サンライズイエロー。苦しめ!
何故、隠れていろと指示したトウルが出てきたのか……。
トウルは脳筋戦士だ。
客か、敵か、まあ、十中八九敵だろうという予想があったからこそ、伏兵として隠したんだが……。
「ワガシュシンヨ!トールニタタカウユルシヲ!」
トウルはジッと『ウリエルの書』を見つめている。
それは脅威に感じているように思う。
ああ、少女のメーゼが魔導書を出してすぐだったな、トウルが飛び出してきたのは。
そういえば俺は、『黄昏のメーゼ』が『エインヘリアル』を屈服させる術を持っていると予想していた割には、トウルからそれを聞いたりしていなかった。
要するに、トウルは『ウリエルの書』を危険だと感じていて、それをどうにかするために出てきてしまったのか。
「やるつもり?」
「そりゃお前だろ?」
不敵に笑う少女のメーゼが言う。
俺はもう、条件反射的に挑発してしまう。
アステルが俺の後ろで緊張のためか、ゴクリと唾を飲む音が聞こえた。
ガチャ、と馬車の扉が開く。
出てきたのは長身の男だ。白髪白髭の年齢的にはかなり上だと思われる。
革のマント、着ている物は革の服だが、その厚みからして多少の防御力を持たせたもの。
同じく革のつば広帽子を落とさぬように軽く片手で抑えながら馬車から降りる。
「メーゼ様、厄介ごとですかな?」
眩しそうに日の光を見つめて、長身の男はこちらへと正対する。
胸に掛けた聖印が、まるで鈍器のようにジャラリ……と光る。
「聖騎士……」
「『斜陽』ハイン卿?」
俺の呟きをかき消すように、クーシャが言う。
「おやおや、こんなロートルを覚えておいでの方がいるとは……ん?昔、見た顔ですな……」
『サンライズイエロー』……色の名前か……。
つまり、こいつは超級冒険者か。
聞いたことはないが。
『サンライズイエロー』はクーシャを訝しげに見ていた。
「ワガシュシン!」
「待て、トウル!」
状況が目まぐるしく変わり、いきなり『メーゼ側』が仕掛けて来ないなら、まだ交渉を続ける余地がある。
クーシャは少し畏まって『サンライズイエロー』に答える。
「昔、一度、『クリムゾン』と共にお世話になりました……」
「ほう、今はひとかどの人物のようだ……貴方はそちら側で、よろしいのかな?」
「ええ、彼は友人なので……。
ベルくん、『サンライズイエロー』は神の奇跡とサイキックを使う……気をつけて……」
ああ、聖騎士崩れのサイキッカー超級冒険者ってことか。
最悪だな……。
「それで、どうするの?断る?受け入れる?」
「まるで断って欲しいみたいな聞き方だな?」
「だって、メーゼはお前、嫌いだもの……」
「奇遇だな。俺もお前らのこと、嫌いだよ。
だけど、俺の目的が達成された後なら、メーゼになるのを考えてもいい……」
まあ、嘘だ。でも、交渉の余地があるなら、何とかもう少し時間を稼ぎたい。
「ふん、骨のない男……」
メーゼは手にした『ウリエルの書』をこちらへと差し出してくる。
「いいわ、そういうことなら、本を先に受け取りなさい、ほら……」
差し出されたメーゼの手を見る。
それから表情を窺う。
少女のメーゼの顔は努めて冷静で、さっきまで怒りを抑えようとしていた顔が嘘みたいに表情が見えない。
俺がその本を受け取ろうと手を伸ばした瞬間、それは一瞬だ。ほんの一瞬だけ、メーゼの口角がピクリと跳ねた。
何かを感じた俺は、慌てて手を避ける。
バサリ、と『ウリエルの書』が地面に落ちる。
「ちょっと!もう……ちゃんと受け取りなさいよ……」
俺は『サルガタナス』に念話を送る。
《アルファが触れたらどうなる?》
《ポルターガイストで飛ぶ本は触れたとは言えぬ……霊体には無意味ゆえ……》
つまり、実体で触れるのはマズい訳だ。
《ルールに抵触したか?》
《問題ない、どの魔導書でも同じことゆえ……》
なるほど。魔導書全般への質問はルール違反にならないのか。
おそらく、当事者である俺やメーゼ、特定の魔導書に対する質問はアウトの可能性が高いな。
なら、アルファに念話だ。
《アルファ……俺の動きに合わせて、ポルターガイスト能力を……つ、》
ヤバい……体力が保たない……。
だが、アルファはそっと俺の肩にトントンと二回合図を送ってくる。
さすが、有能だな。
「約束は守ってもらうからね!」
改めて、少女のメーゼが『ウリエルの書』を拾い、差し出してくる。
何故、そこで微笑むのか。
俺に不信感を抱かれないためだろう。
俺は緊張したまま、手を伸ばす。
持った、と思った瞬間に少女のメーゼが手を引いた。
逆に考えれば、魔導書と契約するには、一人で魔導書を手にする必要があるということだ。
「ようこそ……気に入らないメーゼだけど、メーゼになった以上は歓迎するわ……」
俺は動かない。
何も知らないアステルは驚かせてしまったようだ。
「ベ、ベルさん!
ベルさんに何を……」
「それ、だあれ?」
少女のメーゼがニヤリと笑う。
「おや?某の仕事は終わりですかな?」
『サンライズイエロー』がつまらなそうに肩を竦める。
少女のメーゼは『サンライズイエロー』にいたずらっぽい笑みを向け、それから俺に言う。
「メーゼ、自己紹介して差し上げたら?」
声音が甘く、ウザさが増した。
勝ち誇ったように、こちらに流し目を送ってくる。
子供がそんな表情しても、色も艶もない。
俺は『ウリエルの書』の保持はアルファに任せて、アステルを安心させるように微笑んでみせる。
「自己紹介の必要はないよな。同志アステル……」
「ベ、ベルさん……」
少女のメーゼへと顔を向け、俺は言う。
「確かに魔導書は受け取った。俺の目的が達成されたら、メーゼになるかどうか、改めて考えさせてもらうよ。
これで、休戦継続だな」
「え?え?なんで……」
「生身で触ったら、メーゼと契約になるんだろ?
俺の魔導書もそうだったしな……。
だから、触らないように受け取らせてもらっただけだよ」
「そんな……」
「それで、お前は約束を守ってくれるんだろうな?」
「なんでよ!メーゼだって騙されたやり方なのに!
書物の精霊がズルしたわね!」
「ああ、お前はそれで自分の魔導書を失ったのか……『ミュルミュール』だったな。
ルール違反は犯してないぞ。必要な知識は得たけどな。
要はココの差だろ?」
俺は自分の頭を指さしてやる。
少女のメーゼは黙った。拳を強く握り締めて、肩をぶるぶると震わせていた。
「……してやる」
俺はチラとクーシャに目配せする。
クーシャは俺の目線に小さく頷く。
「あの、ベルさん、そういう態度は女の子相手に、どうかと……」
おずおずとアステルが言ってくる。
アルが近くにいたら、デコピン案件かもな……。
あ、ちょっと悪寒がする。
そんな、俺の態度とか、まるで見えていないのだろう。
少女のメーゼが新たな紙片を取り出し、御者が火をつける。
炎の中に新たな『ウリエルの書』が現れる。
「……ころしてやる!ハインっ!」
「やっぱりかっ!トウル、メーゼを押さえつけろ!」
「ワガシュシンノ、メイノママニ!」
動くのは一瞬だ。
『サンライズイエロー』が手をかざそうとした所にクーシャが踏み込む。
トウルは俺の命令に従って、少女のメーゼへと飛びかかる。
アステルはメーゼの声と同時に俺の前へ。
そんな中、メーゼは叫んだ。
「苦しめ!」
メーゼの持つ『ウリエルの書』に一瞬、魔法陣の光が見える。
「グガッ……」「きゃあっ!」「ピュィィッ!」「ぐっ……」「…………。」
トウルはメーゼを掴まえることなく、地面に落ちた。
アルファは保持していた『ウリエルの書』をあらぬところに飛ばし、アステルに付けていた鳥のオーブであるトーブは悲痛な叫びを上げる。
何故か、メーゼの御者が無言で倒れるように蹲り、アルの苦しそうな声が聞こえた。
「な、何が……」
アステルが動揺しながら辺りに視線を這わせる。
クーシャは『サンライズイエロー』に斬りかかっていて、『サンライズイエロー』はそれを素手で受けている。
サイコキネシスの応用か。
俺も辺りを見回す。一瞬の動揺。
少女のメーゼが蹲る御者に『ウリエルの書』を向ける。
「お前を許します……」
頭からフードを被った御者は、その声にゆっくりと立ち上がる。
「あいつをころしなさい!」
御者がゆっくりと頷く。
これが『ウリエルの書』を使った、調教ってやつか!
「アル!」
俺はアルのところに駆け寄りながら、舌打ちをひとつ。
なるほど、『黄昏のメーゼ』の一人がわざわざ俺の前に姿を表す訳だ。
聖騎士崩れの超級冒険者に、おそらく御者は上級アンデッド、さらに『黄昏のメーゼ』によるアンデッド封じ。
対策は万全ってことか……。
「ベルさんのところには行かせません!」
アステルが御者の前に立ちはだかる。
数瞬の攻防。
御者は投げ飛ばされる瞬間、フード付きローブを脱ぎ捨てるように、アステルの掴みから逃げる。
「ふん、エインヘリアルは一体じゃないのよ。
殴りころされるといいわ!」
そこにいるのはトウルより身長が少しだけ高い、やっぱり筋肉ダルマと言いたくなるような戦士だった。
戦士がこちらに来ないように、アステルが頑張ってくれている。
「アル、大丈夫か!」
玄関に入ってすぐのところで、苦しそうにアルが呻いている。
「くぅっ……ベル……わた……いから……」
呻きながらも視線は壁の一点、たぶんその先にいるのは少女のメーゼだろう。
そこを睨んでいる。
俺は、それを見たら分かる。分かってしまう。
アルが怒っているだろうということがだ。
もちろん、自分が攻撃されたことへの怒りよりも、アルファやトーブ、トウルの苦しみに心を痛めているのは明白だ。
「くっ……待ってろよ!」
俺はアルにそう言って顔を上げた。
素早く『火』の異門召魔術を発動させ、魔術符を抜いて、外へ。
「メーゼ!俺と戦争しようってんだな!
それなら、それなりの覚悟を見せて貰うぞ!」
眼前に魔術符を突き出す。照準。狙うのは『ウリエルの書』だ。
おそらくアレが無くなれば、アルたちを苦しめている魔法の効果は消える。
「ハイン!メーゼを守りなさい!」
メーゼは『サンライズイエロー』を頼る。
馬鹿め。『サンライズイエロー』は『ディープパープル』がきっちり抑えてるよ。
ゴウッ!と魔術符から火球が放たれる。
「やれやれ……状況くらいは見ていただきたいですな、メーゼ様……」
『サンライズイエロー』が『ディープパープル』の剣を弾くが、『ディープパープル』の剣速は並ではない。
弾かれるのが想定内だとでも言うかのように、弾かれた動きに合わせて次閃を繰り出す。
しかし、『サンライズイエロー』はそれに対応することなく、こちらへ向けて指を鳴らした。
不可視の力だ。不可視の力が俺の火球を吹き散らした。
クーシャのオーラソードやトウルの赤黒い酒パワーと違い、何をしたのか全く見えなかった。
「くっ……これは……!」
クーシャの剣は何かに阻まれているように止まっていた。
「ああ、坊やには初見でしたか。
便利でしょう?サイキックシールドと言います」
言って『サンライズイエロー』が再び指を鳴らす。
「ぐはっ!」
クーシャの胸に鈍器で殴られたような凹みが出来て、クーシャが吹っ飛ぶ。
「クーシャ!」
クーシャは空中で身体を回して、どうにか受身を取った。
「……勉強になりました。ぐくっ……もう少し教えていただいても?」
クーシャは強気に剣を構える。
『サンライズイエロー』は少しだけ嫌そうな顔をして答える。
「やれやれ……某、あまり教えるには向かない身ですがね……」
『サンライズイエロー』はゆっくりと構え直す。
俺だ。俺がなんとかしなくては……。
アステルとエインヘリアルは拮抗している。
エインヘリアルはあくまでも俺を狙っているらしく、アステルは素早く俺との間に入って、エインヘリアルを投げ飛ばしている。
だが、エインヘリアルは何度投げ飛ばされても、立ち上がる。
トウルのように、酒を飲んでパワーアップなどはないようだが、異常に打たれ強い上にかなりの技巧派らしく、致命打になりそうな攻撃にはきっちりと対処している。
『サンライズイエロー』対『ディープパープル』の超級冒険者対決は徐々にだがクーシャが押されているように見える。
少女のメーゼは偉そうに見ているだけだが、俺だってまともに戦える訳ではないので、このままだと俺が殺されて終わりだ。
そうならない為には、俺が何とかするしかない。
「グウゥ……ワガシュシン……」
トウルは身体が動かないのか、悔しそうに目線だけこちらへと向けている。
もしかして……トウルに例の赤黒い力を与えたら、一瞬だけでもメーゼの魔法に対抗できないだろうか?
トウルの腰にはいつものように酒杯が手挟んである。
まずは飲ませる隙を作らないとな。
俺はぽんとやって、魔術符を抜く。
「それはもう見ましたな!」
『サンライズイエロー』から不可視の力が飛ぶ。
「ぐぶっ……」
俺の腹に凄い衝撃がある。
痛え……。
よくクーシャ、これを食らって動けたな。
だが、クーシャが動けたんだ。俺が動けない道理はない。
いや、ぶっ倒れてるけども、俺。
俺の手からは煙が上がっている。
俺は痛みを堪えて、魔術符を口元へ。
そして、それを食い破る。
そう、俺が用意したのは新調した『煙』の異門召魔術だ。
そして、魔術符に描かれる魔法陣をすぐに壊してやれば、徐々に消費する予定のオドを一瞬にして、威力を引き上げることができる。
どうせ『火』は撃たせて貰えないと予想していたから、こっちにしたのだ。
食い破った魔術符は、辺り一面に煙幕を撒き散らした。
ぬあああ……痛え……。
「ふふふ……自爆するとか、笑えるわ!
エインヘリアル!その女をころしなさい。
ハイン、いつまでも遊んでないで、残ったアンデッドを浄化よ!」
少女のメーゼが好き勝手言っているが、勘違いしてくれたのは好都合だ。
俺は痛む身体を引きずりながら、匍匐前進の要領でトウルの方向に進む。
魔術符を食い破る前に、方向だけはしっかり確認したからな。
「ベルくん!くっ……めえぇぇぜぇぇっ!」
クーシャが怒りの雄叫びを上げる。
「よ、よくも、ベルさんをっ!
お前を倒すが我が運命……例えこの身が千の欠片となろうとも!」
アステルは名著『ダークナイト・悪夢』の台詞を引用した。
さすが同志だ。
俺が何かをするつもりだと理解して、敵を惹き付けてくれるらしい。
じゃなきゃ、あんな台詞がアステルから出るはずないからな。
脂汗を流しながらも、にやけてしまう。
頼んだぜ、アールガート!
そうして、俺はトウルの身体を見つける。
痛みを堪えつつ、トウルの腰から酒杯を取り、手探りでトウルの顔を探し、酒杯を傾ける。
「グゥゥ……」
「トウル、何とか飲め……」
少し煙が晴れて来て、至近距離ならトウルの顔が見える。
トウルと目が合う。
俺は頷く。
少しだけ、トウルがどうにか首を傾ける。
永遠に零れる赤黒い液体がトウルの口元を濡らす。
次第にシュウシュウとトウルの身体から赤黒いオーラが立ち昇り始める。
トウルが身体を起こして、俺が持つ酒杯に手をそえる。
よし!やっぱり魔法に抗えているようだ。
トウルの手に力が戻り、自分の手で酒杯を持つ。
「聞け、トウル……」
「グルル……」
「クーシャを助けろ。聖騎士崩れを襲え!」
コクリ、とトウルが頷く。
それからトウルは酒杯を一気に傾ける。
「行け!」
「グルルラアァァァァァッ!」
全身から赤黒いオーラを立ち昇らせて、トウルが走りだした。
俺も動かないとな。