ルトロネリー、まずい!
『ケイクダンジョン』三層は、明るい。
天井が発光しているのだ。
この天井は謎の物質で出来ていて、剥がすとただの石壁になる。
しかも、しばらくすれば剥がされた天井は元に戻る。
こういう不思議な物質はさすが『神の試練』と言うしかない。
「階層によって、随分と雰囲気が違いますね……」
アステルが物珍しげに辺りを見回す。
「ケイクダンジョンは特にチュートリアルダンジョンなんて呼ばれ方をするくらいに、変化が激しいらしいね」
「そうなんですか。不思議ですね……」
俺の説明にアステルが首を傾げる。
「四層は溶岩の迷宮、五層は氷の迷宮なんて呼ばれるらしい……まあ、ダンジョンは神様の思いつきなんて、呼ばれ方もするらしいから、常識は捨てるしかないかもね……」
「あった……」
俺がアステルと会話をしていると、アルが呟く。
石壁に這うように茂る緑の中、まだ青いルトロネリーがぽつぽつと見える。
「よし、このルトロネリーを追うように、もっと奥に行こう!」
ダンジョン産のルトロネリーは生育が早い。
恐らく、ダンジョン奥のルトロベリーならば今頃、食べ頃になっているだろう。
たまに土魔石を落とす棒蛇、毒糸を吐き体当たりしてくるレッドキャタピラー、ルトロネリーの蔦に擬態するグリーンスライムなんかを、倒しつつ俺たちは奥へと向かう。
「おお、熟れてるルトロネリーだ!」
真っ赤に色付く果実を採取していく。
突撃羊を斬り伏せたアルが近付いてくる。
「数は充分だから、少しなら味見してもいいぞ」
採取した中から、少し熟れすぎな物を選んでアルとアステルに渡す。
アルは兜を少し持ち上げて、ルトロネリーにかぶりつく。
「どうだ?美味いだろ?」
アルがこいつを食べたくて依頼を受けたようなものだ。
せっかくなら、味わっておくべきだろう。
俺がアルへと期待の眼差しを向けると、アルは咀嚼していたルトロネリーを、ぶっと吐き出す。
「まずい……」
「は?まずい?」
俺が困惑するのをよそに、アステルは瞳を輝かせている。
「ん〜……美味しいです!」
とりあえず、俺もひとつ齧ってみる。
瑞々しい甘さと仄かな酸味。酸味がしっかりした野生のルトロネリーもいいが、個人的にはダンジョン産が好きだ。
「ん〜、うまい!アルが食ったのはたまたまじゃね?」
「これもまずい……これも……」
ちぎって、齧って、捨てる。ちぎって、齧って、捨てる。
何度も繰り返して、アルはこちらを向く。
面覆いは上げられていて、アルの顔が、くしゃりと歪む。
「ベル……なんでかな……」
泣きそうな顔で、俺にそう聞いてくる。
俺はひとつのルトロネリーを味見する。
問題なくうまい。
その俺が齧ったルトロネリーをアルに差し出す。
「これは?」
アルはそれを受け取って、恐る恐る齧る。
「うぐっ……なんで……なんでまずいの……?」
「味覚が違うみたいだな……」
「アルちゃん……」
アステルが心配そうにアルを覗き込んでいる。
「アル……今だけだ。ちゃんと生き返れば、また、これが好物に戻るよ!」
そう言うしかない。大した慰めにはならないだろうが、俺から言えるのはそれだけだ。
アルはアステルに抱き締められて、泣いた。
アルファは大丈夫だろうかと、少し心配になる。
「なあ、アルファはどうなんだ?」
「えと……」
「今なら見てるやつもいないだろうからな。
一応、試してみるか?」
「あ、はい……」
アルファが実体化して、巨大な黒狼になる。
そんなアルファにルトロネリーを食べさせてみる。
普通に丸呑み……。
まあ、でかいからな。
「味、分かるか?」
巨大な黒狼が首肯する。それから、霊体化する。
「ええと、ですね……」
「やっぱりまずいと思うか?」
「土の味、でしょうか?その……食べられなくはないです……」
「それって、まずいってことだろ?」
「えと……生前のことが少し思い出されてくる味といいますか……ゴブリンもスライムも、似たようなものだったので……食べられるから大丈夫と言いますか……」
ああ、そうか。アルファの生前は巨大な黒狼で……その前、魂の姿の時の記憶は時折フラッシュバックするものの、味という記憶は無いのかもしれない。
そう考えると、かなり悲しいな。
「そうか……」
俺は掛ける言葉が見つからず、それだけを何とか言った。
すると、何を勘違いしたのか、アルファが申し訳なさそうに謝ってくる。
「も、申し訳ございません……」
「いや、好き嫌いなく食べられるならいいんだ……」
何の気なしにアルファの頭を撫でようとして、アルファが霊体なのですり抜けた。
はわわわわ……と慌ててアルファが巨狼になったので、まあ、いいかと頭を撫でておく。
帰ってから三日ほど、アルは研究所に籠った。
もちろん、研究のためではない。
とりあえずでも、心の平穏を保つためにそれだけ掛かったということだろう。
アルの部屋の扉が開く。
俯いたアルがとぼとぼと出てくる。
「少しは落ち着いたか?」
別にアルを心配した訳ではないが、落ち着いてから最初に声をかけるのは俺でありたいので、待っていた。いや、ついでにな。他のことをするついでだ。
「ヴあ"あ"あ"ぁ"ぁぁーっ!
血をよごぜぇぇぇええーっ!」
「分かった……」
俺は左腕の血管がよく見えるようにアルに差し出す。
正直、少し予想外だった。
アルはアルなりに、人間で居たいと思っていると、勝手に予想していた。
だが、俺の予想などどうでもいいのだ。
はっきりと言われてしまった以上、俺はアルの望むまま、血も命も全て差し出す。
まあ、最初にアルが俺を庇って死んだ時から決めていたことだ。仕方ない……。
「…………。」
アルは動かない。俺もこれから吸われるであろう自分の腕を見つめたままだ。
「あ、の……ベル?もっと、こう……ひぃぃぃっ!とか、うひゃああっ!とかさ……驚いてくれないと、せっかく冗談めかして、有耶無耶にしようとしてる私の気持ちがね……」
俺は自分の腕をジッと見つめながら、変な脂汗が出てくるのを感じていた。
やべえ……そういうパターンは想定外だ。
い、今からでも、イケるか?
「ヒ、ヒイイ……」
あ、ダメだ。凄い棒読みになった。
「ば、ばかぁっ!」
アルはその日の夜まで、また引き篭もった。
恥ずかしそうにしながら、アルが出てくる。
「お、お待たせしたかしら……」
「あ、ああ、いや、大丈夫だ……。
その……アルは?」
二人して、とてもぎこちない会話。
「う、うん……わ、私はほら、まだ生き返った訳でもないのに、勝手に勘違いして、はしゃいだ結果というか……そもそも、あそこで死んでたのが普通のはずなのに、こうしてベルが色々してくれて、欲が出たというか……」
「いや、うん……よ、欲出していこうぜ!」
ぎこちないながらも、無理やり元気感を出してそう言ってみる。
「えっ?でも、その……」
「あ、あのな、アル。
今まで下手に言ったら逆効果になると思って、言わなかったんだけどな……」
「え?う、うん……」
ひと呼吸置いて、ちゃんとアルが耳を傾けてくるのを待つ。
それから、ゆっくりと俺は大事な話をする。
「アルは……もっと我儘でいい、と思うんだ。
俺は、その……な。
お前に成仏されたら、俺は、俺は嫌なんだ!
今まで、どうやったらアルがこの世に未練を持ってくれるのか、ずっと考えてきたんだ!
でも、お前は俺に迷惑掛けてるとか考えるかもしれない……それを嫌がって成仏しちまうかもしれない……それが怖かったんだ……」
「ベル……」
「だからさ……もっと我儘言えよ!
美味い物食いたいとか、冒険行きたいとか、夜、眠れるようになりたいとか、バイエルさんやリートさん、モニカさんに会いたいとか……。
俺、頑張るよ!お前を生き返らせるためになんでもするよ!
……だからさ……だから……」
ツツツ……と知らぬ間に熱いものが俺の目から流れていた。
お、おかしいな……。もっと笑い話的な感じで、早く生き返れたら、またルトロネリー食いにいこうぜ!的な話にするつもりだったのに……。
「ふふっ……ベルってば、泣いてるよ……」
「そういう、アルだって泣きそうな顔してるからな!」
「うん……でもさ、この身体じゃ泣けないの。
目からさ、血が流れるのよ……。
おかげで、せっかく用意してくれたベッドとか、凄いことになってるからねっ!
だから……だから、ちゃんと今みたいな時に、涙が流れるようにして?
それから……それから、一緒に冒険行って!
美味しい物を美味しいって感じられて、お父さん、お母さん、お姉ちゃんに、ただいまって言いたい!」
「ああ、分かった!ちゃんと叶えるよ……。
アルが生き返って、元の生活に戻れるように!」
「うん!」
そうして笑ったアルの顔は、血の気がなくて真っ青だったが、だからこそ、俺はもう一度、アルが頬を紅潮させて喜ぶ顔を見てやるんだ、と誓いを新たにするのだった。