愛と異能と戦場3-1
「アズマさん話したいことがあります」
そう連絡があったのは夕方ごろ、彼と約束通り食事に行ってからひと月は経った頃だ。彼はあれから近所のパン屋で働いていると聞いた。
今は仕事を覚えることで精一杯ですと先月あった時には苦笑していた。うまくやっていると思っていたが何か困っていることでもあるのだろうか? 予定は何もなかったため近所の店で飲みながら聞くということになった。
「今日は早めに帰るのか」
ドアノブに手をかけようとしたとき、いつもは残業をしているはずだが珍しいな、と所長は喋った。所長は書類に目を向けこちらを見てはいなかったが、足音で帰宅することに気づいたのだろう。
「人と会う用事ができてしまったので今日はこの辺で切り上げようと思います」
「それはそれは」
あの人付き合いが苦手であったアズマが変わったな。と書類から目を上げ、彼女は笑っていた。
「私も成長したのですよ、人付き合いも大切だとここ数年で実感しましたから」
「そうか。あいつもお前が成長したことを喜んでいるだろうよ」
所長はまた書類に目を戻していた。壁にかけてあるカレンダーを見る。今年もあいつの命日が近づいて来たなと実感させられる。
だが、あいつが私の成長を喜ぶとはどうも思えないのだ。
あいつ……トウゴと出会ったのは軍に入り4年が過ぎたころだ。
軍に入った理由は自身に特異な能力が備わっていたことそれが発覚し勧誘される形で入ったのだ。軍に入った当初から私は自身の能力が原因で遠巻きにされていた。確かに気味の悪い能力であったのだから関わりたくないと思うのは当たり前だろう。
そんな中言っては悪いが場の空気を読まずに私に話しかけてきた奴がトウゴであった。話をするうちにトウゴも私と同じように特殊な能力を持った人間であることを知った。どうも彼も勧誘され軍に入ったようで同じような境遇であったことや同じ歌手が好きだということがわかりそれからはよく行動を共にすることが多くなった。
彼が死んだのは4年前、戦場の最前線で銃弾に撃たれ死んだ。
運が悪かった、残念だと軍の奴らは言っていたが私だけは知っている。彼は自ら銃弾の海に飛び込んだのだ
彼の能力は危機的な状況になるという条件付きではあったが、能力が発動すると自分以外の全てのモノの動きが遅くなるという能力だ。
それだけでは何にも役に立たないが、トウゴ自身は遅くなるという自信の能力の影響を受けずに通常と同じ速さで動くことが可能であった。周りからしたら高速移動、瞬間移動したかのように見えるだろうな、と笑って説明していたことを今でも覚えている。危機的な状況でないと能力が発揮しないのだと私だけに打ち明けてくれたのは信頼されていたからだと思っていた。
だからあのときだって危機的な状況であった。あの銃弾だって避けることができたはずだった。
奴がいなくなって数日、奴の部屋に1冊の日記が置いてあるのを見つけた。どうやら彼は日記をつけていたようで彼にそんな習慣があるとは知らなかった。勝手に読むことはいけないとは思いながらももしかすると死んだ原因がわかるかもしれない、一体何が彼をそこまで追い詰めたのか気になったのだ。
最初の十数ページは特に特筆するようなことは書かれていなかった。任務がどうだったか、訓練がどうだったかというその日の出来事についてまとめたごく普通の日記であった。
収穫はなさそうだと日記のページをめくっているととある日付のページが目に留まった。その日は戦闘が激化している市街地への進軍で、こちら側は大した被害もなく制圧することができたときのことだった。
ただ戦場となり破壊され瓦礫となった住宅街から時折聞こえるうめき声が聞こえてくる。
わずかに息はあるものの助かる見込みのない人、その周辺で必死に呼びかける人など悲惨な光景が目に広がっていたことは私も覚えている。彼の日記にはそれが頭では理解しているはずなのに受け入れられないということが書かれていた。
『口を押え胃からこみ上げるものを堪えていたが隣を見ると平然として立っている同僚の姿があった。僕はそれが心底恐ろしく感じたのだ』
その日最後はこんな文章で終わっていた。ここに登場する同僚とはきっと私のことだろう。あのとき彼の隣に立っていたのは私と上司だけであったから私のことを指しているとすぐにわかった。この日から日記の内容はどこかおかしくなっていた。
『人が死んでいっているというのに感情の無い表情で見ていること、敵国の兵士に動くなと発砲されても平然とした顔で兵士たちを制圧したこと……』
『同じ人間であるはずなのになぜか彼が機械でできた兵士なのではと思えてしまう。そんな同僚を上司たちは褒めたたえていた。
ゆっくりと進む世界の中で見る死ぬ寸前の彼らの表情が脳裏に焼き付き離れない。何人もの顔が僕を監視している。
昨夜は銃声の音が頭に響いて眠れなかった。正義のため、これは正しいことのはずなのに罪悪感に苛まれている。』
日記の文章は初日の方は嬉しい、疲れたなどの彼が感じた感想が書かれていた。だは次第に彼が目の当たりにした惨状、彼の苦悶が書かれていた。
『楽になりたいこんなモノさえなければ今頃は』
最後のページ、死ぬ前日の言葉だ。もし彼がここに来なければ能力さえなければもっと違う人生を歩んでいたのだろうか? そこまで考えたところでもう終わってしまったことだと私は頭を振った。
日記を閉じ元の位置に戻そうとすると小さな紙切れが落ちてきた。
拾い上げるとそれはメモ書きのようだった。表面には私の名前がありこれが私に関することが書かれているのだろう。
『いつも冷めた目で戦場を見ていた。悲惨な光景を目にしても表情を一切変えず見ていられることは理解しがたいものであった』
『私は人間だ。裏でロボットだの殺戮マシンだと呼ばれているお前とは違う、人間なんだ。でもお前のようになりたいとは思わない』
『私は人間だ』
裏面の文章を読んで何とも言い難い気持ちになった。自分が他の同期たちから遠巻きにされていたのは知っている。奴だけが私を普通の人間として接してくれていたと思っていたが違ったようだった。
だが、裏切られて悲しい、私をだましていたのかと落胆のような感情は湧かなかった。彼と過ごしてきた時間の全てが偽りであったわけではない。それに私にくれた優しさは本物であったと信じているからだ。
こうしていれば良かったと彼がおかしいことに気がついていたら後悔することはあるが、今まで進んできた道があるから今の自分がいる。
「今度墓参りにでも行こうと思います」
過去のことを思い出しているとふとそんな言葉が口から出ていた。奴は私に来てほしくないだろうと思い行ったことは無かったのだが一度くらいは挨拶しておこうとふとそう思ったのだ。
そういえば、奴は甘いものよく好んでいた。今度クルハに最近流行している菓子パンについて教えてもらおう。奴の好きそうなものさえ置けば墓参りくらいなら許してくれそうな気がした。
「そうするといい、それで時間は大丈夫なのか?」
所長に言われ時計を見ると待ち合わせの時間が迫っていた。遅刻して待たせないように階段を下りて行った。
待ち合わせに選んだ店は私がクルハと初めて食事に行った店だ。個室になっているため、人が多く大声にまだ慣れていないクルハにとっては会話のしやすい場所だろう。
「それで話があるとはどうした?」
運ばれてきた料理は美味いものであったがクルハの顔色は晴れない。職場でいじめにでも遭っているのだろうか。もしそうならば私が手助けしようかと余計なことを考えてしまう。
「僕は保護施設を出てからアパートに住んでいたのはアズマさんも知っていますよね」
知っている。彼の住んでいるアパートは一度見に行ったことがあった。私は頷き話の続きを促す。
「昼休憩中に忘れ物に気づいて一度家に帰ってきたら空き巣に入られていていました。ドアのカギは壊され部屋が荒らされてとてもではないけれど今住める状態ではないのです」
貴重品なんてないのにとぼやきながら野菜炒めを食べている。支援もあるとはいえ彼のアルバイト代で払える家賃のアパートは多くはない。このアパートの家賃は安かったがその分セキュリティや防音がザルであると聞いていた。
アズマさんには伝えておこうと思って今日連絡をしました、と彼は話す。
「一応保護施設には連絡はしたのか?今日泊まる場所はあるのか?」
「連絡はしてみたのですけど難しいようですぐに対応してくれそうにはなかったです。今日はどこか安いホテルでも探して泊まろうと考えています」
そういえば今日はいつもの小さな肩掛けバッグではなくリュックサックで来ていた。いつもとは違うことに気づくことができなかった。
「なら私の家に来るか?安いホテルよりかは安全だと思うのだが」
私の住んでいるマンションの家賃は高いがその分セキュリティと整備はしっかりとされていた。
一人暮らしだがルームシェアもできる間取りの部屋を借りているため人が一人増える位は特に問題はなかった。
「そんなアズマさんに迷惑をかけるつもりは…… 」
突然の申し出にクルハは戸惑い、食べようとしていた肉団子を皿の上に落してしまった。そんなに驚かれてしまうと少し傷つく。
「すまない、嫌なら別にいいが」
「嫌とかではないです。ただここまでしてもらえることは嬉しいのですが、気が引けてしまって」
「そうなのか別に数日なら問題はないのだが」
何か彼が気に病まない方法はないかと考えたとき1ついい考えを思いついた。
「私が泊める代わりにクルハは私の家の家事を手伝う。それならどうだ?」
我ながらいい考えが思いついたのだがどうだろうか。クルハの反応をうかがう。
「ええと、本当にそれだけでいいのですか?」
未だに待遇については戸惑ってはいるが泊まることについては反論してこない。
「ああ、家事が少しでも楽になるのなら私は助かる
私は家事が苦手だからな、と笑う。助かるという言葉が効いたのか最後にはわかりましたとクルハは頷いてくれた。
一通り話し終え食事を再開する。クルハが頼んだものは先程まで食べていた野菜炒めと一番安い肉団子だけであった。彼の痩せた身体を見てもう少し食べろという意味でいくつか頼んでいたおかず小皿に入れて渡した。
今日は奢りだとお金を支払おうとする彼に言うとそこまではしないでくださいとなぜか怒られてしまった。結局クルハは自分が頼んだ分の料金はしっかりと払った。
たくさん食べられるように今度行くときには奢ってやろうと考えていると、今度一緒に食事するときも自分の分は払いますからと釘を刺されてしまった。