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金子藩譜  作者: ゆきまる
11/21

十、忠臣の末裔(一)

遠州を東西に分かつ天竜川。信州から恵みの水を海に注ぐ大河の近くに高崎という小村がある。小高い山を囲むようにして形成された農村だが、北に犬居領を窺う宿場町として栄えた。この地を治めているのは小普請組に所属する直参旗本千二百石高崎善兵衛ぜんべえ定義さだよしである。善兵衛の祖は高崎たかさき定長さだながで、村の中心にある山に高崎城を築いて代々統治していた豪族だった。早くから、金子藩初代藩主金子宗康の家臣として武田や徳川の軍勢と戦った。後に宗康が徳川家の傘下になるが、これを良しとせずに一貫して高崎の地を治めて、天下人となった豊臣秀吉より「永代統治」の免状を得て以来、恩顧の武将として名を連ねて関ヶ原の戦いでは西軍の石田三成についた。そのため、戦後に改易の憂き目に遭うが、後に犬居の地を治めた宗康の弟直信に仕えて犬居藩士となると再び高崎に復帰して高崎城代として、直信・直久・信春の三代に仕えたが犬居の乱に繋がる藩の断絶に遭い、嫡子定信は松家家らと共に金子藩士となったが、定長はこれを良しとせずに高崎領における自分の立場を江戸に訴え出た。当初は宗康に配慮して相手にしなかったのだが宗康が犬居返上を申し出たことで状況が変わり、幕府は定長に対して領地返上を命じ、幕府領として新たに高崎の地を定長に与える命を下した。大名としての取り立てを目指していた定長にとっては納得いかないものであり、高崎城を失うことにもなりかねなかったが謀反をしたところで勝ち目がないこともわかっているだけに定長の落胆は大きく、城を陣屋に造り替えて完成を見る頃にはすっかり憔悴しきっており、幕府の命により、家督を次子定秀さだひでに譲って隠居した。その翌年、定長は高崎に戻ることなく江戸で病死した。家督を継いだ定秀は高崎をかつての家老であった棚岡たなおか由利よしとしに任せて高崎には一度も入らなかった。由利には野心があったとされ、言葉巧みに定秀を高崎から遠ざけ、一方で高崎にて善政を敷いたと噂されて後に幕府に引き抜かれる形で幕臣となった。騙された定秀は人々から愚君と称されて失意のうちに病死している。嫡子定高さだたかは家光・家綱・綱吉の三代に仕えて、父を騙して幕臣になった由利を決して許さなかったという。刃傷沙汰になることを警戒した幕府は定高を在地領主として高崎に赴かせた。結果、人々と触れあう機会を得た定高の知名度は増すことになり、石高も八百石から千石に増えた。嫡子定綱さだつなも新田開発や治水等で高崎に貢献し、綱吉・家宣・家継・吉宗の四代に仕えて石高も千二百石となり、代々で初めて勘定吟味役を勤めた。関東平野の新田開発にも加わり、紀州藩士から幕臣となった井沢いざわ弥惣兵衛やそべえの配下として活躍し、その後も井沢と親交を温めたという。晩年に五百石加増されたが、定綱には四人の子がおり、長子定久さだひさは妾の子であったため、五百石を分知して別家を興させ、家督は次子定致さだゆきが継いだ。定致は江戸屋敷の御用人に弟の定通さだみちを就かせて幕府との調整に当たらせた。定通が四十八で病死すると定致は嘆き悲しみ、幼少であった後の定義を養嗣子とした。定義が定致の後見で元服を果たすと定長以来伝えられてきた高崎流治水術を定義に伝授し、晴れて江戸屋敷の御用人となり、翌年には高崎に移って高崎の統治にも参画した。八年後、定致が隠居すると家督を継いだ。その三年後、南の宗安村から陣屋を訪れた者がいた。若い武士だが金子藩士ではないようだ。

「高崎善兵衛定義にござる」

関八州かんはっしゅう取締同心とりしまりどうしん白河しわかわ主膳しゅぜんと申します」

「関八州?」

「如何にも。総裁松平忠左衛門ちゅうざえもん長誠ながよし様の命により、馳せ参じました」

礼儀は正しい。同心という身分だが家柄は良いのだろうと定義は推察した。関八州総裁松平長誠は武州大館おおだて藩主松平伯耆守ほうきのかみ元長もとながの弟で、兄より一万二千石を分知されて大館郡中部にある西江村に陣屋を置いて西江藩を立藩した。在地領主であったが、十一代将軍徳川家斉の命により、本来勘定奉行が就くのが慣わしであった関八州総裁の任に就いた。剣術に優れ、盗賊たちに対して容赦なく取り締まったことから、人々は彼を「人斬り忠左ちゅうざ」「斬忠ざんちゅう」と呼んで怖れたという。

「で、用向きは?」

「上野で暴れた凶賊きょうぞく観音かんのん弥平次やへいじの手下がこの高崎に隠れているという報せを受けて御助力を願うべく馳せ参じた次第」

「観音の弥平次と申せば手下は数百人とも言われる大盗賊ではないか。昨年、上州松井田で起きた事件は聞き及んでおる」

観音の弥平次の異名は懐に観音像を潜ませていることからその名が付いた。元は江戸で両替商をしていた商人で豊富な資金力で盗賊を組織して、両替商時代に用心棒として雇っていた元旗本の三浦甚五郎じんごろうを若頭に命じ、その下に小頭十人を置いて数百人の盗賊を束ねた。連携することを嫌う諸大名の城下を荒らし回るが、それに立ち塞がったのが長誠と「鬼平」こと火付ひつけ盗賊とうぞく改方あらためかた長谷川はせがわ平蔵へいぞう宣以のぶための二人である。江戸の人々は「府内に鬼平あらば、府外に斬忠あり」と評した。二人が役を退くまで江戸はおろか関東一円で悪事を働こうと考える者はいなかったというが、観音の弥平次だけは別だった。


雪が降りしきる真冬の夜、松井田藩の藩庁であった松井田城に盗賊観音の弥平次率いる三百余人の賊が侵入し、二の丸にある住居で休んでいた藩主松平斉広なりひろをはじめ、正室、奥女中、坊主、藩士らが捕らわれの身となった。秘密裏に身代金を要求する弥平次に対して事を公にしたくない幕閣の意向で関八州総裁である長誠に処理を一任した。中仙道の要衝かつ山城である松井田城の攻略は容易なものではなかったが、長誠は数人の手練を率いて奇抜な策を用いて盗賊たちが混乱した隙を突いて瞬く間に制圧。藩主らを無傷で救いだした。観音の弥平次を取り逃がしたが小頭数人を含む数十人の捕縛に成功した。その裏には松井田城を囲んだ安中藩、前橋藩、高崎藩、伊勢崎藩などの諸大名との綿密な作戦があったことは否めないが、この事件により長誠の武名は高くなり、石高も一万石加増されて二万二千石となった。恨み節を吐き捨てて京に逃れた弥平次は小頭を中心に江戸へ送り込んで巻き返しを図るべく動いていた。その矢先、駿府を望む高崎の地に小頭が数人の手下と共に潜んでいるとの報せを受けて長誠は配下の白河を差し向けたのである。

「おおよその検討はついているのか?」

「はい。先日小田原で捕縛した鎌鼬かまいたち文造ぶんぞうを尋問したところ、高崎村にあるたつみ屋という商家を隠れ家にしていると吐きました」

鎌鼬の文造は観音の弥平次が江戸にいる頃からの古参の盗賊で小頭を勤め、関東に潜伏する盗賊たちとの連絡役を担っていた。文造を押さえれば京と江戸との流れを断ち切ることが出来る。

「巽屋は廻船問屋であったな。長期に逗留することはあるまい。狙いはわかるか?」

「率いているのは木枯こがらしの伝蔵でんぞう故、急ぎ働きをする可能性があります」

「急ぎ働きか…。よかろう、貴殿の申し出を受けるとしよう」

「有り難き幸せ」

「誰ぞあるか?」

定義の呼び掛けに家臣が応じる。

佐伯さえき又兵衛またべえを呼べ」

「はっ」

家臣が下がると佐伯がやって来た。

「お呼びでしょうか?」

三十路を過ぎたばかりだが、聡明な性格で剣術に優れていたこともあり、定義から番方に任じられていた。主に高崎村の治安を担っている。

「こちらは関八州配下の白河殿だ。観音の弥平次の手下が村に潜伏しているそうだ。巽屋は知っているな?」

「はっ」

「あそこに匿われているそうだ」

「何と!?」

驚くのも無理はない。巽屋は天竜川に面した湊を仕切る町年寄まちどしよりを勤めていたからだ。高崎村のみならず、近隣の藩や町までその手を伸ばす大商人だった。

「あの巽屋が…信じられぬ」

「その真意を探れ」

「真意?」

又兵衛は定義の顔を見た。巽屋に匿われているというだけで、巽屋が関わっているかどうかは定かではない。定義はそれを探るよう命じたのだ。白河とは別行動をするため、定義の許を辞した又兵衛は巽屋と同じ町年寄望月もちづき深左衛門しんざえもんを訪ねた。深左衛門の祖は初代定長に仕えた高崎家家老望月信武のぶたけであり、深左衛門で七代目になる。信武の嫡子武元たけもとは関ヶ原の戦いの後に主家が改易されると帰農して田園地帯に屋敷を構えて庄屋となった。武元の武綱たけつなより深左衛門を名乗り、村の北側に米問屋を開いて町年寄となった。町年寄には材木問屋を営む山部やまべ信兵衛しんべえがいる。山部家も元は高崎家の家臣で山奉行や作事奉行を勤めていたが、早くに役を辞してかつての知識を駆使して村の南側に材木問屋を開いた。町年寄になったのはすぐ後のことである。この三家が代々町年寄としてこの村の支えとなった。

「御免」

「又兵衛か…。また、金の無心か?」

呆れた表情をしている老年の男が現れた。番頭の市兵衛いちべえである。市兵衛は先代から望月屋を切り盛りしている大番頭で、主の深左衛門も頭が上がらない存在だが、又兵衛もまた同様である。市兵衛は又兵衛の母の叔父に当たり、元は高崎家で江戸屋敷の御用人を務めていたが藩士の不手際により責を切って役を辞していた。

「そうではありませぬ」

「ほう…。無心ではなかったら盗みでも働くか?」

「盗むならこの店には来ませんよ」

老年とはいえ、市兵衛は御用人になる前は番方よりも二つ上の大番頭おおばんがしらをしていたこともあり、剣の腕は良い。この望月屋に雇われた時も用心棒扱いであった。

「わしもお前を斬ることになれば目覚めが悪くなる」

笑いながら言った。

「で、今日はどうした?」

「主君高崎善兵衛様の命により、参じました。主、望月深左衛門様にお取り次ぎ願いたく存じます」

「何!?、定義様の!?、しばし待て」

思わず定義の名が出て驚く市兵衛が奥に下がる。しばらく待たされた後、市兵衛が戻ってくる。

「お会いになさるそうだ」

又兵衛は市兵衛と共に奥に通された。中庭に面した廊下を通り、離れに向かう。

「最近は骨董こっとうに凝っておられてなぁ。近頃店先に姿を出して下さらぬ」

「あまり良い傾向とは言えませんな」

「たしかにな」

離れまで来ると市兵衛が畏まる。

「又兵衛をお連れしました」

「お通しなさい」

すうっと障子が開かれる。茶壺ちゃつぼを観賞している深左衛門の姿があった。

「ご無沙汰しています」

「又兵衛か…。今日は主の命で来たそうだな」

「はい」

「用件は災厄か?」

「災厄と申されますと?」

「我が望月屋に難が及ぶ事柄か?」

「場合によっては」

「ほう」

深左衛門の視線が又兵衛に向く。鋭い視線である。

「話を聞こう」

「では…」

又兵衛は巽屋で起きていることを話すと何か考える仕草をした。

「なるほど。それでここが狙われていると思ったか?」

「高崎周辺で大店と呼べる店は三つしかありませぬ。敵が巽屋に潜伏しているなら、残るは二つ」

望月屋と山部屋である。

「ふむ。巽屋とは前回の会合では会わなかったな」

「それはいつ頃の話しでしょうか?」

「半月前だな。代理で番頭ばんとう簑吉みのきちが来ておった」

「それはおかしいですね」

「おかしいとは?」

「簑吉は三月も前に江戸に出ておる。店を任されているはずだ」

「そんな馬鹿な!」

冷静だった表情が変わる。感情が前に出ていた。

「あれは簑吉で間違いない」

「ならば…その時は誰かが簑吉に成り済ましていたのでしょう」

「そんな芸当を出来る者などいるもんか!」

さらに激怒する。

「いますよ」

「いる…だと?」

又兵衛はあるものを見せた。

「こ、これは!?」

それは大坂町奉行所からの手配書であった。そこに描かれていた似顔絵はまさしく簑吉だったが、名前は多助たすけと記されている。

「瓜二つでございましょう」

「こんなことがあるとは…」

「この手配書の存在は簑吉は知っています。知らなければ間違われて捕縛されていますから。簑吉と多助には兄弟の繋がりは無いことはすでに調べがついています」

「最初から知っていたかのような口振りだな」

「この手配書が回ってきたのは昨年の冬です」

松井田で捕縛した盗賊たちから聞き出した数百枚の一つである。話を聞いていた市兵衛に不安がよぎる。

「旦那様、前回の会合はこの望月屋の奥座敷で行われました。もしかすると…」

「その可能性はあるな」

押し入る場所が望月屋であるなら、その間取りを調べたに違いない。

「会合以降も簑吉はこちらに来ましたか?」

「巽屋の代理として何度か来ておる」

又兵衛の指摘に深左衛門がそう答えた。押し込みが確実なものになったが、決めるのは時期尚早として配下の番衆河村かわむら与市よいちを望月屋に預けて自身は山部屋に向かった。天竜川から注ぎ込む高崎川に架かる橋を渡る。橋から湊を見ると一際大きな巽屋が見える。店は開けているようで小僧が水を撒いていた。「ふむ…」と一言呟いて歩いていく又兵衛の後ろ姿を二人の男が見つめていた。又兵衛が歩き出すと二人も後を付ける。一定の間隔でそれは続いた。しばらくして又兵衛は脇道に逸れる。寺町のほうに向かう道である。寺町といっても広大なものではない。高崎家菩提寺の高願寺こうがんじと禅宗系の龍角寺りゅうかくじがあり、二つの寺は向かい合わせで建立され、その奥に陣屋に続く山道がある。その周囲は深い森に覆われており、人気は少ない。つけてきていた二人が一気に間合いを詰めてきた。又兵衛は背中越しに殺気を浴びながら刀の柄に手を添えた。一人が刀を抜いて斬りかかる直前に抜刀しながら腰を落としつつ反転して胴を斬り裂いた。

「ぐわっ!」

「先程から付けていたな。如何なることか?」

鋭い視線を刺客に向ける。

「なるほど。昔のお前ではないようだな。又兵衛」

編笠から見える顔に見覚えがある。

「やはり…、貴方は変わられた。いつからです?、叔父上」

そこにあったのは叔父の市兵衛だった。刀を抜いている。

「丁度、一年前からだ」

「一年…」

松井田事件よりも前のことだ。

「何故、深左衛門を騙しても盗賊に加担なされたのですか?」

「些細なことで幕府の顔色を窺う主君に愛想を尽かしただけだ」

「些細なこと?」

市兵衛はそれ以上語らなかった。市兵衛が役を辞した時、もう一人、役を追われた者がいた。

「叔父上、定勝さだかつ殿を巻き込まれたのではあるまいな!?」

定勝とは先代定致の兄で庶子定久の嫡子である。定久は別家を興した後、家老として嫡子となった定致を支えた。後を継いだ定勝も家老の地位にあったが、由利の一件で高崎家を放逐された。

「あの男にその度胸は無いさ。それに今何をしているか、善兵衛殿ならば御存知のはずだろう?」

「ああ、そうだったな」

放逐は幕府に対する処置で、実際は家老から寄合に転じただけで五百石は蔵米に替えて未だに支給されている。現在は後見として陣屋内に屋敷を構えている。家老であった頃と変わらぬ場所に定勝がいた。そのことは家臣であれば誰でも知っていることだ。

「左様か。それならば安心した。盗賊佐伯市兵衛として斬れるわけだ」

「殺れるか?、お前に」

刀を抜いて切っ先を又兵衛に向ける。挑発する又兵衛に対して動じない。

「ならばわしは斬れるか?、市兵衛よ」

その言葉に市兵衛は振り返る。そこにいたのは番衆を率いた定義がいた。

「わしは殺せるか?」

もう一度言う。

「い、いつの間に!?」

「わしの気配にも気づかぬ程、堕ちるところまで堕ちたか」

かつての家臣に言い放つ。番方としての清廉さは無く、盗賊としての汚濁だけが残った市兵衛に定義が一筋の光を浴びせる。

「降るならば命だけは助けよう」

「断る」

「ほう。盗賊として生きるか?」

「盗賊を見抜けなかったかつての主に言われる筋合いは無い」

刀を向ける。明らかな敵対行為であり、一筋の光は一瞬で暗雲に遮られた。

「左様か。ならば致し方あるまい。身柄は関八州に預ける」

木鞭だけを手にした白河が前に出る。

「佐伯市兵衛と申したな?。関八州取締同心白河主膳と申す。一つ問う。巽屋は健在か?」

「聞いてどうする?」

「嫌なら別に構わない。町年寄としての地位はすでに失脚したも同じだろうしな」

巽屋の権威は盗賊たちを内部に入れたことで地に堕ちた。望月屋も同じ運命を辿ることになるだろうか。彼らの末路がどうなろうと市兵衛には関係ないことであったが、ふいに呟いた。

「蔵に幽閉しておる」

「左様か。それを聞いて安心致した。佐伯市兵衛よ、大人しく縛につくか?」

「その必要はない」

主膳は市兵衛を見据える。いや、その背後にいた又兵衛を見据えたのかもしれない。意を汲んだ又兵衛は刀を抜くと市兵衛の背後から斬りつけた。

「なっ!?」

意識を主膳に向けていた市兵衛は激痛に顔を歪める。

「"幕命"により、盗賊佐伯市兵衛を討ち果たす」

「お、お前…如き…に…」

もう一撃脳天から斬られて市兵衛は果てた。

「辛いか?」

「いいえ、佐伯家から盗賊を出したるは恥。討ち果たすことが出来たのは何よりも幸いなことにございます」

「そうか。市兵衛はすでに家臣に非ず。処断は棚岡由利の一件ですでに着いておる。どこで野垂れ死のうが知ったことではない」

そう断じることで佐伯家とは無関係であると伝えた。主君の配慮に又兵衛は感謝した。市兵衛が捕縛されたのとほぼ同時に望月屋を訪れた簑吉に扮した多助が与市により捕縛されていた。これにより、巽屋で起きた全貌が明らかになった。


その日の夜。息を潜めて巽屋を囲む捕り方の姿があった。主君高崎定義の命を受けた又兵衛と白河が中心となって事を進め、番衆、番士が表と裏を固める。実際、内部に打ち込むのは番衆だけで番士は提灯を片手に回りを囲んで盗賊たちの壁になるのが任務である。合図と共に戸板を蹴り破って内部に雪崩れ込む。市兵衛捕縛を知らなかった盗賊たちは不意を突かれる形になった。裏口より入った河村与市は一目散に蔵を目指す。蔵の周りを固めていた二人の盗賊たちは突然の喧騒で混乱しており、与市は瞬く間に制圧して蔵に幽閉されていた巽屋夫婦やこども、手代らを救出した。一方、表から打ち込んだ番衆は盗賊たちとの壮絶な斬り合いを演じていた。降伏など微塵も感じさせない。又兵衛も刀を振るい、盗賊を率いる木枯らしの伝蔵の前に躍り出た。

「木枯らしの伝蔵、大人しく縛につけ」

「うるせえ!」

短刀を片手に斬りかかるが腕を刀の峰で叩かれて短刀を地面に落とすと尚も抵抗する伝蔵に峰打ちを食らわさせて気絶させた。伝蔵以外は全員その場で斬られるという壮絶さであったが、高崎村で罪を犯すとこうなるという見せしめにも効果を発揮した。木枯らしの伝蔵と多助の処遇は関八州に委ねることになり、白河に番衆を何人か付けて江戸まで護送した。


この一件で又兵衛は番方から番頭ばんがしらに昇進し、巽屋を救出した河村与市は番方に昇進して又兵衛を助けた。一方で盗賊たちの侵入を許した巽屋と望月屋の町年寄格を剥奪し、商いを疎かにしていた望月屋深左衛門に関しては商い停止を命じる重い処分となった。かつての家老家の不遇がここより始まることとなり、代わって山部屋を筆頭町年寄に添えて、金子城下で呉服問屋を営む葛屋くずや総右衛門そうえもんより高崎での出店を任されていた長子忠次郎ちゅうじろうと、巽屋の番頭であった簑吉が江戸から呼び戻されて巽屋を継ぐことで新たな町年寄とした。新任の挨拶に訪れた葛屋総右衛門と忠次郎、簑吉改め巽屋治平じへい、山部屋信兵衛に対して定義は「高崎家御用達」の札を与えて町年寄として領内を支えるよう命じた。奇しくも葛屋総右衛門の祖先も元武士らしく、名を葛良かつら忠平ただひらという。忠平は宗康に仕えて主に騎馬隊を率いて旗本頭として支配の先崎十左衛門を支えた。忠平は後継の義勝の代まで生き、まだ幼かった後の五代藩主となる宗勝の守役を務めて苦難を共にした。嫡子平正ひらまさの時、宗勝やお涼らが一時放逐された際に葛良家は改易を命じられて金子城下から宗安村に移り住んだ。手持ちの金子で古着屋を始めた。屋号は名字の葛良から一字を取って「葛屋」とした。後に宗勝が藩主になると金子城下に呼び戻されて呉服に転じて金子藩御用達の札を受けた。以来、金子城にも出入りする商人として平正の曾孫の総右衛門の代まで続いている。祖先がかつて同じ主君に仕えたことが何かの縁として今後も高崎まで来てくれるよう頼み、定義自身も金子城下に足を運ぶきっかけにもなった…。


天を頂く竜のうねりが河川の渦となって往来の人々に難所という名の苦難を与え続けている…。

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