クイラスとオクト
「おお、クイラス様、早々の参陣、かたじけない」
銀輪騎士団長クライド・ポーテットは、『ソウルヘイ』の領主を前に頭を下げる。
「なんのこれしき。頭をお上げ下さい、ポーテット殿。
寡兵ではありますが、連れて来たのは選りすぐりの工兵たち。
今後、結集してくる各地の領軍、国王様ご選出の神官戦士たちのためにも、陣地作成はお任せ下さい」
「おお、ありがたい! 」
「それで、余計な差し出口をするつもりはありませんが、よろしければ、進捗を教えていただけますでしょうか? 」
「ええ、もちろんです。
魔王ヴェイルは、この騒がしの森と呼ばれる場所の端にダンジョンを構築しておりました。
ここ、叡智の塔からは目と鼻の先。
なんとも大胆なことです。
おそらくは灯台もと暗しと言いましょうか、ここならばバレにくいとでも思ったのでしょうな」
ハッハッハッ……とクライド・ポーテットは一笑に付したが、実際に見つけるまでに要した時間は、実に二ヶ月も掛かっている。
商人であるオクトは話を聞いた時から二ヶ月と予想していたが、国王の動きも慎重だったため、既にヴェイル・ウォアムに魔王認定が下されてから、五ヶ月も経とうという頃合だ。
それからクライド・ポーテットはクイラス・ソウルヘイを前にして、如何に銀輪騎士団が魔王の封じ込めに腐心したかを滔々(とうとう)と語った。
「……と、このような訳で周辺被害は一切ありません。
魔王と言っても成人したての子供のようなもの。
さすがに恐れをなして、引きこもっているという訳ですな……あの、聞いておりますか、クイラス様……」
クイラスはじっと『叡智の塔』を眺めていた。
ここが叡智の塔か……と羨望の眼差しである。
ここにベル師匠が暮らしていたと思うと感慨深いものがある。
ああ、この塔でベル師匠と共に叡智の深奥を極めることができたなら、幸せだろうに……そんなことを考えながら、クイラスは飽くことなく『叡智の塔』を眺める。
「クイラス様? クイラス様? 」
「あ、ああ、失礼。ポーテット殿のご活躍はよく分かりました。
それで、今後の展望などは? 」
「え、ええ、そうですね。
多少の犠牲は出しましたが、魔王のダンジョンに四層目があることが判明いたしまして。
実はここが正念場ではないかと睨んでおります」
「なるほど……」
「入り口は狭いですが、中にはある程度広さがある場所もありましてな。
そこを橋頭堡として、ある程度の軍勢を送り込もうかと考えております。
まあ、それをするには援軍を待たねばなりませんが、なーに、もうすぐ魔王の元に辿り着くは明白。
ここで無理をして、国王様からお預かりしている兵を無駄に消耗させるわけには参りませんからな。
もう暫くの我慢というところでしょうな」
「ふむ……大攻勢に出るのは援軍が揃ってからですか」
「まあ、心配には及びませぬよ。
年越しは自領で過ごせると思いますゆえ」
「おお、それはありがたいですな。
何しろ、王の参集にいち早く応えたはいいものの、こちらに来るまでも、それなりに手間取りましたからな。
年越しくらいは、部屋に篭って暖かく過ごしたいものです……」
クイラスはクライド・ポーテットの言葉に笑顔で答えた。
信頼するベル師匠のことだ、きっと何か手を打っているだろうと心の中では思っていたが、それは決して表に出さない。
まあ、クイラスの根回しは順調に進んでいる。
いざとなれば、そちらの手を早々に使うことも考えておくべきかと、心中を纏めるのだった。
その一方で、オクト商会の一室、ここでは悪巧みが進行していた。
「いやいや、わざわざの起こし、すいませんね、オーガス兄さん、ノーベン姉さん」
「やめてください、オクト兄さんの方が兄弟子なんですから……」
ノーベンはズレた眼鏡を直しながら、ため息をつく。
「はは……自分は一介の商人ですよ。レイル派としては最後まで全うできませんでした。
格で言えば、やはりノーベンさんではなく、ノーベン姉さんが正しいと思いますからね……」
「オクト、ノーベン、じゃれつくのは後だ。
ベルたんの危機だぞ! 早く何をすればいいのか、説明してくれ……」
筋肉隆々の厳つい男が腕を組んで言う。
眼鏡を掛けた妙齢の女性は、各地を転々としながら、半ばボランティアのように村村に必要とされる魔導具を作り、今や伝説と化しつつある聖・錬金技士と呼ばれるノーベンで、厳つい男は王都スペシャリエでも指折りの錬金技士オーガスだ。
二人はレイル派の弟子であり、オクトにとっては兄弟子と妹弟子に当たる。
「別にじゃれついてなんか……」
「あ、はい、はい、申し訳ございません。
ええとですね……」
オクトは二人を集めた理由を説明していく。
ヴェイル・ウォアムが魔王認定されたこと、そこから生き残るために、国を相手に倒すことができないと思わせようとしていること。
オクトがヴェイルと組んでしている商売について話している辺りで二人からは不満の声が上がる。
「オクト、何故黙っていた。俺ならいくらでも協力したぞ……」
オーガスは非難がましい目を向ける。
「いやいや、オーガス兄さんは王都にご自分の店があるじゃないですか! 」
今でこそ、オクトはベルの『取り寄せ』魔術を一枚、譲り受けているので、ベルとのやりとりに困ることはないが、それはオーガスには適用されない。
オーガスとベルを繋ぐとなると、時間がかかり過ぎる。
「もしかして、援助していただいたお金ってベルくんから出てたんですか!?
言って下さいよ。ベルくんに随分と不義理なことをしていたことになるじゃないですか!? 」
「いえいえ、確かに師匠の坊ちゃんと稼いだお金ですが、あくまでも援助はわたくしの取り分からですから! 」
それぞれの誤解を解くように説明してから、お茶をひと口。
オクトは必至に軌道修正をはかる。
「……ごほんっ、それでお二人に来ていただいた理由の話になるのですが……」
オクトは国王から『異門召魔術』の再現を頼まれていることを説明する。
「おい、俺にベルたんと敵対するようなことを頼むつもりか……」
言葉少なにオーガスが威圧する。
「オーガス兄さん、オクト兄さんに限ってそれはないと思いますけど……」
これに関してはノーベンはオクトの味方らしい。
「ええ、ええ、もちろんですとも。
実を言えばですね。
わたくしは師匠の坊ちゃんと繋がっております……」
どうですか、と言わんばかりに鼻の穴を膨らませてオクトが胸を張る。
だが、オーガスもノーベンも反応は薄い。
「そんなことは当たり前だろう……」
「ええ……」
ノーベンは少し可哀想なものを見る目でオクトを見やる。
「あ、えと……さすがに戦う力はないので、表立った反抗はできないのですが、そこはこのオクト、師匠の坊ちゃんに認めていただいた商売人ですので、わたくしのフィールドで戦ってやろうと思っている訳です……」
「ふむ、それはどういう……? 」
「オーガス兄さん、聞いて分かります?
きっとオクト兄さんの話聞いてると、頭の中、ぐるんぐるんしますよ? 」
長年の付き合いでお互いの特性を理解しているからだろう。
妹弟子が的確に兄弟子を窘める。
「いえいえ、問題ございません。
この異門召魔術が、師匠の坊ちゃんの芋版が元になっているというのは、分かりますかね? 」
オクトが現物を手に説明を始める。
オーガスはそれを受け取ると、ガチャガチャと弄り始める。
だが、オクトは好きにさせている。
インクは偽物で、内部を調べさせない破壊機構も外してあるからだ。
「……これは、こうか? ふむ……おお……こうなって、こうか……」
「これ、原版はオクト兄さんですか?
八割二分ってところですね。少し腕、上げました? 」
「うぐ……いや、それはあくまで見本ですからね……」
オクトは少し気恥ずかしくなって、頭を掻く。
オーガスは箱を開けて、内部機構を確認し始める。
「おお、なるほど、ふたつをひとつに……これは技巧が安定せねば、下手をすると七割を切るだろうに……」
「ああ、確かにベルくんの考えそうな機構ですね。懐かしい……練習で掘り込んだお芋が勿体ないってお鍋に入れて、いざ実食の時にその跡を兄さんたちが批評するもんだから、ベルくん拗ねちゃって、煮込んだから崩れたんだーって力説してましたよね……」
「ああ、ベルたんの可愛さにみんなニヤニヤしてな……」
「それから煮崩れしにくい食材探しを手伝わされましたよ、わたくしは……」
「だが、そのおかげでベルたんがどんな大きさのものでも、その大きさに合わせて彫り込みを入れられると知って、全員の顔が青くなったな……」
「え、そうだったんですか? オーガス兄さんなんか、普通にできてたから、私なんか必死に勉強しましたよ。追いつくんだーって」
「いや、ある程度はやれていたがな……俺もジューラも、あの時は夜なべで勉強だった。
カーネル様の講義も身を入れて聞くようになったしな」
オーガスはここにはいない姉弟子とのことを懐かしく思い出す。
「そういえば他の弟子仲間は呼ばなかったんですか? 」
「ジューラ姉さんはマンガン、セプテンは……ソウルヘイのお抱えになったんじゃなかったか? 」
「ディッセンはワゼンに呼ばれて、どこかで隠遁生活しているって話でしたけど……」
「ええ、ええ、そうですね。
他の方々は連絡できなかったりしたもので……」
「なんだセプテンのやつくらいは連絡取れたんじゃないのか? 」
「ああ……そこもちょっと込み入った話がありましてですね。
とりあえずは、わたくしの方からは連絡できませんでしたので……。
ただ、セプテン兄さんも、セプテン兄さんなりに動いているはずですよ、師匠と一緒に」
「そうか、その辺りは後で聞くとして、今はオクトの話を先にしよう」
「はい……」
それからオクトの話は紆余曲折を経ながらも、長い時間に及ぶ。
「つまり……俺たちはオクトの言うままに魔導具を作ればいいんだな? 」
「はい、簡単に言えばそうなります」
「それで、汚名はお前が引き受けると? 」
「はい、全てはこのオクトの至らなさゆえと言うことにしていただければよろしいので、オーガス兄さんやノーベン姉さんには傷はつきません……」
「ダメだな……」
「オーガス兄さん……」
「汚名は俺たち全員で受けよう。でなければやらん! 」
「え? え? あの、一門の名に傷がつきます
! 」
オクトはぶんぶんと首を振った。
「いいじゃないですか。汚名なんて気にする方じゃないですよ師匠は」
ノーベンは知ったような口を利く。
「そうだな。技術の質が落ちたら折檻だが、それ以外は好きに生きろと師匠は仰っていた。
ついでに、多少はオクトを見習って利に聡くなれ、ともな……」
「え? し、師匠がですか? 」
「あ、私も言われました。特に私の場合、情で動きやすいから、好きに生きていいが、最低限の金は受け取るようにしろって口を酸っぱく言われましたね。
オクト兄さんに相談してみますって言ったら、それ以上、言わなくなりましたけど」
「師匠が……」
「オクト、免許皆伝こそ受けていないが、お前も立派にレイル派の人間だ。
お前一人、ベルたんと仲良くするのは許さん! ……じゃなくて、俺たちをもっと頼れ。
まあ、商売は下手だがな」
「そうですよ。
オーガス兄さんの言う通り、自分だけベルくんの関心を買おうとしたって、ダメですよ。
ちゃんと私たちにも分けて下さい。
レイル派みんなでベルくんは可愛がるんです! 独り占めはダメですからね! 」
「ノーベン……」
オクトはつい、昔ながらの言い方に戻ってしまう。
そう、同じ『塔』で修行していた頃は、負い目もなく、兄弟子として振舞っていたのだ。
ノーベンはその言動に嬉しそうな笑顔を見せる。
だが、オーガスに釘を刺すのも忘れない。
「オーガス兄さんもですよ。いくらベルくんが可愛くても、独り占めは禁止ですからね! 」
「お、おう、もちろんだとも……」
こうした話し合いを経て、オクトは国王の元を訪れる。
「よくやってくれたな」
「はっ、ありがたき幸せにございます……」
「これはどれくらい揃えられる? 」
「ひと月で、どうにか八十、というところでしょうか……」
「そんなものか……」
「これでも、かなり無理を通しての数字です。
これ以上は自分では……」
「ふむ、まあよかろう。
では、三百ほど買おう」
「ありがとうございます……」
「だが、三ヶ月で揃えろ。それ以上、あの魔王をのさばらせておく気はない。
いいな……」
「……は、はい。ですが……」
「いいな。後は大臣共とやれ」
「か、かしこまりましてございます……」
そして、後に『コウスの乱心』と呼ばれる日がやってくる。