十一、忍侍(しのびざむらい)
徳川家治の治世。老中田沼意次が絶大な勢力を誇っていた。賄賂で得た資金源を基に幕府を牛耳り、逆らう者には容赦ない弾圧を与えた。御三家、御三卿はおろか将軍家すら口出し出来なかったが、唯一、田沼同様に家治の信任が厚かった老中で川越藩主秋元凉朝だけは田沼に対して反対の立場を取り、政策に対しても悉く反対した。凉朝は横行する賄賂政治にも否定的で清廉潔白な人物と評された。他の逆らう者と同様に弾圧の対象であったが、家治の信任が厚い者を罰することは出来ない。その隙を突くかのように田沼派の者をありとあらゆる罪で捕縛して処する者がいた。小普請組に属する旗本金子左近将監頼綱である。頼綱の祖父宗匠は金子藩五代藩主金子宗勝の嫡子であったが、父の寵愛を受けていた小姓を斬ったことで父の逆鱗に触れて脱藩。江戸に逃れた際、類い稀な剣捌きに魅了された凉朝の推挙で幕臣となり、台頭してきた田沼を牽制するべく家治に隠目付へ推挙したのだ。隠目付は将軍直属の臣で幕府内における不満分子を調査・環視し、それを将軍に報告することを任務とし、場合によっては独自の判断で対象を消すことも出来た。そのため、幕府内に蔓延る悪を討つのは己しかないと奮起して次々と討たれていく仲間たちをよそに自らは自らの剣だけを信じて戦ってきた。しかし、頼綱の後ろ楯になってきた凉朝が老中から退くと田沼は待っていましたと言わんばかりに凉朝に出羽山形への転封を命じた。屋敷に呼ばれた頼綱は、
「わしが退けば田沼はどのような災いを浴びせてくるか想像もつかぬ。永朝では田沼に対抗しうる力はあるまい。今までよくぞ我の力となってきてくれたが、今日を以てそれを解消する。お前はお前の道を歩むと良い」
「はっ」
頼綱は恩人の凉朝に頭を垂れると屋敷を辞した。すっかり外は暗くなっており、人気も無いが普段感じないものだけはそこに集まっていた。
「囲まれているな」
提灯を片手に歩き出す。門前を汚すわけにはいかないからだ。頼綱が歩き出すと殺気も頼綱の背後につく。狙いが自分だとわかった時、何故か安堵した。別れを切り出されたとはいえ、親代わりになった凉朝が狙われるのだけは避けなかった。次第に道は川縁から森が覆い茂る森に入ったところで頼綱は自らの技を披露した。森に入ると同時に提灯の火を消して闇に溶け込んだのである。気配が一瞬にして消えた頼綱に数人の侍が右往左往しているのがわかる。斬るのは簡単だが凉朝に罪が及んでしまっては元も子もない。頼綱は慌てる連中をその場に残して屋敷に戻った。翌年、凉朝は隠居して家督を甥の永朝に譲った。これで幕閣内において田沼に逆らえる者はいなくなり、凉朝に対する処分はその見せしめと言えた。同時に凉朝の手足として働いた頼綱も粛清の対象とされて徐々に狭まる網に頼綱は妻子をある場所に秘かに移し、仕えていた老僕だけとなった。ただし、この老僕はただの老僕ではなかった。
「お前はどう思う?」
「潰されるのは時間の問題でしょう」
「ならばどうする?」
「田沼暗殺」
「それしかあるまいな」
「しかし、城中では難しいでしょう」
「無理だな。警戒が強すぎる。かと言って城と屋敷では近すぎる」
「ならば」
老僕は手のひらを見せた。
「相良で事を起こすというのはどうでしょうか?」
「誘き出す作戦か?」
「頂くものは頂きますがね」
「悪知恵の働く奴だな」
「ただで命をくれてやるわけにはいきません」
老僕は静かに部屋に灯された蝋燭に息を吹き掛けると気配を断った。
遠州中部にある相良。田沼意次が藩主を勤める三万五千石の城下町であり、城は幕府の了承を得て建築の真っ最中である。そんな城でありながら厳重に警備された場所があった。金蔵である。田沼が賄賂で得た金子がたんまりと溜め込まれていた。
「行くぞ」
「はっ」
頼綱は老僕と共に金蔵の前に躍り出た。
「何奴!?」
突然現れた二人に色めき立つ藩士らが刀を抜いた。刀を抜く頃には三人倒されたことに気づいていなかった。それを認識する間もなく二人倒された。
「う、動きが見えぬ!」
頼綱の動きが速すぎたのだ。次々と倒されていく味方を庇うこともせずに逃げ出す者も現れた。
「他愛ない」
「さもあらん。城詰めとはそういうものだ」
藩士以外の者が城内にいることは出来ない。そこに鋼鉄の鎚を持った大男が現れた。
「盗人ども!。わしが相手になってやる!」
上半身は裸だが古傷が体のあちこちに見えた。
「お前は?」
頼綱は大男の前に出る。この時、老僕の姿がないことに大男は気づいていなかった。
「相良藩大番頭久那木源内」
「ほう、お前のような男がいたのか」
「黙れ!。盗人如きが戯けたことをぬかすな!」
「盗人は田沼のことであろう?」
「我が主を愚弄する気か!」
「そうであろう?、田沼は私腹を肥やす輩とそうは変わらぬ」
「ぬぬぬ…!。言わせておけば…!」
頭に血が上って周りが見えなくなっていた。頼綱は刀を抜くと頭を守るように刃を空に向けて構える。
「そのような刀で我が鎚を防げるものか!」
源内が頭上高く鎚を持ち上げると思いっきり降り下ろした。ドーンッという衝撃音と共に土煙が舞う。
「力強いが懐が甘いな」
土煙が消えないうちに懐に入った頼綱に源内が度肝を抜かれる。驚きと恐怖で顔が歪む。
「受けるといい。幾天神段流陰陽塵」
真下から柄頭で源内の顎に思いっきり振り上げる。重い体が浮き上がる程の衝撃はいとも簡単に源内の顎を粉砕した。飛ばされた体が再び土煙を舞わせた。
「わしに立ち向かう勇ましさだけは認めてやろう」
頼綱はそう吐き捨てると踵を返して金蔵を見た。老僕が合図を送ってくる。
「これで田沼はどう動くかな」
頼綱は煙の如く気配を消した。駆けつけた藩士が見たものは倒された藩士の姿と何万両もの金子が奪われた金蔵の憐れな姿だった…。
翌朝、江戸市中の瓦版は相良城内で起きた事件を一面で叩いた。田沼政治に不満を抱く庶民たちからは歓声が起きた。
「すげえ盗賊もいたもんだ」
「義賊なら良かったのにな」
「馬鹿正直に金をばらまく奴の顔が見たいぞ」
「いるじゃねえか。堂々と貢ぐ侍連中が」
「ははは!、そりゃ違えねえ!」
そんな庶民たちを見ながら微笑している武士がいた。茶店でお茶を啜りながら瓦版を見ていた。
「なかなか出来ぬものではないな」
背中合わせにもう一人いる。
「これで動きましょうか?」
「無理だな」
「動きませんか?」
「これで動いたら田沼の器が知れる。老中たる者、どっしりと構えねばな」
「御前もそうでしたか?」
「さあな」
凉朝の表情は明るかった。
「これからどうする?」
「屋敷には誰もいませんし、相良に入る前日に旗本株をお奉行に返しました」
頼綱が属する小普請奉行のことである。
「ならば皆は解き放ちか?」
「ええ、所詮、金で繋がっていた連中です」
「まだ使える者もいただろうに」
「足手まといはいらないでしょう」
「足手まといか…。お前の忍術に勝る者はおるまい。お時と仙十郎はどうした?」
お時は凉朝の娘だが茶店の女であったお元に生ませた子で、屋敷ではなく、隅田川の畔に建てた商家を買収してお元とお時を住まわせて信頼の置ける女中に世話をさせた。後に頼綱の妻となるとお元と女中を頼綱の屋敷に移して痕跡を跡形もなく消し去った。仙十郎はお時との間に出来た嫡子で、まだ十五と元服したばかりである。
「すでに江戸を離れました。手練を付けていますので問題ありません」
「左様か…寂しくなるな」
「御前もお達者で」
「うむ」
そう返事を返した頃には背中合わせの頼綱の姿は無く、凉朝も銭を払って茶店を後にした。相良事件はこの後も庶民の間で尾を引くように騒がれたが、凉朝が言ったように田沼が動くことが無かったため、幕府内における幕はあっさりと閉じた。以降、田沼が失脚するまでの期間、賄賂政治は続き、悪政は後の世にも現れる先駆者的な存在となったことは否めない。江戸を離れた頼綱は箱根の山中にいた。
「殿、本当によろしいのですか?」
「構わぬ」
積み上げられた千両箱を前にして老僕が畏まっていた。だが、その場にいたのは老僕だけではなかった。屈強な男たちも控えている。相良城の金蔵から金子を運び出したのは彼らであった。
「好きなように使うがいい。小太郎」
小太郎と呼ばれた老僕こそ、戦国の世から箱根山中に拠点を置く風魔の一族を率いる風魔小太郎である。小太郎は代々踏襲されてきた名で本名は誰も知らない。
「小太郎、達者でな」
「ははっ。磯丸とお涼をお頼み申します」
「相分かった」
磯丸とお涼はまだ二十歳にも満たない若い忍びだが、幼い時より小太郎に付いて忍びのいろはを教え込まれた手練であり、老練の忍び相手でも引けを取らない。頼綱が妻子を逃す時に二人を護衛に付けていた。頼綱が小太郎に願って了承したのだ。
「さらばだ」
頼綱は森の木々に溶け込むようにして気配を断った。その技を見た風魔の者は感嘆した。
「御頭、あの者の技は御頭が教えたので?」
「いや、わしではない。かの者の技は風魔に非ず」
「では一体…」
「おそらくは伊賀者かもしれぬが彼の者は一切語ることはなかった」
小太郎にもわからない頼綱がこの先どこに行き着くのか、それは誰にも知る由がなかった…。
頼綱が失踪した七年後、凉朝は江戸にて病死した。葬儀の場に頼綱の姿は無く、改易となった金子家も廃屋と化していた。ひっそりとした廃屋は雑草が伸びて家屋も朽ちて傾いている。そんな廃屋をよそめに葬儀はしめやかに行われたという。頼綱は相良事件の翌年には日光街道から西にある武州大館藩領の西江村という小村にいた。藩庁である大館城は安土桃山時代に築城されて、初代将軍徳川家康の縁戚である松平伯耆守長広が大館郡と奈月郡合わせて二万五千石で立藩した。以降、代々松平家が受け継いでいたが数年前に五代藩主松平家長が跡継ぎを決めずに病に臥せると御家騒動に発展し、末子を除く三人の子供を擁した一派が争うことになった。嫡子元長、次子長誠、三子泰長の三人である。その中でも長誠は御家騒動に消極的であり、元長と長誠との間で密談して和解した。長誠派が元長に付いたことで形勢は逆転し、泰長は大館城中に軟禁された。泰長派は粛清されて、ようやく御家騒動は一応の終結を見た。終結まで藩を離れていた長誠は江戸に逗留してひょんな事で知り合いになった頼綱と親交を持つようになり、いつしか剣術も教わるようになった。目覚ましく成長していく長誠に頼綱も真剣に打ち込み、最終的には奥義まで伝授するに至った。徐々に対立が激化していく田沼との戦いにも加わろうとした矢先に藩から戻るよう命じられた長誠は頼綱に必ず救いの手を差しのべることを伝えて大館に戻った。騒動の終結を見た藩内は穏やかな状態に戻っていたが長誠の帰還が新たな緊張を生んだ。兄元長に拝謁し、藩政に加わらないことを条件に一万二千石を分知される異例の処分を受けて、かつての長誠派を率いて大館郡西江村の東にある山の中腹にあった廃寺を改修して陣屋を設けて立藩した。改修の際は大館城下ではなく、西江村の大工を総動員したため、普段ひっそりとしている村は活気づいた。陣屋の敷地内では全ての建物は造るのは難しく、西江村の北側に町奉行所と藩道場を併設させた。また、収入の中心となる水田開発にも目を向けて大館郡と奈月郡に跨がる大館川に水門を設けて水量を調整することで洪水からの被害を防ぐ工事も合わせて行い、水門を守るために水門番所も置かれた。全ての工事が完了したのは長誠が西江藩を立藩してから五年の月日が流れていた。その間に大館藩は家老に一門衆の松平長房を就けた。唯一、御家騒動に加わらなかった長房は早くに奈月郡代として重臣の一角を成し、騒動後に家老に就いて藩政に加わった経緯を持つ。また、藩主元長にも嫡子が生まれたことで後継者争いにも決着が付いたと藩内では安心感が広がっていた。しかし、長誠の心中は常に頼綱のことがあった。田沼政治に対する反発は大館まで聞こえていたが、幕府に仕える大名にとって老中は上役に等しく、軽々しく批判するわけにもいかない。老中を勤めた秋元凉朝の山形転封もその見せしめと大名たちの心に刻まれていたからだ。そんな悶々とした日々も藩政に打ち込むことで拭うことが出来てきた頃のこと、長誠は藩内の見回りに出ていた。付き添っているのは御番衆の十河善三郎である。善三郎の祖先は讃岐の豪族十河家だというが定かではない。西江村を南に下ると御宮村に入る。この村の東には神社があった。神主はいないが、村の者が代々手入れをしているようで朽ちている様子はない。鳥居を潜り、緑に覆われた参道を歩いていくと舞台が見えた。毎年祭りなどで舞などを披露するのだと善三郎が語った。その舞台を通りすぎて本殿に向かっていると人の呻き声が聞こえてきた。百姓のようだ。
「う…うう…」
善三郎が駆け寄る。
「おい!、しっかり致せ!」
「に、逃げ…逃げ…」
「おい!」
百姓は息を引き取る。それを見届けたかのように鬼の面をつけた輩が数人現れた。
「何者か?」
長誠が刀に手を添える。
「………」
「盗賊の類いか?」
答えずに刀を抜く。善三郎も刀を抜いた。
「狙いはわしか?。田沼の犬ども」
その言葉に善三郎は驚き、刺客たちの殺気はさらに増した。
「単純な奴らだ」
長誠は左足を後方に引いて抜刀の姿勢になる。
「うまく避けろよ」
一気に抜き放つと横一文字の剣圧が一番近くにいた三人の刺客の胴を裂いた。「流牙散布四ノ型」という幾天神段流の技である。壱の型は上段から下段、弐の型は左袈裟から斜め斬り、参の型は右袈裟からの斜め斬り、伍の型は突きである。その全てに剣圧を加えて攻撃力を増す。そして、その最終形態が「流牙散布八連」になる。歴代の宗家が一番得意とした技でもあり、長誠も同様に一気に八人倒すと頭らしき者に切っ先を向ける。
「相手が悪かったな」
「くっ…」
「何を企んでおる?」
「………」
「言わぬか?。ならば、仕方あるまい」
長誠が刀を逆さに向けて突くかのような構えを見せ、右腕の上に刀の峰を乗せる。刺客は突きであろうと予測したが速さが違った。心の臓を貫くと素早く抜いた。
「ふん、浅かったようだな」
刺客が斬りかかろうとした瞬間、血を吐いた。
「な…にぃ……」
痛みを感じること無く、刺客は絶命した。
「ふぅ…」
「殿、今の技は?」
「幾天神段流裏極意心爆斬という」
心の臓を一瞬にして体内から飛び出ることなく、破裂させる技である。刀を極めた者でしか体得が難しいと言われる極意中の極意で、この技の上には奥義しか残されていない。
「境内を血で汚すわけにはいかぬからな」
その言葉通り、頭以外の者は全員生きていた。峰打ちをされて気絶していただけである。
「水門番所まで行って何人か連れて来てくれ。町奉行所まで連れて行く」
「承知しました」
善三郎が神社から去ると一つの気配が現れた。
「長誠」
振り返ると頼綱の姿があった。
「師よ、ご無事で」
「お前もな。お時たちは?」
「満叡寺という寺にいます。身内で固めておりますので大事ないかと」
「そうか…、無事であったか。今の者は?」
「元は大館藩士ですが、腕は立ちます」
「お前が伴にするぐらいならば問題はあるまい」
遠くから足音と喧騒が聞こえてきた。
「とりあえず、満叡寺に向かうとしよう」
「ではまた後程」
師弟は再び別れた。刺客たちは善三郎が連れてきた捕り方によって町奉行へ連行されて行ったが、翌日に舌を噛みきって果てた姿で発見されている。田沼に繋がる証拠は消された形となったが頼綱に繋がる証拠も消した形となり、痛み分けの結果になった。
頼綱は陣屋裏にある満叡寺で妻のお時と嫡子の仙十郎と再会した。妻子の江戸離れを許さない田沼の追っ手に怯えながらも磯丸とお涼の存在が二人を大館へと導いた。しかし、頼綱は二人を未熟だと判断して長誠に預けた。隠れ住むだけなら必要ないと感じたからだ。当初は抵抗したが頼綱の命には逆らえない。長誠は二人を借り受けることで折り合いをつかせ、藩内の巡察などの任に就かせた。その後、頼綱は姓名を改めて松川長十郎直景とした。長誠が江戸にいた頃によく使っていた偽名をもらい受けたのだ。十年間、その所在を眩ませた頼綱は仙十郎の他に三人の子供に恵まれ、長誠から禄も与えられて町奉行所に併設した藩道場頭取として藩士たちの修業に汗を流した。天明四年、江戸城中において若年寄で田沼意次の嫡子意知が旗本佐野政言に殺害される事件が起きた。理由は様々あるが賄賂を送っても出世出来なかったこと、田沼に貸した佐野家系図を返してもらえなかったこと、佐野家が代々祀っていた佐野大明神を勝手に横取りして田沼大明神に仕立て上げてしまったこと等が上げられるが、後継と目されていた意知の死去で田沼の権勢に翳りが見え始め、その二年後、将軍家治の逝去に伴って田沼は失脚した。絶大な権力を誇った田沼の末路は哀れなものであった。石高を一万石まで引き下げられて居城の相良城は取り壊されて江戸屋敷も没収された。その苛烈さは凄惨を極め、没落した田沼家が再び世に出るのは七代意正の代まで待たねばならなかった。十一代将軍には御三卿の一つである一橋治済の子家斉が就き、老中首座には八代将軍吉宗の孫松平定信が就いて寛政の改革が始まろうとしていた。
「田沼もああなると哀れとしか思えぬな」
西江村にある藩道場で稽古を済ませた頼綱と長誠が茶を喫しながら話をしていた。
「賄賂で得をした者がいればその逆もいる。将軍後継者と言われながら、田沼によって白河に飛ばされた定信の心境が現れたのでしょうな」
「定信はどう出るか、それは天のみぞ知るか」
丁寧に話すのが長誠である。師弟関係は藩主と藩士の間柄とはまた違うものだ。古くは遠州直伝とされた流派が頼綱の祖父宗匠によって江戸に流れて、頼綱の門弟となった長誠によって西江に流れた。時代の流れと共に西江藩の御家芸として広く門戸を開いた。宗家は長誠の嫡子頼長が家督と一緒に継ぐことになるが、頼綱も独自の技法を織り混ぜた新たな幾天神段流を確立させて松川派を立ち上げた。一方で西江藩でも政争があり、本藩から持ち込まれた災厄は大館藩主であった兄元長による嫉妬から生まれた憎悪にあった。その憎悪に駆られた元長は正室と嫡子長政によって幽閉されてしまうが事件を重くみた一部の重臣が長誠の介入を求めると暗殺を計画、これを退けた長誠は幕府に調停を要請し、長政の非は明らかだとして大館藩と西江藩を統合させて改めて大館藩主に長誠を就かせることで落ち着きを見せた。しかし、長誠の後を受けた頼長の時に再び政争が起き、幕府の命で嫡子頼直を養子に出さねばならなくなった心情が頼長の脱藩という前代未聞の事件を引き起こし、頼長の失脚に一役買った一門衆で筆頭家老の長房は嫡子の頼房を藩主の座に添えて権力を握ろうとしたが三度起きた政争で長房の失脚と頼房が譲位に追い込まれると、後を受けたのが長誠の娘婿である政誠である。政誠は幾天神段流大館派という一派を起こしており、着実に地盤を固めた政誠は一気に攻勢に出て藩主の座を奪取したのだ。しかし、それは長誠より後世のお話しであり、今は関係ないものである。ともあれ、田沼により運命を翻弄された頼綱は黙ったまま何を思うのか、それは頼綱以外わからなかった。失脚の二年後、田沼は病に臥せっていた。栄枯盛衰の全てを見た田沼はもう風前の灯である。藩医と世話をする女中以外は出入りすることもない離れに久しぶりに別の気配を感じた。うっすらと目を開いた田沼はその人物の顔を見て目を潜めた。
「生きておったか…」
「はっ…」
「左近、お前には詫びねばならぬことが有りすぎる」
田沼の口から詫びの言葉が出たことに頼綱は驚いた。
「凉朝殿にも悪いことをした。向こうで詫びても詫びきれまい」
かつての政敵の名も出す。頼綱にとっても凉朝は親代わりに等しい。
「ふふふ…」
「何がおかしい?」
「最後に看取られるのがお前だとはな」
「田沼様は最後のひとときまで御老中であられた」
「わしに最早そのような力はない」
「力ではありません。人としての風格です」
「風格?」
「ええ、白河侯には無い田沼様だけの風格です」
「ほう?」
「王道としての風格です。時代が違えば正に王と成られたやもしれません」
「わしにそのような価値があるものか」
「価値無価値は個々が決めるもの。白河侯もいずれ自分の身を弁える時が来るでしょう」
後に寛政の改革に失敗した松平定信は老中を失脚、嫡子定永は伊勢桑名へ転封され、代々治めていた白河から離れざる結果になってしまった。田沼の死後から三十五年後のことである。
「左近」
「はっ」
「お前はどこに向かう?」
「さあ」
頼綱は微笑した。
「もう会うこともあるまい」
「ええ、向こうに言ったら秋元様によろしくお伝えください」
「相わかった。さらばだ」
頼綱は消えるように室内から気配を断った。その直後、田沼も静かに息を引き取った。享年七十。最後まで王道を貫いた意次であった…。