第36話 池
「はぁ……はぁ……」
アイリは足に絡みつく草を払いのけかきわけ、必死に出口から反対方向に向かっていた。
──おねがい、間に合って!!
足を急がせるのだが、この辺りの道の草はなかなかしつこい。つるのように長く絡みつく。道も雨上がりでぬかるみ、行手を阻む。
たまに鳥だろうか、けたたましい鳴き声が聴こえてきてビクッとしてしまう。
早く、早く、早く。
急がないと、太陽が沈んで暗くなってしまう。視界が暗くなると、化け物を見つけられるかどうか。
──こわくない、こわくない、こわくない!
「コレン……」
爽やかな黄色の光で彩られていた空に、強い赤が混じるこの時間は、美しいが少し怖い。
それでもなんとか池の付近まで辿り着いた。木の影が無くなり、視界が開ける。
「いた!!」
「ノオオオオオオ!!!」
見つけた。
池の向こう側のふちにその姿はあった。おぞましいその姿。
先程里の出口に現れ、襲ってきた見えざる者。
のっぺらぼうの怪物は、アイリに気付き唸り声を響かせる。どうやら威嚇しているようだ。
目を凝らすと、怪物の肩の部分に何か乗っかっている。
ぶらん、と力無く垂れ下がった細い腕。そこから僅かにのぞく、刺繍が施された布の生地。
ぐったりと閉じて開かない瞳、揺られた長い萌黄色の髪。
「コレン!!」
見えざる者にかつがれていたのは、コレンだった。
おぞましいことに、足の一部が見えざる者の体に突っ込んでいる。しかし、見えざる者は気にしていないようだ。
完全に目を閉じている。ショックで気絶しているのか。
「コレン、コレン!!」
必死に呼びかけるが、やはり反応は無い。
見えざる者はアイリの呼びかける声にイラついたらしく、どんどん近づいて来る。
「ノオオオオオ!!」
「こらあああ! コレンをかえせえええ!!」
思い切って叫ぶ。
アイリは見えざる者の目の前に堂々と立った。キッと目をしっかり見開いて、怪物を睨みつける。
少し足は震えているが、気にしない。
「かーいーぶーつー!! コレンかえせええええ!!」
今度は先程よりもっと大きな声が出た。
アイリの位置からは視界には入らなかったのだが、見えざる者はアイリの声にいまいましそうに顔を歪める。
イライラしながら足をブンブンふって動かすと、アイリがいる方向に向かってスッと腕を構えた。
「……!!」
──さっきと同じ!!
アイリが想像した通り、一気に三本もの腕がアイリを襲う。
「ひゃああ!!」
しかし、アイリはとっさに屈んで腕を交わした。
更にぶうんと腕が飛んでくる。アイリは今度はどんぐり返しをして交わした。
「わあぁあ」
だが交わすのはいいが、これではコレンは救えない。何が出来るのか。
「どうしよう……」
「ノオオオオオオ!!」
その時、それまで動いていた見えざる者がピタリと動きを止めた。
「あれ?」
どうしたんだろう。
どうしようかと、見えざる者が悩んでいるように見える。
見えざる者も考え事とかするのだろうか。不思議な発見をしてしまった。
「ノオオオオオ」
「……?」
奇妙な時間が流れ、アイリが首を傾げた。
その時。
「ノオオオ!!」
見えざる者の腕がガッと伸びた。
しかし、今度はアイリに向かってではない。
「!!」
木のように細い腕が伸びてガッと掴んだのは、コレンの細い首だった。
掴んだ衝撃で、体がだらんと横に揺れる。
その体を、見えざる者はゆっくりと上に持ち上げていく。
「……な、何するの」
アイリは目を大きく見開いた。歯から、僅かにカチカチと音が鳴っているのが耳に聞こえる。顔が青く染まっていく。
見えざる者は少し体を傾け、コレンに体を寄せた。
──答えてよ。コレンに何をするつもり? 答えて!
叫んだつもりだったが、その言葉は口から出てこなかった。震えるだけで、言葉にならない。
更に見えざる者が体を近づけ、カタカタカタ、と軽い音が鳴る。
もしかして、ケタケタと笑っているのか。
「やめて」
アイリはボソッと呟く。
小さく細い声だったが、どこか力を持ち静かに響いた。
池の静かな空気にピン、と糸が張られたよう。
「……ノオオ?」
見えざる者が力のあるその声に気付き、コレンから視線を外してアイリの方を向く。
コレンを腕に持ち、ぶらさげたまま。
アイリはギッと目に力を持たせ、瞳を輝かせ見えざる者を見据える。
「──やめてええええ!!!!」
アイリが叫ぶのと同時に煙が一気に立ち込め、とぐろのようにアイリを取り巻いた。
どんどん溢れだす。
その叫びに応えるように。




