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異国時代劇風短編集

時の神の祭り

作者: 久蘭



 ノーダヴィダ王国の王宮に、ひらひらと雪が舞う。

 キリが母親と暮らした女官部屋を出て、宮廷魔術師として老師の弟子となって半年が過ぎた。しつらえの良い女官棟とは違い、宮廷魔術師の宿窟棟はそれほど快適とはいえない。それはとりわけ自分の付いた老師が清貧の人だった上に、ずいぶん年をとっていたから、宿窟の修理も行き届かなかったせいである。

 キリは、老師より銀貨を二枚預かって市場に買い物に来た。

 師匠は冬場で足腰が痛み、図書院からの依頼の仕事が遅れていて手持ちの銀貨も残り少なかった。しかし、新年節前の時の神の祭りの夜を、せめて食事だけでもささやかに祝おうと、焼き菓子と燻製を買うためにキリを使いに出したのだ。

 市場はいつもと違う装いでキリを迎えた。

 人でごったがえす店先で、前に押し出されたキリは、売り物を並べる台から頭だけ出して、ちょっと背伸びをしながら特別に並んだその美しい品々を見た。

 梨の砂糖漬け、干し葡萄、くるみなどを混ぜて作った焼き菓子、水鳥の燻製、キラキラと輝く魔法のような渡来の盃に流し込まれたろうそく、神々の似姿を切り抜いた紙の壁飾り、ドアに掛ける魔除けの小さな鏡は周りに蔓草が蒔かれて、赤い実を飾り付けられている。

 そんな、宝石のように輝く店先の様子に、キリはすっかり心奪われてしまった。女官部屋で暮らしていた頃は、王族の方々より特別料理がおのおのに届けられるので、市場になどには来る必要は無かったし、ましてこんな寒い日に、小さな子供が外に出る事を許すはずもない。

「おや、キリ、今日は何をあげようか」

 雑貨屋のおばさんが、キリの姿を見つけて声を掛けた。

「えっ?あ、あれ」

 キリは、つい綺麗だと見とれていたろうそくを指さしてしまった。

「ああ、はいよ」

 おばさんは、その品を取ると云った。

「銀貨二枚、ああ、手に握ってるそれね、もらうよ」

 うっかり差し出していた手の中の銀貨とろうそくが取り替えられる。

「ちがうの」

 そう云ったのだが、おばさんはもう他の客に気を取られていた。

「ちがうの」

 キリの声は小さくて、おばさんの耳には届かない。

「終わったらどけよ」

 キリは突き飛ばされて、人の輪の外に出てしまった。

 ──どうしよう。

 涙がボロボロと出てきた。

 雪が、キリの肩にひらひらと降り、涙で濡れた顔にもあたる。

 他の子の師匠はみんな厳しいというのに、キリの老師はいつも優しい。何か一つ新しい事ができたらたくさん褒めてくれる。褒められるのがうれしくて、キリはまた新しい仕事を覚えようとする。

 失敗なんか、したくない。老師をがっかりさせたくない。

 ──取り替えてもらわなきゃ。

 キリは、人混みが無くなるまで待っていた。

 雪の降る中をじっと立って待っていたら、身体がとても冷えてしまい、そして足も痛い。それで、ちょっとの間、宿窟棟の入り口の門番小屋で休ませてもらった。中はほどよく暖まっていて、ついうとうとしてしまい、そして気がつくと陽は西に傾いていた。それで慌てて市場に戻ったが、とうに店は閉まっていた。

 キリは仕方なく、老師の宿窟に帰った。

「遅かったな。銀貨を落としたのか」

 老師は叱りもせず、キリに云った。

「あの、どうも申し訳ありません」

 キリは、老師の前にろうそくを差し出し、そして跪いて頭を下げた。

「──間違えて、買ってしまいました」

 老師はキリのそばに立ち、キリの手を両手で包んで立ちあがらせた。

「間違い? はて、そのような事があるのかな」

 老師は、テーブルの上に差し出されたろうそくを手に取った。

「これは、なんと綺麗な杯だろう。こんな杯の中に火を点すと、さぞ神々しかろう」

 キリの手を引いて、奥の書斎に伴う。

「これが何か、わかるかな」

 それは、図書院の壁に掲げる大暦であった。新しい年の星の位置やら日付けやらが書いてある。

「時の神シェルは、新しい年の五日前に、新しく生まれた年の神に時の書の知恵を授ける。 その知恵を授けるために、明るい灯りが必要だったのだろう。

 このろうそくを、この暦の前に点して、時の神のお仕事を手伝って欲しいと、そうキリにお命じになったのだ。

 世の中に、時の神の意志に逆らえる者などおらぬし、無意識に間違ってしまうことも、それが時の神の御心である場合もある。

 今年は、この大暦を院長に納めねば、もう手持ちのお金は無いのだが、今夜、時の神のお仕事がお済みになるなら、明日には納めることができよう。

 時の神のお手伝いがあるゆえ、食事はパンとスープでよかろう。お前とわしの分ぐらい、鍋の底に残っておった。さあ、鍋を掛けて、スープを温めようか」

 キリは、老師に背中を押され、居間へと戻り、鍋を暖炉の鈎に吊す。


 食事のあと、大暦の前にテーブルを置き、そしてろうそくを点した。

 暦の中に描かれた動物や植物や、神々の姿が神々しく浮き上がり、暗い書斎の壁を神の世界へと作り替える。

 そして、その灯火の中で、老師は、まだ済んでいない部分に筆を走らせた。

 炎がゆらめくと、影老師の姿もゆらめいて、まるでそれは時の神自身の姿のようだと思った。

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― 新着の感想 ―
[一言]  素晴らしかったです。  読んでいて心があたたかくなり、読み終わると溜息をついてしまいました。  こういう作品に出会えると嬉しいものですね。  ご馳走様でした。
2010/01/26 04:45 退会済み
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