一人の女子生徒の転入
十月が始まって第一週目の月曜日、午前八時半過ぎに一人の女子生徒が、学校の正門に立ち校舎のほうを見つめている。
朝のショートホームルームが始まるチャイムは、とっくに鳴り終わっている。しかし、その女子生徒は急ごうともせずに、希望に満ちた瞳を校舎に向けている。
(今日からボクが通う学校か。ボクのことを理解してくれる人物はいるのだろうか…?)
などと思いながら、ゆっくりと校舎の中へと進んでいく。
女子生徒は長い髪を後ろに束ね、少し長めの前髪は左斜めに流している。
濃紺のプレザーのポケットの中に手を突っ込み、プレザーと同じ色のスカートはひだ下五cmの長いスカート。
プレザーの下に着ているブラウスの第一ボタンは開けているが、赤リボンはきっちり上までつけている。
女子生徒は転入してきて、今日が初日だ。
一年七組の教室の前まで来ると、大きく深呼吸して恐る恐る教室のドアを開けた。
クラスの一同が、女子生徒のほうに目を向ける。
「あら、やっと来てくれた。さぁ、中に入って」
担任の河村江美が笑顔で迎え入れてくれる。
女子生徒が教室に入り、江美が黒板に女子生徒の名前を書き、前を向く。
「今日からみんなのクラスの一員になります。赤谷夏希さんです。みんな仲良くしてあげて下さい。赤谷さんの席は真ん中の前から四つ目」
江美が夏希の席のほうに目をやる。
夏希は返事をすると、自分の席に着く。
「永井君、今日一日、赤谷さんに学校のことを教えてあげて」
「はい、わかりました」
江美の一言に、永井という少年が返事をした。
「ショートホームルームはここまで。一限目は移動教室だから移動してちょうだい」
そう言うと、江美は黒板に書いた夏希の名前を消した。
夏希がカバンの中の教科書やノートを机の中に入れていたところに、永井少年が夏希に近付いてきた。
「赤谷さん…?」
「あん…?」
「僕は永井和夫です。このクラスの学級委員長をしている。今日だけじゃなくて、慣れるまでなんでも聞いてくれよ」
眼鏡をかけたインテリタイプの和夫は、笑顔で言ってくれる。
「あ、あぁ…」
さすが、学級委員長の風格だな、と夏希が思っていたところに、
「なんか、今竹に感じが似てねー?」
二人の背後から、一人の明るい男子生徒の声が聞こえてきた。
「原口…」
「オレは原口仁。よろしくなっ!」
そう紹介した仁に、ウザったい目を向ける夏希。
「そんな目をするなよー。まっ、そういうところが今竹に似てるけどな」
「今竹って誰だよ?」
「アイツだよ。左一番前の隅に座っているショートヘアの女子。アイツは性同一性障害なんだ」
仁が教えてくれた女子を見る夏希。
(性同一性障害か…)
「とりあえず、移動教室だから行こうぜ!」
「そうだな。赤谷さん、行こう」
和夫の声に慌てて目を反らした夏希は、今竹というクラスメートのことが気になっていた。
そして、本人と仲良くなれたら…と夏希は思っていた。
その日の授業が終わり、放課後に夏希は和夫と仁の二人に校内を案内してもらうことになった。
体育館や食堂などゆっくりとした足取りで見て回る三人。
いつの間にか、ウザったく思っていた仁のことも、仲良くなってしまっていた夏希。
「コイツ、生徒会に入ってるんだぜ」
仁が和夫肘をつついて言う。
「へぇ…」
目を丸くして和夫を見る夏希に、照れる様子もなく変わらない様子で歩く和夫。
「…ていっても、まだ役職はねーけどな。オレの学年で生徒会長は永井だって言ってる奴多いしな」
「まだわからねーよ。他の役職、書記とかやりたいし…」
「でも、会長やるつもりだろ?」
「予定はな」
そう言うと、和夫は軽くため息をつく。
「ところで話変わるけど、赤谷さんて前の学校はどんな学校だったんだ?」
和夫は夏希に聞いてくる。
「やりたいことがやれる学校。制服もなかったし楽だった」
前の学校のことは聞かれたくもなかったし、答えたくもない夏希だったが、普通ならばなぜ転入してきたのか、という疑問がでてくるのは当たり前だと思って答えたのだ。
「つまり、単位制の学校ってことか…」
「うん。ボクは音楽のほうに進んでたんだ」
「音楽目指してるんだ?」
「まぁな」
「ここが音楽室だ」
和夫は音楽室のドアをゆっくりと開けた。
壁にはベートーベンやモーツァルトの肖像画が貼られている。
黒板の前にはピアノが置いてあり、生徒が使用する机と椅子が並べてある。
「まぁ、どこの学校にでもある音楽室だ」
「原口、“あの話”を赤谷さんにしてもいいよな?」
和夫は仁に意味ありげに聞く。
「いいんじゃねーの? いつかは耳にするだろうし…」
頷きながら同意する仁。
そんな二人の会話に、首を傾げる夏希。
「“あの話”ってなんなんだよ?」
「うん…この学校にはある噂があってな」
和夫はゆっくりとした口調で話し始めた。
「ある噂って…?」
「音楽室の怪っていう噂。この話しは合唱コンの時期にしか噂にならないんだけど、今から七年前、歌の上手い女子生徒がいたんだ。その女子生徒は、ソプラノのソロを歌うことになっていた。しかし、合唱コンの二日前、心臓病で倒れて亡くなったんだ。それ以来、合唱コンの時期になると、その女子生徒の歌声が聞こえてくる、というものなんだ」
和夫は机に座り、夏希に教えてくれた。
「その話、本当なのか?」
「マジだって。オレの友達も何人か聞いてる奴いるんだしな」
「その歌声ってのはいつ聞こえてくる?」
「放課後だ」
二人の話を聞くと、夏希は腕を組み考え込んだ。
(何かありそうだな)
「そんな深刻な顔するなって! 今、この音楽室にいるんだし大丈夫だよ」
仁は明るく夏希に言う。
「確かにそうだ。何も心配する必要はない」
「なんで合唱コンの時期だけなんだ?」
夏希は二人に質問する。
「毎年、合唱コンの時期にだけしか聞こえてこねーから。今年も先週からもう女子生徒の声が…」
「そっか…」
「でも、大体のことはわかるけどな」
和夫は意味深な発言をする。
「はっ? どういうことだよ?」
「いいや。なんでもない」
首を横に降り、ピアノを見つめる和夫。
(コイツは何か知っている。知っていてわざと言わないんだ)
夏希は和夫を見つめて思っていた。
「そろそろ行こうぜ。生徒会室に行かないと…。もうすぐで会議なんだ」和夫はカバンを持ちながら言う。
時計は四時半を過ぎようとしている。
「会議ってなんだよ?」
「ヒミツだよ」
仁に笑顔で答える和夫。
「なんだよ、それ―?」
二人は並んで歩き始める。
一階まで降りてくると、和夫と別れ、夏希と仁はバス停まで歩いて行くことになった。
仁とは駅まで一緒なのだ。
「原口!」
二人の背後から、若い男性の声がした。
「あ、ヤマテツじゃん! 何してるんだ?」
「テニスコートの修理してたんだよ」
ヤマテツと呼ばれた教師はそう答えると、仁の隣にいる夏希に気付いた。
「なんだぁ―? 彼女と一緒か―?」
「違うよ。オレのクラスの転入生だ」
「あぁ…そういえば…」
「誰だよ?」
夏希は小さく仁に耳打ちする。
「山上哲平先生。オレのクラスの男子の体育を教えてもらってるんだ。みんな、“ヤマテツ”って呼んでるってわけ」
仁の説明に、本日二度めのウザったい目を哲平に向けた。
「ヨロシクな! 君の名前は…?」
「赤谷夏希」
ウザったい言い方で自分の名前を告げる夏希。
「いい名前だ」
夏希のウザったい目も気にせずに接する哲平。
「オレは職員室戻るな。じゃあな!」
哲平は二人に手を振ると、校舎に戻っていく。
「なんか、ホストみたいじゃね―?」
夏希はボソッと呟く。
「ホストっぽいけど人気あるんだぜ? まぁ、大学時代、本当にホストしてたみたいだけどな」
仁は苦笑しながら言った。
(ホストみたいじゃなくて、本当にホストだったんだな)
夏希はそう思っていた。