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金子藩譜  作者: ゆきまる
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三、城崩しの変(護間政兼からの視点)

 政兼の父、一条刀斎政経が逝ったとの報せを受けた。齢八十という高齢であったが最後まで気勢を貫いたという。その父を最後まで悩ませていたのが主君である金子宗康と嫡子宗昭むねあきとの対立であった。宗康の隠居後、家督は宗昭が継いだが弟義康との対立が激化し、謀略をもって義康ら反宗昭派を一掃した。この事態を重くみた宗康は宗昭に苦言を呈したが反対に追放されるという憂き目に遭った。刀斎は剣術指南役を退いていたものの、二人の追放で宗昭に対して唯一讒言ざんげんできる立場にあり、幾度も宗昭に謁見しては追放を取り消すよう申し出ていたが側近たちの妨害もあり、最終的には城下の屋敷を召し上げられて、嫡子で政兼の兄である経信がいる犬居いぬいに移るしかなかった。犬居藩は宗康の弟である直信なおのぶが金子藩から分知ぶんちを受けて立藩したものであり、信州に続く天竜川沿いの街道を抑える要衝でもあった。そのため、金子藩が成立した直後に宗康は犬居の地を重要視していたことが窺える。犬居に移った刀斎は経信はもとより藩主金子直信からも温かく迎えられ、また、この地に身を寄せていた宗康や義康らにも会って、金子藩の現状を幾度も協議していた最中での死去であった。この報せを伝えに来たのは経信の娘で重臣上野時康ときやす次子宗時むねときに嫁いでいたお喜未きみである。宗時は義康派として惨殺されたという。若くして未亡人となり、父である経信の屋敷に身を寄せていたが祖父刀斎の死と現状を打開するために宗康の密命を受けて遠く丹波まで来たという。

「左様か、そこまで荒れてるとは…」

政兼は絶句する。かつて自分も家臣としていた場所であり、父が京より出たことで政兼にとっての故郷は金子以外どこにも無かったからだ。

「大殿は叔父上の帰参を急いでおられます」

政兼は目を瞑って思案する。しばらくして開眼した政兼の眼は澄んでいたという。

「帰参はできぬ」

「何故でございますか!?」

「わしはすでに金子の者に非ず。ましてや、我が子はこの丹波護間藩を治める藩主であり、主君は徳川秀忠ひでただ公である。わしが金子に戻ればこの藩とて只では済むまい」

「しかし!?」

「まぁ、待ちなさい」

お喜未を制する。

「今、宗康殿の周りには誰がおる?」

「義父上の他には十左衛門じゅうざえもん様、蒲原かんばら様、松山様らごくわずかです」

「ふむ…、右近殿は犬居から動くことは適わぬ故、動くとなれば少数のほうが逆に適していようが…」

政兼は悩む。

「ですが、旧知の剣豪に助太刀を頼んだとも聞いております」

「助太刀?」

誰かおるのだろうが、今のままでは事態の把握は難しい。実際にこの目で見るしかないと判断した。

「おさと、控えておるか?」

「はい」

すうっと障子が開く。正室のお里である。

「この事、政種まさたねには伝えるな」

「はい」

政種は政兼の嫡子で護間藩の藩主である。

「留守を頼むぞ」

「承知致しました」

政兼は刀を手にする。父から譲り受けた鶴松は高弟であった慶生院けいしょういん龍斎りゅうさいに奥義伝授の際に譲った。今、手にしているのは城下の鍛治師に命じて造らせた業物わざものである。

「今から行かれるのですか?」

「早いほうがいい。お喜未、お前はここにおるがいい」

「えっ!?、わ、私も参ります!!」

「女の足ではわしには追いつかぬ。言って悪いが何かあった時に足手まといになる」

はっきり言う。その言葉は重かった。万が一、襲われた際の枷ともなりかねない。

「承知しました。では、金子城下に向かってください。矢野につなぎの者がおります」

「わかった」

こうして政兼は二十数年ぶりに故郷へと戻ることになった…。


 金子城下。金子城の南に広がる城下町は南に掛川があることもあり、流通の盛んな場であったが父子の対立が表面化してからは城下に入る関所は警戒が厳しくなり、通りは閑散としていた。政兼は旅人に扮装し、東海道から掛川に入り、金子の情報を集めたがお喜未より聞いた話とほぼ一緒であった。そのため、つなぎがいるという矢野へと向かう。矢野は金子の西にあり、宗康の継母の実家である矢野家の知行地であった。当主矢野義政は金子一門ではあったがすでに家督を嫡子義昭に譲っており、藩の御家騒動には無関心を貫いていた。矢野に入ると真っ直ぐある民家に入る。手ぬぐいで頭を覆った老人が待っていた。

「護間様でございましょうや?」

顔を伏せながら言う。

「如何にも」

「よくぞお越しくださいました」

「手ぬぐいは取らぬのか?、右近殿」

わずかに見えていた口が歪む。

「はっははは!!、ばれていたか!!」

笑いながら手ぬぐいを取った。そこにあったのは宗康の弟である金子右近大夫直信である。

「久しいな、政兼」

「正しく」

「お主が金子を去ってから二十数年。最後にあったのはいつであったか…」

懐かしむ顔をする。

「あの頃は真っ直ぐ突き進んでいた最中でしたから」

「たしかに。お前も丹波で藩主となり、わしも犬居で藩主となった。だが、金子の窮地には駆けつけると思っていたよ」

「お互いに」

にっと白い歯を見せる。

「城は空けておいても大丈夫ですか?」

「ああ、今は愚息の直久なおひさに任せてある。あいつはわしと違って剣術よりも学問を好む。平穏な世であれば良き名君となろう」

直久は実子ではない。宗康の母方の福田家からの養子であった。

「ならば、平穏にしなくてはなりませんな」

「うむ」

二人は再会を喜ぶ間もなく戦いの場へと歩み出した。矢野から犬居には向かわず、金子城下が望める寺に入った。その寺は慶照寺けいしょうじと呼ばれ、金子家の菩提寺でもあった。かつては慶照寺城という城であったが破却されて寺だけが残っていたが、街道に近いということもあって戦や月日が経つにつれて荒廃しつつあったため、城下に移したのだ。墓地は宗康の父照政の他、一門や重臣たちの墓も安置されている。そして、政兼の父政経の墓もここにあり、政兼は墓前で合掌する。何も問いかけることもないまま、無言でその場を退き、本堂に入る。本尊の大日如来を前にして数人が座っている。政兼の姿を見て視線が変わる。

「おお、政兼、よくぞ参った」

労いの言葉をかけたのは宗康であった。別れてからお互いに年寄りになったが白髪になった宗康はまだまだ衰えを知らぬようであった。

「お懐かしゅうございます」

正面に宗康、左に義康と時康、右に右近と先崎十左衛門がおり、十左衛門は名を勝理かつさとといい、旗本頭として各地を転戦し、上杉討伐の後に家督を弟の勝正かつまさに譲って隠居した。

「十左殿も健在か?」

「ははは、わしはまだまだやれるぞ」

笑い飛ばす十左は頼もしく見える。

「丹波はどうじゃ?」

「大坂に近く、何があってもおかしくない状況です」

「ふむ、お前も隠居したとはいえ、国を治める者として間違いだけは犯さぬよう」

「心得ております」

「うむ、では早速だが…」

「このたびの御家騒動に関して道々で話を窺っていましたが、実際はどうなのでしょうか?」

「噂通りのことが金子藩でも起きている。このままでは公儀に潰されかねない。早急に手を打つ必要がある」

「如何なる策がありましょうや」

「城崩しを使う」

「何と!?」

政兼は驚いた。城崩しとは城の土台である地下にある柱の一本を外すことで簡単に城を破壊することかできる技であった。これは敵に城を奪われた際に使用される奥の手でもある。

「城崩しを行うには敵を外に出してはならない。そのために囮が必要となる」

「なるほど…」

動ける者が限られている以上、多勢であっても引けを取らぬ者でないと敵を一点に封じることは不可能となる。そのために呼ばれたと解釈した。

「私の他には誰が?」

「ここにいる面々と尾張おわり柳生やぎゅうから援軍が来る」

「尾張柳生から?」

「左様、柳生兵庫とは顔なじみでな。急な依頼に応じてくれた。まもなく到着するであろう」

「では、作戦は?」

「うむ、城は大手門の他に西門と裏門がある。まず、わしと尾張柳生で外に軍勢がある奉行所を引きつける。大手門にはお主、西門は十左、裏門はここにはおらぬが長居数政かずまさ数弘かずひろ兄弟が抑えとなる」

長居兄弟の父弘政ひろまさは宗康の守役を務めており、重臣であったが秀吉の天下を見る前に病死している。

「中には?」

「それは…」

天井からすっと忍びが降りてくる。

「我が引き受けまする」

「お主は?」

亀井忍軍頭領亀井信牧のぶよしにござる」

信牧は先代亀井左馬介に仕えていた忍びで小頭を務めていたが、先代に乞われて左馬介の娘を妻に迎えることで頭領の座に就いた。直後に左馬介は病死したという。

「信牧が内部に侵入し、柱を崩す」

「なるほど…」

各々が役目を果たせば完璧な策であった。失敗は許されないが無謀ともいえるこの作戦に誰もが不安を感じさせなかった。それも戦国の世を生き抜いた者たちだからこそ成し得ぬ出来事であった。


 数日後、気勢が上がる。白昼堂々、郊外にある民家に奉行所の捕り方が囲む。町奉行葛原くずはら春昭はるあき自らの出馬ということもあり、農家が多いこの付近は騒然となる。囲んだと思いきや宗康が現れて緊張感が走る。宗康を捕らえようと与力や同心が周りを囲んでいる。

「大殿!、覚悟を決められたか!?」

「戯け!?、うぬらに我の覚悟などわかるまい!!」

宗康が抜刀すると周囲の空気が一瞬にして変わり、宗康の抜刀が合図となって尾張柳生からの刺客が捕り方に斬りこむ。

「ぐっ!?、如何に強くても多勢に無勢。怯むことはない!!」

城下での喧騒は城にも伝わる。

「愚かなり、奉行所と争ったぐらいでビクともせぬわ!」

大手門を預かる松山茂成しげなりはせせら笑った。その一瞬、ガタンっという音と共に閉じてあった門が崩れ落ちる。二つの門板のわずかな間に刀を打ち込んで閂を斬り落としたのだ。

「な、何事か!?」

土煙と共に崩れた大手門の先に影が映る。

「だ、誰だ!?」

「逆賊を討ちに参った」

「なっ!?」

土煙が風で流される。

「何者!?」

「一条刀斎政兼、地獄より参った」

「な、何だと!?」

政兼と茂成に面識はない。茂成の景成かげなりは筆頭家老として金子家を支えていたが家督を茂成に奪われ、嫡子である景義かげよしも故郷を離れており、失意のまま、犬居に隠棲していた。この時点で政兼は初めて一条姓と刀斎の通称を名乗った。槍を構える足軽に飛び掛り、脳天より斬り付ける。

「我らに歯向かうか!?」

「弱者に語る必要なし!」

続けて瞬速をもって八人を一度に倒す流牙散布八連りゅうがざんぷはちれんという技を連発し、茂成らを翻弄する政兼に手も足も出ない。

「く、くそ!?、化け物めが!?」

鉄砲を持ち出そうとするが武器庫から爆発が起きて騒然となる。「侵入者だ!」と騒ぐ声に足軽が同様する。鉄砲どころの騒ぎではない。

「ひ、退けぇぇぇ―――!!」

茂成は大手門を捨てて二の丸へ引き下がる。それと同時に一人の武士が政兼の許に走って来る。走りながら抜刀し、政兼に斬りかかる。刀と刀がぶつかり合う。何合か交えて一旦引き下がる。

「強いな…」

「お前もな…」

武士の構えが無形の構えになる。

「柳生か…」

「如何にも」

尾張柳生ではないと判断し、咄嗟に、

「公儀か?」

と、聞くが、

「答える必要はない」

「左様か…」

お互い殺気を放ちながら、間合いを詰めていく。柳生が右袈裟から斬りつけてくるが政兼はこれをいなして背中を斬ろうとする。しかし、くるっと反転させて刀を弾かせて右下段から打ち込むが、次は政兼が一歩下がることでこれを交わす瞬間に体を回転させて死角となる右脇腹を狙うも小刀で弾かれる。

「やるな…」

そのまま足早に動くが政兼も同時に動き、相手の動きを封じる。さらに袈裟斬りと下段からの切り上げも交差したかと思った瞬間、柳生の刀が砕け散り、政兼が止めを刺した。

「さ…さす……が…は……幾……天…りゅ……よ…」

絶命した柳生を見てまもなく落ちるであろう金子城を見つめた…。


 金子城天守地下、城下を流れる川から城を目指し、緊急時に通るための秘密の通路より内堀に入り、石垣を登って天守内に入った亀井忍軍の上忍数人は地下を警備する足軽を簡単に仕留めて宗康より伝え聞かされていた柱を囲む。

「これだな…」

指揮する信牧が柱を外すとどこからともなくゴゴゴ…という地響きが聞こえてくる。

「よし、退くぞ」

忍びたちは来た道を颯爽と消えて行った。その直後に金子城は大きく崩れて崩壊していく。天守にいた宗昭や宗昭派の重臣たちは崩れた天守の下敷きとなり、圧死したという。その規模は本丸の他に二の丸も巻き込んだもので、宗康は直ちに幕府に対し、地震による崩壊だと届け出た。当初は怪しむ声もあったが結局、宗康の意見が通った。その上で三代藩主に義康を据えて、筆頭家老には遠州松平家の松平備前守清之きよゆきが就いた。清之の祖父清政の妻は宗康の父照政の妹である。また、次席家老には土佐に出向いていた松山肥前守景義が就くことで藩内の安定を図った。景義もまた父景成の妹は宗康の正室お菊の方で、清之同様金子一門である。また、犬居藩においても変化があり、金子右近が宗康の死後も本藩の藩政に関わっていたことに強い反感を持った義康は、右近の死後、直久の代になって急速な締め付けを行い、板ばさみとなった直久が急死すると、後継となった養子の信春のぶはるも追い込もうとしたが、信春の祖父徳村家継いえつぐの旧臣たちが反抗。内乱を引き起こす一歩手前まで行ったことを重く見た松平、松山の圧力により義康は失脚。嫡子宗恒むねつねを藩主に据えることで落ち着いたが大御所としての力は強く、信春の病死を受けて犬居藩を没収しようとしたがこの強硬策に内外から強い反発を再度受けたが悉く弾圧した。特に信春の叔父で徳村宗家を継いでいた政家まさいえに至っては罪をなすり付けて御家断絶に追い込んだ。しかし、幕府からの上意により、義康の幽閉と七万石への減封を命じられたがこれは父が幕府に返上を申し入れており、分知した三万石が義康のもとに戻ることはなかった。これにより、大量の浪人が金子藩より出て、一部は盗賊となって藩内を荒らし回った。落ち着くまでには相当の月日を要し、義康の娘のお涼の孫である宗勝むねかつが藩主になるまで待たねばならなかった…。


 翌朝、政兼は犬居から金子城下に移った経信と会う。

「もう行くのか?」

「ああ」

「お喜未はそのまま丹波に置いてくれ」

「丹波に?」

「あいつが後家ごけになった以上、出家するより道はない。若くして出家するより、丹波で良き相手を見つけるほうが良いだろう」

「悲しむぞ?」

「受け止めるさ。一条の血は護間家で受け継いでくれればいい」

娘が三人いるが男子はいない。

「家はつなぐことは出来ようが血は薄くなるな」

「だからこそ、お前に託したい」

「わかった。その大役引き受けよう」

「よろしく頼む」

経信は頭を下げ、政兼も礼儀を正して金子を去った。経信は七十八でこの世を去る。宗勝の代まで生き、娘は別家に嫁いだこともあり、遠州一条家は経信の死により絶えることになる。そして、一条の血は護間家が受け継いでいくことになったのである…。

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