もう、随分と古くからある物語だが、守るべきもののため、命を賭して清濁併せ呑む、戦士たちの物語。
賞賛はされない。表舞台に出ることもない。
しかし、根底にあるのは守るべきものを守るという、影の守護者たち。
ひとつの名を聞くたびに、俺の中に熱い想いが溢れる。
ああ、もう終わる。最後の守護者。
我知らず、俺も声を合わせていた。
「「……カシンコジ! 」」
言ってから気づく。
つまり、この現場監督は、俺が何者なのかを見抜いたということだ。
まあ、こんなところで人に会うことになるとは思わなかったから、忍び装束のままだ。
見る者が見れば、分かってしまう。
それにしても、こんな丸々とした泥だらけの若者が現場監督という地位にいて、ダンジョン産の本の知識まであるとは思わなかった。
現場監督に色々と質問されるが、つい見透かされているような気になって、アレコレと話してしまう。
最悪の場合の選択。
魔王暗殺を示すようなことを言ってしまったのは、この現場監督の少年らしい好奇心に絆されてしまったからだろうか。
ただ、逆にそのひと言が現場監督の琴線に触れたのか、それならば魔王に会わせてやると言われた。
絶対の自信があるというよりも、ぜひその目で見て判断してくれといった風情だ。
現場監督からの信頼が、やけにこそばゆく感じた。
それから、現場監督がアンデッドモンスター相手に指示を出す姿に驚く。
素直にモンスターたちが話を聞いている。
現場監督も、臆することなく指示を出している。
若いのに、大したものだ。
そうして案内された、馬も車輪もない円盤型の乗り物。
神輿のようなものかと思えば、乗り物の力で動くらしい。
しかも、地上から浮かび上がって。
なんだコレは??
忍びたるもの、動揺を表に著すなど以ての外だが、これはどうにもならない。
つい、あれやこれやと質問してしまう。
俺は馬鹿か。こんなもの、軍事機密以外の何物でもない。
こんな狼狽えた姿まで見せて、それで『ワゼンの使者』を名乗るのか。
遣りきれない想いを抱えそうになると、現場監督から答えが返ってくる。
ええぇぇぇぇーっ! 答えちゃって、いいのぉぉー!
兵士が死霊術について口を滑らせたのはいい。
あれは俺が他国の者だと知る前だ。
だが、この現場監督は俺を『ワゼンの使者』と知った上で、あれが鉱山ではなくトンネルだとか、この機械は浮遊魔術だとか、他国と交易するための道だとか、全部話してくれちゃう。
いや、本来ならば、変装して人里に出てその辺りの情報をいかに探るかが、忍びとしての俺の役割なんだが、こんな簡単に聞けちゃうのー!?
ありがたいが……ありがたいとは思うが、この子が現場監督で大丈夫なのか『魔王国』!
知識はある、物怖じしない態度も立派だ。
だが、危機意識低くない?
あ、この子が現場監督だから、兵士たちも警戒度が低い……あ、ありそう。
正直、この子を辛い目には合わせたくない。
誰か適当に大臣クラスのやつと接触できたら、そいつから改めて情報を得よう。
なーに、カマをかけてやれば情報なんてすぐに集まるさ。
なにしろ、答えを知っている情報だからな。
そうして、魔王城の前まで連れて来てもらってしまった。
ここが魔王城か……。
デカい上に、立派な建物だ。敷地も相当に広い。
「……話は通っているから……」
「話が通っている? 」
は? いつの間に……ああ、伝書鳩でも飛ばしたか。
俺は言われるまま、門番のところに向かおうとすると、現場監督からもう一度、声が掛かる。
「ああ、フーマ! 」
フーマか。そういえば名乗っていなかったな。
忍者繋がりで、フーマと呼ばれるとは、伝説の忍びになったようで、悪い気はしない。
そうだな、現場監督の名前も聞いていなかった。
ちゃんと名乗って、彼の名前も聞いておこう。
「俺の忍法を見せてやるよ! 」
俺が振り向くと同時、現場監督はそんなことを言う。
にん、ぽう……?
俺は訳がわからず、首を傾げる。
「忍法、煙隠れ! 」
現場監督が印らしきものを結ぶ。
口元には、呪符だろうか。
まるで『戦え! 忍びマスター 』の忍法だな。
アレはフィクションだ。さすがにあんなことは、いかな俺でもできない。
ぼふぁっ!
なっ……!? 現場監督を中心に、辺り一面に黄色く色づいた煙が充満する。
「げほっ、げほっ……」
煙が目に沁みるのをどうにか堪えて、煙を拡散させる。
だが、現場監督はいない。あの『ぶいとおる』なる浮遊機械もいなくなっていた。
慌てて、辺りを見渡しても見つからない。
「煙隠れ……マジ忍法じゃん……」
俺は驚愕に空いた口が塞がらなかった。
ようやく立ち直り、門番に声を掛ける。
そういえば、あれだけ派手に煙が上がったんだ、門番が様子を見に来ても良さそうなものだったが、平然としていたな。
もしかして、門番はあの煙に気づかなかったとか……ぶるるっ。背筋を悪寒が走った。
まるで狐につままれたような感覚だが、現場監督の言う通り、話が通っていた。
軽く食事を頂いたり、湯浴みまで用意してくれていた。
それから、面会がある。
最初は五議会と呼ばれる者との面会だった。
近隣四領の領主と、俺ですら名前を知っている大魔導師カーネル・ウォアム老、彼ら五人がこの国の政治の中心らしい。
お互いに挨拶を交わし、俺は情報を集めていく。
もちろん、現場監督に迷惑が掛からないように、カマを掛けたフリをして、既に知っている情報を引き出すのも忘れない。
今のところ、感触としては悪くない。
悪辣非道な魔王の国と聞いていたが、内実は至って普通。
コウス国とは反目し合っているが、その魔術的な高い技術を使って、他国との交易を目論んでいるらしい。
新興国らしからず、謙虚で誠実なイメージがある。
内乱から生まれた国となると、もっと好戦的な国だと思っていたが、そうでもなさそうだ。
コウス国で生まれた『金色の魔王』から身を守るべく、軍事色も強めではあるが、それは近場に魔王が出た国としては、当たり前の範囲内と言える。
まあ、初日だしな。
正式に『ワゼンの使者』だと証を立てて、細かい話は後日に、ということになった。
そして、その夜は魔王との謁見が用意されることななったのだった。
俺は半ば放心していた。
魔王が、魔王が、現場監督だった。
しかも、魔王を含むこの国のトップと呼べる者たちが、全員、友達かよ! とツッコミを入れたくなるくらいにフレンドリーだった。
一瞬で終わる魔王陛下との謁見。
そこから流れるように進む懇親会。
いや、正直に言おう。
あれは、懇親会とは名ばかりの宴会だ。
俺を驚かした悪戯を誇る魔王に、宰相を名乗る女の子は延々と延々と『戦え! 忍びマスター』の話をし、そこにカーネル老が加わると、忍者、忍法、アサシン、スパイと話が広がり、魔王の発言を拾っては、魔術談義に持ち込もうとする領主がいる、話についていけず昔の武勇伝を語り出す領主がいるかと思えば、魔王と大食いを競う領主もいて、意味が理解できているのかいないのか、ずーっと笑いながら酒を飲んでる領主もいる。
その内、超級冒険者ってやつや、初級冒険者の魔王の幼馴染みも加わり、衛兵、文官、技士、職人まで騒ぎを聞きつけてやって来て、混沌とした宴会になっていく。
凄いカオスだった。
気がつけば、翌日の昼になっていて、俺は料理人の腹を枕にして寝ていた。
懇親会? の会場はメイドが片付けを始めていて、俺は部屋に通され二度寝を貪った。
それからは概ね真面目に五議会と話し合いを重ねた。
三日目と五日目は、またカオスな懇親会があったが、俺は真面目に参加した。
彼らは気のいい者たちばかりで、この国の生活について、良く知るための機会となった。
六日目に魔王陛下と昼間に話す機会があった。
魔王陛下は「久しぶりの休みなんだ」と喜んでいたが、一時間ほど俺と話していたら、宰相の女の子がやって来て、急遽、面会の予定が入ったと、魔王陛下を引きずっていった。
「や〜す〜み〜……」
魔王陛下の哀しそうな声が俺の耳朶にこびりついた。
この国はこれからまだまだ伸びるだろうと、俺は思った。
そうして、七日目。
名残惜しいが、俺は『ワゼン』への帰路につくことにした。
ほとんど城の中で過ごしてしまったが、国の流れや、文化、方向性は理解できたように思う。
魔王国ヴェイル。この国は魔術に支えられた豊かな国だと思う。
何故か魔王陛下に初めて会った場所まで送ってもらうことになった。
来た時と同じ、魔王陛下と護衛の兵士一人と俺。
俺は『武威徹』の魔王陛下の隣だ。
俺が刺客なら、忍具から棒手裏剣を出して一突きすれば殺せる距離。
そんなことをする気はないが、やはり危機意識が低い。
あまりに心配になったので、魔王陛下にその辺りのことを訴えてみる。
魔王陛下の危機意識の低さ、その理由が直後に分かってしまった。
コウスからの刺客が来たらしい。
五人の冒険者。
中級、いや、あの身のこなし方は上級冒険者でもおかしくない。
俺ではなく、おそらく魔王陛下が狙いだろう。
だが、だからといって他人事ではない。
忠告が遅すぎたか。
しかし、もう間に合わないという訳でもない。
俺が忍具を用意して、迎撃に加われば、捕縛は無理でも、撃退くらいはできるだろう。
……そう思っていたのは、俺だけだった。
守護霊に魔王陛下は守られていた。
しかも、上級冒険者らしき五人を簡単にのして捕縛してしまえるほどの守護霊だった。
魔王陛下は優秀な死霊術士でもある。
しかも、錬金技士でもあり、大魔導師並の魔術も使えるらしい。
規格外だ。
俺は魔王陛下の少年らしさが抜けない、好奇心旺盛で明け透けな態度を好ましいと感じていたが、魔王陛下は『魔王』と呼ばれるだけの力を持っている魔王でもあるのだ。
ワゼンはこの国と敵対する道を選んではならない。
彼らが融和を求めるならば、可能な限りそれに答えるべきだ。
コウス国王が彼を魔王認定した、その意味を俺は理解したのだった。