十四、誅殺《前編》
徳川家茂の治世。尊皇攘夷が吹き荒れる京の都は幕府を倒そうとする長州藩と阻止しようとする幕府は京都所司代では治安に限界があると感じ、新たに京都守護職を設けて会津藩主松平容保が就いた。その配下には「誠」の旗を掲げる新選組がいた。局長の近藤勇、副長の土方歳三をはじめとする猛者たちは粛清の名のもとに徹底した弾圧を行った。一躍、名を馳せたのが池田屋事件である。元治元年、旅館池田屋で行われていた長州・肥後・土佐等の志士たちによる会合の最中に新選組が襲撃したのである。大成功に等しいこの事件で新選組の名は高まり、京の人々は畏怖するようになった。その柱となる幕府は将軍家茂の正室に孝明天皇の娘和宮内親王を江戸に迎えた。公武合体である。和宮の降嫁は天皇の意に添わない形であったが夫婦の仲は良好であったという。一方、遠州の小藩である金子藩では筆頭家老松平備前守頼清が藩を牛耳り、藩主でさえ傀儡になってしまう事態になっていた。何とか打開したい藩主義忠は京都屋敷留守居役を務める末子頼義に藩主の座を譲ることを決めた。当初は静観していた頼清だったが、頼義が金子藩主に迎えられてから情勢が一変する。頼義は藩政改革を行うことを重臣たちの前で伝えると五人いる家老を三人に減らし、「職務怠慢」を理由に松平派の中心人物で次席家老の笹堀史隆(政隆の孫)の御役御免とし、家老参席にあった同じく松平派の城代家老吐前高望(高儔の子高常の娘婿)は金子城留守居役に鞍変えとなった。代わりに頼清の陰謀で閑職に追われていた長居直弘が次席家老、江戸家老に木村綱敬が就いた。綱敬の祖は初代藩主宗康の側室お良の方である。お良の方の父は徳村家継であり、譜代の家臣として名を連ねていた。しかし、家継の嫡子家義が北条家との戦いで討死すると代わりの後継者が無かった家継の意向で嫡子となり、名も「家良」と改めた。女でありながら大手門城番頭となり、後に宗康の姉織部付となった。織部は家良が女であることを踏まえ、負担の少ない役目を与えていたがついに自ら家継に直談判し説得。当初は渋っていた家継だったが一歩も引かない織部に根負けし、家良に婿を取らせて家を継がせることにしたが負けん気の強さで知られる家良の婿探しは困難を極めた。そんな頃、長篠決戦に挑もうとする武田勝頼を牽制するため、宗康は甲斐南部に位置する上野城へ朱鷺田忠勝を派遣し落城させるも武田方の調略で忠勝の弟忠豊が謀反を起こし、金子城の東北東にある朱鷺田城を占拠した。知らせを受けた宗康は直ちに旗本衆支配の先崎十左衛門、葉祇宗通(高崎家家老望月信武の甥)らを差し向けた。多方面に兵を派遣していたため、兵数に乏しい金子勢は城詰めの兵も加えなければならず、家良も具足に身を包んで出陣していた。城を守る忠豊は二百程度の兵で固めていたため、すんなり落ちるかと思われたが城下にうまく誘い込まれた一部の兵が火計を遭って壊滅した。その壊滅した隊に家良も含まれており、逃げ惑う兵に突き飛ばされ、蹴られつつも火の気のない場所を探すが四方八方逃げ場のないことに気づいた。
「くっ…このままでは…」
家良が死を覚悟した時に馬に乗った若武者が駆けて来た。差し伸べられた手に掴まりヒラリと若武者の背に乗るとそのまま猛火で荒れ狂う城下を突破して歓声が聞こえる丘に着いた。城は黒煙を上げる城下の東に位置する山城であったが主力は朱鷺田城を落としていた。本丸で捕らえられた忠豊は金子城に送られた後、斬首されている。
「大事ござらんか?」
猛火で煤が着いた具足を見た家良だったが、軽い火傷以外は特に変わりはなかった。
「政康殿…か?」
「左様にございます。間一髪でございました」
木村政康は三十路を過ぎた頃の青年で旗本衆で組頭を務めていた。父政之は普請奉行や城目付を歴任していた人物で、父の死後、家督を継いでまだ一年足らずであったが槍さばきは家中でも上位だと噂された。逞しい背中に背負わされた家良は無事本陣に戻り、これが縁となって政康と婚姻。嫡子政良は後に犬居藩士となった。家良は島原の乱が起きた寛永十五年まで生き、犬居藩三代藩主信春は家良の甥であり、木村家は一門衆として支えたが信春急逝後に廃藩となる。政良らは金子藩に戻り、初代藩主宗康と三代藩主義康の対立の末に起きた犬居の乱に参戦し、家老松平清之、松山景義らと共に藩主不在の金子城を押さえて勝利に貢献。政良は町奉行や目付衆支配などの要職に就いた。政良には三人の子供がいた。家督は嫡子政範が継ぎ、次子忠良は城崩しの変以降断絶となっていた朱鷺田家の名跡を継ぎ、時田村で庄屋となった。三子政元は部屋住みであるため、藩道場頭取を兼ねる五代藩主宗勝に願い出て内弟子として修行に明け暮れた。しかし、政範が突然の病で臥せると宗勝は政元に家督を継ぐよう命じて御番頭に就かせ、後に大番頭まで昇進している。政元は宗勝・宗親・義政の三代に仕え、晩年は城下に道場を開いて多くの門弟を抱えた。嫡子政敬も早くから御番衆として重用され、御番頭を経て町奉行に転じた。治安の悪化が理由とされたが家老松平頼常の策略と噂された。その後、郷村目付として領内を巡視し、民衆の不満等に耳を傾けたことで実直だと評され、噂は藩主義忠にも届き、目付衆上位の役職である城目付に起用され、さらに松平派が占めていた要職である目付衆支配に就いた。権勢を誇る頼常に一矢報いるためで国家老長居直弘、江戸家老矢野義定(義高の子)と共に藩主義忠を支える改革派に名を連ねた。政敬には二人の子がおり、長子政慶は頼常に代わって家老となった頼清の政策に反発して城下の下屋敷門前で家臣もろとも殺された。下手人はすぐに捕らえられたが頼清との関わりを一切否定して町奉行内の牢で自害した。兄に代わって嫡子として家督を継いだのが次子綱敬である。藩主頼義の後ろ楯もあり、藩内は改革派と保守派が拮抗する形となった。徐々に押されてきた保守派は資金力を確保するために暴挙に出た。勘定吟味役梶原典膳は城下でも有数の大店である葛屋、寅屋、駿州屋に対してあらぬ罪をかけて財産を没収したのだ。数万両と言われる財産は保守派の資金力となってしまった。あまりの出来事に直弘や綱敬が抗議し、藩主頼義も苦言を呈したが頼清は梶原が勝手にしたこととして聞く耳を持たなかった。これを契機に葛屋は金子城下から高崎領へ、寅屋は大坂へ、駿州屋は駿府へと店を移して二度と金子へと戻ることはなかった。豊富な資金を得た保守派は人材を集め、万が一に備えるための武器を密かに買い集めた。保守派の不審な動きに気づいた御城番頭亀井忠頼はすぐに藩主頼義に報せた。
「それは真か?」
「はっ、鉱山に出入りする人夫に紛れ込ませていますが荷台は間違いなく」
「ならば隠し場所は鉱山と見て間違いないな?」
「間違いございません。鉱山奉行原長常と山奉行石河頼行、この二つの役を支配する勘定奉行藤岡勝直の三人は共に頼清に近しい者」
長常と頼行は頼清の父頼常の代から松平家に仕えている古参の家臣で、頼清が有望だとして藩士に起用した経緯がある。勝直は義直の嫡子だが剣術よりも算盤を弾くのに長けており、藩道場頭取の地位を従兄の宗信に譲って自らは勘定方、勘定吟味役、蔵奉行等を歴任した後に勘定奉行となった。また、金奉行船橋義晟は勝直の娘婿という構図で付け入る隙間が無いほど要職を固めていた。
「奴等から目を放すな」
「はっ」
「それと…尾張まで侵入出来る者はいるか?」
「尾張には名古屋探索方がおります。城下に入るだけでも難しゅうございます」
美濃で手練と言われた藤岡宗信が殺害された一件を話した。
「忍び同士ならば?」
「探索方を統べる鬼影一族に引けを取るとは思いませんが、戦うならば堂々と正面から行くほうが容易いかと」
使者を立てるよう忠頼が諭した。
「簡単には会えるまい」
「探索方の拠点は名古屋に非ず、美濃にございまする」
「ほう、美濃にな」
「元来、天下に名を馳せた織田信長公は早くから天険の要塞に目を付けて美濃を獲られた後に稲葉山に居城を移されて岐山から名を取り岐阜と改められました。探索方を創設した鬼影千千斎は美濃に秘境を探し当てさる谷に集落を構えました。現在の主は千々斎の末裔の都十郎でございます。尾張大納言慶勝公の信任厚き忍びとの噂です」
「買っているようだな?」
「いえ…」
忍び同士感じるものがあるのだろう。
「でだ、忠宗は覚えているか?」
「元忠様の御子でございますな」
「そうだ。藩主になる前に京で会った」
「何と!?」
「以前のような穏やかさは失われていた。冷徹な眼は未だに忘れられん」
忠頼は黙している。
「その際、今何をしているのか尋ねたら尾張藩で隠密の役目に就いていると言っていた。尾張で隠密と申せば探索方しか思い付かぬ。あやつがそこまで堕ちた理由を知っているか?」
「残念ながら、藤岡宗信の一件以来、藩境が封鎖されてしまい内部に侵入することすら叶いませぬ」
「お前でも厳しいか?」
「恐れ入ります」
忠頼は恐縮した。頼義は微笑する。
「わしに愚息がいたことは知っているな?」
「はっ、宗連様でございますな。確か京の都で新選組どもに殺害されたと…」
「そうだ。宗連は志士が住まう屋敷に出入りしていたと聞き付けた壬生浪に捕縛され、拷問の末に殺されたのだ」
頼義は我が子を殺された怒りに満ちていた。この場に新選組がいれば斬りかかっていたかもしれない。
「だが、尾張藩は違った。尾張大納言が尊皇攘夷に理解を示したことから幕府とも対立し、早くから京へも志士たちを送り込んで長州や土佐とも接触していた」
慶勝のことは忠頼の耳にも届いていた。いずれは幕府に敵なすことになると考えていた。
「その慶勝の考えに同調したのが忠宗…いや…今は我が藩祖の名を取って金子玄十郎宗康だったか…。宗康も長州派とは一線を引いているものの尊皇攘夷に傾倒して戦っているそうだ」
尾張藩を中心に活動する志士たちを人々は長州派に準えて尾州派と呼んだ。
「以前、蝉翁が言っていたことなんだが…」
蝉翁とは京都屋敷を拠点に活動する御城番衆であり、忠頼よりも年上ながら老練な戦い方は忠頼にも引けを取らない。子の蝉丸も御城番衆として暗闘の世に身を投じていたが行方知れずになっていた。どこかの藩に潜伏して殺された可能性が高く、忠頼も蝉翁も嘆くことはなかった。主君のために命をかけて働くことこそ忍びの本懐というものだからだ。
「兄上が尾張藩の政争で死んだ時、宗康はすでに名古屋にいなかったそうだ」
頼義の兄元忠は脱藩後、尾張藩重臣森山家の名跡を継いで姓名を変えていた。主君慶勝より一字頂いて斉慶と改めた。藩政にも関わることになったが政争の最中に殺されたという。情報を得にくい尾張から届いた唯一の情報で蝉翁が誰から聞き出したのかわからなかったが、兄の死を受けてもそれ程の衝撃ではなかった。頼清の父頼常の脅威が藩主一族にも及ぼうとした時にまだ幼かった頼義は父義忠の判断で京都屋敷に預けられた。その際に付けられたのが蝉翁である。蝉翁は頼常が放った刺客を片っ端から仕留めて頼義に近づけさせる隙すら無かった。元服後も滅多に父に会うことは無かったが蝉翁がその代わりを果たすことで頼義は成長し、京都屋敷留守居役に抜擢された。父の死後は金子藩主として戻ってきたが幼かった頃の記憶は無い。当然、兄の記憶も無かったため、殺されたと聞いたところで漠然としたものしかなかった。逆に京都で会った宗康の存在のほうが頼義の心に強く刻まれたという。
「森山家の名跡は縁戚の者が継いだらしいが、兄の後を継ぐはずだった宗康が京の都で会った時に見た剣術は剣術ではなかった。あれは正しく忍術の類いであると蝉翁は語っていた」
「となれば…、宗康殿は探索方に身を投じられたと?」
「その可能性がある。故に真意を質してもらいたい」
頼義は宗康に会えるのは忠頼しかいないと思っていた。
「質した後は?」
「これを渡して欲しい」
書状を受けとる。
「我が藩の将来がかかっておる。頼むぞ」
「はっ」
忠頼は頼義の覚悟を見た。恥を忍んで藩の行く末を身内とはいえ脱藩した者に託すことなど出来ようか。忠頼は城から下がると嫡子忠佐に後を託して探索方の拠点に向かった…。
美濃の秘境と言われる椰谷。山深い谷のさらに奥に小さな集落がある。遠目ながら集落を確認した忠頼は唯一村に繋がっている獣道を歩いて行く。堂々と正面から行くのだ。左右はすでに気配を消した者に囲まれていたが忠頼に気にする様子は無い。緩やかな動作で歩いて行くと吊り橋が見えた。谷の底は真っ暗で見えない。忠頼は漂う空気の歪みを見つけて幻覚だと悟る。
「この程度の術では我を騙せぬ」
懐から出したクナイをある木に目掛けて投げる。クナイは一直線に飛んで行き、術を仕掛けた札に命中する。すると吊り橋が消えて獣道が現れた。暗い谷などどこにもない。
「誰ぞ…」
すうっと気配が行く手を遮る。
「今度は幻ではないようだな」
「何者か?」
「金子玄十郎を捜している者だ」
「そのような者はおらぬ」
「ならば我が目にて捜すとしよう」
忠頼が前に出ると老人が強い殺気を放つ。
「成る程。殺気を放つということは集落にいると見て間違いないな?」
「おらぬ!」
双眼から光が放たれる。光線のように感じる強い気迫である。しかし、
「喝っ!」
忠頼はその気迫を老人の体ごと跳ね返した。この直後、気配を絶っていた者たちが十数人現れた。屈強な体つきをしているが黒装束ではない。
「我らの結界を破るのは誰か?」
白髪白髭の老人が現れた。忠頼の顔を見て目を細める。
「誰かと思えばお主か。亀井忠頼」
「久しいな。鬼影都十郎」
お互いの名を言う。
「お主ならば我らの結界など稚技に等しい。金子玄十郎を捜しておるのか?」
「如何にも」
「いないと申せば」
「この場にて腹を切るしかない」
都十郎は忠頼の覚悟を見た。
「成る程…。嘘ではないようだな」
「当然だ」
「通るがよい。我が主に会わせよう」
「何と申した!?」
忠頼は聞き間違えたと思った。
「金子玄十郎は我が探索方の主よ」
都十郎は微笑しながら忠頼を案内した。遠目で見た集落は幻術だったようで自然に囲まれた谷間の小さな小川が流れるところに集落があった。尾張藩の者ですら滅多に来ない秘境に来た来客に人々は警戒を含めた眼差しで忠頼を見ていたが、都十郎が手を挙げると警戒心が一瞬にして消えた。案内されたのは一際大きな屋敷である。刀を片手に持った壮年の男が現れた。
「頼直様!、頼直様ではございませんか!」
忠頼は声を上げた。
「忠頼、久しいな」
「ご壮健で何よりでございます」
「金子では世話を掛けたな」
先代藩主義忠の養子に迎えられた頼直は頼清の父頼常の肝煎りで迎えられたが、義忠の側室が相次いで子を成したことから遠ざけられた。与えられた屋敷には松平家の家臣が詰めていたがそれは警備ではなく、監視であった。屋敷から逃げないようにするためである。そんな頼直を守るようにして付き従ったのが御城番衆である。脱藩する以前から松平家の家臣に混じって頼直の周囲を守っていた。忠頼も変装して頼直の側に仕えてその聡明さを知った。久しぶりの再会は忠頼にとって驚きを隠せない。だが、同時に頼直がこの場にいるということは宗康がこの地にいることに繋がる。
「息災であったようだな?」
「何故ここに?」
「わしは父の遺言により、宗康に仕えておる」
二人が見会った状態で座ると若い女性が茶を運んできた。後ろで髪を結っている。無愛想な表情をしており、茶を置くとすぐに下がる。
「あの者は両親を目の前で殺されていてな。喜怒哀楽を失ってしまったのが不憫だと宗康が女中として置いておる」
そう言いながら頼直が茶を啜る。それを見て忠頼も倣う。自然に装おっているが毒薬が仕込まれていないか警戒してのことである。
「時に宗康殿は息災であろうか?」
姿の見えない宗康のことを聞いてみる。
「息災ではあるが役目上多忙でな」
「忍びとはそういうものだ」
「確かにな」
武家の頼直には理解できないらしいが、控えている都十郎はすぐに理解し応じた。
「亀井の。ここに来た理由を教えてやろうか?」
忠頼が来た理由を知っていると言うのだ。
「隠すこともあるまい。備前を始末してもらいたい」
この言葉に室内の空気が変わる。
「もはや、藩士では太刀打ちできないところまで来た。藩主頼義公とて無事では済むまい」
「正気よな?」
「他に何がある?」
「お主は動けないのか?」
「御城番の中にも密偵が潜んでおる。無闇に動くことが出来ない」
「留守は誰が?」
「愚息に叔父上と長老をつけてある」
「長老?、まさか中野忠弥ではあるまいな?」
「そんなはずなかろう。生きていれば当に百歳は越えておる」
中野忠弥は忠頼の祖父で元長居家近習だが、御城番衆中野家の名跡を継いだ異色の人物であり、由縁は宗康に似ていた。
「ならば阿賀一族か?」
三代信牧は初代左馬介の娘婿だが父の阿賀雅要は我が子の出世に誇りを感じた。信牧が亀井忍軍を率いるようになると雅要の後は長子雅章が後継となり、弟を影から支え、亀井家の知行地となった小石山の留守を守った。さらに、吉野党が壊滅した後は代々棟梁補佐を勤める家柄となった。しかし、明和年間の頃に亀井一門となった中野家の再興により翳りが見え始め、焦りを覚えた阿賀助右衛門は中野家の長老中野忠弥を屋敷に招いて暗殺しようとしたが、まだ健在であった亀井信親によって阻止され、助右衛門以下長子雅水、次子雅明、雅水の子雅柳とその妻ら十数人が殺害され、阿賀一族は根絶やしにされた。
「阿賀一族でもない」
「では…」
その時、奥の扉が開いた。その場にいた頼直と都十郎が畏まる。忠頼は誰かすぐにわかった。変装はしていない。していたとしても雰囲気で見破れる。
「犬居衆ではないのか?」
刀を手にした武士である。頼直よりも遥かに若い。
「忠宗…いや…宗康殿!」
「久しいな。お主も命を狙われているだろうに…痛み入る」
「何の。我らは主の命があればどこまでも着いていく所存にござる」
「叔父上は息災か?」
「少し無理をなさっておられます」
「左様か。備前が藩を牛耳っておるのだ。致し方あるまい」
「御意」
宗康も出された茶を喫する。
「で、用向きを窺おうか?」
「殿は宗康殿に真意を質せと申されました」
「真意?」
「何故忍びになられたのかということに殿は強い衝撃を受けられた様子」
「我は金子の者ではない。生まれは金子なれど故郷は持たず、刀を帯びるが本来は闇の者。先程、頼直に備前を始末せよと申していたが仕事ならば請け負う」
義兄の頼直を呼び捨てに出来るのは宗康のほうが格上である証明だろうか。
「しかし、金子藩の命ならば受けぬ。どうしてもと申されるならば藩公の許しを得てからにしてもらいたい」
淡々と答える宗康を見た忠頼は京都で頼義が宗康と再会した話しの感じと同じだと思った。口調に暖かさや懐かしさはない。
「もう未練はないと?」
「ないな。今いる藩士に気概が無いのが心苦しいがな」
「今の金子藩は備前の力が強すぎる」
「それを怒張させたのは誰か?」
忠頼は答えられない。
「お主ら藩士ではないのか。藩主が弱い立場になるのは仕方ない。だが、それを支える家臣が主君を守れなくて如何する気か?」
そう断じる宗康に返す言葉もない。
「忠頼、見張りがあろうが無かろうがお前ならば備前を暗殺することは可能であろうが」
「……」
「出来ぬ訳でもあるのか?」
「……」
真顔で聞いている忠頼に異変が起きた。心に秘められた闇が広がり、何かのきっかけで殺意に変わった瞬間、仕掛けられた暗示が発動した。突然、後方に飛ぶと短刀を構えて分身の術で三体に分かれた。宗康は瞬時に本体だけを見抜き、一気に間合いを詰めて真横から蹴り飛ばした。勢いで部屋の障子を突き破って集落を見渡せる庭先まで飛ばされるがくるっと回転して体勢を立て直す。しかし、すかさず都十郎が縛影の術で忠頼の動きを封じると宗康が刀を抜いて峰打ちを浴びせて気を失わせた。
「暗示だな」
「言葉の何れかで発動するよう仕組まれていた可能性がある」
「忠義程の男に暗示を掛けられる人物はおるか?」
「あるとしても相当な高齢なはず」
「誰か?」
「先々代棟梁亀井信親。この者ならば出来る」
宗康の問いに都十郎が答える。
「表向き、代々の備前に躍らされた"腰抜け"との評判だが、力量は図り知れず。特に人を見る目には長けていたと聞く。だが…」
都十郎は続ける。
「生きていれば百歳近くになっているはずだ。眼力にはそれなりの力を使う。弱った体で忠頼程の男を操れるものか」
「わからぬ。だが、誰が暗示を掛けたにしろ、我らは喧嘩を売られたことになる。受けねば末代までの恥となろう」
頼直が忠頼の体を調べている。短刀以外に書状が出てきた。それは頼義が宗康に宛てたと思われる書状である。しかし、その書状は異様であった。
「誰かが覗き見たな」
内容は頼義が宗康に家督を譲るという内容であったことにも驚いたが、朱肉で大きく×もされていたことにも目を細める。
「あぶるか」
宗康が両手で印を結んで呪文を唱えると朱肉部分が蒸発して姿形を造った。
「こいつは…」
老いてはいるが信親ではなかった。
「誰か?」
都十郎は首を横に振る。知らないようだ。しかし、頼直が見知っていた。
「信親の子の信真だな」
「信親に子がいたのか?」
宗康に頼直が頷く。
「信親が中野家から養子を得た時、信真はまだ産まれてなかった。産まれたのは養子を得てすぐのことだ。亀井家の家督は初代からの取り決めで一度決まったことを覆すのを禁じていた。故に信真は長になれず、小石山を出て別家を興した。それを拾って自らの手足にしたのが備前だ」
「ここで備前に繋がるわけか」
宗康も納得した。
「しかし解らぬことがある。言葉の暗示ならば藩主にも危害が及ぶのではないのか?」
頼直が言うと都十郎が頷いた。
「それはそれで構わぬのではないか。阿賀一族の恨みは根強いものがある。五代藩主金子宗勝は城を奪う際に阻止しようとした藩士を悉く斬り伏せ、その首を晒した。その中には時の御城番頭亀井信嘉もいた。信嘉は信親の祖父に当たる。その時の恨みは今も根強いと聞く」
「ふむ…。都十郎」
「何だ?」
「御城に行く。駿府に弥十郎がいたな?」
弥十郎は都十郎の倅である。探索方は江戸からの情報や尾張に通じる東海道の往来を監視するため、駿府と浜松に拠点を置いている。その一つを任せていた。
「金子に行かせるか?」
「ああ、私は御城に向かう。頼直は留守を頼む」
「承知した」
頼直は滅多に椰谷から出ることはない。宗康不在の時は棟梁代理を勤める。
「都十郎はこいつを頼む」
忠頼の身柄を預ける。
「わかった。誰か連れて行くか?」
「そうだな…。お土岐」
振り返らずに呼ぶと先程の女中が現れた。
「お呼びでしょうか?」
「先に城下へ行き、疾風に金子藩について詳しい情報を集めるよう伝えよ。その後、叢屋敷で待っていろ」
「はっ」
お土岐が下がるとすぐに気配が消えた。
「疾風を使うのか?」
疾風は赤影衆と呼ばれる探索方の情報に長けた忍びの一人で名古屋城下にある両替問屋の主でもある。赤影衆の大半はどこかの城下や宿場町で商屋を営んでいる。
「ああ、ここよりも情報が集まるしな」
「今の金子藩は危険極まりない土地だが、お前ならば問題あるまい」
その都十郎の言葉に頷くと宗康は風の如く消え去った…。
夜半。名古屋城内にある一室にて。蝋燭が灯されている。
「玄十郎か?」
「はっ」
襖を開く宗康。
「如何した?」
「これをご覧下さい」
宗康は忠頼の懐にあった書状を見せる。
「これは?」
朱肉の×を見て目を細める。
「金子藩主金子頼義が私に家督を譲る旨の書状のようですが、私が見る前に誰かが見た様子」
「だろうな。本物か?」
「間違いなく」
「ならば、藩主の命が晒されていると言っても過言ではないな」
「御意」
「で、如何する?」
「今朝、金子藩筆頭家老松平備前守の息がかかった者に襲われました。忍びかと思われます」
忠頼であることは伏せたため、解釈が違う方向に行く。
「ほう、血縁者を狙ってきたか」
「藩主頼義を除けば金子一門は私だけとなります」
「だが、お前を狙ったということは…」
別の解釈をする。
「尾張藩は喧嘩を売られたと」
「そういうことだ。金子藩如き小藩に好き勝手させるでないぞ」
「はっ。備前の首を以て任務完了と致します」
「うむ」
宗康は襖を閉めると風の如く立ち去り、城から出て城下にある通称「叢屋敷」と呼ばれる探索方の拠点に向かった。鬱蒼と生い茂る森に浮かぶ屋敷だが忍びが出入りするため、誰も長屋門が開いたところを見た者はいない。故に幽霊屋敷とも呼ばれて人々に怖れられた。
「疾風は?」
「参っております」
中庭に面した廊下を歩く宗康に先に到着したお土岐が答える。足早に室内に入ると疾風がいた。壮年の域に入った疾風だが、その名の如く韋駄天の異名を持ち、尾張から江戸まで半日もあれば行き来する程の男である。
「多忙の中、済まなかったな。何かわかったか?」
「はっ。備前は謀反を起こそうと動いている様子」
「何?」
「藩内にある鉱山に大坂や長崎から買い込んだ武器を集めています」
可能性という文字は使わず、確信を込めて断じた。
「江戸すら落とせる数でございます」
「そうか…、これは小藩だけでは済まされなくなって来たな。藩主の周囲は?」
「次席家老長居直弘、江戸家老木村綱敬ら改革派が主流ですが明らかに多勢に無勢」
難しい選択を迫られるが狙いは決まった。頭(頼清)と手足(鉱山の武器)を同時に攻めれば謀反は防げると判断する。
「お土岐」
「はい」
「弥十郎と政尚に繋ぎは取れるか?」
「出来ます」
政尚は元金子藩二ノ丸付護番頭で宗康の幼馴染みであり、宗康と共に脱藩し、尾張藩に身を潜めていた。宗康が探索方の棟梁となると浜松の拠点を任された。
「弥十郎には、明日の日没と同時に鉱山を落とせと伝えよ。政尚には私の使いとして次席家老長居直弘にこの書状を届けるよう伝えてくれ」
「はっ」
わずかに開いた襖の向こうへ書状を手渡すとお土岐の気配が消え、疾風もいなくなっていた。用が済んだと言わんばかりの速さである。
「さて、動くか…」
宗康もまた屋敷より姿を消した。故郷を取り戻すために…。
一筋の炎が揺るやかな空気の囁きに応じるかのように静かにゆらゆらと靡かせていた…。