心霊スポットで花魁を拾った。
江戸時代の忘れられた谷間、勿忘里。
そこは、身体が衰え、心身を病んだ者たち。
あるいは才能を咲かせることなく散った者たちがかつて送り込まれた場所。
かつて栄華を誇った花魁たちが、その運命を受け入れ、ただただ死を待った。
その跡地に現在、一筋の薄暗いトンネルが口を開く。
それは、決して立ち入ってはならない禁忌の場所。
古びた花魁の霊が今もそこに潜み、迷い込んだ者を誘い込む。
「た……すけ……て……」
誰もいないはずの静寂を破る、幽かな声。
◇◇◇
「うわぁぁっ!」
「アハハ! お前、ビビりすぎだって! もうトンネル抜けたじゃんかよ!」
その怪談話に悲鳴を上げた声の主は、大学の同期である田臥だった。
そして笑い声を上げたのは、湯川さん。
俺たちの大学サークルの先輩で、こういう肝試しには目がない人だ。
俺、嶺紀彗は、今まさに「花魁トンネル」と呼ばれる心霊スポットにいる。
曰く、そこにはかつての花魁たちの霊が彷徨っているらしい。
「……で、どうだった? 怖かったか?」
「ビビり散らかしてんのは田臥だけですよ。俺は別に、こういうの信じてないんで、あれですけど」
「ったく、嶺紀はほんと、ビビらねえよなぁ! つまんねぇの」
「つまんない人間で、すんません」
皮肉を交えた返答は、至極当然だった。
そもそも、俺は望んでこの心霊スポットに来たわけじゃないのだから。
半ば強引に湯川先輩に連れてこられただけ。
先輩が俺と田臥を怖がらせて、楽しんでいるだけの遊びであって俺自身、楽しめるわけなどないのだ。
それに俺はそもそも心霊現象なんて信じてない点、怖がりようもない。
だからこそ、田臥は湯川先輩のターゲットにされた。
なんせ根からのビビリなのだから。
「よーし、そろそろ帰るか!」
田臥を驚かすだけ驚かした先輩が満足げな表情で宣言した。
俺たちは最寄りの駅に向かっていた。
一刻も早く帰りたい気分だったので正直、ありがたい。
幽霊が出るだの、花魁の呪いだの、どれもくだらない話ばかりで眠気さえ覚えた。
そんなことを考えながら歩いていると、俺は思わず立ち止まった。
「……あれ、財布がない」
ズボンポケットに入ってたはずの財布が無いのだ。
ポケットを探る両手には焦りが出ていた。
「あれれ〜? なんでだろうな〜」
湯川先輩がおどけた調子で言う。
その反応で俺はなんとなく安心した。
何か知ってるんだろうな、と直感したからだ。
多分だが、単に盗んだとかではない。
この人のことだ、もっと幼稚なイタズラに決まってる。
「実はな〜、お前の財布、トンネルのどこかに置いてきちまったんだよね〜!」
湯川先輩はいたずらっぽく笑う。
だが、まったく笑えない冗談だ。
俺は深くため息をついた。
「……勘弁してくださいよ」
「だってお前、全然ビビんねぇじゃん? もうちょっと、田臥みたいに可愛げがあってもいいんじゃねえか? ってなわけで、いってらっしゃーい!」
これはもはやイジメだ。
俺も田臥みたいにビビりキャラを演じていれば、こうなることもなかったのかもしれない。
だが、それでも構わない。
別に心霊が怖いわけでは無いのだから、ただトンネルに戻って財布を取ってくるってだけの話だ。
「気を付けてね、嶺紀くん……」
「別に、平気だから」
田臥の心配そうな眼差しが痛々しい。
まったく余計な心配だ。
むしろ、俺はお前の方が心配になる。
どんな教育を受けたら、この歳になっても幽霊だの怪異だのを純粋に信じられるんだ?
同じ大学に通ってることが恥ずかしいくらいだ。
◇◇◇
再びトンネルに戻ってきた。
なんだか重苦しい空気が全身にまとわりついた。
普通のトンネルであるのは間違いないはずだが、その背景にある心霊話をされれば、多少は妙な不安を感じざるを得ない。
息を吸い込むたび、喉に痛みが走るほどの冷たさが肺に染みわたり、寒気がする。
ただ、これは霊の仕業とかではない。
冬だからだ。
冷たい風が吹き抜けているだけだ。
そんなことよりも問題は財布。
先輩がどこかに隠したはずだが、あまり目立つ場所には置いていないだろう。
誰かに盗られでもしたら洒落にならないからな。
「……あった」
トンネルの反対側。
出口の近くの角にひっそりと置かれた財布が目に入った。
思ったよりも簡単な場所に隠してあったようだ。
もし誰かに盗まれでもしたら、一体、湯川先輩はどう落とし前をつけるつもりだったんだろう。
「……た……すけて……」
「え……?」
財布を手に取った瞬間、耳元でかすかに声が響いた。
助けを求める声――そう聞こえた。
また、湯川先輩がからかいに戻ってきたのか。
「どこですか〜先輩? いるのバレてるんすよ〜」
トンネルの反対側は薄暗く、街灯もほとんどないせいで、ぼんやりとした影しか見えない。
トンネルの出口から携帯のフラッシュライトを点けて辺りを照らした。
光が届いた先、膝を抱えた人影がぽつんと佇んでいた。
人間に見えた。
「……先輩?」
でも無さそうだ。
湯川先輩ではない。
もっと言えば、田臥でもない。
雪のように白い肌。
まるで鏡のように、自分が写ってしまいそうなほどに光沢のある黒髪が肩口から長く流れ落ちている。
そして、艶やかな深い茜色の着物を着用してる。
すると突然、冷たい風が再びトンネルを吹き抜け、彼女の着物の裾を揺らした。
湯川先輩も田臥も、どちらも髪は茶色に染めているし、第一にこんな和装はしてなかった。
それに、ここにいるのは、確かに――女だ。
「あの……大丈夫ですか?」
その声に反応するように、彼女が静かに顔をこちらに向けた。
フラッシュライトの光を浴びた彼女の瞳。
涙の跡を残して潤んでいた。
微かに震える肩。
乱れた黒髪が彼女の白い頬にかかっている。
彼女は泣いていたのだ。
何かに怯え、ひどく傷ついているように見える。
もしや、幽霊か?
だが、幽霊なんて非科学的な存在、いるはずがない――。
そう思ったが、その真相を確かめざるを得なかった。
俺はそっと指を伸ばして、彼女の頬をツンと突いてみた。
この温もりと柔らかさ――明らかに生身の人間だ。
「っ! ……何をなさるのですか!」
驚いた彼女は少しあたふたしながら俺の手を払いのけた。
「触れるってことは、生きてんのか……」
幽霊に出会ったかもしれないという興奮は一瞬にして冷め、そのがっかりした気持ちも、思わず口から漏れてしまった。
「……まだ死んでおりんせんよ」
冷たい呆れを帯びた言葉だった。
その表情は先ほどの涙を流していた姿とは一変し、不服そうな眼差しで俺をじっと見つめている。
それにしても、生きていると分かると、状況が一層厄介になった。
「迷子か? お前、家がどこにあるかわかるか?」
「お、お前!? わらわは花魁でございまするよ! もう少し敬意をお示しなさい!」
「花魁? 江戸時代の?」
「はい、主さんの言う通りでございます」
「何、バカなこと言ってんだ」
何をとぼけているのかは分からないが、自称、花魁のこの女は、警察に届けた方が良さそうだ。
「めんどくせえ。警察に連れてくから、立て」
「警察……? とはいったい何でございましょう?」
気難しい性格だけじゃなく、バカでもあるのか。
飛んだお嬢様気質だ。
まあ、何だっていい。
話が通じない相手に対話なんて無意味だ。
こういう場合は無理に連れていくだけだ。
「よいしょっと」
「な、何をする、この無礼者! その煩わしい手をわらわから離しなさい!」
彼女を肩に担いで、近くの交番に預けることにした。
「その、ケイサツとやらには連れて行かないでおくれ〜! わらわ、怖いのでございます〜!!」
「うるさい」
「な! うるさいとは何事でございますか!!」
◇◇◇
警察に連れて行かないでくれと彼女が何度も叫ぶので、流石に諦めることにした。
そして俺の狭い学生アパートで一晩預かることにした。
どこかに放置するよりは、まだここの方が安全だろう。
「お前、名前は?」
「……百合でありんす」
「あんな暗いところで何してたんだ?」
「わらわにも理解しかねますわ。気づけば、あそこにおったのでございます」
彼女もまた状況が掴めていない様子だった。
「花魁と言えば、吉原とかか?」
「そうでございますね。ただし、わらわはそこではありんせん。少々、複雑な事情がございますの」
「なんかお前も大変なんだな」
「そうでございますよ! それなのに主さんは、ケイサツとやらいう怖い所に連れて行こうとされていたではありませんか!」
花魁の話し方のイメージとは少し違うが、見た目の独特な雰囲気だけで言えば、江戸時代を漂わせている。
タイムリープしてきたのか?
そんな非現実的なことが本当にあるのだろうか?
クシュン!
その時、彼女は突然小さく、くしゃみをした。
「風邪、引いたか?」
こんな寒い中で、ただの着物一枚では体が冷えてしまうのも無理はない。
百合は小さく震えていたが、目を細め、申し訳なさそうに首を横に振った。
「……ちょっと寒いだけでございます」
「なに強がってんだよ、早くシャワー浴びてこい」
「シャワー? それは一体?」
「あー、水浴びのこと」
すると突然、満更でもない顔でこう言ってきた。
「主さんの背中を流して欲しいのでございますか? ならば、わらわ、喜んで……」
「いつ、二人仲良く入ろうって言ったんだよ。早く一人で浴びてこいよ。風邪引くぞ」
「っ! あまり、わらわに指図なさるでございません!」
「だって寒いんだろ」
しばらくして、髪を束ねずに自然に下ろした姿で百合が浴室から出てきた。
濡れた髪が肩に軽やかにかかり、ほのかに湿った香りが漂ってくる。
俺の貸してあげた服を着たまま、少し不安そうに自分の姿を見つめていた。
大きすぎるTシャツは彼女の華奢な体にはだぶだぶで、袖が長すぎて手が隠れてしまいそうだった。
「男の服しかないから悪いな」
「いや、苦しゅうはないのでございます。それで……いかがでございましょう?」
「いかがって、何が?」
「似合っているかどうか、ということでございます〜! 主さん、なかなか鈍いでございますよ!」
……パジャマに感想が欲しいのか?
しかも俺のパジャマだぞ?
現代の女の子も訳が分からないが、こいつの方がよっぽどかもしれない。
だが、言われてみれば、案外似合ってる……かも。
「はい、似合ってます」
「わらわは何を着ても似合ってしまう運命にあるのかもしれませぬわ!」
ずっとテンションが高くて、楽しそうだ。
「じゃあ、俺もちょっとシャワー浴びるから」
「承りましたわ」
「……あ、言っとくが、何も変なことすんなよ」
「言われなくとも、ここで退屈に待っておりますわ!」
シャワーを浴びる間、リビングからは彼女の明るい声が微かに聞こえてきた。
「アハハ、よろしい、よろしい!」
何、言ってんだ?
気になって覗いてみると、その理由が分かった。
テレビで深夜アニメを見てたのだ。
にしてもテレビの付け方、分かったんだ……。
「いけー!!」
「いけー、じゃないのよ。何してんの……」
「設定は謎でございますが、この動く巻物、なかなかに面白いものでございますわ!」
「動く巻物? これ、テレビって言うの」
「このお方、テレビと名乗るのでございますか」
◇◇◇
心スポで花魁を拾った次の日のこと――。
「はぁー、疲れた〜」
時刻も既に昼の十二時を回っていた。
俺は大学の二限を終えて、帰り道を歩いていたところだ。
河川敷を沿った長い通りを二十分ほど歩けば、俺のアパートだ。
普段なら、学食で昼飯を済ませてからのんびりと帰るところだが、今日は百合のことがなんだか心配だったので即帰宅ルートを辿った。
まるでペットを飼って初めて留守番をさせた時みたいな気分だ。
「大学に行ってる間、外に出るなよ」
そう、今朝、家を出る前に何度も念押ししたはずだが……。
「――お待ち申し上げます~~!!」
河川敷の方から、子どものような声が響いてきた。
元気がいいな。
と待て待て。
――この独特な喋り方、まさか百合じゃないか?
何してんだ……?
「おーい、百合!!」
「……主さん!!」
叫んでみると、ようやく彼女が俺を見つけた。
驚いたような表情を浮かべながら、河川敷の階段を駆け上がってくる。
「俺が大学に行ってる間、外に出るなって言ったよな?」
「だって……お腹が空いたんでございますもの……」
「だからって、どうして河川敷に?」
「出店を回ってみたのですが、あいにく小判を持っておりませんでしたゆえ、何も買えんかったんでございます……」
「だから河川敷に? コオロギでも捕まえて食べる気だったのか?」
少し茶化すように言うと、百合は顔を真っ赤にして反論してきた。
「あまり笑わぬでくだされませ! 空腹になると、わらわは理性を保てなくなるのでございます!」
本当にコオロギ、捕まえようとしてたんか……。
全く思いやられる。
しかも、昨日のパジャマのままだし。
まあ、似合ってるからいいんだけどさ。
「にしても、これからどうしようかな」
「なんですか? 悩み事でございますか?」
「お前のせいだよ……警察には行きたくないんだろ?」
「もちろんです! ケイサツという言葉の響きだけで身の毛がよだつのでございますわ!」
「そうだよな……。じゃあ、子どもっぽいし、児童相談所にでも行くか?」
「……?」
「いやでも、河川敷でコオロギ追っかけてたから動物の保護団体にでも預けるべきか?」
「……?」
ましてや花魁の保護団体なんてあるわけないしな。
いや、俺の知識の中には無いだけかもしれない。
とりあえず、スマホで調べてみるか……。
そう思いながらポケットからスマホを取り出した瞬間だった。
「何でございますの! この光るものは!」
「いちいち、好奇心旺盛だな……」
百合の目がスマホに釘付けになり、驚愕の表情を浮かべた。
「貸してください!!」
「ちょっ、やめろって」
抵抗は見せたものの、思った以上に力強く、俺の手からスマホをあっさりと奪い取られた。
「昨夜、閲覧していたテレビというものが、ひとしお小さくなったようでございますね」
百合は不器用に指で画面をカチカチと強く押している。
その姿がなんとも危なっかしい。
すると、不意に一つのアイコンが押され、画面が切り替わった。
――マッチングアプリだ。
大学入学時に、友人とノリで入れたアプリだ。
だが、特に思い入れもない。
消し忘れていただけだ。
「はーい、マッチングアプリはダメねー」
「なんですか! 何ぞ、イヤらしいものなのでございますか?」
「いや、イヤらしくはないけど……これは恋愛とか結婚相手を探すための道具で、お見合いみたいなことがこの光る画面でできちゃうってわけ」
「半分ほど言っていることがわからぬのでございますが……す、すごいでございますな! わらわは感心いたしました!」
「はい、はい」
スマホを取り返そうと手を伸ばす。
だが、その瞬間、百合はなぜか気まずそうに俺を見つめてきた。
まるで、何か言いたそうな顔だ。
「どうした?」
しばらく沈黙が続いた後、彼女がぽつりとつぶやいた。
「……わらわも、したいのう……まっちんぐあぷり」
「え……?」
◇◇◇
ということで、心スポで拾った花魁、まさかのマッチングアプリデビュー。
「可愛く写しておくれませぬか! 頼み申しまする!」
「はーい、百合さん、こっち向いてくださーい」
なぜ俺がカメラマンを任されているのかはまったく理解できない。
またあの茜色の着物を着て、真剣にポーズを取っている様子を見る限りだと、どうやら彼女は本気らしい。
そんな状況なので、ツッコミを入れる気力すらも湧かない。
とりあえず、カメラマンとしての初めての仕事。
文句も言わずに数枚の写真を撮ってみた。
が、どうにも彼女の理想には当てはまらなかったらしい。
「もっと真剣にやっていただきたいのでございますわ! 花魁としての誇りがかかっておるのでございまする!」
「いやいや、なんでそんなに本気なんだよ……」
「お主、わらわを小馬鹿にしておるのではありませんか?」
鋭い指摘に、俺は目をそらす。
「まぁ、ちょっとは」
「ゆえにこそ、わらわの本気を見せつけてやりたいのでございます!」
「おー、すごい心構えだな。感心、感心」
「そうでございましょう? わらわのこと、見直していただけましたか?」
「はいはい。でもその熱意を、どうやって元いた時代に戻るかに使ってほしいもんだが……」
そうすると、しばらくの沈黙。
そして、少しだけ視線を外しながら、百合が言った。
「……こ、これが終わりましたら、考えて差し上げぬでもないでございますよ?」
「ったく、何様だよ……」
アプリに先ほど撮った写真をアップし、次の段階に入った。
「次は、プロフィール欄か」
「わらわのことを書けばよろしいのですね? それならお任せ申しまする!」
《プロフィール:
百合でありんす。
花魁をやっているでございます。
趣味:書道、詩歌、舞踊
性格:知性的、気品高い》
「趣味は分からんが、性格が知性的で気品高いのは流石に盛り過ぎてるな」
「そうでございますか?」
「ああ。俺がちゃんとしたやつ書いてやるよ」
「おー! 主さん、感謝申し上げまする!」
《プロフィール:
百合じゃ!
花魁でやんす。
趣味:コオロギ狩りでありんす。
性格:気難しいお姫様気質、めんどくさいタイプでありんす》
「主さん、殺され願望があるのでございますか?」
「うわー、恐ろしい〜。性格の欄に怒りっぽいも入れるか」
「ふざけてはなりませぬ!!」
それから数分もしないうちのこと。
百合が俺のスマホを触っていると、興奮気味に声を上げた。
「主さん! 早速、合致いたしましたわ!」
「え? マジかよ……やっぱ結局は世の中、顔なんだな」
驚きと複雑な気持ちを混じり合いながら、ふと百合の顔を見た。
確かに、美しい顔立ちをしているのは間違いない。
「何をまじまじと見ておるのでございますか? お主、やはりわらわの顔が好みなのでございますか?」
「整ってるとは思うけど……」
「……そ、そうございますか」
相手はどうやら、都内のイケメン大学生、大地くんというらしい。
文学部史学科に所属し、江戸時代の歴史を研究しているとか。
プロフィールを読むと、マッチングした理由がなんとなく理解できた。
「会話もやってあげるよ」
「このスマホなるものにて、殿方とお話しできるのでございますか?」
「そうそう。もういちいち驚かないで」
スマホを手に取り、適当にメッセージを打ち込んだ。
【はじめまして! マッチングありがとうございます! 百合って言います、よろしくね!】
まぁ、こんな感じでいいだろう。
すると、すぐに返信が届いた。
【大地です! こちらこそマッチングありがとうございます! 花魁みたいな雰囲気で素敵ですね!】
「素敵だってさ〜」
「当たり前でございますわ」
満足げな表情の百合。
「うわー、かわいくねぇな……」
「わらわにもお話しさせて頂きとうございます!」
そう言われて、強引にスマホを引っ張られた。
だが、こうなれば、もう終わりである。
せっかくのマッチングも台無しだ。
ところが――。
どうやら会話は意外とスムーズに進んだらしく、驚くことに明日の祝日にデートが決まったらしい。
◇◇◇
デート当日――。
「えーっと、この人は?」
「ワラワの付き添いにございます!」
百合が胸を張って言うその隣で、俺は一歩下がって軽く頭を下げた。
「嶺紀です。俺のことは気にしないでください。念のためにいるだけなんで」
否が応でも気にしてしまうだろうけど、このデートに付き添わなければならない事情があった。
デートが緊張するから、と言われ、百合に付き添いを頼まれたのだ。
花魁という身分であれば、色々と経験豊富だと思っていたが、デートくらいで緊張するのは驚いた。
そのまま、俺たちは近くのハンバーガー屋に入った。
百合は着物をまとい、花魁そのものの雰囲気を醸し出している。
周囲の視線が集まるが、彼女はまるで気にしていないようだった。
「百合ちゃん、ハンバーガー好き?」
「ハンバーガー? 何でございますか?」
「ん? ハンバーガー知らないの?」
冗談っぽく聞こえるが、本当に知らないのだ。
こんな会話の通じない相手……。
大地くんが可哀想に思えてくる。
「わざわざ、俺の分までありがとうございます」
「ううん、全然いいよ!」
大地くんは俺のハンバーガーの分まで奢ってくれた。
なんて優しい大地くん。
このまま彼に百合を預かってもらった方が彼女も幸せなのかもしれない。
「さーさー、食べようか!」
食べようと大地くんが促すが、百合は一向に食べる気配を見せない。
心配な様子で大地くんが彼女にこう聞いた。
「あれ、ハンバーガー、好きじゃない?」
「……? わらわに先にお食べさせるつもりでございましょうか?」
「え……?」
「殿方が先に毒味なさるのが常識ではありませんか!!」
いちいちうるさいな。
「百合、毒なんか入ってないって」
「しかし!!」
「ほら、俺が先に食べてやるから、見てて」
そう言って、百合のハンバーガーを一口食べてみせた。
「……感謝、申し上げまする」
頬をわずかに赤らめて、彼女はそう言った。
毒が入っていないと信じた様子だが、まだウロウロと落ち着かない。
「それにて、お箸はどこでございますか?」
「アハハ、これは手で食べるんだよ?」
「嘘をつかぬでくださるよう! わらわが下僕の如く食べる姿を楽しみたくとも、そうはいきませぬ!」
本当にいちいち突っかかってくる。
が、初めての世界だとこんなものなのだろう。
「百合、本当に手で食べるものだから」
「そ、そうでございますか……ならば、いただこうと存じます」
◇◇◇
「今度は映画行こうか!」
大地くんはなおもデートを楽しむつもりのようだ。
「時代劇、好きかな〜って思ったから、いま上映中の『影斬りの剣 〜暁の復讐者〜』って映画のチケット取っておいたよ! ……それでさ、嶺紀くん分のチケットを予約してなかったから二枚しかチケット無いんだけど……」
「大丈夫ですよ。わざわざご気遣い、ありがとうございます」
俺が飛び入り参加しただけなのに、大地くんが申し訳なさそうにしていた。
本当に優しくて、気遣いのできる男だ。
これなら百合も心置きなく預けられるな。
結局、彼女たちの隣の席は取れなかったものの、遠くからでも見守れる席を確保することができた。
そして、映画が上映された。
『この刀に誓った……お前を討つまで、俺の夜明けは来ない!』
ベタな話すぎて、頭に入ってこない時代劇の映画だった。
そんな中、俺の目はスクリーンよりもあの二人に釘付けだった。
大地くんが百合の手を握ろうとしていたのだ。
彼の手が、ゆっくりと百合の手へと伸び、指先が彼女の手に触れるのが見えた。
なんだ。
良い感じじゃん。
そう安堵した、その時。
「――今じゃ!! 斬ってたもれ!!」
と百合は突然席を立ち、大地くんの手を振り払って、そう叫んだのだ。
……映画館は完全没入体験のアトラクションじゃねえんだよ。
「まじかー」
小さくそう言うしかなかった。
そして、無事に映画が終わった。
百合の怪奇的な行動を警戒し過ぎたたせいで正直、映画の内容なんて頭に入ってなかった。
「ご、ごめん。この後、用事ができたからもう解散しよっか……」
映画館を出たすぐ、大地くんが申し訳なさそうにそう言った。
「それならば、致し方ございませんね」
明らかに振られてしまった。
ただ、大地くんの配慮からか、百合はその事実に気づいていないようだった。
まあ、仕方のないことだ。
大地くんは悪くない。
◇◇◇
「お前さ、元いた場所に戻んなくていいのか?」
デートの帰り道、俺は彼女にふと、そう問いかけた。
「まだ……。まだでございます……」
その曖昧な返答に、正直なところ、苛立ちが込み上げてきた。
なぜなら、大学の課題も山積み。
それでもってバイトで来学期の学費も稼がなければならないからだ。
今日も本来ならバイトが入っていたが、このデートの付き添いのために、無理を言ってシフトを変えてもらったのだ。
彼女の状況が困難なのは承知の上だが、最初から俺には彼女の世話をする義務なんて無いのだ。
「良い加減にしてくれよ。俺もやることがあるんだ。大学行って、バイトもして。お前の世話なんかいつまでもできないんだよ」
「……そうでございますね……」
はっきりとそう告げた。
これは遊びじゃないのだと。
すると彼女はその言葉に深く頷き、一言応じた。
それ以降は沈黙を守り、まるで親子連れの鶏のように、黙って俺の後ろをついてくるだけだった。
「ちゃんと着いてこいよー」
何度か振り返りながら、彼女が後ろにいることを確認する。
すると突然、鼻水を啜る音が耳に届いた。
決して心地よい音ではなかったが、その音は確かに何かを伝えた。
振り返ると、彼女の瞳は潤んでいた。
しかし泣いているわけではなかった。
「ど、どうしたんだ?」
「……なんでもございませぬ……」
「なんでもない訳ないだろ! 話してみろよ」
俺の怒鳴り声に似た轟きがその場を満たした。
しばしの沈黙が流れた後、彼女がゆっくりと口を開いた。
「……わらわは死ぬ覚悟を決めておりましたの……何もかも、終わらせるつもりで……」
「え……?」
「花魁として咲くことなど叶わず、どれだけ身を粉にしても、わらわの努力は虚しく散っていったのでございます……」
気まずそうに彼女の口からこぼれた。
涙を抑えよう、抑えようという気持ちがその表情から真摯に伝わった。
「誰よりも必死で生きようとしましたが、運命はあまりに無情で、何一つ報われぬまま、ついには遠い里に送り込まれ、ただ死を待つしかできぬ日々を過ごしておりました」
「勿忘里か……?」
話の流れが、あの日、湯川先輩が語っていた心霊スポットの怪談話と繋がり、俺は思わず話を割って、そう尋ねた。
「はい、そこでわらわは死ぬ覚悟を決めたのです。そして、藁に縋るような気持ちで、誰に宛てるでもなく、『たすけて』と呟いたのございます……」
そうか。
あの日、あの場所で響いた「たすけて」という小さな囁き。
それは、やはり湯川先輩が恐怖を煽るために発したものではなかった。
幽霊が俺を脅かすための呪詛でもなかった。
「たすけて」という言葉は、怪談話でよく使われる定番の脅かし文句になってる。
しかし、彼女の言葉はそれとは違ったのだ。
誰かを脅かすつもりなど微塵もない、心から助けを求める必死な訴えだった。
だから、大丈夫だ。
安心してほしい。
これ以上の心配はしないでほしい。
その声は俺に十分に伝わったのだから。
「分かった。だから、それ以上は何も言わないでくれ」
「はい……」
彼女の瞳は、まだ涙に濡れていた。
まつ毛が微かに震えているのを見て、俺は覚悟を決めた。
「――俺がお前を拾ってやるから。それで良いだろ?」
「え……? しかし、わらわの世話などできぬと、確かに仰っていたではございませんか……」
「いや、いま空きが出た。花魁、一枠だけなら拾ってやるよ」
そう告げると、彼女の目元に溜まっていた涙が、ようやくほほを伝い落ちた。
「安心しろ。保護団体になんか送らずにちゃんと面倒見るからよ」
そう言いながら、俺は彼女の頭をそっと撫でた。
彼女の表情は一変し、これまでの憂いが嘘のように消え去り、無邪気で希望に満ち溢れた笑顔が、再びその顔に浮かび上がった。
こうして、俺は出来損ないの花魁を拾ったのだ。