アルの研究?騒がしの森!
俺はひたすら判子を作っている。
あれから何日経った?
朝、昼、晩と基本的にひたすら判子作りをしている。
それが終わったら、寝る前にひたすらアルに話し掛けている。
アルはやっぱり学習しているようだった。
特に実践して見せると覚えるのが早いということが分かってきた。
最初は塔の中から本を持って来てもらうということができなかった。
文字を覚えていないというのが分かったので、細かく本の特徴を伝えたりして、工夫すると理解するようになったのだ。
森で枝を取ってくるというのも、分からなくて混乱してしまったために起こったことのようだった。
アルは混乱すると、ただ前進する。
ちょっと面白い。
待機って言うと、体育座りする。
ひとつずつ理解が進むのは、詠唱魔術の研究感覚に近いものがある。
今日はアルとどんな話をしようか……。
そんなことを考えながら、シャチハタハタの鰭を削っていると、段々と大きくなる声が聞こえてくる。
「……ませーん!ヴェイルさーん!いらっしゃいませんかー!」
ん?誰か来たようだった。
あれ?俺が呼ばれてるのか?
俺は玄関に向かった。
扉を開けるとそこには五人組の冒険者がいた。
「僕達は依頼を受けさせていただいた『リンクス』と言います。
ご依頼の品、お持ちしました!」
リーダーらしき紺色ツンツン頭の青年が挨拶してくる。
背中にはバスタードソードという片手でも、両手でも扱えるゴツい剣を背負っていて、なかなか強そうだ。
「あ、どうも……」
「こちらお確かめ下さい……」
腰にふた振りの剣を提げた女性が手にした包みを開くと、頼んでいたアイアンヘッジホッグの針二十本と、クズ鉄晶石がひとつある。
俺はそれを確認して頷く。
ヨシ!これで前進だ!
「問題なければこちらにサインをお願いします」
一枚の羊皮紙だ。依頼達成確認書とあり、依頼内容と彼らのサインがしてある。
俺は荷物を受け取って、サインをする。
紙が普通に作られる時代に羊皮紙とは、やけに前時代的だなと思ってしまう。
まあ、どうでもいいと言えば、どうでもいい。
「いやあ、最短四日というお話だったのに、五日になってしまいました。すいません!」
元気よくそう謝ったリーダーらしき人はショウヤという名前らしい。
五人はノミ村というところの出身で一獲千金を夢見てテイサイートの街で冒険者をやっているらしい。
俺が金払いが良さそうだと見たのか、今度また依頼がある時はぜひ『リンクス』を指名依頼して欲しいと売り込みをしてから、帰っていった。
俺はニコニコとした愛想笑いを収めて、心の底からニンマリ笑う。
「おーい!アル!一緒に出掛けるよー!」
アルと一緒に家の南の森へ、イラガの枯れた二又の枝と果実をいくつか取ってくるのだ。
森の中、奥に行けば危険な獣やモンスターなんかが出ることもあるので、いくつか装備を整える。
アルには袋と大鉈を持ってもらう。
《おい、我を伴え》
俺が部屋を出ようとすると、『サルガタナス』が声を掛けてくる。
「また?」
《暇なのだ》
「ふーん……どうせ、コレで聞こえるんだから、連れてく必要はないんじゃないの?」
俺は黒く染まった【証】を指さして言う。
まあ、嫌味だ。
相手が本とはいえ、監視されているようなものなので、あまり気分の良いものじゃない。
そのことを軽く指摘してやったのだ。
《ベル……まだ我の重要性が理解出来ていないようだの……》
「重要性?」
《そう、重要性だ。お主はまだ我を完全に読み解いておらぬ。
それが本という我をどれだけ傷つけているか、理解しておらぬのだ!》
「えっと、それって……」
読んでもらえないと淋しいとかそういう話だろうか……。
なんだろう……自我のある本ってめんどくさいな……。
ぼっち属性をこじらせたら、こうなっちゃうのか?
「よ、読んでくれって言ってんのか?」
《ち、ちち、違う!ほら、ベルは夜眠る前に本を読む癖があるであろ?しかし、我を読みかけているくせに手に取るのは程度の低い魔術本ばかり……我という至高の本がありながら、すぐ別の本を読む……つまり、身近に我がなくてはならんのだ!》
「いや、だから読んでくれって……」
《違う!本好きが本も持たずに出掛ける愚行を戒めるためにだな……》
違わないじゃん……。
「あのなぁ……誰のせいで俺が出掛けなくちゃいけないと思ってんの?
お前の記述のせいだろ?
俺はお前という知識に基づいて、それを実践するべく動いてるんだ。
それにお前は難しすぎる!
瘴鉄石って何だよ?クズ鉄晶石ならクズ鉄晶石って書けよ!
なんで訳の分からん自分語みたいので書いてあんの?
お前、昔の人が患ったっていう厨二病か?厨二病患者が書いてんのか?
これから森に行こうとしてるのに、お前みたいな分厚い本持っていったら重いだろ?
必要なモノは頭に入ってるし、俺は時間を掛けても本は全部読む。
それでも連れて行けってダダ捏ねるのか?」
《ひ、必要になるかもしれんじゃろ?》
「ならねーわ!泥棒魔法は使う気ないし、今はアルを進化させることで頭がいっぱいなんだよ!
アルが進化したら、必ず読むから、それでいいだろ?」
《ぐ、ぐぬぅ……》
それきり『サルガタナス』は黙ってしまった。
確かに、半端なところで本を置いておくというのは、俺としても自分の主義に反する部分はある。
しかし、完璧に『サルガタナス』を読み込もうとすれば、下手をすると何年、何十年と掛かる可能性がある。
だから、必要な部分だけを読み込んで、他はざっと目を通したという状態で放置しているのだ。
でなければ、アルの生き返りに時間がかかり過ぎる。
じっくり読み込むのは、アルが生き返ってからでいいと思っている。
「んじゃ、ちょっと行ってくるからな……」
《…………》
返事がない。拗ねたかな?……って、何を俺は本の気持ちなんて考えているのだろうか……。
とりあえず、『サルガタナス』が黙ったのをいいことに俺はアルと出掛けることにした。
森の表層部、アルに新しく指示を出しながら歩く。
俺のことを守るのが一番、アルのことを守るのが二番、守るためなら攻撃を許可するといった話をする。
家の南の森は、『騒がしの森』と呼ばれている。
とにかく色々な種類の動植物が詰め込まれたような森で、規模は山ひとつ分程度しかないものの、実り豊かな森である。
『知識の塔の薬草園』なんて呼び名もあるらしいが、別に家の敷地ではなく、ただの自然の森だ。
ただ、家のじいちゃんは兎角、収集癖があるので、どこかに呼ばれたりすると珍しい植物の種子なんかを貰ってきて、この『騒がしの森』に蒔いたりする。
じいちゃん曰く「とりあえず蒔いておけば、生命力があれば生き残るじゃろ」ということらしい。
その内、突然変異で最強の植物とか生まれたら面白いとは思うが、今のところその兆候はない。
俺とアルは見かけた様々な果実を採りながら、森の奥へと進んで行く。
「あれ?ここら辺にイラガの木があったはずなんだけど……」
俺の記憶が間違っているとは思えない。
なにしろ、昔はよく森に入って果実集めをしたもんだ。
主にじいちゃんの弟子がキレた時に弟子たちが集めた果実をもらうだけ、だけど。
じいちゃんの弟子、それは主に魔導師を目指す人たちだ。
じいちゃんの弟子はツラい。
時には詠唱魔術研究。時には紋章魔術研究をやらされる。
そう、研究なのだ。
特に詠唱魔術研究は酷い。まずひとつの呪文を定める。
例えば、一番簡単と言われる、直径十メートル高さ十メートルの火柱を吹き上げる『火柱の呪文』。
ラルウオイヒスイェトクアクオイィトネグウツイスナヌネウィイトアクナニジェ、という呪文。
これ、昔はもっと長かったらしい。
じいちゃんと弟子たちが一音ずつ削れるところはないか、と確かめた結果、ここまで短縮されたのだ。
しかも、ここまでの短縮呪文はじいちゃんと弟子、後は俺くらいしか使えない。
じいちゃんはこの呪文を広めたかったらしいけど、弟子たちからは安売りしないでくれと猛反発をくらって、更に他の詠唱魔術士から権威が落ちると横槍を入れられ、国からも他国に移動する者に教えてしまうと問題があると制限をかけられ……と色々あって、さすがに断念したらしい。
更に、キツい研究もある。『火』を表す『アク』を特定するために他の呪文を総当りして、同じ音節を探し、その前後の音節や似たような使われ方をしている音節など、それらを入れ替えたり混ぜたりという作業を延々とやったのだ。
詠唱魔術は呪文さえ覚えて代償が払えれば、誰でも唱えられる。
ただし、代償が足りなかった場合は詠唱者のオドが絞られることになるので、研究は文字通り、生命をすり減らす綱渡りになる。
じいちゃんの弟子たちは元々優秀だった人たちばかりだ。
その優秀な人たちが、じいちゃんに憧れて、のめり込んでしまった結果とも言える。
だが、のめり込んでしまった結果、膨大な数の総当りに突き当たると、全員が発狂寸前ということもよくあった。
そんな時、急に「甘い物が食べたい」とか「静かなところ、呪文が聞こえないところに……」とか弟子たちがキレることがある。
彼らはキレると、森に入る。フラフラと。
そんな時は、読み書き算術を習いに来ている子供たちの出番だ。
キレた弟子たちは、人の優しさに飢えているので、子供たちが心配そうに声を掛けると、見事な百面相を見せて、泣いたり笑ったりする。
それから、森の果実を分けてくれたり、おねだりすると紋章魔術を披露してくれたりするのだ。
弟子たちも、子供たちに下心があるのは知っているのだが、心が弱っているので、簡単に絆されてしまう。
寝食を忘れ、同じような呪文を何百、何千回と唱え、代償が払われる瞬間を待つ。
代償が払われるということは、呪文が効果を現したということだ。
だが、大抵は何も起きない。
言い間違えても何も起きない。
当たりを引いても、場合によっては代償が足りなかったり、とんでもない効果になったりすると、悲惨どころではない。
まあ、色んなモノがキレてしまうというのも、仕方ないのかもしれない。
今、じいちゃんの弟子たちは全員が出稼ぎに行っている。
魔術研究は金が掛かるので、五年後にまた集まる予定らしい。
逆に母さんの弟子たちは全員、独り立ちしている。
まあ、オクトみたいなのもいるけど。
それで、時期的にもちょうどじいちゃんと母さんに用事があるし、寺子屋は長期休暇に入っている。
俺としては、アルを隠したりする必要もないので、ありがたいが、森の散策、又は収集品の確認が趣味のじいちゃんならイラガの木がどこら辺なら生き残っているのか知っているだろうと思うので、それが聞けないのは少し残念だとは思う。
辺りに枯木は落ちているが、葉も落ちて、実もつけていないとなると、イラガの木かどうか分からない。
少し歩いて探してみるしかなさそうだ。
「アルは覚えてるかな?
じいちゃんの弟子のメイとかさ、良く果実採ってくれてたじゃん!
なんか三角飛びみたいにして、木の上の方の熟した実を軽々ともいだりしてさ。
んで、アルが真似しようとして、雨上がりの水溜りに顔面から突っ込んでさ……クククッ……顔中泥まみれで、服もグチョグチョになってて……」
生前のアルなら、顔を真っ赤にして、照れ隠しのデコピンが飛んできそうだが、今は無機質な表情で首を傾げるだけだ。
やっぱり掃除の仕方は身体が覚えていても、思い出というのは覚えてないような印象を受ける。
久しぶりに森に来て、思い出したから話しただけだが、思っていたようなリアクションが来ないというのは、少し拍子抜けでもある。
学習ができるなら、記憶ができるということなので、もしかしたらと思ったんだけど、そう上手くはいかないらしい。
俺たちはイラガの実を探しながら、俺が一方的に話すということを続けていた。
「……それでさ、あの時じいちゃんがさ……ぐえっ!」
俺がまた思い出した話をつらつらと語っていると、突如として後ろ襟を引っ張られる。
同時に近くの木で、どんっ、と大きな音がしたと思うと、俺の眼前に一抱えはある木が、メキメキッと音を上げて倒れてきた。
「うおっ!あっぶな……」
襟を引っ張ったのはアルだと直感的に理解したので、俺がアルに礼を言おうとすると、アルは俺を無視して、倒れてきた木の方に向かった。
合わせて俺の視線がアルの向かう先を見る。
「大角魔熊……」
そこにはトナカイのような大きな角を持つ、身の丈五メートルはある熊が居た。
肩や膝、胸の一部に硬い装甲のような骨が張り出していて赤黒い体毛の中、白い骨が不気味な色を見せている。
飢えているのか、俺たちを見てべろべろと舌なめずりしていた。