死亡そして追憶
馬鹿じゃねぇの?と言いたくなるほどの炎天下の中、フラフラしながら歩く一人の男がいた。
そう考えつつ歩き続ける者の名を荒井玄。歳にして十九。
見た目は不細工という訳では無いが、イケメンとも言わない、いわゆる普通。私服を着て街に繰り出せばmobの如く街中に紛れ込むだろう。しかし、頭の中身は凄いことになっていた。
都内の有名な理系大学に主席で入学。しかし、その後は自分のやりたい研究ばかりをして、勉強しなくなり、学内順位が下から数えた方が早いほどになってしまった残念系男子である。無論、有名大学に受かるだけあって、そこいらの理科教師より、遥かに知識を蓄えていた。
親は────といっても、父親はとっくに離婚しており、実質玄の親は母親だけとなる────玄が大学に受かり、一人暮らしをし始めたと聞くやいなや音信不通に。おそらくだが、玄がいると困ることがあるのだろう。例えば、再婚でもしたのだろう。
因みに彼女はいない。
ほんとに悲しい男だ。
本人曰く、「か、彼女なんていたってなんの役にも立たないじゃないか」
とのこと。
今日は一限だけか。この前の研究の続きでもやるか……
そう考えつつ講堂へ向かうのである。
蛇足だが、その『やりたい研究』というのが化学だ。単純に、レポートなどを見れば大学生レベルで測れるようなものではないことが一目瞭然。故に、大学側は常に講義を昼寝の時間とし、研究室の一つを貸切、大学の資金を湯水のように使う玄を退学させることができなかったのであったそうな。
ふぁあ。
手で抑えることもせず豪快にあくびをしつつ、講堂を出る。周りから、忌々しい目で見られるが気にしない。いつものことだ、もうなれてしまった。こっち見てる暇あったら勉強しろバーカ、と心の中でべろを出しながら呟く。
当然だ。講義をまともに受けることなど両手で数えられるか怪しいところ。テストの点が酷かったとしても直そうとする気配すらない。大学側は、化学において素晴らしい知識を持つ玄を手放したくないから退学措置を取らないのだが、そんなことを知らない学生達から言わせてみれば「ふざけてる」の一言しか出てこない。
腹も減ってきたお昼時。
「この前買った米があったな。塩素とナトリウムがあったかな。塩むすびでも作って食うか」
風呂に入りに行く以外、基本的に家に帰ることのない玄の研究室には化学の研究に必要な材料の他に、米と炊飯器などの最低限の料理設備がある。ご飯はだいたい外食か味覚を生じさせる物質をふりかけとしてかけたようなものしか食べない。野菜に至っては家庭菜園よろしく、研究室で実験材料となっている大豆とカイワレ大根だけだ。
なんだか今日は研究進まなそうだ。
根拠もないことを考えながら、壁の塗装作業の現場に通りかかった時、
「ラァァァァック!!」
頭上から響く野太い声。
たしか、登山してる時とか、高いところから岩が落ちてしまった時に使う言葉だったはずだ。何故今そんな声が?そう思いつつ上を見上げる。
作業の足場と、それを支えるパイプが幾つも落下してきたのだ。
まずい!
これでは死んでしまう。そう考え、逃げ出そうとした時、目の前、パイプなどの落下予測地点に恐怖のあまり座り込んでしまったであろう女子がいた。
あの馬鹿!
気がつけば名前も知らない、なんの接点もない女子を助けるために体が勝手に動いていた。
ドンッ
女子を手で掬うようにして思いっきり投げ飛ばす。これが火事場の馬鹿力と言うやつなのだろうか。びっくりするくらいの力が出た。
一人を助けられたことに安堵した後に、降り注ぐ凶器。
ああ、これで死ぬんかね。
スローのように流れていく景色を眺めながら考える。
結局なんのためにこんなことしたんだろうか。自分のことしか考えてこなかったはずの自分なのに。ハハ、ほんとにらしくねぇな。そもそも、なんのためにこんなに頑張って勉強したんだったかな。そうだ、安心して欲しかっまたんだよ、母さんに。離婚してて、子供の俺にもわかったんだよな。勉強をできるようになれば安心させてあげられるって。子供なりに考えたんだよ。でも、結局は捨てられた。あっけねーな。これが走馬灯か……。
そして、一つの命を救った小さな英雄は、その灯火を一旦消すこととなるのだった。
古びた草紙。それは、乱雑に書き殴られた異世界の文字────地球における文字や数字────が並べられた紙と丁寧な字で前書きと書かれた紙が束ねられて草紙となっていた。
曰く
『大賢者クロ=アララギは単なる化学者に過ぎなかった。しかし彼はかの偉業、『錬金術』を大成させた。この書は彼の者の記録、叡智を記す物とす。さて、前置きはこの位にして語り始めるとしよう。荒井玄の物語を』