鬱展開についての考察
登場人物の精神崩壊による鬱状態。
仲間同士による傷つけ合い。
理不尽な最期に、発狂した異常行動。
こう言った陰鬱な物語展開や詠んでいると鬱になるような展開を総じて、鬱展開と呼ぶ。
今回はこう言った鬱展開について、少し考察していきたいと思う。
一口に鬱展開とはいっても相手を執拗にねちねちと直接的な暴力だけが鬱展開を引き起こしているという訳ではなく、他にも方法としていくらかある。
正義感溢れる相手に対して「お前は失敗したのだよ!」「お前の行動は無駄でしかなかったよ」など、相手の今までの行動が全て無駄であるかのように精神的にキャラをいたぶる描写。
国盗りや相手の希望を奪ったりなどとキャラの悪意を存分にこれでもかと書いたり、それからまったくそのつもりはないのにその人が行動した結果が国の消滅や愛しい人の消滅などと必ず不幸へと導かれるなど、基本的には「悪」や「理不尽」などを突き詰めた結果になるような展開を鬱展開と言う。
なろうでもそんな鬱展開の代表作としてスレでも度々名前が上がっている、ンディアガナル殲記と呼ばれる作品がある。
どんな作品かと言われれば、とある作者がこのような小説であると書いているのを発見したので、少し参考のために載せさせていただきましょう。
【鬱屈した感情を抱えた「俺」が、別世界の神に召喚され、与えられた「破壊と殺戮の神ンディアナガル」の権能によって、好き勝手する物語である。その権能の名前が示すとおり、「俺」は、悪意と自身の我欲によって、破壊と殺戮を無責任に、安易に、撒き散らす。そうして人々と世界は、悲惨な結末に突き進んでいく……】
この作品はかなり人を選ぶ作品として有名であり、ほとんどがBAD ENDの鬱展開とも言うべき展開があなたを待っている。もし、あなたが興味を示すのであれば、一度覗いても良いだろう。
他にも鬱展開がある小説としてはなろうから書籍化した作品として、「用務員さんは勇者じゃありませんので」や「盾の勇者の成り上がり」などがあり、鬱展開を扱った作品は多い。
またなろうの日間や月間などに載るような人気小説の多くは自分なりの感想ではあるのですが、鬱展開になるのが多い気がします。
さて、今回はそんな鬱展開について2つのことを考察させていただきたいと思います。
1つは「この鬱展開を見ていると嫌な気持ちになるのか?」、そしてもう1つは「なろう小説で鬱展開が増えた理由」について考察させていただきたいと思います。
では、1つ目の「この鬱展開を見ていると嫌な気持ちになるのか?」について考察させていただきます。
これはこの考察のきっかけとなった人から、「鬱展開を読んでいると、胸糞悪いという感情を引き起こす原因について知りたい」というから考察させていただきます。
まず、"胸糞悪い"という言葉なんですが、これは「気持ちが悪い。不愉快である。いまいましい。」という意味を持つ言葉であり、別の言葉で置き換えますと嫌悪感や不快感といった言葉がこれに当たります。
さて鬱展開を読んでいると、どうしてこう言った「胸糞悪い」と思われる感情が浮かんで来るのか。
私なりの答えとしましては、それは「心に非常に負荷がかかる」からです。
人間には色々な種類の人間が居ますが、基本的にどんな人間も心に負荷がかかるようなものは誰しもつらい物です。
心の深と言うのは、読んでいて「つらいなぁ」「悲しいなぁ」と思うような内容は心がつらいですので、頭が寄せ付けようとしません。なので、脳が拒否の感情をするので負荷をかけます。
そう言った感情が「胸糞悪い」という、気持ちの悪さを生み出しているんだと思います。
「なんで殺した!?」「何でこんな事に!?」などと言う、そう言った悲しさや悲痛さを感じるからこそ、人々は「胸糞悪い」という不快感を感じるのではないのでしょうか?
勿論、そう言った胸糞悪さなく、鬱展開を読める方がいらっしゃるのであれば、それはそう言った展開を純粋に楽しんでいるのであって、別に悪い事ではないのでしょうね。
次にもう1つの「なろう小説で鬱展開が増えた理由」について考察させていただきたいと思います。
人と言うのは印象的な場面はやはり人が死んだり、非道な行いをされているシーンなどを見て人々は心を揺さぶられたり、そのシーンを見て何度も心を痛めるのです。そして心に、記憶に残りやすいのです。
正直な話と致しまして「主人公の友達が殺されて義憤にかられて敵を倒す」Aシーンと、「ただ普通に街に悪さをする者を倒す」Bシーンがあるとします。
この2つのシーンという前準備があって同じ敵と激闘と繰り広げる場合、どうしてもAシーンの方が読者としましても、印象深いんではないのでしょうか?
人間の心に残るシーンと言うのは、登場人物の精神崩壊による鬱状態や仲間同士による傷つけ合いなど世間一般で言われるところの「鬱展開」と呼ばれるものが多いのです。
また、物語には起承転結や山場が必要になって来ます。
そう言った場合、どうしても「感情を強く揺さぶるシーン」や「この物語で一番大切な事に繋がるシーン」と言うのはあるものです。だから最初にある程度心象を下げて、それから一気に山場を見せる事で読者にその印象をはっきりと植え付けようとするのです。
けれども最近の主人公と言うのはどうしても強くなりすぎる――――チートキャラクターと呼ばれるような人達が苦戦するような展開と言うのは、俗にいう鬱展開でない限り難しいものです。なにせ主人公が普通に強いから相手も強く、それでいて残忍でないといけないと考えてしまうのです。
だからこそ、こう言った人々に残るような敵――――それを出すための場として鬱展開で読者の心情を操作して戦いに望むのです。
恋愛などにおいても、そう言った鬱展開があるからこそ、劇的に見える展開と言うのがあるのです。
昨今、人々の感情が昔と比べて少なく、小さくなっています。
昔は「熱い戦いである」と言っていたのも、今では冷静に「いや、速く倒せよ」とか思ったりする人が増えた気がします。
そう言った無欲な人達に対してのアプローチとして効果的だったため、「鬱展開」と言うのは知らず知らずのうちに広まったのではないかと思います。
最後に、今まで「鬱展開=読者に覚えて貰うための有効手段」と書きましたが、使い所には要注意です。
あまりにもひどすぎると読者が離れたり、また上の立場――――所謂、運営からなにかお小言が来たりもしますので、あまり濫用し過ぎるのも考え物です。
私が知る漫画で公開してからわずか4日で様々な人の意見から公開中止となった作品があり、それもまた人々に気持ちが悪いなどの不快感を及ぼす作品でした。厳密には鬱展開とは違うのかもしれませんが、それに近いものであると捉えています。
なので、皆さんも節度を保ちつつ、「鬱展開」を書く際は注意した方が良いと思います。