第92話 雫
ショウリュウはお札を構え、白い獣に狙いを定める。
この距離なら問題ない。
「ショウリュウ、やめて!!!」
術が完成しようとしたその瞬間、アイリはショウリュウの指に挟まれた札をパッと引き抜いた。
術が弾け、風が行き場を失う。
突然感触を無くした指に、ショウリュウはギョッとアイリを振り返る。
アイリはキッと目を尖らせ、ショウリュウに訴えた。
「やめて!!」
「な、邪魔すんな!!」
「あの子は悪い子じゃない! 見えざる者じゃないかもしれないんでしょ、やめて!!」
「見えざる者だったらどーするんだよ!」
アイリとショウリュウが言い合いをしている間に、白い獣は茶色の獣に向かって突進していく。
その瞳には、燃えるような激しい炎。
ガッ!!
茶色の獣が毛を振り回しながら抵抗し、ツノを突き刺そうとするのを見事に交わす。
「グルルルァアア!!」
身を翻し、一撃。
もう一度茶色の獣に噛みつき、顎の力だけでぶううんと獣を持ち上げ、振り回す。
「ザシャアアアア!!」
「グルルルァアア!!」
巨大な体が、宙に舞う。獣自身よりもひと回りも大きい体。
ガリッ!!!
白い獣は歯を更に深く突き刺しかぶりつき、その力で無理やりえぐった。
「グルルルァアア!!」
「ザシャアアア!!」
ぽっかり空いた身体の穴、茶色の毛を染める血の色。ウカになった見えざる者の姿が鮮明になり、街の人々がヒイッと慄く。
茶色の獣はダメージで体をふらふらと揺らし、上手く立っていられない。
「ザシャ……アアア……」
「……!!」
茶色の獣の身体が、穴を開けられたところから割れていく。ガラスにヒビが入っていくように、美しく。模様ではない、割れ目だ。
ピシピシとガラスが割れるように、速やかに。
「アアアァ……」
どんどん細かくなる割れ目。ペキペキと音を立て、たっぷりした毛は虚しく結晶のように落ちていく。
ペキペキペキ。
パラパラ。
茶色の獣は細かな石だけの存在になり、パラパラと崩れ消滅していった。落ちた結晶がキラキラと光る。
「……」
「……」
──ピチャン。
オオカミの牙から、雫がしたたり落ちる。口の周りもたっぷり汚れて、黄緑に染まっていた。
獣は何かを探るように、アイリ達を見据える。
「あなたは……」
獣は答えることなくヒラリと身を翻すと、アイリ達に背を向け立ち去っていく。
そのまま、暗い路地裏へと姿を消してしまった。
「待て!!」
ハッと先に我に返ったショウリュウが、真っ先に獣を追う。
──逃すか!!
アイリ、ナエカ、レオナルドもその後を追った。
走りながら、ショウリュウは札を構える。
角を一直線に曲がると、白い姿が一瞬建物の陰から見えた。今なら、追いつける。
「バルナ!!」
気付いたアイリがあっと声を上げた時には、既に遅し。
バシュッ!!
風の刃が、獣に向かって飛んでいく。鋭い刃をギリギリで交わし、獣は素早く角を曲がった。
「待て!!」
ショウリュウが足を加速させ次の角を曲がったが、もうそこには白い獣の姿はどこにもなかった。
間に合うかと思われたが、一足遅かったらしい。
「ショウリュウ!!」
「逃げやがった」
「これ……」
ナエカがしゃがみこみ、何かを拾い上げる。
白い毛だ、恐らくさっきの獣のものだろう。ふわふわしていて、指でしっかりつまむのも難しい。
強く風が吹くと、少しの毛がパラパラと散ってしまった。
「本当にオオカミみたいじゃん」
「でも、見えざる者倒しちゃったね」
石畳の地面には、僅かだが黄緑の雫が点々と模様を作っている。
──やはり、見えざる者の血。
「ただのオオカミじゃないんだよ、きっと。ううん、絶対」
「……」
四人があのオオカミについて考えこみ、その場で立ち尽くしていた、その時。
「──そこのルーイ達、もしかしてさっきの白いバケモノを探しているのかなぁ?」
突如、頭上から誰かの声が聞こえてきた。
丁寧に語りかける、読み聞かせでもしているかのような、少しもったいぶった声。
「え?」
四人が声の方を見上げると、近くのアパートメントの出っぱった階段に、一人の青年がいた。
踊り場の高く細い手すりに、足を組んで器用に腰かけている。
割り込んで来た彼に、ショウリュウがムッと顔を険しくした。
「誰だよ、あんた」
「あのバケモノを探してるでしょ?」
「なんか知ってんのか?」
レオナルドがパッと顔を明るくして問いかけると、青年はニカッと歯を見せて意味ありげに笑う。
クリンと丸まった、やたら広い帽子のつばにキザに手をかけた。
「教えてあげようか」
「ホント!?」
思わず前のめりになるアイリに、青年も満足そうに微笑み返す。
だが、何か不満なのかすぐにその眉をひそめた。
「ルーイ、そこのルーイ」
「……私?」
突然指名されたナエカは、自分を指差して困惑する。
「そう、ルーイ。もうちょっと右」
「え?」
「右」
訳がわからないまま、ナエカは恐る恐る右に動いた。
「そうそう、そこそこ。あぁ、ルーイはあと二歩くらい後ろ」
「オレか?」
首を捻りながら、レオナルドは言われた通り後ろに退がる。
すると、青年はキラッと目を輝かせバッチリとポーズをかます。
「ハイリー!! 見えてるかな〜、これが綺麗な扇形!! うっつくし〜〜い!!」
「なんだコイツ!!!」




