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金子藩譜  作者: ゆきまる
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九、影島騒動

金子藩にはいくつもの飛び地がある。その一つ、瀬戸内海に浮かぶ影島かげしま。島を一周しても半日もかからない小さな島といくつかの岩礁がある。島の中心にある影山の中腹に代官所があり、南側は小さな港を備えた漁村がある。この影島を任されているのが松家家である。初代信基のぶもとは遠州松平家の家臣であったが武勇に優れており、初代藩主金子宗康に乞われて直臣となり、犬居藩が成立すると宗康の弟の直信に仕えた。嫡子恵基よしもとと共に直信、直久、信春の三代に仕えたが無嗣断絶となり、犬居の乱後は金子藩士となる。恵基の嫡子宗基むねもとの時、五代藩主宗勝から遠島えんとう奉行支配影島代官を任され、知行地として治めることになった。前任であった吐前はんざき高儔たかともが遠島奉行に出世したためだ。代官以下は執政一人、与力三人、番士十五人であり、執政は代官の後嗣が就く慣わしがあった。執政がいない場合は与力が参与して島の決定を行う。宗基には三人の子がおり、長子基親もとちか次子基康もとやす三子佐基すけもとで、宗基は後嗣に基親ではなく佐基を執政に選んだことから、基親が強く反発した。島全体を巻き込んだ騒動に発展し、仲裁した基康が何者かに討たれる事件まで起きた。基康は筆頭家老の長居家への養子縁組が決まっていたこともあり、事態を重く見た藩は遠島奉行ではなく、目付衆支配の先崎勝成の派遣を決めた。勝成は藩主宗親の次子で先崎家の名跡を継いでいた。しかし、この決定に反して影島の主導権を奪いたい長居直康は自らの配下を多数派遣していた。混乱が予想される影島へは大坂から船に乗って讃岐高松藩に行き、そこから影島に渡る必要があった。十日の道程を経て影島に上陸した勝成が見たものは一見平穏な漁村で騒動などは起きているように見えなかった。漁村から島の中心にある影山の山腹に代官所があり、漁村からも見えた。

「どう見る?。利成」

勝成は派遣されるに当たって真概家に養子に出した三子利成を伴っていた。利成は先の頼宗暗殺で断絶した真崎賢吾に師事して藩道場師範を勤めていた程の腕前であり、今もその矜持を守り抜いていることから幾天神段流真崎派とも呼ばれている。この影島の難事に父を助けるために伴って来たのだ。

「凄まじい殺気をいくつも感じます。代官所まで至るところに待ち構えているでしょう」

「我らを殺すつもりだろう」

「長居様は何を考えられておるのか」

「影島の海産物は内地と違って大坂や江戸で高い値がつく。その利権が欲しいのだ」

「難しい舵取りになりそうですね」

「それでもやるしかない」

二人が港から集落へと歩いて行くと村長の出迎えを受けた。

「遠路はるばる御苦労様でございました」

「村長か。出迎え御苦労である。長居様方はもう到着されたか?」

「長居様?、まだ御見えになっていませんが…」

困惑した表情を見せる。嘘はついていないようだ。

「他に船着き場はあるか?」

「代官所の船着き場が島の北にございます」

そこから上陸したのだろう。

「左様か。漁村にも代官所の屋敷はあるか?」

「ございました」

今は違うようだ。

「海産物を納める蔵屋敷がありましたが今は基親様がお住まいでございます」

「どこにある?」

「村の東にございます」

まずはそこに向かうのが良いだろうが殺気が未だに消えていない。二人は酒の提灯がぶらさがっている建物まで来た。人気もなく戸は閉じられている。二人を見守る村長の表情に焦りが見え始めた。

「利成」

「はっ」

利成は戸を蹴破った。ドタンッという音が響くと刀を抜いた数人が斬りかかってきた。利成は抜刀と同時に一人を胴切りで仕止め、右斜め前に出ると右袈裟斬りでもう一人も仕止めた。神段斬りという技である。建物の中に入ろうとすると両側の路地から数人が出てきた。しかし、彼らは建物から出てきた刺客に斬りかかった。

「勝成様!」

「おお、基親か」

二人は顔馴染みであった。元服の折、藩主から一字を貰い受けられるよう便宜を図ったことがあったからだ。

「お怪我は?」

「大事ない」

「とりあえず、蔵屋敷へ」

「その前に…」

勝成は近くで震えている村長に近づいた。

「刺客がここに隠れていたのを知っていたな」

「そ、それは…」

「じっくり話を聞かせてもらわねばなるまい」

襲撃は利成と基親方の応援により撃退した。二人は基親の案内で蔵屋敷へ向かう。門番所付きの長屋門があり、右手に蔵が五つあり、蔵に隣接するように主殿がある。基親の妻のたまの出迎えを受けた。側には基親の幼い嫡子壱太郎の姿もあった。

「これは勝成殿、久しぶりですね」

「義姉上、御無沙汰に存じます」

珠は勝成の妻のいとと姉妹であり、父は先の次席家老小林瑛左衛門えいざえもん範晴のりはるで、頼宗暗殺の後、御役御免を言い渡され隠居した。頼宗派として手腕を奮ったのが仇になったようだ。今は婿養子の範親のりちかが継いでいる。男子に恵まれなかった小林家の不運はこのあたりからあった。

「嫁いで以来、金子が懐かしく思います」

在地領主のため、影島に来て以来、島の外には出ていないという。中庭に面した広間に通された勝成は基親、珠、基親の側近で与力の不破ふわ総治郎そうじろうと話をしていた。

「父上は隠居を考えられております。頼宗の騒動で傾いた藩政が軌道に乗り始めたばかりなので皆が止めていますが、次の参勤下番で上様に隠居を申し出るそうです」

「何と!?」

基親が驚きの声をあげる。

「まだ隠居する年でもあるまいに…」

まだ五十を過ぎたばかりで働き盛りである。

「父上にも思うところがあるのでございましょう」

「まぁ、次の後嗣は義政様で決まりだろうから心配することはなかろう」

基親は呑気に言う。そこに利成が入ってきた。

「父上、戻りました」

「御苦労。お前も来るがよい」

畏まりながら室内に入る。

「お初にお目にかかります。勝成が末子利成にございます」

「よくぞ参った」

珠が労いの言葉をかける。

「利成、代官所の様子はどうであった?」

「門を固く閉じ、物々しい様子でございました」

「そうか…。村長のほうは?」

「蔵の一つをお借りして尋問致しましたが一向に吐こうと致しませぬ」

「なかなかしぶとい奴だな。基親殿、村長と宗基殿の関係は?」

「村長の名は三宅みやけ佐兵衛さへえと言い、元番頭を勤めた男。番士の筆頭格として父とも面識がある」

番士は下士になるが在地から選ばれる。番頭は島内の統治にも意見を述べることが出来るため、下士と言えども一目置かれている。

「なるほど。今回の騒動にも関与出来る立場か」

「そうは言っても佐兵衛に島民を扇動出来る程の力量は無い。島民とは一枚岩。父に媚びを売るだけでは誰も寄り付かぬ」

「ならば基親殿が島民の信を集めていると言ってよろしいな?」

「構わぬ」

「長居家から密かに代官所に入った人数はわかろうか?」

「十人にも満たないと聞いているが碧眼へきがんの男を見たと聞いた」

「何!?、碧眼!?」

勝成は驚いた。

「如何なされた?」

「かつて先代宗勝公に見出だされた剣士は数知れず、中でも四天王と呼ばれる剣士たちがいた。真崎賢吾、岩城弥平太、藤岡ふじおか嘉直よしなお、そして、碧眼の禅正ぜんじょうこと佐々木禅正。碧眼になったのは寝込みを襲われて斬り付けられたと聞いている」

「寝込みを襲われるとは不甲斐ない」

「女がらみであったらしいがな」

「女?」

「ああ。詳しいことは知らないが、藩は「武士にあるまじき恥」として御役御免を言い渡した。剣術の腕を惜しんだ今の頭取藤岡嘉直が長居様に取り入って近習になったのがつい最近の話だ」

「なるほど」

勝成は我が子に向き直る。

「利成、奴と会ったことは?」

「あります。同門ですから」

「斬れるか?」

「わかりませぬ」

曖昧に答える。利成とて剣術家のはしくれ。禅正がどれだけの腕前か理解している。それでも敵として戦う以上、避けては通れない道でもある。利成が目を瞑る。覚悟を決めているのだろうか。父子の様子を見る基親はこれから訪れるであろう結末に一抹の不安を覚えた。

「とりあえず、敵の備えを知りたいが基親殿、わかりますか?」

「……」

「基親殿?」

「あ、ああ、何でござろうか?」

「敵の備えを知りたいのだが…」

「それならば…」

基親は話し始めた…。


夜明けと同時に蔵屋敷を出た勝成と利成は与力の不破総治郎の案内で代官所に向かっていた。総治郎は島の生まれではない。影島と同じく金子藩の飛び地である奥州の小村の出身だったが代官の命で江戸屋敷に来たのをきっかけに藩道場で稽古するようになり、推挙を受けて藩主に剣術の腕を披露する御前試合で藩主宗親に見初められて珠付きの近習となる。珠の輿入れの際にも付き従い、そのまま、松家家に仕えることになった。つまり、勝成と総治郎は顔馴染みであったが基親の前では話をすることもなかった。蔵屋敷から集落を抜けて島の西側に向かう。本来は集落から影山に向かえばいいのだが固く閉ざしていることを聞いていたことから裏手であるうず門(裏門)に向かうことにした。その途中に地蔵が祀られている小さな祠がある。そこで急に立ち止まる。

「総治郎、如何した?」

「勝成様、御許しください」

総治郎は勝成に向かって頭を下げた。

「如何した?」

「止められませんでした」

「誰をだ?。宗基か?、"基親"か?」

基親と聞いて総治郎ははっとなる。

「基親が我らに懐疑的であったことはわかっていた。故に宗基は基親の器量を察して佐基を執政に選んだのであろう。藩主である父上が知りたいのは義姉上が絡んでいるかにある。今回の黒幕は誰だ?」

「死んだ基康殿が最初の絵図を描いた張本人です。基親殿はそれに乗っただけ」

「というと?」

「執政に佐基殿に決まった時、態度を最初に明確にしたのが基康殿です。蔵屋敷を押さえて反旗を翻そうとしたところを基親殿が放った刺客によって斬られました。そして、その刺客を放ったのが宗基殿であるように集落に広めましたが、集落の者どもとて愚かではない。すぐに基親殿が下手人であると見抜きましたが代官に対する反感もあり、そのまま時の流れに任せた。しかし、その結果、思わぬことが起きた」

「長居家の介入を許した」

「左様にございます。基康殿は長居家への養子が決まっておられた御方。介入は誰しも予想しなかったことでしょう」

「いや…」

勝成が反論する。

「金子城下では基康殿の養子縁組が決まった時から直康の影島利権が囁かれていた」

「何と!?。知らぬは影島の者どもだけでしたか」

総治郎は無知を嘆いた。

「備前の勢いが弱くなったの機に直康が父上の後見をいいことに藩を牛耳るようになった」

備前とは家老松平備前守頼政である。頼政の父頼宗は登城の最中、何者かに暗殺された。下手人は未だに見つかっていないが直康が何かしらの関与をしたのではないかと藩内外で囁かれ続けている。今回の影島騒動はこれに拍車をかけた形となった。

「何らかの理由をつけて影島を松家家から奪うようなことが起きれば直康の勢いを削ぐことは難しくなる。故に某が影島に遣わされた」

勝成の役目は影島騒動の鎮静と長居一派の牽制である。三人は再び歩き始めた。

「宗基はおそらく藩からの使者が来たと思って代官所内に長居一派を導いたに違いない」

「な、ならば!?」

「ああ、急がねば大事になる可能性がある」

それは殺害されるということだ。

「下手人は基親に着せれば松家家は改易となる」

三人の目前に埋門が見えてきた。こちらも閉ざされているようだが人気が無い。全て正面に集められているようだ。

「利成」

「はっ」

気配を殺して門に近づいた利成は刀を抜いて大きく振りかぶる。門扉のわずかな隙間に狙いを定めると空気が動きを止める一瞬を突いて降り下ろした。わずかにカタッという音と共に閂を斬り裂いた。幾天神段流では一太刀という技である。

「見事」

我が子の腕を誉める。中に入った三人は宗基がいると思われる主殿を目指した。ここから先は時間との勝負である。三人は手分けして探すことにした。勝成は書院から、利成は中庭から、総治郎は蔵から主殿を目指す。利成が最初に長居一派と出くわして敵の主力を惹き付けた。その間に勝成は書院から主殿に侵入して御用部屋に幽閉されていた宗基と佐基を見つけた。総治郎は蔵に幽閉されていた女中たちを逃した後、利成のほうに加勢したようで騒ぎが大きくなっている。

「二人か」

勝成は気配を消して一人に近づくと脇差しを抜き放ち、横腹を貫いた。

「ぐわっ!」

「何奴!?」

勝成に向かって刀を抜くが一手早く勝成の刀が先に斬り捨てた。

「宗基殿、大事ないか?」

「勝成殿か?」

呆然とする佐基を横目に宗基が口を開いた。

「藩主宗親の命により助けに参った。味方が敵を惹き付けている間に埋門より逃げるぞ」

「忝ない」

二人を連れて書院には向かわず、主殿の裏庭を抜けて埋門に向かう。しかし、閂を落とされた門を抜けた三人の足が急に止まる。複数の殺気が闇に乗じて浮き上がったのだ。

「まさか、たった三人でここを襲うとは恐れ入る」

碧眼の禅正こと佐々木禅正が立ち塞がった。

「ただ、隙を突かれたとは思わなかったがな」

禅正の後ろから基親が姿を現した。

「やはり動いたか。基親」

予想通りの展開に勝成は禅正に問いかける。

「直康は何を企んでおる?」

「さあな」

知っていても教えるつもりはないだろう。強い殺気を浴びせてくる。その影響からか佐基が腰を抜かした。

「さあ、死にたい奴はどいつだ?」

「勘違いするなよ。禅正」

「ああ?」

勝成が一歩前に出た瞬間、禅正が感心する。

「ほう」

雰囲気が一変したからだ。

「死ぬのはお前たちのほうだ」

「やはり、猫を被るのはしんどいであろうな。"鬼"よ」

禅正は勝成を見据えて言い放った。

「ど、どういうことなんだ?」

基親は勝成の急変ぶりに困惑した。

「島暮らしの者にはわかるまい」

禅正が鼻で笑う。馬鹿にされた基親だが禅正が相手では黙りこむしかない。

「死にたくなかったら、余計なことは言うなよ」

禅正は刀に手を添えながら吐き捨てる。

「久しぶりに楽しめそうだな」

「悪いがお前の相手をするのは某ではない」

「何?」

返り血を浴びた利成が刀を抜いた状態で勝成の後ろから現れた。

「父上、お怪我は?」

「大事ない」

利成が敵を見据える。

「あれは佐々木禅正…。基親殿も一緒か?」

「我が身可愛さに敵に通じたのであろうな。港は押さえたか?」

「すでに。総治郎が番頭補役の麻生殿に命じて港と蔵屋敷を押さえております」

この言葉に基親が驚いた。

「ば、馬鹿な!?」

「お前が基康を暗殺した時点で民衆の心はすでに離れていたのがわからなかったのか」

「くっ…」

「基親、お前の始末は後回しだ。まずは禅正、お前を片付ける」

利成が勝成の前に出る。

「佐々木禅正、藩道場ではお世話になり申した」

「お前など知らぬな」

「眼中に無かったのでござろう。ならば、これよりその眼に焼き付けてやろう」

「面白い」

二つの気配が変わる。殺気に包まれた闇がさらに大きくなる。鬼が二匹放たれたようだ。

「参る」

禅正が先に動いた。流牙散布八連を放つ。敵を一度に八人倒せる業だが、一人相手ならば一度に八撃与える。しかし、利成は放たれる一撃一撃を確かな受けで弾いていき、間合いを一気に詰めた上で抜刀術に回転を加える回殺を仕掛けるが、抜き身だった刀を右腕と刀との間に入れて弾くと袈裟斬りを放って間合いを開く。わずかな手合いだけで勝成は冷や汗を流した。

「分が悪いな」

宗基も呟く。禅正の動きは利成よりも俊敏で落ち着きがあり、何より冷静だった。利成の師である真崎賢吾と禅正は四天王と並び称されるが実力は雲泥の差があり、賢吾は禅正に一度も勝てなかった。さらに賢吾は頼宗暗殺を防げなかったとして失脚し、失意のうちに病死している。門弟は散り散りになり、残ったのは利成のみで道半ばにして修行の道を閉ざされ、我流を織り混ぜたのが今の利成の剣技である。かすり傷さえ与えられない利成に禅正が一気に間合いを詰めてきた。この場において初めてのことである。不意を突かれた格好になった利成は避けることもかなわず、左逆袈裟から斬られた。致命傷には至っていないが刀を砕撃で砕かれてしまう。

「くっ…」

「ふん、この程度か。所詮、餓鬼の遊びよ」

「く、くそっ…」

利成の膝が落ちる。

「死ねえ」

禅正の刀が振り上げられる。覚悟を決めた利成だったが刀は寸前のところで止められた。禅正の肘に匕首が刺さっていた。

「何のつもりだ?」

禅正が匕首を抜き取ると血がわずかに地面に散った。匕首を放ったのは他ならぬ勝成だった。

「周りを見えていないのは相変わらずだったようだな」

「ち、父上…」

茫然とする利成を横目に禅正と勝成は互いに向き合う。

「そいつを今殺されるわけにはいかないんでな」

「ならばお前が出るか?」

「仕方あるまい」

勝成はさらに前に出る。羽織から腕を抜き取ると上半身裸になる。

「このほうが動きやすい」

勝成の背中には刺青があった。赤い鬼である。刺青は武士にあるまじき行為だが勝成に気にする様子はない。勝つこと以外許されない家柄が勝成をそのように変貌させたのかもしれない。利成の知らない父の姿がここにある。

「久々に見る刺青だな。"鬼十左"よ」

「ああ、そうだな」

勝成の気配が変わる。先程までの殺気ではない。正に鬼気であった。近づく者はその空気に触れるだけで気を失いかねなかった。禅正は強者が現れたと知って歓喜する。

「あの事件さえ無かったら、お前はもっと飛躍していたかもな」

「ああ。だが、後悔はしていない。お前の目を奪えたのだからな」

禅正の気配も変わる。勝成の言葉は禅正にとって重いもののようだ。

「一撃で終わらせてやろう」

「やれるものならやってみろ!」

気迫がぶつかる。何とか意識を留めていた利成だったが肝心な勝負を見る前に意識を失った…。


その日のうちに基親らは捕縛された。頼みの佐々木禅正は勝成に斬られていた。その動きは宗基はおろか長居一派も自らの眼で捉えることが出来なかった。勝成の采配で捕らえられた長居一派は金子に戻ることなく、影島にて始末された。基親も武士でありながら、切腹ではなく、打ち首という惨めな最後を迎えた。騒動の決着をあたる上で代官の宗基には隠居の道を選ばせ、家督を佐基に継がせて、表向き、喧嘩両成敗の形を取らせた。島が落ち着くまで宗基が後見することで本来の影島を取り戻すことも遠くないだろう。当初から関わっていると目されていた基親の妻である珠の関与は薄いと判断したが、夫である基親が黒幕であったばかりに代官所内にある座敷牢にて過ごすこととなり、一子壱太郎は長居家に預けることで一応の決着を見た。後に壱太郎は直康の養子として元服して名を直通なおみちと改めて藩政に関わることになる。しかし、この決着に納得できない者もいた…。


影島の北に島唯一の寺院である影劃えいかく寺。本願寺の末寺で松家家の菩提寺にもなっている。普段は無住寺で所用の時は同じ瀬戸内海にある鬼艘島にある寺の住職が一日かけて船で来るのだ。そのため、境内は静まり返っていた。物音一つしない空間の中で揺らぐ二つの気配がお互いを見つめている。

「納得いかぬか?」

「いきません」

「お前にはご政道に関わるのは無理だな」

「剣の腕があります」

「その中途半端な腕でか?」

「よりマシです」

「我を卑怯と断じるか?」

「武士にあるまじき所業、許すわけにはいきませぬ」

「わかっておらぬな」

「わかっていないのは父上のほうです」

「ならば…」

勝成は腰を上げて立ち上がり、本堂の外に出た。

「我に勝ってみせよ」

出た直後に空気が異質に変わり、鳥肌が立つのが利成にも感じた。生まれてから初めて味わう父の姿だったのかもしれない。利成も素足で境内に出る。

「お前も先崎家に産まれた身。その片鱗を知るがよい」

左足を後方に下げて重心を落とす抜刀の姿勢になる。この構えから放たれる技は一つしかないが、父が何故その技を遣えるのかわからなかった。利成は師である賢吾から最後に会得した技を解き放つ。抜刀した刀身は真っ赤に変色する。秘技紅熱剣である。剣者も酸欠に陥る諸刃の剣だが一撃でも与えれば皮膚は焼けて骨は溶ける。しかし、それを見ても勝成は顔色一つ変えなかった。威嚇程度では怯まないと判断した利成は父を殺す覚悟で先に仕掛けた。一気に間合いを詰めて勝成に斬りつけようと降り下ろした瞬間、勝成は抜刀した。闇を撫でるような速さで利成の刀を弾き飛ばして袈裟斬りに刀傷を利成の体に刻みつけた。剣圧で利成の体は飛ばされて地面に叩きつけられた。

「ぐはっ!」

体を起こそうとした利成だったが峰打ちで叩きつけられて起き上がれない。

幾天神段流極意無龍剣むりゅうけんという…」

言葉を続ける。

「奥義のなり損ないの技だ」

「な…」

なり損ないでも相手を技ごと飛ばしてしまう威力である。利成は全てを聞けずに意識を失った。勝成は照らす太陽に浴びた刀を見て溜め息をつく。

「まだまだ師には追いつけぬ」

勝成は刀を納めると利成の体を抱えて行った…。


十数年後、筆頭家老を勤めていた長居直康が病死した。代わって筆頭家老に就いたのは次席家老に長年甘んじていた松平頼政である。頼政は一気に飛躍したいところだったが死ぬ直前まで足場を固めていた直康により、藩中枢の形勢は拮抗したままであった。新たに次席家老に就いた島田しまだ義興よしおきは直康の側近中の側近であり、代々金子城留守居役を勤めていた家柄である。初代興房おきふさは初代藩主宗康に仕えた重臣であり、町奉行として政事に参与し、最終的には金子城留守居役を勤めた。興房の後を受けた婿養子の興長おきながも宗康・義康・宗恒の三代に仕えたが、宗恒が失脚した後は閑職に甘んじる。嫡子宗興むねおきが晩年の徳村政家に重用されて金子城留守居に復帰した。宗興は頼宗と直康の間をうまく立ち回って信任を受けて役職を維持した。家督を義興に譲った後も藩主の御側御用取次を任されて強い影響力を残した。義興が次席家老に昇格したのも父の影響が強かった。その懐に入らさないため、頼宗は家老参席に町奉行を勤めていた笹崎ささざき政隆まさたかを就かせた。笹崎家は文士を輩出してきた家柄で政隆の政親まさちかは書物奉行・作事奉行等を歴任した中士であったが、後を継いだ政隆が代々当主で初めて旗奉行・馬奉行を経て町奉行に抜擢されたのである。これは頼宗の強い推挙があった。影島騒動の影響で遠島奉行の吐前高儔は政争に敗れて家老にはなれなかった。四席である江戸家老は一門衆の矢野義高(初代藩主宗康の継母の父義綱の末裔)が据え置かれたが藩政に直接関わることはない。けれども、伍席には影島代官から出世した松家佐基が就いた。代官の地位に留めておくのを惜しんだ勝成の推挙により、城目付に栄転し、目付衆支配を経て末端家老である伍席に就いたのだ。この五人が若き藩主義政を支える藩の中枢となった。世は八代将軍徳川吉宗から九代将軍家重に代替わりし、幕府も一新されている。金子藩も危うい中にも新しい風が吹き込むことを誰もが期待した。そんな藩をよそに勝成は佐基去った後の影島を預かることになった。代官としてではなく、藩主義政から蔵米五百石を分知されて、分家を興したのだ。金子城内に屋敷はあるが勝成本人は在地領主として影島から出ることは無かった。また、昨年夏に瀬戸内海を襲った野分(台風)の被害を受けた近くの島民を十数人受け入れて島の北側にある影劃寺周辺に集落を築いて代官所が直接管理していた桟橋を改築して港とし、船奉行を置いて南北の港を管理させた。また、鬼艘島との定期航路も確立させてお互いの交流を目指した。そんな勝成が藩中枢から退いたのは先の藩主宗親からの密命であった。影島騒動で島内に幽閉されてしまった珠の処遇を託されたのである。我が子と離ればなれになったことで鬱々とした日々を送っていた珠は勝成により座敷牢から蔵屋敷に身柄を移されていた。勝成が在地領主になったことで金子城下から移って来た者たちがあった。利成が養子に入った真概家と珠の実家である小林家である。共に譜代の家柄で、利成の養父利広は御番頭を勤めており、藩道場でも師範代で剣術の腕は良かったが佐々木禅正との立合いで腕を折られてから障害が残り、役も辞さなければならなくなった。それを不憫に思った先の藩主宗親の命により、孫の利成を養子にしたのだ。仇である禅正が死んだと聞いて自らの手で討てなかったのを悔いたそうだ。その矢先に受けた影島行きは二度と金子の地を踏むことはないだろうとしばらく城下を見渡せる山で思いに耽っていたという。小林家のほうは珠の義弟範親が継いでいたが頼政派の中枢にいる重要人物であったため、藩主の命に関わらず、頼政が拒否し、代わりに分家を興していた範睦のりよしが影島へ行くことになった。瑛左衛門が老年の域に入ってから生んだ子であり、珠とは二十歳以上も離れた異母弟である。珠が松家家へ嫁ぐ時はまだ稚児であったという。素直に影島行きを喜んだと思えばそうではなかった。江戸勤番として江戸に出たことはあっても島暮らしは初めてのことであった。本家筋とはいえ養子の範親とは長年の確執は確かにあったが、これでは追放と同じである。命に躊躇していた範睦が影島行きを決断したのは藩御用達である廻船かいせん問屋どんや三國みくに屋の存在であった。内地である金子藩に廻船は必要ないが飛び地である影島や宗安村は川や海に面しており、船は必要となる。海産物の輸送にも三國屋の力が大きかった。また、範睦と三國屋彦左衛門ひこざえもん千津ちづとは恋仲で武士と商人という壁がなければ何の支障も無かった。彦左衛門と顔見知りだった勝成が代官所与力から蔵奉行に出世した不破総治郎の養女として武家作法を学ばせることで縁談を成立させようと動いた。これを機に範睦の影島行きが大きく動くことになり、真概利広と小林範睦は家老待遇として影島へと渡った。また、勝成は領主を拝命するに当たり、島の西側に武家町と町奉行所を増設し、四国の讃岐高松城下から多くの職人が影島へと渡り、一時的とはいえ、閑散としていた影島の漁港は大いに賑わった。島の運営がようやく動き出そうとした頃、陣屋内に設けた道場では利成が頭取となり、御番頭を兼務した。道場には島内外から集まった藩士たちが稽古を積むべく足しげく通っていた。そんなある日、勝成は利成を自室に呼んだ。中庭に面した部屋で障子は開け放たれている。利成が影劃寺で勝成に倒されて以来の二人きりである。

わだかまりは消えたか?」

「いえ…」

「お前に放った技を覚えているか?」

「はい」

「あれは奥義の出来損ないだと言ったな」

「はっ…」

利成にはわからなかった。あれのどこが出来損ないなのか、ずっとわからないでいた。構え、速さ、気質も申し分ない。

「あれには足りぬものがある。それが欠けたから奥義は一匹の龍にはなれなかった。龍無き刃に人を倒すことは不可能」

そう断じた。

「落胆した師は二度と宗家を金子の者には継がせることは無かった」

幾天神段流宗家は金子から流出してしまっている。今ある流れはその成れの果てに過ぎない。

「師とは?」

「祖父宗勝である」

「烈将…宗勝…」

「左様。故にわしは殺す剣よりも生かす剣を目指した。次に受け継ぐ未来永劫の剣だ。これをお前に託したい」

「私に?」

「そうだ。先崎の家は勝秀かつひでが継ぐであろうが、剣はお前が受け継いで欲しい」

勝成には子が三人いる。嫡子に勝秀、次子に利成、三子に政勝まさかつである。政勝は金子屋敷留守居役として金子城内に留め置いたが、勝秀は陣代として主が不在、もしくは急病の際は主に代わって政事を指揮する。剣術にもそれなりに長けていたが、弓と馬をよくした。島の東側に設けた御馬場の整備は勝秀によるものだ。

「真崎流には頂きがない。紅熱剣が頂きなれば真崎流に先は無い。あの技は魔性の剣である。新たに頂きを得るには無龍剣は奥義に相応しい」

「奥義に足りぬものとは何です?」

「それはお前で見つけよ。いずれわかるであろう。それを見つけた時がお前が手にする真の奥義ということになる」

探求心こそが剣術家が持つ最高の学問であると勝成が語った。利成はわずかに頷いた。思うところは大いにあったが今は剣術に邁進することで迷いを打ち消した。しかし、もう一つ、利成には聞いておくべきことがあった。

「父上、無礼を承知でお尋ねしたい儀がございます」

「何だ?」

「佐々木禅正とは如何なる関係でございましたので?」

「やはり、気になるか」

勝成は苦笑した。そして、遠くを見つめながら話し始めた。

「今からもう二十年も前のことだ。わしが先崎家の家督を継いでまもない頃、藩道場では年下の佐々木禅正が力を付けてきておった。師範も認める実力があったが師をも軽んじる言動や行動に問題あった。師が禅正に免許皆伝を与えた頃に道場のある門弟と些細なことからいさかいを起こしてあろうことか決闘することになった。勝負は最初から禅正が勝つことが目に見えていたが、その者は一人で立合いの場に赴こうとした。一対一ならば勝てると申してな。周囲は諌めることが出来ず、命を惜しんだ。そこでわしは助太刀をするために秘かに決闘場に潜んだ。禅正は決闘にあろうことか十数人の取り巻きを連れていた。最初から勝負などする気はなく、いたぶるのが目的なのだと悟った。囲まれたその者を救うべくわしは物陰から取り巻きの中に飛び込んで無我夢中で斬りかかった。ふいを突かれた格好の禅正は視線を反らした一瞬のうちに立ち合う相手に片目を貫かれた。罵倒する禅正を尻目に我らは命からがら逃げてきたというわけだ」

「それは…真の話しですか?」

そこに影島に来た正室の糸が入って来た。

「当たり前じゃないですか」

「母上も御存知なのですか?」

「知ってるも何も…」

糸は二人の丁度真ん中の下座に座る。

「立合いをしたのは私だからですよ」

「は?」

利成は茫然とする。

「糸が小太刀こだち免許皆伝の腕前だということを忘れたのか?」

「あ、いや、しかし…」

「あの頃ははしたないお転婆てんば娘でしたもの。気づいたら旦那様が私を助けて下さっていたのよ。もうあの時はどうなるかと思いましたよ」

「わしもそうであった」

二人が笑う。立合いの後、勝成は糸を妻に迎えた。

「しかし、父上」

「まだあるか?」

「果たし合いは喧嘩両成敗が必定では?」

「女を多人数で襲ったと世間が聞けばどう思う?。実際、藩には瑛左衛門より届けられたが結果は一目瞭然であった。禅正は役を解かれて蟄居閉門。禅正の評判は地に落ちていたこともあり、佐々木家への処罰は無かった」

「確か作事方の佐々貞豊さだとよ殿でございますな」

「左様。剣の腕は残念ながらからっきしであったが、実直な性格が功を奏して江戸詰めを命じられた」

目付という立場は藩全体を見渡せ、誰がどの役職にいるか全て把握していた。その支配ともなれば家老といえども口出しは出来ない。勝成が佐基を支配に推挙したのは派閥の影響を受けさせない聡明さにあった。家老に出世した後も自らの側近であった者に後任を託して中立の立場を貫いている。但し、勝成には頭が上がらないという。

「申し上げます」

家臣が入ってくる。代官所番士から御用人に出世した服部はっとり信俊のぶとしである。

「信俊、如何した?」

「御家老が御見栄にございます」

「わかった。すぐに行く」

信俊が下がると利成に向き直る。

「明日、道場に参れ。よいな」

「はっ」

利成は畏まって頭を伏せ、勝成は家老が待つ居間へと向かった…。


翌日、利成は父より無龍剣の伝授を受けて真崎派の奥義とし、それを見届けた勝成の表情は明るかった。影島領主は幕末まで先崎家が受け継ぐことになるが、勝成は藩主義政の義忠よしただの代まで生きた。利成は養父利広から真概家の家督を受け継いで家老となり、父と兄勝秀、その子の勝敬かつとしを支えて幕末から明治という動乱期を乗り越えた。また、真崎派は後に真崎幾天流と名を変えて後世に伝わることになる。利成と同じく家老となった小林範睦は勝成・勝秀に仕え、その忠睦ただよしは勝敬の陣代を勤めて倒幕軍に加わった勝敬の留守を守った。明治に入った後も影島は村として形成し、勝敬が村長として村の運営に勤めたという。


潮風に揺れる一輪の花が島の住民たちを見守り続けている…。

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