夏希の挑戦
四日間の休校が終わり、翌週の月曜日、校内は和夫のことが気になりつつも平常心を取り戻していた。
夏希のクラスでは、和夫の席に花が手向けられていて、どこかポツンとしていて淋しい気分であった。
義隆のほうは犯人だというのには証拠が不十分なため釈放されて、当分の間、無期限の停学となった、と江美からクラス全員に伝えられた。
「増田、二度目の停学だ。あともう一回停学になるとヤバいぜ」
美夕がカレーライスを食べながら言う。
珍しく、夏希は仁と美夕の三人で学食で昼食をすることにした。
「三回停学になるとどうなるんだよ?」
「お前、知らねーのかよ? 停学は三回まで。つまり四回目の停学で退学処分になるんだ」
「そりゃあ、ヤバいわ…」
夏希は他人事のように言う。
「一年で二回も停学になる奴なんていねーよな。残りの二年半、大人しく過ごすことだな」
「それはな。一学期の時は十日間の停学だったな。あの時はクラス全員が大喜びだったような気がするけど…」
美夕は思い出したように言う。
「増田はほぼ全員にからんでたからな。停学が終わってたからはそんなことはないけどさ」
「からんでたって…?」
「要するにいちゃもんつけてたんだ」
「いちゃもんねぇ…」
(確かに増田なら言いそうなことだ)
「河村には言ってなかったぜ。増田も河村のプライドの高いとこ知ってたから言うに言えなかったんだろうな」
仁はそう言うとトレーを持ち上げ立ち上がった。
「待てよ」
美夕もトレーを持ち、仁の後を追いかける。
夏希も慌てて美夕の後ろに金魚のフンのようにつく。
最近、仁と美夕が仲良くなってから、自分が取り残されている気持ちになる夏希。
まだ打ち解けていないというのもある。
転入生はクラスと馴染むのが遅い分、苦労するな、と二人の後ろ姿を見ながら思っていた。
それから、美夕が職員室に行かなくちゃいけないとのことで、夏希と仁は屋上へと向かった。
「はい、キャンディ」
夏希はブレザーのポケットからオレンジ味のアメを二つ取り出し、一つを仁に手渡した。
「ありがとう」
仁は夏希からキャンディを受け取り、口の中に頬張る。
「今日、天気いいな。昨日、雨だったのに…」
仁の言葉に、返事する夏希。
二人の間に少しの沈黙が流れる。
「なぁ、夏希…」
「あん?」
「聞きたいことがあるんだけど…」
「なんだよ?」
仁の心の内がわからないという表情をする夏希。
「なんで自分のこと“ボク”って呼ぶんだ?」
今までない真剣な表情で聞いてくる仁に、拍子抜けしてしまう夏希。
しかし、言わないといけない時期がきたんだ、と直感的に思ってしまった夏希。
「ずっと言ってなかったけど、ボクも美夕と一緒で性同一性障害なんだ。別に隠してるつもりはなかった」
夏希は仁の目をまっすぐに見つめて答えた。
「そっか…。そんな気がしてた」
仁の意外な反応に驚く夏希。
仁は何も知らない、そう思っていたからだ。
「クラスのみんなが今竹と友達になろうとしなかったのに、唯一、転入してきた夏希だけが友達になりたそうだったからな。それに、“ボク”って呼んだり話し方が男っぽかったから、もしかして…って思ったんだ」
仁は時折、切なそうな表情をさせながら言った。
「クラスに性同一性障害の人間が二人いるってどういう感じだ?」
夏希の問いに、仁はしばし考えてから、
「なんか変な感じだな。今までに経験したことのない気分。本当は女子だけど、男子のようなもんだもんな」
さっきとは違う笑顔で答えた。
「そう言われるとそうだな」
「このことは河村は知ってるのか?」
「うん。編入手続きの時に話した。驚いてたけどな。その驚きも転入初日に仁が美夕のことを言ってくれたおかげで、驚いてた原因がわかったからな」
夏希は自分より十五cm高い仁をチラッと見上げて答えた。
「へぇ…。おっ、そろそろ昼休み終わるし、教室に戻ろうぜ」
仁はそう言うと歩き出す。
仁の歩き出した後ろ姿を見つめ、改めて自分が性同一性障害なんだということに気付き、仁に理解されて良かったという思いが駆け巡った。
翌日の朝、夏希は仁と一緒に学校へ登校することになり、学校の最寄り駅で待ち合わせをした。
いつもより一時間も早く起きた夏希は、眠い目をこすり改札口で仁を待つ。
夏希が駅に着いて、約五分、仁はやって来た。
「遅くなってスマン」
「あぁ…いいよ。行こうぜ」
「眠そうだな」
仁は夏希をからかいながら言う。
「いつもより早く起きたからな。絶対、授業中寝てしまうし…」
アクビをした後に言う夏希。
「普段でも授業中に寝てんじゃねーか」
「どっちでも同じってわけだ」
そんな会話を交わしながら、学校までの約十分の道のりを歩く二人。
実はというと、昨日の昼休みが終わってから、夏希の担任である江美の姿が見当たらないのだ。
江美の荷物だけはあるのに、どこに行ったんだろうと校内が騒がしくなった。
校長や教頭も真面目で勝手に姿を消すということはないと言っていたが、夏希もそう思っていた。
和夫の事件も解決していないため、江美がどこに行ったのか心配されているのだ。
夏希と仁が教室に着くと、前に来た二人の警官と教頭が教室にいた。
二人は教頭に挨拶をすると、そそくさと自分の席へと着席する。
(永井のことか河村のこと、どちらかだな)
夏希はそう思うが、八時半のチャイムが鳴る時刻にクラス全員がぞくぞくと教室に入ってきた表情は驚いているのは確かである。
八時半のチャイムが鳴り終えるとすぐに教頭が口を開いた。
「今日はみんなに伝えないといけないことがあります。河村先生が音楽室で死体となって発見されました」
教頭の衝撃的な告白にクラス全員が息を飲んだ。
「それで警察の方がみんなに聞きたいことがあるそうです。質問には正直に答えるように」
教頭はそう伝えると、瀬川警部に目をやった。
瀬川警部は前に出ると、
「教頭先生がおっしゃったように、河村先生が何者かによって殺害されました。昨日の昼休みの後に河村先生の姿が見当たらないということですが、誰か河村先生を見たという人はいませんか?」
クラス全員に見ながら聞いた。
だが、クラス全員は首を横に振った。
「そうですか。職員室でお弁当を食べた後に“トイレに行く”と隣のクラスの担任に言ったそうなんですが、トイレに行った形跡がないんです」
困った表情の瀬川警部。
「あの…凶器ってなんなんですか?」
夏希は勇気を出して聞いてみた。
「ナイフで何ヵ所も刺されて亡くなっていました」
村木巡査長が夏希じゃなくクラス全員に答えた。
「永井と一緒で一晩どこかに死体を置いてたのか?」
これも夏希の質問だ。
「恐らくそうでしょう」
「第一発見者は?」
「二年の女子です。その女子が合唱コンクールの朝練を友達五人でやろうとして音楽室に入ったら、河村先生が倒れていた、というところです」
続けて、村木巡査長が答える。
「ナイフや殺害時刻とかどうなってるんだよ? それに、永井のこともどうなってんだよ?」質問の多い夏希に参ってしまう二人の警官。
そんな二人の警官の表情を読み取った教頭は、
「そんなに一気に質問しなくても…。一つずつしなさい」
夏希に注意をする。
教頭に注意された夏希は、ちぇっと舌打ちをし、不機嫌そうな表情をした。
「凶器のナイフはまだ発見されていません。殺害時刻もまだわかっていません」
瀬川警部の答えに、
(またなのかよ? 全く何やってんだよ? 警察ってのは役立たねーよなぁ…)
椅子に深くもたれかかり、腕を組んで、二人の警官を見つめてそう思っていた。
「今回はこの前みたいに事情聴取はしませんが、何かあれば、先生まで言って下さい」
瀬川警部がそう言い、教頭と共に教室を出て行こうとする二人の警官に、
「ちょっと待てよ!」
夏希は呼び止めた。
「どうしたんだ? 何か思い出したのか?」
教頭は振り返り、夏希の方を見る。
「ボクがこの事件解決してやるよ」
夏希の言葉に、クラス全員が夏希のほうを見た。
「な、何言ってるんだね? 君が事件解決したら警察はいらないじゃないか!?」
あたふたする教頭。
夏希は立ち上がり、
「ボクは警察と違って、頭が違うからな」
そう言いながら、自分の頭を指差した夏希。
「君には事件を解決するのは無理だ」
村木巡査長が言う。
「それはどうかな? 警察がなんと言おうとボクは必ず事件を解決してみせる」
強気の夏希に、悔しそうなする村木巡査長。
「別に構わないが、万が一、事件解決まで至らないと何か処分してもらう。それでいいかな? 赤谷さん?」
「あぁ…退学でも停学でもなんでもしたらいいじゃねーか。ボクには失うものなんて何もないからな」
瀬川警部の挑戦に受けてたった夏希。
クラス中がざわめきだす。
「警部、そんなこと言っていいんですか?」
村木巡査長は少し戸惑いながら瀬川警部に聞く。
「大丈夫。女子高生に事件なんか解決出来ないからな」
夏希に聞こえないように瀬川警部は言った。
その日の昼休み、グラウンドに出た夏希と仁。
仁は朝の夏希が言ったことに驚いている。
「なぁ、夏希」
仁は夏希の五歩後ろに歩き、夏希に声をかける。
「なんだよ?」
前を向いたままの夏希。
「“あんなこと”言っていいのかよ?」
「“あんなこと”って…?」
「事件を解決するってことだよ。クラス全員、お前に期待してんぞ!?」
仁は頭を掻き言う。
夏希は足をピタッと止め、仁の方を見る。
それに合わせ、仁も足を止める。
「そんなに事件のこと知りてーか?」
「当たり前じゃねーか」
「じゃあ、仁に一つやってもらいたいことがある」
「やってもらいたいこと…?」
仁は何をやらされるのかと不安げな表情をする。
「この校内で死体を隠せそうな場所を調べて欲しい。今わかるなら教えて欲しいんだけど…」
「OK! 今日の放課後調べるよ」
「わかった。…ていうか、なんでボクらグラウンドに来てんだ?」
夏希はわけがわからないという口調で聞く。
「知らねーよ。オレはただ夏希についてきただけで…」
仁がそう言うと、二人は笑いあう。
「ハハハ…なんか、わけわけんねーよな」
「うん。まぁ、とりあえず、事件のことをなんとかしねーとな」
「まぁな。事件解決しねーとヤバいしな」
夏希は瀬川警部と交わした約束を思い出していた。
「そういえば…。しかし、警察も酷いこと言うんだな。被害者が二人も出てるのにさ」
仁は頬を膨らませる。
「あれはボクが“事件解決する”って言ったからな」
「でも、夏希が強気なこと言うなんて思わなかったぜ。“ボクには失うものなんて何もない”とか“頭が違う”とか…」
夏希が言ったことを思い出しながら言う仁。
「警察の捜査が遅いからだよ。永井のことだって全くだし、一体どうなってんだ?って思って挑戦的なことを言ったんだよ」
「どうやって事件解決する気だよ?」
「大体、決まってるんだけど具体的には…」
なんとも答えにくそうな答え方をする夏希。
そんな夏希を見て、あまり追及しないでおこうと思った仁。
「ふーん…。夏希がどう考えてるかわからねーけど、くれぐれも無茶だけはしないてくれよ」
仁は夏希に忠告する。
「大丈夫だって。ボクは何があっても強気でいくから」
「…ならいいけど。教室に戻ろうぜ! 五限目は音楽だ」
「オゥ!!」
二人は校舎へと戻っていく。
しかし、夏希は事件のことを考えていた。