ロマンサー。どうしますか?
頭の中で圧縮魔法陣を描いてみる。
複雑だ。
普通の魔法陣より使われる紋章の数が段違いだ。
しかも、知らない紋章だらけ。
俺の知る紋章らしきものも、普通より潰れている。
なまじ普通の紋章に馴染みがあるだけに、微妙な差異が頭に入って来ない。
ちくせう! もっと時間があれば覚えられるのに、青年のメーゼの描くスピードが、速すぎてそれどころじゃねえ。
と、はたと思いついた。
そうだ! こんな時こそ【ロマンサーテスタメント】があるじゃないか!
俺はそっとペンダントにしてあるそれを服の上から抑える。
途端に真っ白な世界と今、見えている世界が二重写しのようになって、世界の動きが超低速に感じる。
《現在、十八万、五千二十六GPです。
どうしますか? 》
相変わらずのシステムメッセージは頭から追いやる。
にしても、十八万か。意外と貯まってた。
まあ、運命線の変更は俺がアンデッドと契約する度にポイントアップしていて、貯まるGPの数倍の早さで数値が増えている。
こんなペースじゃ保険の保険の保険にもならない。
それは、どうでもいい。
重要なのは、この俺の思考速度が数十倍だか数百倍だかになっている状態だ。
視界の端にクーシャとアステルの戦いを収めながらも、青年のメーゼが描く圧縮魔法陣に集中する。
じっくり観ると、覚えるのも楽でいい。
しかも、ある程度だが考察する余裕もある。
確か、老年のメーゼは「因子が足りなかった」とか言ってたか。
魔王。人の体に捻れた角、竜のような翼、鬼のような爪、怪力に、無限かと思える再生力。
皮膚の色が違ったり、尻尾のあるなし、眼が光るなんてのは、文献によって違いがある。
恐らくは、因子が足りるとそれら全てが発現するのかもしれない。
因子ってなんだよ、とは思うが、もしかしたら人によって個人差があるものなのかもしれない。
壮年のメーゼは頭が膨らんで、目、鼻、耳、口なんかがグチャグチャの位置に移動して、でも他はそのままだ。
因子とやらが殆どないから、だったのかな。
死霊のメーゼは角と翼、皮膚の色なんかも変わってた。
老年のメーゼは爪と皮膚の色、あとは怪力と再生力って感じか。
うん、個人差かもな。
死霊のメーゼが一番、魔王っぽい感じがする。
でも、死霊のメーゼは少女のメーゼの魔法陣で魔王化したんだったか。
つまり、少女のメーゼが踊り描いた魔法陣と、青年のメーゼが描く魔法陣は、少し違うものなのだろう。
何しろ青年のメーゼの魔法陣にはリスクがあり、計画変更した上での出来事だしな。
それが、因子による個人差ってことな気がする。
むむ……良く見れば、線の太さに違いがある。
これ、もしかしたらサンディが持つ、魔法陣を流れるオドが見える『翡翠の瞳』があったら、より細かく理解できる類いのやつじゃないか、とは思うものの、都合よく俺にそんな瞳はないので、後回しだ。
複雑だが、分かる部分もある。
聖印、いや、この場合、魔印だろう。
そういうのが使われている。
どちらかと言うとモンスターが使う『魔法』と人間が使う『魔術』の中間くらいの、儀式魔術付き紋章魔術という位置付けだろうか。
そうしていると、そろそろ俺が最初に覚えた部分にチョークが伸びる。
考察も限界だな。
俺は白い世界から抜け出て、同時に『火の魔術符』をぺったん。
青年のメーゼが描いている途中の魔法陣を焼いた。
「な、何を……」
「いや、当然だろ」
魔法陣のチョークに併せて、火が走る。
「くっ……メーゼがメーゼを守るはずなのに……くそっ! 」
そう言って青年が火の上がる魔法陣の中に飛び込んだ。
マジかっ!
まだ魔法陣は七割九分程度だったはず。
青年のメーゼの服に火が移る。
メラメラ、と魔法陣ではない光に包まれる。
「無駄だ! 魔法陣は最低でも八割の完成度がなければ発動しない。
俺が見誤る訳がない! お前、死にたくなければ、こっちに来い! 」
なんとなくだが、青年のメーゼは気になるやつなんだよな。
外界とあまり関わりたくない雰囲気とか、そのくせやけに計算高い部分があったり、魔法陣に集中している姿なんかも、親近感が湧くものだから、死なせたくないと思っている俺がいる。
だから、青年のメーゼに声を掛けながらも、俺はチョークを取り出して『水の魔法陣』を描いている。
そんな中、いっそ暢気な声が、俺の耳に入ってくる。
「はあ……失敗かよ……まさか俺の肝入りで失敗するとか、ウリエルのやつ、降格もんだな……」
普通のメーゼだ。
いつのまに台形ピラミッドを登って来たのか、両足を開いて腰を落とす、ヤンキー座りでそこにいた。
「まあ、あいつもずるひとつだし、これくらいなら文句も言われないだろ」
普通のメーゼは空中に紋章を指先で描く。
正直、意味は無いはずだ。
空中で紋章を描いたところで、そこにオドが流れる訳でもなく、ましてや、紋章魔術ですらない、ただの紋章。
形になっていない。
でも、俺の中に生まれるこの焦燥感はなんだろう。
何か、ヤバい感じがする。
そう感じたのもつかの間、俺の背後から光が溢れる。
俺の中で、何故? が渦巻く。
ちゃんと見た。青年のメーゼの魔法陣は八割に到達していない。
しかも、俺の炎に焼かれて、魔法陣にオドはまともに流れない状態のはずだ。
だというのに、青年のメーゼは魔法陣からの光と炎に包まれていた。
「ベルさん! 」
アステルの声。
「ち、違う……俺はちゃんと……」
俺はちゃんと魔法陣を焼いたはずだと、役にも立たない言い訳を口にしようとしている。
アホか。そんな言い訳など無駄だ。
青年のメーゼは魔王化していっている。
「うごが、ぎご……ぐががが……」
魔王化しながらも、炎に焼かれて、言葉にならない声を上げる。
「アステルさん、こっちは僕が! 君はベルくんの方へ! 」
クーシャが叫ぶ。
『金色』の魔王はまだ生きている。
アステルとクーシャ、二人がかりなら、効果的にダメージを与えられるが、再生力があるため、殺すには時間が掛かる。
俺がもたもたしていたからなのか。
魔法陣の解析なんかしていないで、青年のメーゼをもっと早い段階で止めるべきだったのか。
でも、あの時点では、魔王化の秘密を紐解くべきだと考えていたのだ。
伝承に語られる魔王は、簡単に倒せる相手ではない。
国ひとつ、いや、世界が滅びかけたこともある。
アルが生き返った後の世界に、魔王なんか必要ない。
だから、魔王化のプロセスを理解すれば、魔王を生み出さないようにもできるはずだと考えたのだ。
「でも……」
アステルが迷いを口にする。
クーシャ一人では『金色』の魔王には勝てない。下手をすれば、クーシャと言えども負ける。
アステル一人でも、同じ結果だろう。
因子次第、個人差によって生まれる完璧ではない魔王でそれなのだ。
それがもう一匹増えるということは、正直、ヤバい。
「おい、おい、ロマンサー。
ほら、今こそ使い時だろぉ。
どーんと行っちゃえよ。
どうせ、魔王を倒したら、またどーんとポイント稼げるんだからさぁ。
いつ、運命に抗うの? 今でしょ! 」
普通のメーゼが囃し立てるように俺に声を掛けてくる。
「ロマンサー? 」
『金色』の魔王が俺へと視線を向ける。
どうもロマンサーに対して執着があるようだし、その瞳には昏い憎悪のようなものが見てとれる。
「ああ……」「やっぱり……」
その視線に引き摺られるように、クーシャとアステルも俺を見る。
ロマンサーは自分の望みのためなら何でもする。忌避すべき存在。
それが一般的なイメージだ。
俺がロマンサーであることを隠すのは、ロマンサーだと認識されると信用がなくなる、恐れられる、人外の力があると期待される、そういった煩わしさがあるからだ。
俺が殺したポロは百鬼夜行という盗賊団を殺すために生きたロマンサーで、その情報を掴んだ瞬間、依頼を放り出した。
ロマンサーは街もダンジョンもフリーパスだが、バレたら武器、防具、道具の値段はふっかけられるし、場合によっては宿など断られる時もある。
だから、基本的にロマンサーは自分がロマンサーだということを隠している者が多い。
たまに開き直って、ロマンサーだと吹聴して回ることで無理を通すやつもいる。まあ、これは実力がある奴に限る。
何故かクーシャやアステルには納得されているようだが、俺からロマンサーだと言ったことは一度もない。
バレた、もしくは疑いを持たれたとしたら『テイサイート』の冒険者互助会、受付のおじいさんくらいだが、俺はそれを認めるような発言はしていないし、おじいさんもそれを他人に吹聴するタイプではない。
では、何故、普通のメーゼにバレたのか。
本来ならバレる訳がない。
俺はネクロマンサーだとバラすことはあっても、ロマンサーだとバラすことはない。
つまり、バレたのではなく、暴かれたというのが正解だろう。
普通のメーゼのことを考えると、何故か頭が上手く働かなくなるが、無理にでも推し進める。
普通のメーゼは、俺を見ているようで俺を見ていない。
俺の頭の上、そこに俺のことが書かれているかのように、それを見て判断しているような気がする。
何らかの魔術だろうか?
いや、おかしい。
何がおかしいかと言うと……ぐぬぬ……考えがまとまらない。
俺は我知らず、また【ロマンサーテスタメント】を握りしめていた。
白い世界と現実が二重写しになる。
《現在、十八万、五千二十六GPです。
どうしますか? 》
まあ、ある意味ちょうどいい。
意識しての行動ではないが、俺には時間が必要だ。
まず、落ち着こう。
そう、思いながら意識せずにGP取得できるギフトを脳内で流しっぱなしにする。
何故、普通のメーゼのことを考えようとすると、頭の中にモヤがかかったようになるのか。
その辺りに答えがある気がする……。
おお、『思考加速』と『並列思考』、『多重思考』なんかはいいな。
───ん? なんでギフトを取ろうとしているんだ?
違う、違う。「ドーンと行っちゃえよ」ではない。
ちくせう! 『思考誘導』されている気分だ。でも、これも使えそう……。
そうだ! GPだ!
普通のメーゼが言っていた。
「どうせ、魔王を倒したら、またドーンとポイント稼げるんだからさぁ」だ。
あいつはGPの存在を知っている。
さらに魔王を倒したら稼げるということを知っている。
ここ百年ほど、魔王の存在は確認されていない。
なのに、ポイントが稼げると宣う。
それに、『サルガタナス』の存在も確認していたような素振りがある。
そうだ、その『サルガタナス』もおかしい。
《まさか、バレたか……》
俺だけに向けた念話のはずが、取り乱したように全体向けの念話になり、それから隠れるかのような沈黙。
今なら分かる気がする。
『サルガタナス』のバレたかは、俺が『黒のロマンサー』だと、普通のメーゼにバレたのか、という驚愕だ。
『副神』の隠蔽をすり抜けて、ロマンサーを見抜き、『サルガタナス』が恐れ、転移魔術らしきものを使い、空中に指で描いただけの紋章で圧縮魔法陣を補う。
こんなことができるとしたら、それはもう『神』か、それに連なる一柱しかないだろう。
いや、それどころじゃない。
『ウリエル』を降格させられる。その権限を持っているとなると……。
《現在、十八万、千二十六GPです。
どうしますか? 》
俺は白い世界から抜け出る。
普通のメーゼはニヤニヤとこちらを見ているので、そこに指を突き付ける。
「お前が『主神』だな! 」
確信して、絶望、しかし、まだ希望の糸を握っている。
だから俺は『主神』に指を突き付けるのだった。
ヤンキー座りは副神の書く物語によって、世に浸透しているという設定。